Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by norlys - 2009.09.29,Tue
週末は久しぶりに実家に帰り、のんびり。土曜日は昼過ぎから庭でBBQ。日曜日は特に予定を考えていなかったので思いつきでドライブ。
出発時点でお昼前だったのでちょっと近場にでも…と地図を開き行き先を検討。
「足尾銅山とか」という自分の迂闊な一言に端を発し、下道でとことこと北上。
埼玉県から群馬県に入ってまもなく、群馬県明和町の街中を走っていると道端に「川俣事件衝突の地」という案内板がありました。
「川俣事件は、1900年2月13日、群馬県邑楽郡佐貫村川俣(現明和町)で、足尾鉱毒事件に関して、政府に請願するために出かける途中の農民と警官が衝突した事件。」とのこと。
これから自分たちが向かう足尾銅山は、カーナビによるとまだ約75Kmも先。鉱毒被害に遭った農民たちは歩いて東京に向かうところだったとか。ここから東京だってちっとも近くない。
広々とした遊水地を両岸に備えた渡良瀬川を越えて、大間々の街の商店街を抜けると、国道はかっきり左折し唐突に山道に。右手には両岸がすとんと切り立つ深い渓谷。
渓谷に沿って国道122号とわたらせ渓谷鐵道の軌道が併走し、狭い段丘部分に切り開かれた集落が点々と。秋の花々や黄金色の稲穂がきれい。
渡良瀬渓谷沿いに国道を進み、途中のお蕎麦屋さんで昼食。お汁が一見「富山ブラック?」というか、考えてみれば昔ながらの関東のお醤油色した真っ黒タイプで、そういえば近年都内のお蕎麦・うどん屋さんのおつゆはずいぶんと薄い色になったような気がする。
駅舎内に温泉施設のある水沼駅には小奇麗な駅舎に「ゆ」の暖簾。時間があればひと風呂浴びたいところだけど今回は見送り。残念。
神戸(ごうど)の集落を過ぎて、草木ダムの展望台にて休憩。
予備知識もなくふらりと立ち寄っただけなのに、堰堤に埋められた「ダム湖百選」のプレートを見て俄かに気分が盛り上がる自分(笑)。
草木ダムは利根川水系8ダムのうちのひとつで、(財)ダム水源地環境整備センターの選定するダム湖百選のひとつだそうな。
ちなみに「ダム湖百選」というけれど、現時点で選出されているダム湖は65箇所だそうで。。百選じゃないじゃん。。ま、いいけど。
草木ダムの形式は越流型重力式コンクリートダム。堰高は140mと結構高め。もとともここはちょっとした断崖だったのかもしれない。その代わりにダムの堰堤が巨大な楔として打ち込まれたような印象。
ここにもかつて集落がありダム建設の反対運動が激しかったそうな。結局移住を余儀なくされた人たちがいる。けれど、渓谷の自然美を守るとか先祖伝来の土地や生活様式を守るといった尊い価値観とは別に、技術的に俯瞰した結果「ダムを造るために存在する土地」と判断した人たちがいることも納得できる気がする。どっちの立場に足を突っ込むべきなのかについては、自分にはまだ答えがわかりません。。
草木ダムだけではなく、午前中に通り過ぎた渡良瀬遊水池の下流には渡良瀬貯水池(谷中湖)があり、そこにはかつて谷中村という村落があったそうです。
洪水のたびに上流の足尾銅山から流出する鉱毒の被害に遭い、銅山反対運動の活動拠点ともなり、それ故もあって専制的な行政と政治の決定により1907年に強制廃村に。1911年には残った村民たちの北海道常呂郡サロマベツ原野への移住開始(後に帰郷請願が出る)-という歴史があったとか。知りませんでした。
治水を含め産業発展の歴史には光があり影があるのだと、改めて深々と実感。光を手放しで賞賛するのは危険だけど、影を引きずるだけでは前に進めないような。。難しい。。
ダム上部は緑の山の連なりに囲まれた奥行きのある草木湖(人造湖)が広がり、なんだかデジャヴな風景。ノルウェー東部のフィヨルドに似ている気がする。
この時点ですでに2時近く。「あんまり遅くならないように、もうこの辺でUターンして帰ろうか」と父に伝えると「まぁ、足尾まであとちょっとだから」との返事。うんまぁ確かに。
というわけで、途中でとわたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車を眺め(なにしろ便数が少ないのでラッキー)、鉄道のターミナル駅である間藤駅周辺を左手眼下に見つつ、松木渓谷入口にある銅(あかがね)親水公園へGo。
足尾銅山には遠い昔、小学校の林間学校で日光に向かう途中に訪れたはずなのだけど、やたらと肌寒くて薄暗い雨の日で、バスの中から降りるのが面倒だなと思ったことしか記憶にない。夏の日中は連日のように光化学スモッグ警報が発令されていた時代。ずいぶんと遠い昔のことです。
細い集落の道を進むと、V字の谷間の対岸の高台に錆び付いた鉄骨の枠組みと、同じく赤錆色に煤けた巨大な煙突が印象的な旧製錬所の建物が遺されていました。まるで映画のセットを見ているような非現実的な光景。。
すでに解体されてしまった構造物もあるそうですが、2005年より日光市がこの製錬所跡を世界遺産として保存する活動を展開しているそうです。
社寺仏閣などの祈りの場や美しく雄大な自然ではなく、産業発展による「負の遺産」だからこそ遺したいという、全力疾走しかも後ろ向きになところに個人的に共感を覚えます。
松木渓谷は製錬所から流出した亜硫酸ガスなどの煙害により一帯が禿山となり、露岩だらけの荒涼とした風景を称し「日本のグランドキャニオン」と呼ばれているとのことでした。けれど、事前にこの近くにある岩場の写真や情報を基に予期していたよりも、手厚く地道に行われている植林作業により緑を取り戻しつつある場所という印象を受けました。多分ちょっと期待しすぎていたのかも。
銅親水公園の堰堤上には渡良瀬川の澄んだ水流が細く静かに流れていました。
銅親水公園から先の林道は現在、一般車両通行止めのゲートがあり「24時間監視モニター作動中」とのこと。いったいどうしてこんなに厳重監視が必要なんだろ。そうまでしないとダメなくらい無断侵入する車両が多かったのだろか。。皇海山を目指す百名山ハンターなら松木沢よりも銀山平からだよなぁ。。謎。
この先にウメコバ沢というアルパインのゲレンデがあることは以前ネットや書籍で情報を掻き集めたので知っていましたが、そそり立つ岩肌に挟まれて見はるかすことはできませんでした。折りしも岩場から戻ってきたクライマーさんたちとすれ違いました。
目的地に到達したので、あとは一路帰るのみ。来たときの下道は夕方の混雑が予想されたので、ぐるりと日光方面に廻り高速道路で南下。幸い渋滞に巻き込まれることなく家に到着。
色々と考えさせられることも多かったですが、楽しかったです。
あまり足を運ぶ機会のなかった場所ですが、いずれ再訪してみたいと思います。まぁ、いつか。
出発時点でお昼前だったのでちょっと近場にでも…と地図を開き行き先を検討。
「足尾銅山とか」という自分の迂闊な一言に端を発し、下道でとことこと北上。
埼玉県から群馬県に入ってまもなく、群馬県明和町の街中を走っていると道端に「川俣事件衝突の地」という案内板がありました。
「川俣事件は、1900年2月13日、群馬県邑楽郡佐貫村川俣(現明和町)で、足尾鉱毒事件に関して、政府に請願するために出かける途中の農民と警官が衝突した事件。」とのこと。
これから自分たちが向かう足尾銅山は、カーナビによるとまだ約75Kmも先。鉱毒被害に遭った農民たちは歩いて東京に向かうところだったとか。ここから東京だってちっとも近くない。
広々とした遊水地を両岸に備えた渡良瀬川を越えて、大間々の街の商店街を抜けると、国道はかっきり左折し唐突に山道に。右手には両岸がすとんと切り立つ深い渓谷。
渓谷に沿って国道122号とわたらせ渓谷鐵道の軌道が併走し、狭い段丘部分に切り開かれた集落が点々と。秋の花々や黄金色の稲穂がきれい。
渡良瀬渓谷沿いに国道を進み、途中のお蕎麦屋さんで昼食。お汁が一見「富山ブラック?」というか、考えてみれば昔ながらの関東のお醤油色した真っ黒タイプで、そういえば近年都内のお蕎麦・うどん屋さんのおつゆはずいぶんと薄い色になったような気がする。
駅舎内に温泉施設のある水沼駅には小奇麗な駅舎に「ゆ」の暖簾。時間があればひと風呂浴びたいところだけど今回は見送り。残念。
神戸(ごうど)の集落を過ぎて、草木ダムの展望台にて休憩。
予備知識もなくふらりと立ち寄っただけなのに、堰堤に埋められた「ダム湖百選」のプレートを見て俄かに気分が盛り上がる自分(笑)。
草木ダムは利根川水系8ダムのうちのひとつで、(財)ダム水源地環境整備センターの選定するダム湖百選のひとつだそうな。
ちなみに「ダム湖百選」というけれど、現時点で選出されているダム湖は65箇所だそうで。。百選じゃないじゃん。。ま、いいけど。
草木ダムの形式は越流型重力式コンクリートダム。堰高は140mと結構高め。もとともここはちょっとした断崖だったのかもしれない。その代わりにダムの堰堤が巨大な楔として打ち込まれたような印象。
ここにもかつて集落がありダム建設の反対運動が激しかったそうな。結局移住を余儀なくされた人たちがいる。けれど、渓谷の自然美を守るとか先祖伝来の土地や生活様式を守るといった尊い価値観とは別に、技術的に俯瞰した結果「ダムを造るために存在する土地」と判断した人たちがいることも納得できる気がする。どっちの立場に足を突っ込むべきなのかについては、自分にはまだ答えがわかりません。。
草木ダムだけではなく、午前中に通り過ぎた渡良瀬遊水池の下流には渡良瀬貯水池(谷中湖)があり、そこにはかつて谷中村という村落があったそうです。
洪水のたびに上流の足尾銅山から流出する鉱毒の被害に遭い、銅山反対運動の活動拠点ともなり、それ故もあって専制的な行政と政治の決定により1907年に強制廃村に。1911年には残った村民たちの北海道常呂郡サロマベツ原野への移住開始(後に帰郷請願が出る)-という歴史があったとか。知りませんでした。
治水を含め産業発展の歴史には光があり影があるのだと、改めて深々と実感。光を手放しで賞賛するのは危険だけど、影を引きずるだけでは前に進めないような。。難しい。。
ダム上部は緑の山の連なりに囲まれた奥行きのある草木湖(人造湖)が広がり、なんだかデジャヴな風景。ノルウェー東部のフィヨルドに似ている気がする。
この時点ですでに2時近く。「あんまり遅くならないように、もうこの辺でUターンして帰ろうか」と父に伝えると「まぁ、足尾まであとちょっとだから」との返事。うんまぁ確かに。
というわけで、途中でとわたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車を眺め(なにしろ便数が少ないのでラッキー)、鉄道のターミナル駅である間藤駅周辺を左手眼下に見つつ、松木渓谷入口にある銅(あかがね)親水公園へGo。
足尾銅山には遠い昔、小学校の林間学校で日光に向かう途中に訪れたはずなのだけど、やたらと肌寒くて薄暗い雨の日で、バスの中から降りるのが面倒だなと思ったことしか記憶にない。夏の日中は連日のように光化学スモッグ警報が発令されていた時代。ずいぶんと遠い昔のことです。
細い集落の道を進むと、V字の谷間の対岸の高台に錆び付いた鉄骨の枠組みと、同じく赤錆色に煤けた巨大な煙突が印象的な旧製錬所の建物が遺されていました。まるで映画のセットを見ているような非現実的な光景。。
すでに解体されてしまった構造物もあるそうですが、2005年より日光市がこの製錬所跡を世界遺産として保存する活動を展開しているそうです。
社寺仏閣などの祈りの場や美しく雄大な自然ではなく、産業発展による「負の遺産」だからこそ遺したいという、全力疾走しかも後ろ向きになところに個人的に共感を覚えます。
松木渓谷は製錬所から流出した亜硫酸ガスなどの煙害により一帯が禿山となり、露岩だらけの荒涼とした風景を称し「日本のグランドキャニオン」と呼ばれているとのことでした。けれど、事前にこの近くにある岩場の写真や情報を基に予期していたよりも、手厚く地道に行われている植林作業により緑を取り戻しつつある場所という印象を受けました。多分ちょっと期待しすぎていたのかも。
銅親水公園の堰堤上には渡良瀬川の澄んだ水流が細く静かに流れていました。
銅親水公園から先の林道は現在、一般車両通行止めのゲートがあり「24時間監視モニター作動中」とのこと。いったいどうしてこんなに厳重監視が必要なんだろ。そうまでしないとダメなくらい無断侵入する車両が多かったのだろか。。皇海山を目指す百名山ハンターなら松木沢よりも銀山平からだよなぁ。。謎。
この先にウメコバ沢というアルパインのゲレンデがあることは以前ネットや書籍で情報を掻き集めたので知っていましたが、そそり立つ岩肌に挟まれて見はるかすことはできませんでした。折りしも岩場から戻ってきたクライマーさんたちとすれ違いました。
目的地に到達したので、あとは一路帰るのみ。来たときの下道は夕方の混雑が予想されたので、ぐるりと日光方面に廻り高速道路で南下。幸い渋滞に巻き込まれることなく家に到着。
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自己紹介:
Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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