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Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by - 2024.04.25,Thu
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Posted by norlys - 2009.05.28,Thu
「日の名残り」と「わたしを離さないで」(共にカズオ・イシグロ著)を立て続けに読み、土屋政雄氏による見事な翻訳に改めて感嘆し、ごそごそと本棚から「イギリス人の患者」(マイケル・オンダーチェ 著、土屋政雄 訳)を引っ張り出し、再読。

いや~。。美しい文章です。
読み終えて一息ついて、またパラパラと適当にページを手繰り、適当に開いた箇所の一節を読み直してみても、本の間からぽろぽろと宝石が零れてくるように、粒粒とキラキラと、どこを切り取っても美しいです。
(なのに今はもう絶版だなんて。。もったいない。。)

原著は読んでいませんが、おそらくは英語も美しいのだろうなと思います。
でもこれほど詩的でリリカルな表現が用いられ、ときに抽象的で、エピソードが断片的に綴られていく物語を原文で読んでも、自分にはきちんと理解できなさそう。。

特に、主観と客観がくるくると切り替わるカメラワークのような―たとえば登場人物Aの心象風景から、Aを眺めるBの様子に移り、Bの独り言で結ぶ―といった文章を苦手な英語で読んでも、誰が誰で何が何のことやらサパーリでちんぷんかんぷんになりそうな悪寒。

それをまぁ、英語とは文法体系が異なり、曖昧な表現なら大得意という膠着語である日本語に、さらりしっくりと艶やかな日本語訳に仕立て上げるというのは、ほんとうにすごい。

他人の世界観に飛び込んで深く潜って隅々まで探索し、すべてを自分の言葉で仔細漏らさず誇張せずに語り尽くすことはそんなに簡単な作業ではないから。

この物語の主な登場人物は4人。(以下、ネタバレあり)

・イギリス人の患者:砂漠で発見された謎の人物。小型飛行機から砂漠に不時着した際に全身に大火傷を負い、容貌も身元も国籍も分からない謎の人物。便宜上「イギリス人」と呼ばれる。砂漠での日々を物語る。
・ハナ:カナダ人の若い従軍看護婦。生真面目な性格。戦争中に子供と父親を失う。
・カラバッジョ:イタリア系カナダ人。ハナの父親の友達でハナとは昔からの知り合い。元の職業は陽気な泥棒。戦時中に連合国側の二重スパイとなるものの、職務遂行中に敵に見つかり両手の親指を失う。
・キップ:シーク教徒のインド人。英国軍部爆弾処理班所属。

物語の舞台は1945年、第二次世界大戦末期のイタリア、トスカーナ。フィレンツェから北に約20マイル離れた丘陵地帯の谷間にある崩れかけた元僧院、サン・ジローラモ屋敷。ドイツ軍による占領の後、連合軍の野戦病院として使用されていた半ば廃墟。

周囲には小さな畑や牧草地があり糸杉が並び、朝は靄に包まれ夕方には雷雨が訪れる。戦線は嵐のように過ぎ去り、建物は半壊しているものの水と緑に溢れる穏やかな場所。

最初はハナとイギリス人の患者だけが屋敷に留まっている。
やがてカラバッジョが現れ、それからキップが登場。

年齢や性別、職業やそれまでの人生の背景が異なる4人。
戦争によって、それぞれに大切なものを喪失した4人。
過去に縛られ、現在に戸惑いまたは諦念し、理想や未来を描けない4人。

このサン・ジローラモ屋敷の中に横たわり、イギリス人の患者はハナたちを相手に北アフリカの砂漠の日々を語る。失われた文明や伝承のオアシスを砂の下に包み隠し、ベドウィンたち砂漠の民が行き交う土地。

博識で見識の高いイギリス人の患者の物語には、聞き手を捕らえて離さない魅力に溢れている。つられて自分もまた理想郷としての砂漠に吸い込まれそうになる。

イギリス人の患者には深い秘密が隠されていると考えたカラバッジョは、彼から話を引き出そうとする。生真面目でシンプルな性格のハナはイギリス人の過去には執着しない。ハナとキップの未来に進むべき若いふたりは、それぞれに懐かしい昔の話に耽る。互いに育った背景が違うので相手の話が良く見えないけれど、それすら見えないことにしながら。

付かず離れず、離れず付かず。
緩やかに交わる人物たち。打ち明けられる過去。懐かしい思い出。交錯するエピソード。
丁寧な手仕事で織り上げられた1枚のタペストリーのよう。
交差する縦糸と横糸の色は交わらず、その対比は際立つだけ。人はどこまでも独りで孤独。

戦争はもうすぐ終わる。ドイツ軍がイタリア国内のあちこちに仕掛けた不発弾処理に携わるキップを除いて、直面する脅威はない。「不思議なものだな」とカラバッジョが言い、今は「順応の期間」なのだとハナが言う。

そんな緩やかで温かい期間は案外短く、4人の共同生活に終止符が打たれる。思いがけず唐突に。

"The English patient" のタイトルが示すとおり、「帝国病」という無形の脅威。
仮初の宿で架空の人物たちがしばし縁を結ぶだけという架空の物語の中で、突然リンクする現実の史実。
用意周到に準備された顛末。

溜息をつくほどに美しい言葉の羅列をじんわりと味わっていたいのに、怠惰で甘美な非日常的な日常を作者自らぶち壊すとは。。。
唐突過ぎてちょっとびっくりするけれど、もしかしたら原作者はこれを言いたいがためにこの物語を用意したかったのかもしれない、とも思う。キップの立ち位置を考えたら、そうなんだろな。

この小説を再読して以来、鬼束ちひろの「ダイニングチキン」という歌の一節が脳内をぐるぐる。

♪ 始まりを示し終わりを示す誤作動
 私は星で
 貴方は願うのをやめただけ

破壊と喪失、そして願わくば再生。

切ないのう。。・゚・(つД`)・゚・
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Posted by norlys - 2009.05.26,Tue

引越しの際に本棚を整理していたら、積み重ねた文庫本の一番上に、カズオ・イシグロの「日の名残り」があり、久しぶりに再読。

忘れっぽい自分にしては珍しいことにこの物語は頭の片隅に残っているけど、良い本は何度読んでも面白いな。
(同じく引越し荷物の中から発掘されたJ.P.ホーガンの「揺籃の星」上下巻は自分でもびっくりするほど内容を一切覚えておらず、読み終えた後も「購入したまま放置しておいたのでは…」と思うほど新鮮だった。。)

「日の名残り」は、なにより訳者の土屋政雄氏による翻訳が絶品で、原文の持つ世界観はもちろんのこと、登場人物の視点の位置(クローズアップ、クローズダウン)や感情の振幅や緩急、背景にあり感覚器に訴える要素などがごく自然な美しい日本語に置換されている、と思う。

以前確か、日本語訳を読んだ後で、英語の勉強になるかなと思って原文を読み、言語が違っていても世界観が丸ごと同じで驚いた。ただ、世界観は同じでも言語は違う。英語は英語で、日本語は日本語でそれぞれにとても美しい。炎のように鮮烈で、清流のように清冽で、噛み締めるほどに味わいがあって、文学とはかくもすばらしいものなのかとしみじみ感じ入る。

「端正で瑞々しい」文章のお手本のようで、日本語訳も原文も、読みながらするりと物語の中に入り込んだような気持ちになる。

久々に感銘を受けたことに刺激されて、2006年に出版されると同時にベストセラーになったという「わたしを離さないで」を読んでみた。「日の名残り」と同じく著者はカズオ・イシグロ氏、翻訳は土屋正雄氏。

この本の解説で翻訳家の柴田元幸氏が述べているように、そして多くの感想で引用されるように「この本については予備知識がなければないほどよい」とあり、確かにまさにそのとおりだと思うので、具体的な本の内容については極力触れないようにしよう。。

圧倒的でした。
一気に読んでしまいました。

1人称で紡がれる記憶の断片が提示され、ジグソーパズルのピースを埋めていくように次第に全体像が構築されていく構造。

ひとつひとつの場面が鮮明な映像として目の前に浮かび上がり、その断片的で象徴的な出来事や印象の意味や関係性を辿り探るうちに物語に引き込まれてしまう。

完成したジグソーパズルの絵は。。。背筋がひやり。

主人公がいる世界は平行世界か近未来か。それでも架空の空想物語だとは簡単に片付けることのできないなにかが心に重く苦く残る。
それに問題の骨格だけを取り出してみたら、むしろ人間が社会的集団としての営みを始めて以来、ずっと普遍的に繰り返されている事象にも当て嵌まるような気がする。ひやり。

決して長くはない物語なのに、しかも決して声高に主張するのではなくむしろ淡々と語られていくのに、凝縮された主題の質量がずっしり。中性子星みたい。

Posted by norlys - 2009.02.04,Wed
先日の城ヶ崎の帰り道、山の本の話となり、Mさんが「垂直の記憶」よりも「凍」のほうが面白かったと言う。

山野井さんが書いた「垂直の記憶」は自分も以前に読んだことがあり、とても印象深かった。一方で、沢木耕太郎氏が山野井さんを主人公として書いた小説「」は未読だった。

「凍」のモチーフとしては、「垂直の記憶」と同じく、2002年に行われた山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン北壁登攀の経緯が綴られていると聞いていたので、クライマー自身が体験した風景をクライマー自身の筆で書いた本の方が面白いかなぁと思い、自分は「垂直の記憶」しか読んでいなかった。

「凍」ならうちにあるよ、とY氏が貸してくれた本を、昨日の晩にジムから帰ってきて、お風呂を沸かす間に読み始めた。読み始めたら途中で止めることができずに、一気に読み終えてしまった。

「凍」と「垂直の記憶」の2冊に書かれたメインやサイドのエピソードには相互に重複する内容が多く、それはそれで当たり前なんだけど、筆者が異なるということと、それでも両者の全体的に淡々とした感じのトーンが似通っていることが相まって、これは甲乙つけがたいというか、2冊とも併せて読むと面白いなと思った。

まあるいやわらかいゴムボールがあって、そのボールの内側から見回したものが「垂直の記憶」だとすれば、ボール全体を外側から見つめたものが「凍」という感じ。

ゴムボールみたいなものは、なんというか、「自分はこう思う」という本人の視線と、「それは周囲にはこう映る」という第三者の観察によって形作られる等身大の人間像みたいな感じ。

タイトルもまた「垂直の記憶」がクライマー自身の観点を凝縮したもので、「凍」は登攀行程全体を包括する表現になっている点が面白い。(「凍」は雑誌掲載当時は、ギャチュンカンというチベット語の地名の日本語訳である「百の谷、百の嶺」という題名で雑誌に掲載されたそうな)

自分には、山野井夫妻のような先鋭的な高所登攀に挑戦する意欲とか熱意とか気概は皆無で、ルート図集で初級に分類される冬山を登るのが精々なので、登攀中や下山時の困難はどうしても自分の想像の限界を超えてしまう。

それでも、登攀開始直前の微かな迷いや不安や、登攀中に冴え冴えと研ぎ澄まされていく感性や、下山時にアクシデントに見舞われて体力や判断力が限界になりそれでも生還に向かって前進する様子を追っていくと、じんわりと手に冷たい汗をかいてしまう。

なぜ山に登るのかとか、山に登って何が楽しいのとか、そういう疑問はひとまずさておき、絶望的で極限の状態からベースキャンプまで生還するまでのストーリーは圧倒的。

それにしても。

ゴルゴ13の「白龍昇り立つ」(第119巻、1996年)というチベット問題の核心に触れる作品の中で、「極地法など登山家の恥だっ!」とぶった切る中国山岳部隊の燐隊長に、
「まてよ、世界に評価された日本人が二人いた。フリークライミングの平山、それに冒険登山家の山野井だ! 」と賞賛されたことで、なぜか2chの一部でも山野井氏の業績が広まったというのは、なにがどう転ぶかわからない高度電網社会の象徴みたいで面白いなーと思うのです。

golgo_dayo.jpg
左手にバイル、右手にM16A2ライフル。
デューク東郷ならではの高所アルパインスタイル。(なのか?)
ダブルアックス登攀時には、まさか銃身を…使わんよね。。

ダライ・ラマの依頼を受け、中国により幽閉状態にあったパンチェン・ラマを救出しインド側への逃亡を助ける話だそうだな。
高度7000m超の国境地帯を舞台に中国人民解放軍の山岳部隊と対峙。

Amazonのレビューを覗いてみると、低酸素で極寒という高所の厳しさはこちらの方がよりリアルに伝わるとかなんとか。。う~む。
Posted by norlys - 2009.01.28,Wed

今週末は北海道でスキーの予定。とても楽しみだけど、先日痛めた右足踵の具合がちと不安。
スキーならブーツでがっちょり固定するから大丈夫だろうと思ったけど、案外そうでもなかった。。
ま、ぼちぼちと。

北海道といえば。お正月に池澤夏樹の「静かな大地」を読了。
以前購入して3ページくらい読んだだけで、ずいぶんと放置しておいた。時間があったのでふと読み始めたら、一気に読み終えてしまった。

面倒なので内容紹介はAmazonからコピペ(おいおい)。
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短い繁栄の後で没落した先祖たちのことを小説にするのは、彼らの物語を聞いて育ったぼくの夢だった--明治初年、淡路島から北海道の静内に入植した宗形三郎と四郎。牧場を開いた宗形兄弟と、アイヌの人々の努力と敗退をえがく壮大な叙事詩。著者自身の先祖の物語であり、同時に日本の近代が捨てた価値観を複眼でみつめる、構想10年の歴史小説。第3回親鸞賞受賞作。
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この小説の主人公は宗形四郎の次女である由良。北海道静内町生まれで札幌育ち。由良の父は幼少時代に家族と共に淡路の洲本から同郷の者たちと共にこの地に入植した。

彼女が自分の叔父にあたる宗形三郎と彼の周囲にいたアイヌの人々の物語を再構築しようと試みる中で、父から聞いた昔話や叔父の手紙、現存する人物との対話や昔話、アイヌ民話などが幾層もに積み重なっていく。

由良の叔父である宗形三郎は、江戸から明治という時代の変革や、淡路から北海道という環境の変化に一切の戸惑うことなく伸びやかに適応し、海外の新しい農耕畜産技術を速やかに吸収しつつ、現地に住まうアイヌの人々と協力して宗形牧場を開いた。この牧場経営は一時期大いに繁栄するものの、やがて嫉妬や批判の対象となり、大きくどす黒い悪意に呑まれていく。

この物語はフィクションだけれど、結構な割合で実際の史実も含まれているそうな。なんでもモデルになった人物は著者の系譜に連なる人たちだという。とはいえ、いわゆる歴史小説のように時間の経緯に沿って一方向に流れる形態ではなく、色々な要素が複眼的に複雑に絡み合う。

まるで大きなジグソーパズルを組み立てていくように、最初のうちは枠とその周辺がおぼろげに形をなし、ある程度まとまったピースがぽんぽんと組まれ、やがて加速度的に終焉に向かい、全体像が完成する。お見事です。

北海道の開拓初期の時代やアイヌの風習など、いかに自分がそれらのことを知らなかったのかということを今更ながらに知りました。(この本はあくまでも小説だし、この本に書かれたことがすべてではないとは思うけど。)

特に、作中でいくつか語られるアイヌの民話はとても興味深いです。日本の各地に残る民話と色彩が異なるような気がします。神様がたくさん登場するからか、民話というより諸国の神話に近いような、なんというか。
(作中に紹介される民話とは別だけど、青空文庫に知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」が収録されていました)

また、シャクシャイン(Saksaynu) というアイヌの部族の首長が松前藩に蜂起したという史実も、この本を読んで初めて知りました。日本史とってなかったので。。(トホ
シャクシャインと聞いて、ぱっと脳裏に浮かんだのは、湯河原幕岩の喜望峰にある5.11aのルート。あれが、それか。
日本の岩場100(関東)では「シャックシャイン」と誤表記されているけれど、クライマー間では「『シャクシャイン』が正しい!」と強調される、その理由がなんとなくわかったような気がします。名前を間違えちゃいけないよねってことで。

脱線した。

主人公の由良は、叔父の生き様を再構築する中で、アイヌの民との共生を選んだ叔父やアイヌの民に共感を寄せ、当時の和人の社会や対応を批判する。共感できる点も批判する面もなるほど理解できるけれど、彼女のように一方に思いいれや肩入れする明確な理由があるならば、正直、どんなにか楽だろなと自分は思う。

この本の中で起きた数々の出来事は、割合と今から近い昔の日本で起きたことなんだよな…と考えると、途端にもやもやと自分の目が曇るのがわかる。

著者も登場人物もみな一様に「こっち側においで」と手を振るけれど、その手をとる資格は自分にはないような気がする。
たとえ、「資格なんて問わないよ、あなたがどう思うか、なにを考えるか、それは個人の思想の自由だよ」と言われたとしても、きっと踏みとどまってしまうような気がする。難しい。。

ずっと昔から似たようなことはあったし、今でも人間は世界中で同じようなことを繰り返している。
世界は原初から現在と同じ国境線が引かれていたわけじゃない。さまざまな経緯があって今に至り、今でも領土や資源や宗教や風習や言語を巡って世界中で紛争が絶えない。

まぁ色々と考えてもキリがないのでやめておく。
祈ること、願うこと、思うこと、それだけが自分にできること。

人間の営みの中で僅か1代だけで一瞬の輝きを放って失われた、もうどこにもないユートピア。
北の大地の丘陵に広がる広大な牧草地に立ち、遠く麓の浜辺の町に向かって、もうそこにはいない人たちが穏やかな表情で手を振る情景が浮かぶ。そんな一冊。

Posted by norlys - 2008.10.30,Thu
ただいま読みかけ→「コーカサス国際関係の十字路」(廣瀬 陽子 著)。

面倒なのでAmazonの紹介文をコピペ(をいをい)。
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日本人がいちばん知らない地域で、今なにが起きているのか? コーカサスは、ヨーロッパとアジアの分岐点であり、古代から宗教や文明の十字路に位置し、地政学的な位置や、カスピ海の石油、天然ガスなどの天然資源の存在により、利権やパイプライン建設などをめぐって大国の侵略にさらされてきた。またソ連解体や、9.11という出来事により、この地域の重要性はますます高まりつつある。だが、日本では、チェチェン紛争などを除いて認知度が低いのが現実である。本書では、今注目を集めるこの地域を、主に国際問題に注目しつつ概観する。
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初版は今年の7月で、国際情勢的にとてもタイミングよく発刊された新書。
カフカス地域の、実に複雑な民族、宗教、歴史(特に紛争の)を理解するための入門書という位置づけ。

まだ半分しか読んでいないけど、とても面白い。
内容もさることながら、構成と文章が抜群にうまい。卒なく無駄なくコンパクトに要点を抑え、図表を活用し、極力主観を排して複雑なカフカスの諸地域や周辺諸国の情勢や関係を解きほぐしてくれるので、ものすごくわかりやすい。

「主観を排し」てはいても、まったく主観が含まれないというわけではなく、著者の主観や推測等(著者以外を含む)は主に括弧書きで記されていて、事象と考察がキッチリと分離されているので、「誰がなにについてそう考えるのか」という点がとても明確。

考察に偏れば新書サイズには到底収まりきらないだろうし、あまりにレポートライクだと新書としての魅力(一般読者の興味を牽引する力)に欠けてしまうし、どこか1点に焦点を当て過ぎると全体像がかえってぼやけてしまうところをキュッと引き締める、全体的なバランス感覚のよさが際立っています。

あぁ、この著者の方はものすごく頭の良い人なんだろうなぁと、ただただ感心しきり。
まるで、おいしいミネストローネみたいな本です。

その昔、国際関係学関連の新書はこういう構成のものが多かったように記憶していますが(というほど多くの本を読んだことがあるわけではない)、一時期の新書ブーム?以降、「ワンテーマに思い入れどっぷりで薄い内容」な本が多くなってしまったように思います。
(たとえば、記述が過剰に散文学的だったりドキュメンタリータッチだったり、またはタイトル以上の内容がないとか。)

そんな、豊富な資料と冷静沈着な分析に基づいてカフカス情勢の説明が続く中、

アゼルバイジャンの地下に埋蔵された石油・天然ガス資源の利権を巡り、該当地域や周辺諸国であるロシア、トルコ、イラン、供給先となるEU諸国などが熾烈な駆け引きを展開する中、アメリカの思惑という政治的な力学によりBTCパイプライン建設の計画が進行する-というテクストに、
「地域住民にしてみれば、放牧などの仕事をしながら巡回の仕事の報酬も得られて一挙両得といえよう。」(P.120)
という一文があり、ここ、個人的に大層ツボりました。

「放牧」と「地下にパイプラインが敷設された区域へのテロ警戒警備」って、ギャップがもんのすごいんですけど。。(^□^;)

草原、羊、放牧の民・・・石油パイプライン、テロリスト・・・民族・宗教の対立、繰り返される憎悪と虐殺の悲劇、国家間のパワーゲーム。。。
あぁでも、むしろ、これが現実なんですね。

まだ読み終えていませんが、この本を読み進めながら何度も何度も考えずにはいられないこと。
・民族とはなにか(言葉や概念ではなくて)
・「民族自決」と「領土保全」という自家中毒のような矛盾について

おそらく地球外生物からの攻撃でも受けない限り、この疑問が解消される日は来ないような気がするな。。

そういえば。

チェチェン紛争に絡みプーチン批判を繰り返したことで暗殺されたと言われているロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんの命日(10月7日)に行われた追悼集会についての記事があったのは、産経と日経の2紙のみだったことを思い出しました。
Googleのニュース検索で検索しただけなので、自分が見逃しているだけかもしれませんが。

ポリトコフスカヤさん暗殺から2年 「真実を知りたい」と姉が訴え(MSN産経 2008.10.9 09:25)
【外信コラム】赤の広場で 繰り返される悲劇 (MSN産経 2008.10.10 03:42)
ロシア女性記者の追悼集会 2年前、自宅で殺害 (日経ネット 2008.10.7 22:52)

巨大で強大な国家権力を社会的に監視する立場であるとして日頃「言論の自由」と声高に叫ぶ日本のマスコミさんたちなのにねぃ。。
(産経と日経は親米だからこの件を取り上げたのかもしれませんが、毎日、朝日、読売あたりは親露だからではなく、単に関心がないのだろうな。。と思う。)

ロシア人であるポリトコフスカヤさんがあまりにチェチェン民族に同情しプーチン政権に批判的過ぎたのか、それとも彼女が命がけで告発した(しようとした)ことは紛れもなく真実だったのか、それから彼女が国際社会に訴えかけた正義や人権の問題について、きちんと検証することなく過去に封印しようとするジャーナリズムなんざ、自分で自分の首を絞めているような気がするんだけどなー。

もしも時代を巻き戻せるとしたら、「テロとの戦い」というプロパガンダが世界に溢れる前に戻ってほしい。。

どうか、世界に平和を。
Posted by norlys - 2008.10.28,Tue
ようやくのこと「ロシア闇と魂の国家」(亀山 郁夫、佐藤 優 著)を読了。

前評判どおり、こってり濃厚な内容でした。
ロシアの歴史、風土、文学、音楽、映画、政治、経済、国民性、宗教などをさまざまな実体験や多数の資料に基づいてあらゆる角度から語りつくす両氏の対談。

読み終えた今は、まるで大編成の楽団が奏でる長編の交響曲を聴きとおしたようなヘタヘタ感たっぷり。

それにしても。文学者である亀山氏の叙情的なロシア論と、佐藤氏の外交官であり神学者(同志社大学大学院神学研究科卒)としての怜悧な切り込みっぷりと包括的な視点の対比が、とにかくすごい。
無限に続くマトリョーシカみたい(あ、ピロシキ以外にもロシア的なモノ知ってたわw)。

両氏の対談は最終ページでばっさり終わるのだけど、そこからまた前書き(対談を前にした両氏のそれぞれの前書き)に戻って読み返すと、この本の構成の妙に唸る。こんな企画を考えた編集者もすごい。

それで自分のロシアに対する知識がピロシキ以上に深まったかというと、案外そうでもないような気がする。
もともとロシアに対する造詣が浅いからなのかもしれないけど、むしろ「人と文学と神と国家」という4声からなる主題がずっしりと胸に残る感じ。

国家とは、人間とは、神とは、善悪とは、なんだろ。。(文学については本書の中で亀山氏が持論を展開)
ロシアというテーマをなくして語れないけど、ロシアという対象を越えて普遍的で「残酷な(魂と闇の)」問題を突きつけられる気がするぞ。

両氏が熱い知的バトルを交わしているのをリアルに目前に見ているような文章の中で、突然、
亀山「大審問官型の政治家、というものをもう少し説明していただけませんか。非常に重要な示唆を含んでいるように思えるのですが、きっと読者は理解できないでしょう」(P244)
という件がでてきたときには、一瞬ギョッとしました。

こっち見んな。。と(笑

なんというか、(読み手もまた)うわぁ試されている~。。。と。
ちなみに、この亀山氏の問いに対する佐藤氏の回答は、本書のクライマックスかなと思います。

ところで。この本を読んでいる間、脳内でボロディンの歌曲「イーゴリ公」の中の「だったん人の踊り」が鳴っていました。
なんかね、すごく似ているような気がしますよ。この対談とこの音楽。
変な喩えですが。。

Borodin - Prince Igor - Polovtsian dances (小澤征爾 指揮、ベルリンフィル)


つべの時間制限により曲が途中で終わっちゃいます(涙)
最後のところで、主題が草原の空に吸い込まれてすすーっと消えていくようなところがいいのに。。

ボロディンはロシアの音楽家だし、「イーゴリ公」は中世ロシアの文学なので、なるほどこれがロシアっぽさなのかな。。うーむ。。よくわらかないけど。
(踊りと合唱つきバージョンも面白い→ Polovtsian Dances )

あと、無性にプロコフィエフとかストラヴィンスキーとかのロシア音楽も聴きたい。
猛烈に転調したりくるくる変拍子に変わったりする中で、束の間の夢みたいに美しい主題がひゅるっと立ち昇って霧消してしまう淡く儚いメロディーを内包した音楽が。
(プロコのロメジュリはソフトバンクのCMでお馴染みとなりましたが、変な使い方は個人的にやめて戴きたいものです。。メロディーを聴くと脊髄反射で犬の絵が浮かぶ。。くそぅ(涙))
Posted by norlys - 2008.07.18,Fri
「プリオン説はほんとうか?」が面白かったので、同著者のベストセラー「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著/講談社)もいまさらながらに読んでみました。

「プリオン説は…」と同様に、一気に読ませる文章ですが、若干叙情的すぎる嫌いがあるようなないような。。
DNA二重螺旋構造の解明に至る分子生物学の進展、研究者たちの光と影、生命とはなにか。

「生物と無生物のあいだ」ということで、無機生化学と有機生化学を繋ぐ内容だと勝手に思い込んで読み始めたら、冒頭から長いモノローグが始まり、ちょっと(かなり)拍子抜け。

まぁ面白かったからよいけど。

量子物理学者シュレーディンガーが、後年行った「生命とは何か」という講義の中で発した問いかけが、DNA構造を解明した研究者たちの思考に影響を及ぼしたという点が興味深い。

われわれの身体は原子に比べて、なぜ、そんなに大きくなければならないのでしょうか?

その「なぜ」について分子生物学的に説明がなされていくのだけど、この問いかけ自体もかなり興味深いやね。
さすが偉大なるシュレーディンガー。頭のいい人は考えることが違うのう。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない
 
生命とは動的平衡にある流れである


マクロの変化、ミクロの変化。マクロの視点、ミクロの視点。
さまざまな観点からアプローチすることで、「生命とはなにか」ということを浮き彫りにしようとする試み。

たしかに実在する現象であり理論として実証されても、この地球上に生きとし生けるものはみ~んなある意味シュレーディンガーの猫なんですね(いや違うからw)。壮大だなぁ~。

さて、「プリオン説はほんとうか?」と同様に、「研究者稼業」についてアツく語られている点も面白いですな。
なるほど、自分を含めた世間一般の人間にとっては、輝かしい業績を手に華々しく登場する研究者像こそメディアで知るものの、その裏舞台にまで思いを馳せることはないですからね。

病原性プリオンタンパクの感染実験のように症状発現まで長い時間がかかるとそれだけコストが嵩む~とか、より実験の精度を高めるために多数(または高等生物)の実験動物を用意すると膨大な費用がかかるのよ~とか。
言われてみればごく当然のことなんだけど、そこまで考えを巡らすことってあまりなかったな。

基礎知識の浅い新聞記事や、サルにも分かるように要点をかいつまみ過ぎて理論が魔法のなせる技に化けた科学紹介文とか、ムダにヒューマンドラマを狙いすぎて暑苦しいノンフィクションとかと違って、
語り部がうまいと、なんてことのない日常の風景すら読ませるのだという好例。

どなたか生物無機化学の分野で、こういう感じの新書を書いてくれないかなぁ。
専門書高すぎ。。orz

人間などの生物おける原子やイオンの生化学・生理学的反応。
あまり難しい内容だと寝オチするので、胃の中で食べ物を消化するには水素イオンが大活躍♪みたいな内容で(これは本当です)。
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Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。

色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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