週末は岩手まで遠征(の予定)。
今後のお天気の変化が気になるけど。。あまり降られないことを祈ろう。。
岩手といえば、イーハトーヴォ。
宮沢賢治オタの自分にとっては心の聖地。
喜び勇んで勇み足かもしれないけど、大好きな「小岩井農場」の一節をペタ。
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すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽悍(ひやうかん)な四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外(そと)で
つめたい雨がそそいでゐる
(天の微光にさだめなく
うかべる石をわがふめば
おゝユリア しづくはいとど降りまさり
カシオペーアはめぐり行く)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外(そ)れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
(幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ)
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
(あんまりひどい幻想だ)
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
(ひばりが居るやうな居ないやうな
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降つてゐる)
さうです、農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punktと
呼びたいやうな気がします
宮沢賢治、心象スケッチ 「春と修羅」
小岩井農場 パート九 から抜粋
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「der heilige Punkt」はドイツ語で、日本語では「聖なる地」。The holy place。
山を逍遥しているときに、ふわっと素晴らしい風景が目前に広がると、なんとなくこの文章が浮かんできます。
もっとも、この詩の場合は、なんてことのない雨のしのつく農地だけど。
すとんと胸に沁みるような風景を目の前にして、ふっと厳然たる過酷な現実から解放される、そんな瞬間とか場所が確かにあるような気がします。
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
人生とは長い旅、生きることは修羅の道。
それでも「闘う」のではなく、「逃げる」というのが詩人らしくてツボ。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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