忘れそうなので自分用メモ。
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イスラエルでカナン人の仮面出土 日本の調査団発掘
【エンドル(イスラエル北部)28日共同】イスラエル北部エンドル近郊のテル・レヘシュ遺跡で、古代イスラエル王国成立前の住民カナン人の居住跡から紀元前12-10世紀ごろの土製の仮面、女神像が彫られた石器片、オリーブ油を搾る施設とみられる跡などが見つかった。2006年から発掘している日本の調査団が27日、発表した。
調査団長の月本昭男立教大教授(古代オリエント学)は「エジプト、メソポタミアの大文明のはざまで独自の文化を発達させたカナン人の生活を知る上で重要な発見」と意義付けている。
テル・レヘシュ遺跡は旧約聖書に記述された都市「アナハラト」と推定され、紀元前3000年ごろから紀元後100年ごろまでの居住跡とされる。
出土した仮面は下半分。表情をゆがめており、魔よけなどに使われたとみられる。類似の仮面は地中海岸で活躍したフェニキア人の遺跡から多く見つかっているという。
(共同通信 2008/08/28 11:38)
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なぜ日本の調査団が古代イスラエルの遺跡発掘調査を?(資金は潤沢そうだし、宗教上の絡みがなさそうだ) とか、表情を歪めているから「魔よけ」というのは短絡杉なんでね? とか、まぁ、記事に対するつっこみはさておき。
「カナン」といえば約束の地。乳と蜜が流れる理想郷。神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地。
だからこそイスラエルはここに建国された。
カナン人は旧約聖書の創世記に出てくるノアの孫、カナンの系譜の民族だと言われているそうな。
世界の各地には洪水神話というものがあり、ノアの箱舟の物語もそのうちのひとつではないかという論があるそうで。
Wikipediaから「カナン」の項目を一部引用
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カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は紀元前3千年紀とたいへん古い。シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる(恐らくは都市国家間のゆるい連合であろう)。紀元前2千年紀の期間中には古代エジプト王朝の州の名称として使われ、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海からガザへ、と描写された。これは、旧約聖書の「民数記」34章1-12節の記述と符合する。
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カナンはイスラエル人到来前には明らかに民族的に多様な土地であった。「申命記」7章1節によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの国民の1つであった。聖書の他の記述によれば、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎない(「民数記」13:29)。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「フェニキア人」に符合する。
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カナン人は実際にはイスラエル人と混住し通婚した。ヘブライ語はカナン人から学んだものである(イスラエル王国を参照)。
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自分は人名とか年号を覚えるのが大層苦痛で歴史はろくすっぽ勉強していないので、よくわからないけど。
それでも、こういう実在と空想(または学問とオカルト)の狭間にあるおぼろげな遠い遠い昔の失われた文明の話はたいそう好きだ。
一応ミッション系の高校で学んだので入学早々に聖書を買わされたけど、内容があまりに奇想天外過ぎてついていけなかった。奇抜なシチュエーションで暗喩まみれの物語から、現代社会における道徳規範を導き出すシスターたちの想像力の豊かさに度肝を抜かれたことしか覚えていない。あと、チェルノブイリの事故の預言だけ。
ふと気が向いて海外の国の歴史や神話をちょこちょこと漁ってみると、独自の神話の神話をもたなかったり、ある一時期の歴史がごっそり抜け落ちていたりする場合が多い。
それは文字をもたない民族だったのかもしれないし、書物の保管状態が悪すぎたのかもしれないし、権力の交替によって焚書にあったのかもしれないし、民族と共に散逸したのかもしれない。
だからこそ、現在のように誰でも気軽に文章をしたためては垂れ流すことのできる環境と違って、わざわざ書かれ残され受け継がれてきた民話や神話にはおそらく重要なメッセージが籠められているんだろな、なんてことを考えてみたりする(実際、シュリーマンがトロイア遺跡を発掘したように。それこそ「かぐや姫」だって世界最古のSFのひとつに過ぎないかもしれないけれど、どこかの部分は実話がベースなんじゃないかとも疑っている)。
上記のWikiからの引用にあるように、カナン人=フェニキア人とみる学説が有力らしい(よく知らない)。
んで、フェニキア人については次のように書かれている。
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フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していフェニキア(英語 : Phoenicia)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナ(現イスラエル)のカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
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フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝え、古代ギリシア・古代ローマの発展を促した。
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主なフェニキア人
アゲノルとその息子達はギリシャの伝説に登場する。
アゲノル- フェニキア王。海神ポセイドンとリビュエ(リビア)の子とされる。エウロペ、カドモス、ポイニクス、キリクスの父。
ポイニクス- フェニキア王。アゲノルの息子。
カドモス- アゲノルの息子。
エウロペ(エウローペー)- アゲノルの娘。 白い牡牛に姿を変えたゼウスに連れ去られる。
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フェニキア人といえば、古代地中海の覇者。あまねく海を渡り、交易や海賊に携わった民族。
さらには、アメリカのユダヤ資本に繋がるのだと2chで陰謀論が垂れ流されておりますな。
真偽のほどはわかりません。
面白いですけどね。電波度高いのでまるっと信じにはちょっとアレですが。
そういえば、貿易業と海賊業を共に営み、民主主義を生み出したという意味ではノルマン系のヴァイキングも似たようなことをやっていましたが。セム系(黄色人種)に連なるといわれるフェニキア人とノルマン系では、人種的には異なるようですが、その辺りの関連性はどうなんでしょう。
フェニキア人とヴァイキングには血縁があるのか、単にヴァイキングがフェニキア人のデッドコピーなのか、それとも人間のDNAにはそもそもそういう社会を構築することが仕込まれているのか。だとしたら、一方で原始共産主義が生まれたのはなぜなのか(海がないから? だとしたら、海の近くに住まうことがトリガーとなって、人間は商人兼海賊になってしまうものなんだろか。また中国の殷(商)の時代の「商」は商売の商だそうで、これはフェニキア人と関連があるのだろうか)。
人類の母であるミトコンドリアイブは約17年前にアフリカにいたひとりの女性に帰結するらしいので、社会体制の差異が生じるのはY染色体に由来するのか。それともやはり、環境や文化の差という後天的獲得形質なのか。
共同社会を形成する蜂や蟻のような生物たちは、同種であれば概ねどこでも同じようなコミュニティーを構築するのに、なぜ人間社会はこんなにも共通性を有しながらもバラエティーに富んでいるのか。
とても興味のあるところなのですが、あまりに壮大すぎる話で、風呂敷を広げすぎたことに激しく後悔。。
フェニキア人=ユダヤ・フリーメーソン説のテキストはとても長いので、「Read more」以下に↓
1 :名無しさん@3ちゃんねる :08/06/28 19:3
2ちゃんねる国際情勢板ユダヤ=フリーメーソンの陰謀スレで
去年やった「フェニキア話」のコピペをここにまとめときました。
ユダヤを知るにはフェニキアの知識は欠かせない。
「フェニキア話」は奥が深くて、話せばきりがないが、
一時間あれば誰でもすぐにわかるように、最低限の知識をここに。
「ユダヤフリメスレなのに、どうしてフェニキア=カナンが話題になってるの?」
「ユダヤ陰謀論で上級者になるにはフェニキアの知識は欠かせないの」
「それはなぜなのかな?」
「『日記は全部焼き払え』っていうロスチャイルドの家訓からも分る様に
ユダヤに関する際どい資料はかなり制限されていて、そういう状況下で
彼らの本性を本当に正確に把握しようと思えば、むしろ長い歴史の中での
大まかな動きから捉えていく外ないの。逆にそれが彼らに近づく早道なの。
でもそれは厖大な教養と知識が必要だからポイントを絞らないといけないの」
「フェニキアはユダヤにどう関係してくるの?」
「おそらくフェニキア人が現在のユダヤ人の先祖なの。彼らが旧約聖書で書いてる
『農耕を営む領域国家』としての古代ユダヤ王国というのは嘘かもしれないの。
『商業を営む都市国家』のフェニキアこそが、思想や行動パターンや、その他
ありとあらゆる面で近世以降のユダヤと合致するの。宗教だけは違うけど」
「そのフェニキアってのは一体なんなの? ググるのが面倒臭いんだけど。」
3 :名無しさん@3ちゃんねる :08/06/28 19:33
「フェニキアというのは紀元前15世紀頃から地中海全域を支配した都市国家なの。
そういう一つの国があるわけではなくて、現在のレバノン海岸周辺に
ビュブロス・シドン・ティルスなど、同じ民族・同じ言語・同じ宗教の
都市国家群が連携して地中海貿易を支配していたの。ギリシャ、イタリア、
北アフリカ、スペインはもちろん、海峡越えて西アフリカまで植民市持ってたの。
古代地中海は都市国家フェニキアの「艦隊」と「商船」の支配する海だったの。
これもユダヤに似てるんだけど、彼らは自分達の歴史をほとんど書かなかったの。
だから謎の民族と言われているの。資料もすごく少ないの」
「実は彼らは言語もユダヤと同じヘブライ語を使ってたわけだね」
「それで、なんだか知らないけどこの人たちはものすごく嫌われてたの。」
「それはなぜなのかな?」
『海軍と貿易と海賊は三位一体だ。これが分らない奴は航海の素人』
ゲーテ「ファウスト五幕」より メフィストフェレスの言葉
4 :名無しさん@3ちゃんねる :08/06/28 19:34
「スレも終わりに近づいたから、フェニキア話はこれで最後にするけど
一つだけ聞きたかったことが残ってるんだけど・・・
彼らは・・・ 一体なんだって、あそこまでやられたの?
カルタゴの最後にしても、ティルスの最後にしても、ムゴスギじゃないの?
ローマはカルタゴを滅ぼした時、ほとんど皆殺しにしてるよね?
ローマという国は普通、他の国にはあそこまで残虐に出ないよね?
またアレクサンダー大王のティルス攻略も、明らかに異常だよね?」
「ティルスというのは、フェニキア諸市の盟主にあたる都市国家で、
港の沖合いに島があって、そこに全部の都市機能があったから、
昔から「難攻不落」を誇った要塞都市だったんですね。
現にアッシュルバニパルや ネブカドネザルもここを攻めて敗退してます。
べネチアも多分、ここをモデルに作った町だったんでしょう。」
「でも大王は、港から島まで海に堤防を築くほどの異様な執念で
強引に攻め入って来て、フェニキア人8000人を皆殺しにしたよね?
残った2000人は島の城壁の周囲に磔にした。もの凄い光景だよね。
元々アレクサンダー大王は人格者で、占領地の文化を尊重して
ギリシアと中東の融合に努めたヘレニズム文化の生みの親だよね。
現地女性と結婚し、部下もそれを真似た。降伏した敵にも寛容で、
ましてや、一般人の大量殺害なんて絶対しなかった人じゃないの?」
「大王にとって彼らは『敵』の範疇に入らなかったんでしょう」
「フェニキアが『敵』でなかったら一体なんなの?」
「あのひとたちは人さらいですよ
ホメロスやヘロドトスでは、彼らは人さらいの代名詞ですよ。
買い物をするためにフェニキア商船に乗った王女と侍女が
そのまま連れ去られた記述がヘロドトスの「歴史」にあります。
カンビュセスのエジプト遠征に協力した時も、フェニキアの艦隊は
陸から人をさらっています。艦隊っていうからこれは国家ぐるみです。
一方、ローマ人の間では彼らは「裏切り」の代名詞です。」
「フェニキア人はなんだって人さらいなんかするの?」
「あのひとたちは奴隷商人ですよ
古代地中海における奴隷貿易はフェニキアが独占支配してたんです。
これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションは
フェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。
最初は自分たちで人間をさらってたんですが、時代を下るにつれ、
『下請』に人さらいをさせて、自分達は『元請』として獲物を買い取り、
地中海の交易網を利用して、それを全然別の地域で捌くようになりました。
北アフリカの例ではガラマンテス族に、トログロデュタイという蕃族を
奴隷狩りさせてるんです。これはトカゲを食べてる様な未開の人たちです。
それが、ガレー船の中で船こぎ奴隷として一生を送ることになるわけです。
フェニキアの繁栄を支えたのは、実は奴隷貿易だったんです。」
「なんだってフェニキア人にはそんなことができるの・・・」
7 :名無しさん@3ちゃんねる :08/06/28 19:36
「あのひとたちは、海賊ですよ
マラトンの戦いの時も、ギリシアの神殿から像を略奪しています。
彼らは「貿易」と「海賊」を兼業しそれはもはや国家ぐるみというより、
フェニキア全市が完全に連携していて、王や神官も公認の下、
地中海最強の艦隊がバックアップしてます。誰も止めれられない。
それと、彼らが世界から忌み嫌われるには、別の理由もあります。
有名なコドモの人身御供です。これは伝説でもなんでもなく、
現実にカルタゴからは子供の頭蓋骨が大量に発掘されています。
紀元2世紀頃の文芸作品に「フェニキア海賊」の話は多く出てきます。
クセノフォンの「エフェソス物語」、ロンゴスの「ダフニスとクロエ」
タティウスの「レウキッペーとクレイトフォン」なんかには
フェニキア人海賊に捕まって切り刻まれて食べられた話が満載です」
「つまりアレクサンダー大王にとって彼らは犯罪組織に過ぎなかったと?」
塚田孝雄「ギリシア・ローマ盗賊きたん」より
繁栄したテュロス・カルタゴの裏に潜む恐ろしさには身の毛もよだつものがあり、
ギリシア人は彼らを天道にも人道にも反する民族として心の底から畏怖していた
事だろう。アレクサンドロスが海賊帝国テュロスの覆滅に異様な執念を見せたのも
戦略上、経済上の理由によるものばかりではなさそうだ
「あのひとたちは基本的に人の物と自分の物の区別がつかない人なんです」
「一般にフェニキア人は薄利多売を行なって、現地の産業を潰して
市場を独占する貿易戦略をとっていました。現にティルスでは
派手な製品が量産されて、それが現地の素朴な商品を駆逐しています。
これは日本とよく似てますが、日本人の場合は資本主義のルールに
従って活動していくうちに公共性をはみ出すといった感じですよね。
でもフェニキア人は、もともとが、人食い人種に近い海賊だから
彼らにとって貿易は、最初から「略奪行為を偽装して行なう手段」
に過ぎなかったのかもしれない。
ギリシアやローマなど、同時代の人間から見たフェニキア人の印象は
『常に何を考えてるんだかわからない』存在です。彼らの証言には
色々矛盾があります。『裏切り』『嘘つき』『ずる賢い』『陰謀』
『信心深い』『敬虔』『質素』『残忍』などなど。
私はこれが全部事実だと思うんです。
私はこのひとたちの考えていた事がわかるような気がします。それは、
それほど間違っているとは言えないのではないか?とさえ感じます。
つまり、彼らは他民族を「同じ人間」とは見ていないのかもしれない。
豚や牛を屠殺する人も、個人的に信心深くもありうるし善良でもありうる。
ただ、それが結果的に他民族の怒りを買い、やがてはナチスドイツによる
ユダヤ人大虐殺にまでつながってくるわけです。
フェニキア人はある意味で今のユダヤ人の『原初の姿』なんです。
フェニキアを知らずに、ユダヤにおける「ゴイム」という言葉を
正確に理解する事はおそらくできないと思いますよ」
「それはなぜなのかな?」
「あのひとたちは民主主義の生みの親ですよ
民主主義のデモクラシーという言葉には、かなしい響きがあります。
この言葉のもとになったギリシア語の『デーモス』という言葉には、
元来『別れ』という意味があったんです。
なぜ民主主義が、『別れの政治』なのか?
なぜ『別れ』という言葉が、民主主義そのものを意味するようになったのか?
一般に、古代ギリシアで人類最初の民主主義が誕生したのは
紀元前9世紀頃とされています。ところがその誕生の経緯自体が
あまりハッキリしない。本当ははっきりしているのかも知れないが、
とにかく「あまりはっきりとは」教えられてはいない。
実は古代ギリシアには暗黒の200年といって歴史に大きな断絶の時期があるんです。
それより前の時代の史料は多く残ってる。それより後の時代の史料も多く残ってる。
なのに、その間だけはなぜか異常に史料が乏しい。
そして、古代ギリシアが王制から民主制に移行したのは、実はこの謎の時期なんです。
人類初の民主制がどういう経緯で誕生したのかは、歴史の闇に包まれてるんです。」
「史料がなぜか『消失』しているこの暗黒時代を過ぎると、それ以前に
ギリシアを支配していたミケーネ王国という「領域国家」はどこかへ
姿を消してしまって、どこからともなく現われた数百の「都市国家」が、
いつのまにか、ギリシア全土に成立しているんです。
驚くのは、そのほとんどが、民主制だってことです。
領域国家としてのミケーネが、数百のポリスに「分割」されたのはなぜなのか?
王家の人たちが消されて、いつのまにか民衆たちが支配している異常事態は
どうしてなのか? この間、いったいどんな事が起こったのか?
ひょっとすると民主制というのは、もともと植民地統治の一形態だったのではないか?」
「学界ではタブーですが、フェニキアがギリシアを植民化していた説は昔からあるそうです。
例えばギリシアは最初ミケーネ文字を使用してたんですが、この暗黒時代以後には
いつの間にかフェニキア文字(アルファベット)を使用しています。ギリシアの古代文学にも
フェニキアがギリシアを支配していた事を仄めかしている作品がいくつかあります。
考古学的にも、ギリシアからはフェニキア製遺物が多く出土しています。
また、ギリシアがフェニキアの支配から解放された9世紀頃というのは、
フェニキア本土がアッシリアの支配下におかれた時期にちょうど重なってるんです。
そしてこの時期、ギリシアは『民主主義ポリス群』として世界史に華々しく登場します。
この頃はフェニキア自身がもう植民地どころではない状態だったんでしょうね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もし・・・、それが事実だったとしたら・・・
なぜ、フェニキアはギリシアを支配するためにそんなことをしたの?」
「あのひとたちは海の向こうからやってきた異邦人ですよ。
外からやって来たまったくのよそ者が、同じ血の繋がった民族同士としての
家族的な紐帯をもつ「王家と民衆」を切り離すためにはどうすればいいでしょう?、
王という民族全体の総本家の代表による行政上の統治を、「加害行為になぞらえて」
「大衆を煽動」するレトリックは、たぶんこのときから始まりました。現在でも、
民主主義の正当性を讃える場合は、いまだにこうしたやり方が行なわれてますね。
おそらく徹底した教育を行って、民衆に必死で叫ばせるわけです。
そこは日頃、人間を動物のように調教していた奴隷商人ならではのウデマエです。」
「私には、太古のギリシアの浜辺で、横一列に並ばされて、声の限りに
民主制の素晴らしさを叫ばされている人たちの姿が目に浮かびます。
エーゲ海の残酷なぐらい真っ青な海から風に乗って、今でもその絶叫が
耳に響いてくるようです。 事実、ギリシアはフェニキアの支配を脱した
紀元前9世紀以後になっても、なお民主制を正しいものだと「信じ続け」、
後々までずっとこの制度を保ち続けるんです。
それともう一点、フェニキアの様な「都市国家」が、ミケーネの様な「領域国家」を
植民統治しようとすると、これはどうしてもバラバラに分割する必然性が生じてきます。
そこでやはり民衆の口から「都市国家こそが国家の理想」なのだと叫ばせるわけです。
これはおそらくユダヤの分割統治の最初の例であり、そしてこの「分割統治最初の例」は
同様に彼らの常套手段である「民主的統治の最初の例」と併用されていたわけです。
民主主義とは、奴隷商人の商品管理技術に過ぎなかったのかもしれない」
「ちょっと待って・・・、民主制って確かにギリシアが最初だけど、
少し後、ローマでもそれとは独立に民主制が誕生しているよね?」
「じつはそのローマも、町の起源はエトルリアという中東系異民族に
支配されていた歴史に遡るんです。そしてこのエトルリアはフェニキアと
連携していました。フェニキアはサルディニア島やコルシカ島を直接支配しており、
ローマへもエトルリアを通じて影響力をおよぼしていた事がもう分ってます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ところで、ギリシア神話の神々とローマ神話の神々は同じですよね。
例えば、ゼウスに当たるのがジュピターで、アフロディーテに当たるのが
ビーナスです。 ところが本来、ギリシアもローマも全く別の地域で、
全く別の民族のはずです。なのに、その民族の神々には一人一人対応関係がある。
これはなぜなんでしょうか? 実は彼らの神々は、もう一つの『ある民族』の
神々とも対応関係があるんです。」
「まさか・・・ それがフェニキアだったりして?」
「古今東西の民主制誕生の陰には必ずあのひとたちがいるんです。
ユダヤ陰謀論の一つの特徴は「革命を煽動する」という事ですよね?
ナチス陰謀論や軍事独裁国家の陰謀説には、そういうのはあんまりない。
この点が、左派を理想化する戦後教育が行なわれてきた今の日本において、
ユダヤ陰謀論に対抗意識まるだしで臨んでくる人があとを絶たない理由です。
でも、ロシア革命やフランス革命など、現実にブルジョワ資本が資金提供を
行なっていた事例は数多いです。また、革命煽動的なジャーナリズムが
メディアの大勢をほぼ独占してきた現状も、日常テレビや新聞に
接している国民だったら、普通に知っています。
これに対するメディア側のひとたちの反論としては、
民主制というものは「民衆の自然な欲求」であって「世の中の自然の流れ」であり
仮に資金提供やメディア操作が行なわれていた実態があったにしても、そのことが
革命の主因ではなく、メディアのそういう報道も、メディアに雇用された人間
一人一人がそういう民衆の動向に触発され反応したためであるというものです。
そして、その決定的証拠として、西欧における民主主義の伝統が、
西欧の歴史にユダヤが登場するはるか以前の古代ギリシア時代から
連綿と続いている事実が例にあげられる。
ところが、三千年に渡ってユダヤに寄生されてきた欧州周辺地域以外で
西欧的意味での民主制が独立に誕生した地域は、世界にほとんどありません。
この圏外で民主制が誕生するのは、「西欧による植民地化」以後の話です。
さらに、もしもその「原初のギリシア民主制」からしてが、
民衆本来の意思によらない、外部からの暴力的強制をともなう
洗脳工作であったのだとしたら、 これは・・・・・」
19 :名無しさん@3ちゃんねる :08/08/16 01:19
フェニキア人がベニス人となり、すぐに人を殺すその獰猛さと肌の黒さから
黒い貴族と呼ばれた。(フェニキアがヴェネツィアになった)
彼らは、奴隷貿易で蓄えた富で、金融業(金貸し)を起こし、金の力を利用して
やがて欧州内陸部に移住し、王侯貴族と混血して、少しづつ白人の血を手に入れた。
12世紀~16世紀(中世)イタリアにおいて、神聖ローマ皇帝とローマ教皇があらゆる
利権を巡り対立する中、カナンの黒い貴族は、教皇派を支持し、あらゆる方法で援助をした。
その過程で、皇帝派=ギベリン派・教皇派=ゲルフ派の両方に手先を送り、教皇派が優勢と
なるやカナンの黒い貴族は少しづつ、ゲルフ派(ゲルマン民族)と同化(混血)した。
そして、彼らは、ベニスからスイスへ行った連中と、ベニスからアムステルダムへ行った連中
で最後はスチュアート朝の中期にイギリス帝国とイギリス王室を金で乗っ取った。オランダ王国
初代国王、オレンジ公ウィリアム(オラニエ=ナッソウ家当主)はカナンの黒い貴族の末裔である。
この国王が最初の中央銀行を作り、黒い貴族に経営を一任した。
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色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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