Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by norlys - 2009.07.24,Fri
今週末もお天気が芳しくなさそうだけど、沢登りの予定。
今回は、普段あまり行くことのない北関東なので楽しみ。
というわけで、沢登りの計画で奥鬼怒周辺の地図を眺めていたら地図の端に「西澤金山跡」という表示。
なぬ、金山? と思い検索してみたら、明治中期から昭和初期まで操業されていた金鉱山があったのだそうな。
こちらに詳しい過去の資料。
↓
・西沢金山
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かの地に金が埋蔵されているということは、江戸時代後期の弘化年間(1844~1848)に鴻野傳右衛門という人物が高野山から派遣されて各地を探索し、金鉱を探し当てたらしい。ただ当時は日光の社領だったため私人による金銀採掘は許可されず鉛と偽って銀を掘り出していたのが明るみとなり廃業に至った。もっとも、弘化2年に会所で鉱山繁栄を願う護摩札が見つかったので、もっと古い時代に操業していたことが確認された。
(上記サイトの「發見ノ時代」(『西澤金山大観』より)の項から)
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その後、村の古老の言い伝えを頼りに、村人たち有志が金の鉱脈を探索を始め、日光で質屋を営む旧家出身の高橋源三郎氏が中心となり鉱山会社を設立。
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西澤金山は明治28年頃、現在の川俣村奥の西澤で発見された鉱脈で、同39年頃より高橋源三郎ら有志によって設立された「西澤金山探鉱株式会社」によって本格的な採掘が始まると、その後一時の隆盛を極める。掘り出した鉱石をケーブルや人馬などで運び出す際の中継の要所として奥日光も深く関わった。現在西澤金山跡は荒地となり、当時の姿を止める物はほとんどない。
(栃木県立日光自然博物館 2007年 「西澤金山 企画展」の案内文より)
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いったいどうしてまた高野山が熱心に鉱物採取のために人を派遣…?? と思ったら、そもそも開祖の弘法大師空海からして鉱山事業に縁が深いという仮説があるのですね。知りませんでした。
空海が密教の修行の場として選んだ高野山にはもともと丹生都比売が奉られていて、丹生は辰砂(水銀)を意味するとか。その丹生都比売を空海に合わせたのは狩場明神で、狩場とは鉱物採取の場所を意味するのではないか、とか。
信仰の是非を問うつもりはないけど、空海さんってやり手だな…とかとかチラリと思ってみたり。
そういえば、あちこちの山や温泉に弘法大師の伝説が伝わっているけど、それはつまり鉱山探しの一端なのかな。
しかし、日光から北に位置する足尾には鉱毒問題で有名な銅山があったことは学校の教科書で読んだので知っているけど、足尾から中禅寺湖を挟んで割と近い場所に金山があったとは知りませんでした。
奥日光には温泉がたくさんあって、その名もズバリ「温泉ヶ岳」という山もあるくらいだから、なるほどあの山域には多様な鉱物が地表近くに眠っているのかも。
奥鬼怒周辺の沢登りの記録をあれこれ読むと「沢の水は変な味がしてやばそう」みたいなことが書いてあるものも多いし。
足尾銅山といえば、銅の精錬過程で大気中に飛散した亜硫酸ガス(とそれらの成分を含んだ酸性雨)の影響を受けて近隣の森林が枯死してしまい、グランドキャニオンのように岩肌がむき出しとなった荒涼とした風景が今でも残っているとか。(いつかクライミングに行ってみたい)
そうしてみると、奈良時代の大仏建立の際に金メッキを製造するために大量の辰砂から水銀を抽出して金と混ぜて金アマルガムとし青銅製の仏像本体に塗りつけたので、これらの精錬作業に過程で生じた煙害が疫病の原因ではないかという指摘が化学方面から指摘されているけれど、さもありなんと思う。
なんか宗教と権力者ってやっぱり…(以下自粛)
今回は、普段あまり行くことのない北関東なので楽しみ。
というわけで、沢登りの計画で奥鬼怒周辺の地図を眺めていたら地図の端に「西澤金山跡」という表示。
なぬ、金山? と思い検索してみたら、明治中期から昭和初期まで操業されていた金鉱山があったのだそうな。
こちらに詳しい過去の資料。
↓
・西沢金山
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かの地に金が埋蔵されているということは、江戸時代後期の弘化年間(1844~1848)に鴻野傳右衛門という人物が高野山から派遣されて各地を探索し、金鉱を探し当てたらしい。ただ当時は日光の社領だったため私人による金銀採掘は許可されず鉛と偽って銀を掘り出していたのが明るみとなり廃業に至った。もっとも、弘化2年に会所で鉱山繁栄を願う護摩札が見つかったので、もっと古い時代に操業していたことが確認された。
(上記サイトの「發見ノ時代」(『西澤金山大観』より)の項から)
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その後、村の古老の言い伝えを頼りに、村人たち有志が金の鉱脈を探索を始め、日光で質屋を営む旧家出身の高橋源三郎氏が中心となり鉱山会社を設立。
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西澤金山は明治28年頃、現在の川俣村奥の西澤で発見された鉱脈で、同39年頃より高橋源三郎ら有志によって設立された「西澤金山探鉱株式会社」によって本格的な採掘が始まると、その後一時の隆盛を極める。掘り出した鉱石をケーブルや人馬などで運び出す際の中継の要所として奥日光も深く関わった。現在西澤金山跡は荒地となり、当時の姿を止める物はほとんどない。
(栃木県立日光自然博物館 2007年 「西澤金山 企画展」の案内文より)
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いったいどうしてまた高野山が熱心に鉱物採取のために人を派遣…?? と思ったら、そもそも開祖の弘法大師空海からして鉱山事業に縁が深いという仮説があるのですね。知りませんでした。
空海が密教の修行の場として選んだ高野山にはもともと丹生都比売が奉られていて、丹生は辰砂(水銀)を意味するとか。その丹生都比売を空海に合わせたのは狩場明神で、狩場とは鉱物採取の場所を意味するのではないか、とか。
信仰の是非を問うつもりはないけど、空海さんってやり手だな…とかとかチラリと思ってみたり。
そういえば、あちこちの山や温泉に弘法大師の伝説が伝わっているけど、それはつまり鉱山探しの一端なのかな。
しかし、日光から北に位置する足尾には鉱毒問題で有名な銅山があったことは学校の教科書で読んだので知っているけど、足尾から中禅寺湖を挟んで割と近い場所に金山があったとは知りませんでした。
奥日光には温泉がたくさんあって、その名もズバリ「温泉ヶ岳」という山もあるくらいだから、なるほどあの山域には多様な鉱物が地表近くに眠っているのかも。
奥鬼怒周辺の沢登りの記録をあれこれ読むと「沢の水は変な味がしてやばそう」みたいなことが書いてあるものも多いし。
足尾銅山といえば、銅の精錬過程で大気中に飛散した亜硫酸ガス(とそれらの成分を含んだ酸性雨)の影響を受けて近隣の森林が枯死してしまい、グランドキャニオンのように岩肌がむき出しとなった荒涼とした風景が今でも残っているとか。(いつかクライミングに行ってみたい)
そうしてみると、奈良時代の大仏建立の際に金メッキを製造するために大量の辰砂から水銀を抽出して金と混ぜて金アマルガムとし青銅製の仏像本体に塗りつけたので、これらの精錬作業に過程で生じた煙害が疫病の原因ではないかという指摘が化学方面から指摘されているけれど、さもありなんと思う。
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自己紹介:
Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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