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Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by - 2024.05.04,Sat
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Posted by norlys - 2008.02.05,Tue

あれ、目から汗が…( ´Д⊂ヽ
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吾妻連峰に13日間、単独登山の中村さん
2008年02月04日

福島、山形両県にまたがる吾妻連峰で一時行方不明になったものの、12日ぶりに無事下山した埼玉県羽生市の中村雅之さん(55)がこのほど、朝日新聞のインタビューに応じた。中村さんはすでに仕事に復帰し、両足の軽い凍傷と7キロの体重減のほかは、静かな日常を取り戻しつつある。「判断ミス」と悔やむベテラン登山愛好家の軌跡をたどった。(足立朋子)

◇年末に入山

「最初から間違っていた。やめれば良かったんです」。やり直せるとすればどこからか、と尋ねると、中村さんはこう繰り返した。

昨年12月30日に山形県米沢市の天元台から入山し、尾根を十数キロ縦走して1月1日に福島県・浄土平の吾妻小屋に宿泊した後、下山するルート。これまで同じ時期だけでも5回の経験があった中村さんは、出発時、天元台のスキー場のリフト係員に「これから2、3日ふぶく」と言われたが、気にかけなかった。「正月向けの比較的安全な山」という印象しかなく、鍋でもつつきながら静かに雪山を楽しむつもりだった。

それが決定的な「判断ミス」と悔やむ。

年末年始にかけて、山は猛吹雪で例年と一変。新雪に足は潜り込むばかりだった。かんじきを履いていたが、一歩踏み出すと腰まで雪にはまる。次の一歩で固め、三歩目にやっと前に進むという状況だった。

「あの日に、1人でラッセルするのは本当に大変だったろう」と県山岳連盟の尾形一幸会長。雪をかき分けて前進するラッセルは、相当な技術と体力が必要とされる。疲労が激しいため、2人以上で交代しながら進むのが普通だ。

尾形さんによると、たまたま12月31日に福島市の新野地温泉から吾妻小屋を目指した別の隊がいたが、普通なら4~5時間で着くところ、倍の10時間もかかった。しかも4人のパーティーでだ。

一方、中村さんは「1日7時間歩いて500メートルしか進まなかった」。体が沈み込むのを防ぐため、入山時に30キロ近くあったリュックの中身を次々と捨てる。最後はテントなど5、6キロを残すばかりだった。

◇尽きた食料

5日目まではルートが確認できていた。ところが6日目の1月4日。朝に食べたラーメンを最後に食料が尽きる。その後は北塩原村のスキー場近くで発見される11日まで丸一週間、鍋用に持参した塩や水でしのいだ。「食べないのは2日もすれば慣れたが、力が出ない。数歩歩くとぜいぜい息が上がった」という。

方向も見失った。が、スキー場から流れる音楽が聞こえた。あの方向に歩き続けよう――。そう決めた中村さんは二つの川や山を突っ切り、道なき道を進んだ。

医師で日本登山医学会の事務局を務める了徳寺大学の増山茂学長は「水を飲んでいればある程度生き延びられるし、テントがあって保温に成功したということだろう。だが迷って動き続けるのは原則違反。引き返すか雪洞を掘ってじっとしているべきだった」と話す。

中村さんは、9日からの3日間は何度もがけから落ち、ストックもなくして厳しかった、と振り返る。スキー場の近くにたどりついたのは、気を付けていたにもかかわらず川を渡る際に靴をぬらしてひどい凍傷を覚悟した、11日の午後だった。

「あと数日下山できなかったら、足が使いものにならなかったかもしれない」。生還から5日目には仕事に復帰した中村さんの足は、凍傷ではれ、1サイズ大きな靴をはいていた。だが、その程度で済んだ幸運に感謝していた。

◇心境の変化

もう山はやめます」。生還翌日の記者会見で、中村さんはきっぱりと言い切った。今回の経験は、大きな心境の変化をもたらした。

22歳で静岡の実家を出て、スキー場や旅館などでアルバイトを始めたという中村さん。山に魅せられ、ここ15年は週末ごとに山に入る日々。一人暮らしだが、東北の山々に行くことを考え、埼玉に居を構えた。

今回は携帯電話などの連絡手段を持たずに入山し、発見が遅れる一因となったが、自宅のアパートにも電話はない。

中村さんは「捜索願を出す人はいないと思っていた」と話した。会社を数日休まなければいけなくなるかもしれないが、後でわけを話せばいいだろう、とも。

だが現実は、宿泊予定日を過ぎても中村さんが現れないことを心配した山小屋の主(あるじ)が警察に連絡をしてくれた。そのうえ病院に見舞いに訪れ、「出すぎたことだったのでは」と、逆に中村さんを気遣ったという。

羽生市に戻ってからも、登山前に自転車を預けた駐輪場の係の女性に「よく無事だった」と涙ぐまれた。復帰した職場の鉄工所では、発見の一報が入ったとき、「みんなでバンザイしたんだ」と聞かされた。

「自分はじぶん、人はひと、変わり者で結構と思ってきたが、今回はこたえました……」

最後に中村さんは、福島の人びとに改めて感謝を伝えて欲しいと静かに語り、自転車を押しながらアパートに帰っていった。

○入山から生還までの経緯 中村さんは昨年12月30日、吾妻連峰を目指して山形県側から3泊4日の予定で入山。だが、宿泊を予定していた山小屋についていないことが1月5日に判明した。福島署などが捜索したが見つからず安否が気遣われたが、同11日、北塩原村のスキー場「グランデコスノーリゾート」付近に自力で下山。入山から13日目の生還だった。
(asahi.com 2008/02/04)
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この記事はもともと2月3日の朝日新聞福島版のみに掲載されたそうで、反響が大きかったためか昨日ネット版でも公開されたようです。

新聞社のサイトは2週間もすれば404 Not Foundになる可能性が高いので、全文転載してしまいました。
無断ですいません。

中村さんの談話をニュースで断片的に耳に挟むたびに、なんて強い人なんだろうと思わずにいられません。
無事にご生還されてほんとうに良かったです。

ところで最近、ラウドスピーカーから音楽の流れるスキー場が少なくなってきたように思います。
J-POPはあまり得意ではないし、静かな環境が好きな自分には好ましいのですが、遠くから風に運ばれて聞こえてくる音楽が、今回の場合には生還への道標になったことを考えると、あながち否定はできないなとも思ったり。

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自己紹介:
Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。

色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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