先週書きかけてしばし放置していたので、すでに古い情報ですが。
どさくさ紛れにロシアが発表した見解。
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コソボがチベットに影響 露外相、米欧を非難
ロシアのラブロフ外相は18日付のロシア新聞に対し、中国チベット自治区の大規模暴動にはコソボ独立宣言が影響したとの見解を示し、独立を承認した米国や欧州などの国を非難した。
外相は、チベット暴動のほか、コソボと隣接するマケドニアでも、コソボの多数派と同じアルバニア系住民が独立につながりかねない自治の要求を強めていると指摘、世界中で「暴発しかねない極度に危険な過程が始まった」と述べた。(共同)
(MSN産経ニュース 2008.3.18 19:54)
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チェチェン問題を抱えるロシアが、国際的に民族自決の火が再燃することを懸念していたとおりだと申しております。いやはや、コソボ独立に反対していた立場から一貫してブレがありません。
さすがはロシアです。
だが、お前が言うな。
あぁでも、そうです。イラクでもイスラエルでもダルフールでもコソボでもチェチェンでもキプロスでもトルコでもスリランカでも東ティモールでも民族や宗教をめぐっての対立や争いの火種は消えません。
お前が言うなと、互いに後ろ指を指しあって、そして声の大きい者が勝つのです。たぶん。
なんてこった。21世紀はもっと幸いに満ちた時代になるものだと思っていました。
それでは、すでに消えてしまった民族についてはどう考えるのか、人権保障問題は政治的に解決するのか、なぜ自分はチベットや独立を願う中国の少数民族を支持し中国を非難するのか、他の紛争地域についてはどう考えるのか、ぐるぐるぐるぐると考える今日この頃。
そんな折、たまたま見つけたアメリカのNPO独立系新聞サイトで、チベット亡命キャンプ訪問記の記事を読み、最後の一文で不覚にも目から汗。。
宗教的共同体を基盤とし、常に微笑みを絶やさず、欲することの少ないチベット亡命者たちと、母国においては立派なキャリアを有していても現地の力作業ではたいして役に立たない(と自ら書いているw)アメリカ人ボランティアたちの束の間の交流記。
記者の方は、米ミネソタの新聞社に勤めいていた元記者で、現在では主にトラベルエッセイを執筆。
地元のボランティア有志と共に、亡命チベット人キャンプにおいて共同キッチンの修繕を行う活動に参加。
亡命キャンプは、カドマンズの西に位置するポカラに近いチャムパリンという場所にあり、約半世紀前、ダライ・ラマ氏がインドに亡命した時期に、ネパールに亡命したチベット人が700人近く在住。ネパール政府の厚意により保護されており、衣食住が足り、平和に穏やかに自らの宗教と文化に忠実でいても迫害を受けることはないようです。
とはいえ、亡命者はもとより亡命キャンプで生まれた子供たちもネパール国籍はなく、あくまでも亡命者。彼らにとって故郷と呼べる安寧の地は、残念ながら現時点では地球上のどこにも存在しません。
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"My journey to a Tibetan refugee camp -By Catherine Watson"
(2008/3/21 Minn.Post.com)
(省略)
Not for the work we'd done. Not for the money we'd brought. But simply for showing up. We had come, in person, all the way from the United States. That was what mattered most.
"Thank you,'' people said as they told us goodbye, taking our hands, touching their foreheads to ours. "Thank you for not forgetting us.''
As if we could.
我々が行ったボランティアの作業ではなく、我々が寄付したささやかな(という記述が前にある)お金に対してでもなく、ただ我々がアメリカから遠路はるばる亡命キャンプを訪れたということ、それが彼らにとってはなによりも意義のあることだった。
「ありがとう」と、別れの挨拶とともに人々は口にした。我々の手を握り、額を寄せながら。「私たちのことを忘れずにいてくれて、ありがとう」と。
忘れずにいられたら、いいのだけど。
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(英語は苦手でしてと言い訳しつつ。正直、"As if we could."のニュアンスが。。難しす。。)
盗んだバイクで走り出すようなお年頃でもないのですべての権力に向かってNoと言うつもりもないし、弱い立場にある人間の言い分がすべて正しいとは限らないとも思います。
また、主観的な記事である以上、どこかにそっと作り話やプロパガンダが織り込まれているかもしれません。
それでも、(この記事の内容を信じるとして)筆者と登場するすべての人々が穏やかで慎ましく心優しい人々であることに共感を覚えるのは自分だけではないことを願います。
忘れないこと。身近な人の、遠く離れた場所にいる人の、息災を願うこと。
たとえ誰もが満ち足りて穏やかに暮らすことは決して簡単なことではないとしても、まだこの地球のあちこちに心優しい人々が存在するのだと知ることで、なにかがほんの少しだけ救われるような気がするのでした。
まぁ、まずは自らの心がけから。。なんですが。。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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