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Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by - 2024.05.04,Sat
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Posted by norlys - 2008.07.15,Tue

いまさらのようですがプリオンです。

先週の金曜日にブクオフで購入しました。「プリオン説はほんとうか?」 (福岡伸一 著)。
特に読みたい本があったわけではなく、フィクションよりはノンフィクション、できればサイエンティフィック(SFではなく)な内容がいいなぁと思ったら、あまり選択肢がなかっただけですが。

サルでもわたしのような人間でもわかるように読みやすさを優先するあまり、割と内容が薄っぺらい科学入門書が多い中、この本は本気度が高く、知的欲求(笑)を存分に満たしてくれました。

著者自身の専門分野だけに造詣が深く、また化学的思考や論理的な展開に基づいて丁寧な解説があり、表現力はもとより、伏線の回収具合のうまさも見事で、一気に読ませる優れた文章です。

そんな館ありえねーよww、みたいな奇想天外なミステリーよりも、遥かに濃密で充実した内容だと思います。

初版が2005年11月なので、ちょっと今更かもしれませんが、幸いにしてプリオンタンパク説をめぐる仮説は現在なお確定していません。

さらっと内容をさらうと、
プリオンをめぐる歴史、研究に携わる人々の紹介、プルシナーの科学者としての人となり、プリオン説誕生までの経緯、プリオン説の根拠、プリオン説の再検討、そしてアンチ・プリオン説の提示。

さらっとすぎてわからないよ~という場合は、こちらをご参照。
→ 「有機化学美術館 タンパク質の話(6)

いやはや。
専門書ではない一般書籍で、「ノーベル賞評価への再審請求」ときたもんです。シロートさん相手にすごい本気度です。いや、一般書籍だからこそできたのかもしれませんが。

プリオンという言葉は耳にしたことがあるけれど、イマイチよく理解できていなかった自分にとって、なるほどなぁと納得する点が多数。同時に、プリオン=「異常型プリオンタンパク質の蓄積」という現象が未だに完全に解明されたわけではないということを知り、ちょっと安心しました。

生命のプログラムは核酸中のDNAが担い、DNAコードに基づいてアミノ酸が生産され、アミノ酸からたんぱく質ができるというロジックは、サル並みでも割合すんなりと理解できます。

でも、たんぱく質はいわばプログラミングのアウトプットに過ぎないのに、そこからまた変質してさらに感染するというのが。。。んんん~。
しかも、たんぱく質って胃で消化されてアミノ酸に分解されて小腸で吸収されるんじゃなかったの~と。(まぁ大雑把に言うと)

紫外線とか化学物質、有機化合物、ウィルス、真菌、細菌などの外的要因によってDNAやRNAが損傷し、結果として病原性プリオンタンパクが誕生する。。。というのならサルにもわかります。従来の病理学の範疇なので。
でもある日突然正常プリオンタンパクが病原性プリオンタンパクに変質する。増殖する。さらには種を越えて感染しちゃう。というのは、なんで? どうして?

仮にある日突然正常プリオンが病原性プリオンに変性するとして、その自然発生のメカニズムはなんじゃらほい。先天性遺伝性疾患、それとも後天性免疫不全? でもなんで感染するんだぜ?

いやだからこそ、プリオン学説が世界に与えたインパクトはそれほどまでに大きかった、という点だけはわかります。でもプリオンについては、いつまでたっても、なんとなーくわかったようなわからないような。。。

あ~そうかー。プリオン説についてもやもやっとしたなにかを感じたのは自分だけじゃないんだなぁ。。と。
まぁ、色々なことがまだまだ未確定のようで、プリオン説が確定じゃないと知って安心するのは、実は本末転倒のような気もしますがw
(原因が論理的に実証されて、かつ治療法が確立するに越したことはありません。はい。)

病原性たんぱく質が正常たんぱく質を変質させ、感染力を有するということのインパクトに加えて、プリオン説の根幹にあるもの-病原体を摂取(経口、移植)したものも発症リスクが高まる、という点もすごいインパクトですな。いわゆる「肉骨粉」。

高等生物における共食いを戒めるために仕込まれた病の発現かと、きっと多くの人は神の御業に思いを馳せたことでしょう。ちなみに自分もそのひとりです。はは。
まぁ、倫理的というか感傷的というかそんな見地から、レンダリング(肉骨粉処理)や人肉食には嫌悪感を覚えざるをえませんが。

ただ、哺乳類のプリオンだけではなく、イースト菌酵母Sup35にもαへリックスからβシートに立体構造を変えて凝集する性質(病原性プリオン化)が発見されたという報告例があるとか。

かと思えば、2007年10月にイギリスのイェール大学がBSE(狂牛病)はウィルス由来説を発表するなど、未だこの問題は決着がついていないようで。。。

なんという生命の神秘。奥が深いのぉ。

さて。上記のイェール大学の発表に関してネットを検索していたら、あらら2chの過去スレがヒットしました。

電波学者の発表を鵜呑みするな説から、やっぱりウィルス由来なんじゃね説、代謝と免疫バランスの問題じゃね説、果ては厚生省主導の捏造あるあるプリオン病説、BSEエセ科学説…と諸説入り混じって喧々諤々。

その中で気になったとあるコピペレス。

269 :名無しのひみつ :2007/05/29(火) 02:47:38 ID:MtZao0Gv
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949 :非公開@個人情報保護のため:2007/05/29(火) 01:51:45
永岡に次いで、松岡も吊るされたな
吊るすのは食肉処理のときのやりかた
雨牛解禁に対する報復だろう
次は、全頭検査補助打ち切りの柳澤か
秘書すら入れない新議員会館にも刺客は迫る
逃げ切れるものではないだろう

950 :非公開@個人情報保護のため:2007/05/29(火) 01:56:53
犬も飼っていないのに、犬の紐で首吊り
これは、犬頃し、つまり、B層の犯行とのサインだ
松岡はアメリカの庇護で、何をやっても首にはならないはずだった
緑疑惑なんかで自殺するはずがない
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いやまさか、プリオンネタで故松岡元農水大臣の疑惑話がでてくるとは、ビクーリ。
なんだこのブラックボックス。プリオンタンパク質の突然変異並みに驚きですってばw

科学的事象も社会的事件も、真相はまだまだ闇の中。。が多いもので。

もっとも科学的事象は鋭意研究を続けている方々の努力によって少しずつ解明されるという明るい未来がきっと待っているので、一緒くたにしてはいけませんね。えぇ。

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Posted by norlys - 2008.04.02,Wed

先週末のお花見の途中で立ち寄ったコンビニで、ふらっと手に取りました。
羽海野チカ氏の新作コミックス、「3月のライオン」第1巻。

前作の「ハチミツとクローバー」が好きだったので、おぉ~これが噂の? 最新作かぁ、と。

主人公は桐山零という17歳の男の子。職業はプロ棋士。幼い頃に家族を亡くし、父親の友人である棋士の家庭に入ったものの、現在は東京の川の手の下町で独り暮らし。
偶然出合った3姉妹や将棋仲間との交流を通じて主人公が成長していく物語(? たぶん)。

掲載誌がエロとバイオレンス満載の青年誌だと聞いていた割に、羽海野ワールド全開でちょっとびっくり。
相変わらずギャグ満載、モノローグ多め、眼鏡男子多数(えぇ自分もご飯3杯イケます)。
男性諸氏にとってはどうなんでしょ。いや、このご時勢ですので少年漫画とか少女漫画という区分は不要なのかな。

舞台が、美大か将棋の世界かという違いはあるものの、主人公が孤独な天才という点もハチクロっぽいのですが、ハチクロに比べると恋愛指数はやや低めで、むしろ生きることの意義を問う率が高くて、その分鬱度150%増(当社比)という感じ。
メインの登場人物もハチクロみたいに(いい加減しつこいな)みんな心優しくてどこかに傷を抱えた人が多数。
テンションが低いときにうっかり読むと、もってかれそうなので要注意かも(なにをだ?)。

作品は異なれど、作者の世界観がだだもれ。慈悲の心に満ち透徹した母性愛満載。
失ったものへの郷愁や痛みが足を絡めとることもあるけれど、獲得した勝利ですら一過性のものに過ぎず、この世で変わらないものはなにもないんだよ、そういうものだから仕方ないよ、みたいな。さぁ、お腹空いたからご飯でも食べようか、みたいな。
て、母性愛なのかな、これ。むしろ、諦念というか悟り?

ふと胸の内を抉ると暗い淵を覗いてしまうこともありますが、自分がいくらそこに立ち止まろうとも時間は情け容赦なく過ぎてしまうものなんです。暗い淵もやがて日常のさまざまなイベントと一緒に、アルバムの中の一枚のようにきちんとしまいこまれてしまい、その現象を成長と人は呼ぶのです。たぶん。

まぁ、そういうのが好きか苦手かは読者側の好みで分かれるのだろうと思います。自分は好きですが。

あと、将棋が好きな人にとっては将棋が小道具として用いられるのは物足らないかもしれませんが、それはまぁマンガなのでということで。
(クライミングとかを題材にしたマンガなら目を皿のようにして突っ込みどころを探してしまうので、気持ちはわかるけど)
自分は将棋のことはよーわからんのですが、主人公の孤独感を際立たせる素材としては最適だと思うので、うまい素材だなぁ~と感心しております。はい。

・第1話を試し読みできます->  「3月のライオン」第1巻発売記念サイト

Posted by norlys - 2007.10.23,Tue

先日ふらりと立ち寄った古本屋で手に取った本。
高野秀行著「アヘン王国潜入記」。

ジャーナリスト的立場よりも秘境探検マニアの視点から、この世に残された数少ない政治的秘境を求め、ミャンマーのゴールデンランド(世界最大の阿片栽培地)で現地の人と生活をともにして芥子を栽培し阿片を収穫することを目的としてとある小さな村に7ヶ月滞在する旅の記録。
著者はかねてからの希望になるべく沿う場所を求めて、ミャンマー政府と対立する独立ゲリラ軍が掌握しているワ州の僻村にたどり着く。

この世には自分たちの国(ミャンマーではなく、ワ州のこと)と中国の存在しかないと信じて疑わず、原始共産制のように相互扶助で米や芥子を栽培する村人たち。日本はおろか、アメリカさえ知らない。

電気、ガス、水道はもちろんない。ラジオもない。学校もない。
自分たちが収穫する阿片が、精製されてより高価なヘロインとして全世界の闇市場で取引されていることすら知らない。

外界とのつながりは、少し離れた町に立つ市に出かけることと、政府軍との戦闘を行っているというワ軍の軍人が村人を徴兵しに訪れたり、年に一度軍の人間が阿片を買い取りにきて現金収入を得ることだけ。
(かつてワ州には首狩りの風習があったため、そのために他部落とのつながりが希薄なのではないか、とのこと。それもまたすごい話なんだけど。。)

村人とともに芥子の種を巻き、雑草を抜き、子供たちのために学校を開き、閑農期には1ヶ月にわたって祭りが続き、芥子の実から阿片を収穫し、労働の対価として受け取った阿片にハマってしまう一連の体験談がものすごくリアル。

村にはつつましい農村の日常があり、昼は畑で働き、夜は酒を酌み交わし、婚礼があり、葬式があり、諍いがあり、病があり、戦争があり、阿片がある。

こちらの常識がぶっ飛びそうな世界なのに、割合淡々とした筆致で綴られる文章を読んでいると、んーまぁそういう社会もありかなぁ。。。と、すっと馴染めてしまうのが不思議(ただし自分も行きたいとはあまり思わない)。

そして、著者が日本に帰国する段となりまずはタイに移動して既知の友人に再会し、手土産として「自分が収穫した阿片塊」を気楽に鞄から取り出して見せた時、相手の慌てた拒絶反応に、著者とともにふっつりと現実に引き戻される。
あ、そうか。麻薬所持は普通の国では犯罪なんだった、と。

著者の高野氏は、そこを、ワ州の小さな農村を「善悪の彼岸」と呼ぶ。

善悪の彼岸、Jenseits von Gut und Bose、ニーチェですね。

道徳的現象などというものは全く存在しない。ただ現実の道徳的解釈のみが存在する――

うーむ。深いなぁ。。。

著者は絶妙のタイミングでその地に滞在することができ、この本を書き下ろしたそう。
でも最初はどの出版社もなかなか取り扱ってくれなかったそう。なにしろマイナーな地域におけるちょいとヤバめな体験だったからとか。
英語版の出版も自ら駆けずり回って手がけたそうです。

その後、世界情勢の趨勢の中でこの地域がにわかに注目を集め、文庫本化されて、ちょうどミャンマーの反政府デモ鎮圧事件だなんだで世の中が騒がしい時期に、自分がひょっこり手にした次第です。

わたしの個人的偏見ですが、資本主義経済と民主主義を至上命題とする欧米人にはおそらく千年経っても理解できないであろう、著者のアジア的視点に好感をもてます。

議論を構築する以前に、善も悪も罪も誉れも良きことも悪しきことも、すべてが溶けて混じりあうような、曖昧なアジア。

この「アヘン王国潜入記」を読んだ後、なぜだかふっと、「シルトの岸辺」というジュリアン・グラックの小説を思い出しました。

舞台は架空の都市国家オルセンナ。その東方に広がるシルト海を隔てた対岸にある敵国ファルゲスタンとは、300年もの間長い休戦状態のまま対峙している。長い休戦状態は偽りの安寧と怠惰の影をオルセンナに落とす。

我々はいったい誰と戦っているのか? この状態はいつどのように収束するのか?
この岸辺の向こう側に、ほんとうに敵はいるのか? それすらも幻ではないのか?

主人公である若く職務に忠実な青年将校をめぐり、この泥の眠りのような均衡が崩れる瞬間のカタルシスが素晴らしい、20世紀のフランス文学の傑作。

「アヘン王国潜入記」は現実世界のできごとで、「シルトの岸辺」のような甘美な幻想の物語じゃあありません。
それはわかっているのですが。。

かつての芥子畑は、アメリカ政府の目に留まり(なにしろ世界最大規模のヘロイン原料供給地だったので)、今では日本のODAによって蕎麦畑に生まれ変わったそうです。
(ワの農村の人たち、蕎麦でちゃんと現金収入得られるのかな。。)

でもなぜか、「善悪の彼岸」という匂い立つ言葉のイメージが、「シルトの岸辺」に重なってしまいます。
ちゃんとそこに存在した現実のものが、とても非現実的に見えて、あまりに自分から遠いんですよね。。

表紙の写真の、芥子畑の中で小銃を胸に抱いてにっこり笑っている少年兵士たちの笑顔が、もうなんか色々なものを象徴的に超越しちゃってます。

それでも、この本を手に取るまで存在そのものを知らなかった地域の素の姿を知ることができて、それは有意義だったなぁと思いつつ。

Posted by norlys - 2007.10.15,Mon
週末は母親の誕生日祝いということで、デパートでお買い物。
フロアの隅から隅まで縦断してコートを品定め。

ここしばらく衣料品といったら山装備ばかりの自分にとって、生き延びるための機能性を追求するわけではなく、あくまでも着飾ることが主眼の衣装選びというのはちょっと新鮮。

今年の冬物は'60sテイストのファッションが多くてなかなか楽しかったです。
とはいえ、山歩きよりもデパートめぐりのほうがどっと疲れますた。。

両親の家に帰って、すっかり物置と化した自分の部屋から文庫本を2冊だけレスキュー。
須賀敦子の「トリエステの坂道」と、池澤夏樹の「真昼のプリニウス」。
ほかにももって帰りたい本がいくつかあったのですが、さすがに今の住まいは狭すぎるので断念。

「真昼のプリニウス」を最初に読んだのはからかれこれ14年前。あまりに時間が経っているのと、物覚えが悪いのとで、まるで内容を覚えておらず。
最初のページを読み始めてようやく、同じ作者の別の作品「スティル・ライフ」と間違えて手にとったことに気付く始末。まぁいいや。

この小説の中では主人公である火山学者の頼子を通じて、執拗に「物語とはなにか。言葉とはなにか。神話とはなにか」について問います。

ありゃ、そんなストーリーだったっけ。。と思いながら、台所の灯りの下で髪が乾くのを待ちながら一気に読み進めました。
火山学者が主人公ということで、てっきりグスコーブドリの伝記のような全体のための自己犠牲の物語だったかとすっかり勘違いしていた自分に苦笑しつつ。えぇ、全然違います。。

主人公が弟の紹介で広告会社に勤める門田に会うところから、この小説は始まります。

門田は、電話でアクセスした人に、無作為に小さな物語を語るシステム「シェヘラザード」を構想中だという。ところが、それでは集客(=集金)ができないことから、物語+占いを提供するシステムへとさっさと方向を転換してしまう。
無償で密かに一方的に垂れ流されるだけの小さな物語ならまだしも、物語が人の運命を定めるということに主人公はわだかまりを感じ続ける。

冗長で一方的で思索的な、満月の夜が来るたびに彼女に宛ててしたためるという、遠くメキシコの僻地にある遺跡の写真を撮り続けている別れた恋人からの手紙。
友人のあずさと彼女のひとり息子や、浅間山の山麓にある火山観測センターの技師である風間といった実直な人々との会話。
大学の教授や学生たちとの日常的な学術的な会話。
天保三年の浅間山大噴火の手記。手記をしたためた女性との架空の対話。
易を趣味とし、的中率の高さでその筋では有名だという製薬会社の社長との会話。

日常という縦糸に彩りを添える横糸のエピソードたち。少しずつ浮かび上がる内面の文様。
そして、門田との対峙。

「世界そのものなんて、ないんですよ。世界というのはそのまま神話なんです」

「わたしはそうでないものを探してみます」


神話の楔を断ち切って、科学的学究態度を離れ、猫やウサギやプリニウスさえも殺す好奇心の赴くままに行動を起こすラストシーン。

一見安定した現代社会も、足元の薄皮一枚剥がせば、灼熱し混沌としたマグマの塊。
現実と幻想、神話と真理、自然と人間、偶然と必然、正気と狂気、客観と主観、科学的態度と衝動、静と動、正と死、男性と女性。

対立し交錯する事象で成り立つザラザラとした世界をありのままに受け止めて、自分にとって誠実な生き方を模索していきたい…とまぁ、そんな物語です。たぶん。

取り立てて大きな事件はおこらないし、派手なアクションもないし、たいしたロマンスも描かれませんが、緻密な構成と美しい文章で綴られる物語は、秋の夜長の一冊におすすめです。(好き嫌いは分かれるかも、だけど)

それにしても。発刊からすでに14年が経過していてもあまり内容は古びておらず、それだけこの作品が先鋭的だったのか、それとも社会の進歩や技術の成熟は思うよりも歩みが遅いということなのでしょうか。

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。 世界はきみを入れる容器ではない。 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、 どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。

(中略)

大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界とのあいだに連絡をつけること、一歩の距離を置いて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。


これは、レスキューしそこねた「スティル・ライフ」の冒頭の一節。

高校生時分(青臭い~)にこの文章に出会ってしまったことは良き天の采配だと思います。ささくれた大人になっても、この文章に触れたときのインパクトは鮮明に覚えています。
素敵な物語です。はい。
Posted by norlys - 2007.10.12,Fri

昨日のブログに書いた無重力な外国人女性クライマーは、ベルギーのMuriel Sarkany(ミュリエル・サルカニー)かもしれないとのご連絡を頂戴しました。やはりわたしの覚え違いだったようです。ありがとうございます(^-^)ゞ

いまさら言い訳ですが、クライマーさんとビレーヤーさんの会話がフランス語のように聞こえたので、ベルギーの方なら、なるほど辻褄があいそうな(でもオランダ語かフラマン語だったりして…うう自信ない)。

慌ててロクスノの特集記事で写真を見たり、Murielさんの公式サイトを覗いたり。
ふーむ。。。髪型が変わると印象も違いますなぁ^^;

ところで。
昨日の晩、うちの近所が突然停電しました。

ちょうどドライヤーで髪を乾かしていたところだったので、一瞬ブレーカーが落ちたのかと思ったのですが、ブレーカーはONのまま。はて。
ドアの覗き窓から見ると階段の電気も消えている様子。すぐ近くのスーパーの灯りは煌々と点っているけど、よく見ると街灯が消えています。
建物の脇を足早に過ぎる人の手に懐中電灯…あ、やっぱり停電かとひとり納得。なるほどさすがにスーパーは自家発電のバックアップがあるのですね。よし、食料は確保した、とこれまたひとりで納得(おいおい)。

携帯の待ち受け画面の明かりを頼りに、ごそごそとヘッドランプを取り出してライトオン。予備電池もオッケイ。
ざわざわと外の騒がしさが増し、ほうぼうから消防車やパトカーが集結している気配。

特に緊急避難が必要な様子ではなさそうだし、避難経路は2つあるし(1:普通に階段を下りる、2:ベランダから懸垂下降w)、火の元は確認したし、今のところ水は出るし、同居人は出張中なので万が一の自分の身はともかく会社は機能するし、いざというときのためにひとまず携帯の電源を切って…うーん、やっぱり事務所にはUPS(無停電電源のほう)がほしいかなぁと、もくもくとPCとヘッデンの灯りの下で編み物を続けました(なんだかシュール。。^^;)

もくもくもく。。。

それにしても。家電のモーター音がないだけで、街中の夜もぐっと静かだなぁ。

もくもくもく。。。

あ、冷蔵庫。生ものは牛乳くらいだからいいか。冷凍庫の霜が溶けたら面倒だなぁ。でもまぁ、仕方ないか。

もくもくもく。。。

ふっふっふ。先日の金峰山の夜間登山に比べたら都会の停電なんて明るすぎ~。なんて。

もくもくもく。。。

ふと、昔、英語の勉強になるかなと思って読んだJhumpa Lahiri(ジュンパ・ラヒリ)の「停電の夜に」(原題は"Interpreter of Maladies")を思い出したり。

日本語版表題の「停電の夜に」をはじめ、アメリカに暮らす普通の人々を描いた9編の短編集です。それぞれの物語の共通点は、登場人物のバックグラウンドが作者と同じくインド系アメリカ人だということ。
英語は得意ではないので、ちゃんと理解できたという自信はないのだけど、どの物語も柔らかくてやさしくて哀しくて切ない、珠玉の短編集。

周りの組織を傷つけないようにそーっとメスできれいに取り出した臓器を掌にのせてみた、そんな感じ。

という喩えは、かなりこわいですね。あはは。
だから腹黒な人間だと言われるんだろな、自分。はは。そんなにダークサイドじゃないけどな。

物語の内容はちっとも怖くないです。人間を取り巻くありとあらゆる内外の事象をすべてを超越して包み込むような、平凡な人々のありふれた日常や人生を描いたほんとうに優しい物語です。

さて停電から30分ほどたったところで、ひときわ甲高いサイレンの音。ベランダに出て見ると、電力会社の緊急車両が到着。やれやれ、これで間もなく復旧するかなという期待を裏切らず、少し経ってから「よし」という外の声と共に電気が戻りました。やれやれ。

限られた地域の、影響の少ない深夜の、短い間の停電でしたが、果たしていったい何枚の始末書が飛び交うことになるんだろーと思いながら、きっとそこにも慎ましくてささやかなドラマがあるんだろなーなんて考えながら、編みかけのブツを置いて就寝。

Posted by norlys - 2007.08.22,Wed
日曜日のヌク沢の帰りに同行のH氏から「岳 みんなの山」(ビックコミック)の1、2巻をお借りしました。
読んでみたいな~と思いつつも、我が家の極貧収納スペースの問題で、なかなか購入するに至らなかった漫画です。
ありがとうございます m(_"_)m

家に帰るなりへろへろと沢道具を片付けて、洗濯物の上がりを待ちながら早速読了。
前評判から勝手に想像していた以上にとても面白かったです。
浦沢直樹っぽい画風(というと失礼かもしれませんが)が、マスターキートン大好きな自分にはうれしかったり。

ストーリーは、世界中の高山を登り北米で山岳救助隊員として活動した経験を持つ主人公の島崎三歩という青年が、日本の北アルプスを舞台に山岳救助隊の民間ボランティアとして活躍するヒューマンドラマ。
この漫画で描かれる「山」という場所の雰囲気がとても素敵です。なんというか、Holy Placeという言葉がぴったり。

また、ひたむきに山が好きでそのためかどこか世間離れした感のある、飄々とした癒し系の主人公・三歩がイイ味出してます。
一見頼りなさそうでめっさゆるーいキャラクターだけど、その実は技術・経験共に優れたクライマーであり、厳寒で荒天の雪山でも困難な岩場の救出でもお任せ~なスーパータフガイ。
凄惨で無慈悲な山岳遭難現場においても、冷静に的確な判断を下し、常に前向きに抜群の行動力で遭難救助にあたります。
山で遭難した人に対して-生存者だけではなくて、死者に対しても同様に-主人公が「良く頑張った」と声をかけ、「また山においでよ」と呼びかけるところがいいです。グっときます。

仕事の関係で山岳救助の現場に配置されたクミちゃんというヒロイン(たぶん)は、いちおう極めてフツーの女の子という設定で、
主人公とは対照的に山なんかより断然街中でのショッピングが大好き。なぜ人はわざわざ危険な目に遭いに山に登るのだろう・・・と思いながらも、三歩と共に救助現場の場数を踏むうち に少しずつ成長していくようです。

そんなわけで「岳」(「みんなの山」というサブタイはコミックだと付かないのかな)は、山登りに興味のない人にとっても人間ドラマとして面白いと思うし、山を登る人にとっても読み応えのある物語だと思います。
もっとも、山に登らない人が遭難救助を柱としたこの山岳漫画を読んで、よーし自分も山に登っちゃうぞ~とモティベートされるとはあまり思えなかったりしますが(山は 怖い~とは思うかも)、もしきっかけになるとしても遭難というリスクを多少なりとも理解した上でのことでしょうから、それはそれで良い発奮剤かなとは思い ます。
自分もまた山登り入門者なので、改めて気を引き締める思いになりました。

1,2巻を読んで一番印象に残った場面はこれ。
2巻に収録された話の中で、主人公の友人でありかつての同僚(アメリカでの山岳レスキュー隊)でもあるザックさん(大好きだー)が遭難者に片言の日本語で語った次の台詞に胸を衝かれました。

山登ラナイ 男イテ…
男ノワイフ クライマー、 山デ死ンダ。
山トテモ キライニナッタ。 大キライ、 オ酒イッパイ 飲ンダ。

ズット後デ 山ニ行ッタ、 ワイフヲ取ッタ ヒマラヤノ山。
デモ、 ワイフ死ンダ場所 ズット高イ、 ズット遠イカラ、

山登リ 始メタ。
イッパイ登ッテ クライマーナッタ。

ズット後デ ワイフノ死ンダ 場所マデ 行ケタ。
山大キライ ナノニ……

トテモ キレイト 思ッタ。

You will come back to mountain, OK?(また山においでよ。ね)


ここでバランスを崩して転倒したら、ここで手のホールドが欠けたら、ここで天候が悪化したら...と、山において内心ヒヤリとする場面は決して皆無ではありません。
そんなときは「でも絶対に、無事に家に帰る」と強く念じています。
そうじゃないと、無事に家に帰りつかないと、山に登らない我が家の同居人はきっとずっと山を憎むだろうなと思うから。
とまぁ、常々そんなことをぼんやりと考えていた自分にとっては、この台詞は本気で涙目モノですた(チラウラ)。
Posted by norlys - 2007.07.06,Fri
週初めの健康診断で、待ち時間のヒマ潰しアイテムとしてビルの1階の書店で佐藤賢一の「剣闘士スパルタクス」の文庫本を購入。ようやく読了。注:一部ネタバレです。

舞台は紀元前70年代前半の古代ローマ共和国。トルキアから奴隷としてローマに連れてこられ、円形競技場で死闘を演じる剣闘士として活躍したスパルタクスの反乱の物語。

古代ローマという厳格な階級社会の中で剣闘士として生きるも、奴隷身分からの解放を目して同じく剣闘士の仲間たちと逃亡。カンパーニャ州のカプアからヴェスヴィオ火山の麓に篭り、その後膨れ上がる一方の逃亡奴隷一団の食料確保のためにいったんはイタリア半島最南端のトゥリィまで南下。その後、アペニン山脈沿いにアルプスを目指し、属ガリア州との境界をなすルビコン川まで北上。けれど、再度ローマへの帰還を企て南下。

なんでまた、そんなに大軍で行きつ戻りつするのかねぇ。。。とアペニン山脈を思い浮かべながらため息。
あれを往復するのって、そんなに楽な話じゃなさそう。なにより水がないしガレ場が多そう。。とか。

歴史においても動機が不明とされるこの一連の行動に対し、佐藤賢一はスパルタクス自身の逡巡を次のように描いています。

いわく、
自分は指導者の器などではなく、勇気ある戦いにこそ生を見出す剣闘士なのだ。
いわく、
自由とはいえ祖国に帰ったところでなにもない。ローマ人は嫌いだがローマ共和国という文明への憧憬は禁じえない。

逃避行の末にローマに再び舞い戻ったスパルタクスにもはや迷いはない。ただ戦うのみ。
彼が戦いを挑む相手は、栄光のローマ共和国そのもの。

高貴にして優雅、高度に洗練されかつ享楽的な文明。近隣諸国への侵略や属国の植民地支配、奴隷制度なしには維持できない社会。矛盾と腐臭に満ちたこの唾棄すべき世界から逃れられない自分。

スパルタクスの逃亡も逡巡も再びのローマ侵攻も、ほかでもない「ローマ共和国」という存在に対する壮大なファザー・コンプレックスによるもの-そんな印象を受けました。

圧倒的な戦闘シーンの連続を通奏低音として、このコンプレックスを最初は呪縛と感じながらもやがて受容していくスパルタクスの淡々とした心理的変遷の描写がみごとです。

もしも時分が今よりも若い時分にこの本を読んだら、自由の帝国を築き損ねたスパルタクスに対して「この腰抜け!」と憤慨していたかもしれませんが、ぼちぼち人間も外見同様に丸くなってきた自分なので、スパルタクスの心情を肯定できます。そういうのもアリだよね、なんて。

もっとも、佐藤賢一独自のネチっこいシーンが少な目なので、よけいに淡々とした印象を受けるのかもしれませんが(笑)。

佐藤賢一氏の作品では、「カエサルを撃て」が一番好きです。たまたま「カエサルを撃て」よりも前に「ガリア戦記」を読んでいたので、反対陣営(ガリア人のウェルキンゲトリクス)の視点という点が自分にとっては斬新でした。

「傭兵ピエール」「王妃の離婚」「ふたりのガスコン」「カルチェ・ラタン」などの作品も好きですが、2番目に好きな佐藤賢一作品は不評の高い? 「オクシタニア」です。

「オクシタニア」は、13世紀の南フランス、豊饒の地オクシタニア地方を舞台に、平凡にして凡庸なトゥールーズ名家の御曹司エドモンと、異端として弾圧されたカタリ派*に入信し失踪したエドモンの妻ジラルダの物語。
(* カトリック教会の聖職者の堕落に反対する民衆運動として生まれた宗派)

アルビジョワ十字軍、異端審問などの宗教的史実を背景に、「宗教は人を救うのか?」「愛で人は癒されるのか?」というこってりコテコテな物語が綴られています。

高校生の時分にでも読んだとしたら、きっと世の不条理と痛切な純愛の行方にひたすら涙したことでしょう。
残念ながら、しがないオトナになってからこの本を手にとったので、主人公たちのあまりの一途さに鼻白みつつも、彼らの純粋さが眩しく映りました。
もう少し年月を経てから再読したら、失うことを畏れぬ主人公たちの若さにふたたび涙するかもしれません。そんな物語です(だと思います) 。
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Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。

色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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