先日遡行した赤岩沢のある奥鬼怒からの道は尾瀬に通じている。尾瀬は多才にして異才の民俗学者(食生態学、および登山家、探検家にして作家)西丸震哉氏がこよなく愛する土地。
そんなことを唐突に思い出して本棚をごそごそ探す。引越しのどさくさでどこかに行ってしまったかなぁ…と思ったけど、ありました、「西丸震哉の日本百山」(残念ながら絶版)。
この本で取り上げられている山はなかなか偏っているし、西丸氏が若い頃に地図を眺めて面白そうな地形があったら猛烈な藪を漕いででも突撃した思い出や、地図を眺めながらの机上登山(つまり脳内山行)が交錯していて面白い。気がついたら一気に読み返してしまった。
藪を漕ぐのはちょっと…だけど、登山者の姿の少ない秘境の高原や湿地帯でのんびりキャムプ(by西丸氏)はちょっと憧れる。同時に、多くの人が踏み入ったらたちまち破壊されてしまうであろう自然環境と、それでも秘境を求めてしまう人間の業について思い巡らせるくだりに共感しきり。
そういえば。先日の赤岩沢・魚沢の帰り、川俣温泉に近づく頃、Y2さんが車の中で言ったを思い出す。
「昔、ここの林道(川俣桧枝岐線)を自転車で走ったことがあるんだけど、栃木県側は整備されていたのに、福島県側に入った途端に未舗装になって参ったなぁ」と。ロード用の自転車で荒れた道を走るのは難しいので、仕方なく自転車を押して歩いていたら運よく通りかかった地元の方の軽トラックに拾ってもらったとか。
なんでもこの地元の方が言うには、林道の両側の村はあまり交流が深くないらしい。もっとも個人の意見の又聞きなので全体の総意ではないかも。
併せて、先日購入した日本登山大系2 「越後、南会津」編をぱらぱらと読んでいたら、「かつて引馬峠を越える山道があり、これは栃木側の栗山村(現日光市)と福島県桧枝岐村とを結ぶ交易路だったが、現在ではすっかり廃道と化している」というような記述がありました。峠には無人交易所があって、互いに物々交換をしていたとか。なんだ、やっぱり交流はあったのね。
なお、この峠に明治時代に設置され、その後亡失されたことになっていた二等水準点が2007年8月に30年ぶりに「発見された」とか。すごいな。
詳しくは、発見者のひとりである山部さんのサイトに:「徳二四号」二等水準點 檜枝岐 引馬峠
引馬峠越えは、現在の林道川俣桧枝岐線の経路とは異なっていて、どうやら <栃木県側の川俣から無砂谷川-平五郎山ー尾根伝い-県境1915mと1951mピークの間-県境尾根北上-越ノ沢-黒沢-舟岐川-福島県側の桧枝岐> という経路らしいのだけど、このルートを2万5千分の1の地図でまじまじと眺めると、昔の人はすごいなぁ…と思う。しかも「引馬」峠ということは、馬連れて歩いたんかい?? と思う眩暈がしそうな。。
(越ノ沢は東面の赤岩沢や魚沢よりも等高線間隔が広いので、もしかしてナメまみれ? とちょっと気になる)
また、先の登山大系には「古くから大津枝峠を通る道が桧枝岐と大津枝を結んでおり、山に生活を求めた里人の姿を思い浮かべることもできたが、現在ではこの道も大津枝側では廃道と化している。」という記述もありました。
確かに現在の国土地理院の地図で見ると、桧枝岐村のキリンテ沢から大津枝峠までえらく急登そうな山道が確認できます。そのまま尾根伝いに進めば、ちょうど大津枝ダムの位置に到達(廃道になった箇所は、山菜取りやキノコ狩りなど山の幸を求めて分け入る人が稀にいるっぽい)。
大津枝川沿いに進めば、その先には銀山湖、いわゆる奥只見湖。今なお酷道として知られる国道352号線を行けば新潟県小出に至る、と。
なるほど。
新潟県魚沼市が盛んに「新潟県から尾瀬」というアクセスをPRしているけれど、案外こっちが本来の尾瀬や桧枝岐村への到達方法なのかも。
それにしても、登山大系をつらつら読んでいると、交易路のほかにもすでに廃道となった「鉱山道」の存在があちらこちらに散見。銅に銀、金やモリブデンなど。鉱山ではないけど水晶も。埋蔵量は少ないとしてもほんと日本は鉱物資源が豊かな土地だ(った)なぁと思う。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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