Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by norlys - 2009.02.04,Wed
先日の城ヶ崎の帰り道、山の本の話となり、Mさんが「垂直の記憶」よりも「凍」のほうが面白かったと言う。
山野井さんが書いた「垂直の記憶」は自分も以前に読んだことがあり、とても印象深かった。一方で、沢木耕太郎氏が山野井さんを主人公として書いた小説「凍」は未読だった。
「凍」のモチーフとしては、「垂直の記憶」と同じく、2002年に行われた山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン北壁登攀の経緯が綴られていると聞いていたので、クライマー自身が体験した風景をクライマー自身の筆で書いた本の方が面白いかなぁと思い、自分は「垂直の記憶」しか読んでいなかった。
「凍」ならうちにあるよ、とY氏が貸してくれた本を、昨日の晩にジムから帰ってきて、お風呂を沸かす間に読み始めた。読み始めたら途中で止めることができずに、一気に読み終えてしまった。
「凍」と「垂直の記憶」の2冊に書かれたメインやサイドのエピソードには相互に重複する内容が多く、それはそれで当たり前なんだけど、筆者が異なるということと、それでも両者の全体的に淡々とした感じのトーンが似通っていることが相まって、これは甲乙つけがたいというか、2冊とも併せて読むと面白いなと思った。
まあるいやわらかいゴムボールがあって、そのボールの内側から見回したものが「垂直の記憶」だとすれば、ボール全体を外側から見つめたものが「凍」という感じ。
ゴムボールみたいなものは、なんというか、「自分はこう思う」という本人の視線と、「それは周囲にはこう映る」という第三者の観察によって形作られる等身大の人間像みたいな感じ。
タイトルもまた「垂直の記憶」がクライマー自身の観点を凝縮したもので、「凍」は登攀行程全体を包括する表現になっている点が面白い。(「凍」は雑誌掲載当時は、ギャチュンカンというチベット語の地名の日本語訳である「百の谷、百の嶺」という題名で雑誌に掲載されたそうな)
自分には、山野井夫妻のような先鋭的な高所登攀に挑戦する意欲とか熱意とか気概は皆無で、ルート図集で初級に分類される冬山を登るのが精々なので、登攀中や下山時の困難はどうしても自分の想像の限界を超えてしまう。
それでも、登攀開始直前の微かな迷いや不安や、登攀中に冴え冴えと研ぎ澄まされていく感性や、下山時にアクシデントに見舞われて体力や判断力が限界になりそれでも生還に向かって前進する様子を追っていくと、じんわりと手に冷たい汗をかいてしまう。
なぜ山に登るのかとか、山に登って何が楽しいのとか、そういう疑問はひとまずさておき、絶望的で極限の状態からベースキャンプまで生還するまでのストーリーは圧倒的。
それにしても。
ゴルゴ13の「白龍昇り立つ」(第119巻、1996年)というチベット問題の核心に触れる作品の中で、「極地法など登山家の恥だっ!」とぶった切る中国山岳部隊の燐隊長に、
「まてよ、世界に評価された日本人が二人いた。フリークライミングの平山、それに冒険登山家の山野井だ! 」と賞賛されたことで、なぜか2chの一部でも山野井氏の業績が広まったというのは、なにがどう転ぶかわからない高度電網社会の象徴みたいで面白いなーと思うのです。
左手にバイル、右手にM16A2ライフル。
デューク東郷ならではの高所アルパインスタイル。(なのか?)
ダブルアックス登攀時には、まさか銃身を…使わんよね。。
ダライ・ラマの依頼を受け、中国により幽閉状態にあったパンチェン・ラマを救出しインド側への逃亡を助ける話だそうだな。
高度7000m超の国境地帯を舞台に中国人民解放軍の山岳部隊と対峙。
Amazonのレビューを覗いてみると、低酸素で極寒という高所の厳しさはこちらの方がよりリアルに伝わるとかなんとか。。う~む。
山野井さんが書いた「垂直の記憶」は自分も以前に読んだことがあり、とても印象深かった。一方で、沢木耕太郎氏が山野井さんを主人公として書いた小説「凍」は未読だった。
「凍」のモチーフとしては、「垂直の記憶」と同じく、2002年に行われた山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン北壁登攀の経緯が綴られていると聞いていたので、クライマー自身が体験した風景をクライマー自身の筆で書いた本の方が面白いかなぁと思い、自分は「垂直の記憶」しか読んでいなかった。
「凍」ならうちにあるよ、とY氏が貸してくれた本を、昨日の晩にジムから帰ってきて、お風呂を沸かす間に読み始めた。読み始めたら途中で止めることができずに、一気に読み終えてしまった。
「凍」と「垂直の記憶」の2冊に書かれたメインやサイドのエピソードには相互に重複する内容が多く、それはそれで当たり前なんだけど、筆者が異なるということと、それでも両者の全体的に淡々とした感じのトーンが似通っていることが相まって、これは甲乙つけがたいというか、2冊とも併せて読むと面白いなと思った。
まあるいやわらかいゴムボールがあって、そのボールの内側から見回したものが「垂直の記憶」だとすれば、ボール全体を外側から見つめたものが「凍」という感じ。
ゴムボールみたいなものは、なんというか、「自分はこう思う」という本人の視線と、「それは周囲にはこう映る」という第三者の観察によって形作られる等身大の人間像みたいな感じ。
タイトルもまた「垂直の記憶」がクライマー自身の観点を凝縮したもので、「凍」は登攀行程全体を包括する表現になっている点が面白い。(「凍」は雑誌掲載当時は、ギャチュンカンというチベット語の地名の日本語訳である「百の谷、百の嶺」という題名で雑誌に掲載されたそうな)
自分には、山野井夫妻のような先鋭的な高所登攀に挑戦する意欲とか熱意とか気概は皆無で、ルート図集で初級に分類される冬山を登るのが精々なので、登攀中や下山時の困難はどうしても自分の想像の限界を超えてしまう。
それでも、登攀開始直前の微かな迷いや不安や、登攀中に冴え冴えと研ぎ澄まされていく感性や、下山時にアクシデントに見舞われて体力や判断力が限界になりそれでも生還に向かって前進する様子を追っていくと、じんわりと手に冷たい汗をかいてしまう。
なぜ山に登るのかとか、山に登って何が楽しいのとか、そういう疑問はひとまずさておき、絶望的で極限の状態からベースキャンプまで生還するまでのストーリーは圧倒的。
それにしても。
ゴルゴ13の「白龍昇り立つ」(第119巻、1996年)というチベット問題の核心に触れる作品の中で、「極地法など登山家の恥だっ!」とぶった切る中国山岳部隊の燐隊長に、
「まてよ、世界に評価された日本人が二人いた。フリークライミングの平山、それに冒険登山家の山野井だ! 」と賞賛されたことで、なぜか2chの一部でも山野井氏の業績が広まったというのは、なにがどう転ぶかわからない高度電網社会の象徴みたいで面白いなーと思うのです。
左手にバイル、右手にM16A2ライフル。
デューク東郷ならではの高所アルパインスタイル。(なのか?)
ダブルアックス登攀時には、まさか銃身を…使わんよね。。
ダライ・ラマの依頼を受け、中国により幽閉状態にあったパンチェン・ラマを救出しインド側への逃亡を助ける話だそうだな。
高度7000m超の国境地帯を舞台に中国人民解放軍の山岳部隊と対峙。
Amazonのレビューを覗いてみると、低酸素で極寒という高所の厳しさはこちらの方がよりリアルに伝わるとかなんとか。。う~む。
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Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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