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Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by - 2025.03.16,Sun
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Posted by norlys - 2008.02.13,Wed
昨日は都岳連主催の冬山レスキュー講習の机上講習会に参加。

冬山の経験なぞとんと乏しいにも関わらずクラス2に申し込み。。
講師の方も自分の方をチラ見して一瞬「コイツだいじょうぶなんだろか」という顔をされていたような気がしなくもなく。。。

クラス1は、雪崩リスクマネジメントに関する内容が主だそう。雪崩の起きるメカニズムなどについては、書籍などでぼちぼちっと独学をしていたので、より実践的なレスキュー講習を受けたいな。。と。

クラス2では「机上講習会」とはいえ、机上ではなく、搬出作業やアンカーのとり方などのロープワークが主な内容でした。

「なぜこの方法がべストなのか」「そのためにはどうすればいいのか/なにが必要なのか」という点を講師の方がポイントごとにロジカルに説明してくださったので、とても覚えやすく、また勉強になりました。

それにしても。。
普段あまり使わない結束方法などは、頭では覚えているつもりでも、できるだけ多く反復練習しないと忘れてまう。。

週末の実践講習の前に、今一度復習しなくては…。
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Posted by norlys - 2007.12.17,Mon
日曜日は日帰りで赤岳主稜へ~と思ったのですが、あいにくの天気模様。

結局、
赤岳山荘→美濃戸山荘→南沢→行者小屋→赤岳鉱泉小屋→北沢→美濃戸山荘→赤岳山荘
というルートで、新雪を踏んでスノーハイクを楽しんできました。

土曜日の夜に都内から車で出発し、赤岳山荘前の駐車場でテント泊。
到着直後はまだ空に星が輝いていましたが、車のドアを開けて外に出るとあたり一面に雪の匂いが満ちていました。

なにぶん雪国育ちの故か、雪の匂いに敏感です。
学生時代に、北海道出身の友人と初めて雪国話をしたところ「どうりで雪の匂いがすると思った」と納得されましたっけ。
雪の匂いってたぶん雪のコアをなすちりとかホコリとか窒素化合物とかそんなものだと思うので、よくよく考えてみるとあまりロマンティックではないような。。

案の定、テントの準備を進める間にチラホラと粉雪が舞い始めました。
今回は、H師匠と自分のふたりで今年初めての冬山バリエーションに挑戦! だったのですが、この二人の組み合わせだと、
お酒飲む→寝坊する→出発が遅くなる~
という点を山の会のみなさんが心配されていました。なのでお酒は1杯だけにとどめ(飲んだんかいw)、できるだけに早々にシュラフにもぐりこみましたが、それでも1時半を回っていました。うーむ。。

DSCF5912_s.JPG翌朝5時に目を覚まし、意を決してテントの外に出ると外はすっかり雪景色&雪模様。

わーい♪と雪が大好きな自分は喜んでしまいましたが、この天気では赤岳山頂への登頂は無理そう。。

まぁ行けるところまで様子見で~と6時40分に出発。悪天候により、すでに登頂へのモチベーションが落ちているので出だしからのんびりモード。



うっすらと雪の積もったなだらかな林道を50分ばかり歩いて美濃戸山荘前に到着。
すでに山荘前は10人以上の人出で賑わっていました。天気の良い日であれば、この山荘前から赤岳をはるかに見上げることができるのですが、あたりは一面の雪、山もすっかり雪雲の中。
幸い風はほとんどなく、気温もそれほど低くはなく、たぶん体感で+2度くらい。

1fdae0f2.jpeg美濃戸から行者小屋に至る南沢ルートの入り口にトラロープが張られており、閉鎖中となっていました。
近づいて注意書きを見ると、なんでも橋が流されたとか。
ちょうど後から到着されたアイスクライマーのパーティの方にお話を伺うと、どうも2、3週間前からその状態だとか。ただ渡渉箇所に危険はないとのことなので、トラロープをくぐって南沢ルートに踏み出しました。



閉鎖中の割には踏み跡もしっかりついていて、水量が少なかったので渡渉箇所もさほど危険はありませんでした。途中でいくつかのパーティとも遭遇し、閉鎖中の割にはずいぶんと人通りが多いなぁと思ったら、下山路には注意書きが見当たりませんでした。。。うーむ。。
(閉鎖中には違いないので、通行の判断はどうか自己責任でお願いいたします。)

南沢は沢沿いに歩く緩やかなルートですが、寝不足のせいか雪道ゆえか師匠の足取りが徐々に重くなってきました。まぁこの悪天候ではどのみち山頂には登れないだろうし~ということで、のんびりペースで歩き続けました。
自分はというと、久しぶりに浸った銀世界とぱふぱふの新雪がうれしくて、すっかりはしゃいでいました。

DSCF5940_s.JPGお昼少し前に行者小屋に到着。積雪は30~40センチくらい。
小屋の前にはテントが並び、どうやら悪天候のためテント内で停滞中の様子。
上空は風が強そうで、小屋から先の道は吹雪の中。
最善の天気ではないにしても天候が回復するようだったら、バリエーションルートは無理としても文三郎尾根経由で赤岳山頂に登ろうかと考えていたのですが、まぁ、これでは無理。
同じ道をピストンしても飽き足らないので、行者小屋から赤岳鉱泉を目指し、北沢から下山するという周回ルートに変更。


停滞中の方や休憩中の方たちと話をすると、今日はみな「この天気ではね..」と、登頂を諦めて切り上げるとのこと。

この時点で、標高が高くなっただけではなく、一気に気温が下がり始め、体感でマイナス10度くらい。
動いている分には暖かいのですが、休憩していると指先がじんわりと痺れてきました。
北の国に旅立つ前に、よい耐寒訓練ができました♪
もっとも鼻毛も凍る(ほんとに)北の国に比べたら、まだまだ暖かい一日といえるかも。

DSCF5951_s.JPG行者小屋から30分くらい歩いて赤岳鉱泉に到着。
赤岳鉱泉小屋は営業中のためか、こちらはかなりの賑わい。小屋の隣にあるアイスキャンディーもすくすく成長中のようでした。

トップロープでアイスキャンディーを登っている方たちを傍で見学していると、空に雲の切れ間が。
「あ」と思ってカメラを取り出した次の瞬間には、また山頂は雲に覆われてしまう。。。ということを何度か繰り返す、そんな天気になりました。

時折眩しい陽射しが差し込む中、北沢を下山。
相変わらず山頂は雲が晴れたり、雲に隠れたり。



DSCF5977_s.JPG美濃戸山荘に到着したときには、すっかり青空が広がっていました。ただ、山頂付近のみ依然として雲に包まれていました。

午後2時半ちょっと過ぎに赤岳小屋に無事生還。て、危険なところはありませんでしたが。。
車のうえに5cm程度の積雪がこんもり。自分たちが出発した後もずいぶん雪が降り続けたのだな。。と実感。

冬季バリエーションルート! ということで、気合を入れて用意したカラビナやロープスリング、ヘルメットどころか、アイゼンやピッケルさえも使わずじまい(練習のために下山のときにピッケルとちょこっと出した程度。サラ雪で積雪量が少ないので制動もかけようがなく、ストック代わり)。
久しぶりに雪にまみれることができ、楽しいスノーハイクでした。

あーやっぱり雪はいいなぁ。。と、身も心もリフレッシュ。
なにしろ前世はペンギンだったと信じてやまない人間ですので。
生まれ変わったら、また雪と氷の世界に閉ざされたいです(本気か?)。
Posted by norlys - 2007.11.18,Sun
今週の木曜日に開催された、山野井泰史さんの講演会の感想をようやく書こうかと。
でもスライドショーの具体的な内容にはほとんど(まったく?)言及しません。
個人的な雑感です。

子供の頃、外に雪が激しく降って家に閉じ込められた日には、かつては山男だったという父親の書架を漁って山の絵葉書を眺めたり、新田次郎の著作などの山岳小説を読んで、どこかにある遠い山や生死を分けるほどの厳しい寒さを想像していました。
(雪国育ちの乱読家の典型ってやつです。長い冬は書物の中で旅をするという。)

ちなみに、一番好きな冒険物語は、山の話ではなくて、ヘイエルダールの「コンチキ号漂流記」という海が舞台のノンフィクション。ホントに底抜けに面白いです。
山の物語は、選ぶのが難しいけれど、(純粋な山岳小説に絞らず)「冒険」という観点からいうと高木正孝著の「パタゴニア探検記」に一票。

山岳小説は、その多くが悲しい結末を迎えたりするので、これ面白いよ! 的な優劣はつけがたいです。。

山を登るようになって、山野井さんという方がいるということを知り、なんでもすごい人らしいぞ…ということで、氏の著作である「垂直の記憶-岩と雪の7章」を読んだのは、去年の秋か冬の頃でした。

青年期のヒマラヤへの憧れ、単独行を選んだ理由、数多くの困難なアルパインルートでのソロ登攀成功、そして2002年、ギャチュン・カン(わたしはこの山の名前がどうしても覚えられない)の登頂後のアクシデントからの生還-と、山野井さんが自らのクライミング人生を回顧した記録が、裏表のない実直そうな筆致で綴られています。

この本を読む間、なんども「山野井さんはちゃんと生きて還ってきてこの本を書いたんだからだいじょうぶ」と自分に言い聞かせましたっけ。後半に近づくにつれ、なんだか今にでも哀しい結末が待ち構えているようで、ヒヤヒヤしながらページを繰った覚えがあります。

さて。
講演会が始まり、都岳連の司会の方がご挨拶を終えると、ひょっこりと人懐っこい表情の山野井さんが押し出されるようにして会議室の前中央に進み出ました。

DSCF5554_s.JPG山野井さんが20代の頃には「(日本で? 世界で?)もっとも危険なクライマー」と呼ばれていたとか。
本とかエッセイとか、メディアを通じてしか知らない、そんな山野井さんの印象が自分の中で強烈すぎて、目の前にご本人が立って話していることに、われながらしばし呆然。

うわーホンモノだ。て、当たり前ですが。
写真のまんまには違いないけれど、動いている姿は写真よりも若々しいし、そんなに変わった人に見えない~と、またまたしばし呆然(失礼でなければよいのですが。。ミーハーです。すいません…)。

グリーンランドでのビッグウォール初登攀がメインの講演会でしたが、その前に2005年や2006年のクライミング実績の報告もありました。


2006年に山野井さんがネパールのパリラプチヤ北壁を目指したとき、自分は山野井通信の更新を今か今かと-同時におそるおそる-待っていたひとりですが、いざ更新されると、「敗退を決めた」というような内容の簡潔な文章だけがぽつりとあって、あれ? と拍子抜けしたことを思い出しました。

「うーん、なんだろう。今の僕にはヒマラヤは無理だと思ったんですね。正直怖いというか…」という言葉を直接耳にして、すっと自分の中のモヤモヤが霧散したような気がしました。(山野井さんの台詞はうろ覚え~です)

敗退を決意するのはそうそう簡単なことではないと思います。時間もお金もかけてここまで来た、今度はいつ来れる? 前進か撤退か、答えはYesかNoしかないのに、どこかに絶妙な妥協点はないものかとギリギリの計算が最後まで働くハズ。
そのギリギリの計算の過程が、なんだか圧倒的な重みをもって伝わってきたような気がしたというか、なんというか。
うーむ、さすが山野井さんレベルになるとオーラが違うなー、というか。
講演会に行ってよかったと、まじまじと思った瞬間でした。

ギャチュン・カンの下山時に嵐に巻き込まれ、奥様の妙子さんと共に奇跡の生還を果たしたものの、山野井さんは生の代償として手足10本の指を凍傷で失われました。

そのため、以前のようなアグレッシブな登攀をこなすことは困難になったものの、結果論を何度も繰り返すよりも、今自分ができる範囲でベストのクライミングを楽しんでいこう、もっと先に進んでいこう、という山野井さんの姿勢がとても印象的でした。

そんなわけで、グリーンランドのクライミングの様子も実に楽しそうでした。
グリーンランドなんてなかなか気軽に旅行で行けるところではないので、正直うらやましいー。
「もっと困難な登攀を目指してもいいかなと思った」くらいだそうなので、次はどんな山を目指すのか、幸運にも同時代を生きる者としてまたーりヲチさせていただきたいと思います。

あと、会場にはいらっしゃいませんでしたが、奥様でもありクライミングのパートナーでもある妙子さんのことを語るときの山野井さんの表情もとても印象的でした。
事前情報をとりこみ過ぎて、自分の目にややフィルターがかかっていることは否めませんが、彼の文章そのままに実直で真摯な印象を受けました。

たとえば、こんなの-

我が家では、片方が死んだときの約束がある。
それは墓を立てる代わりに木を植えることだ。
僕が死んだらカブトムシやクワガタがたくさん集まるようにクヌギの木を、妙子が死んだら柿の木を……。
あまり自分から果物を食べない僕だが、柿だけは好きだからだ。
多分、妙子は一人でも生きていけるが、僕は一人で生きていけないような気がする。
きっと歳をとり老人と呼ばれるようになっても、僕たちは生きているかぎり一生登っているのだろう。


「垂直の記憶-岩と雪の7章」の中のミニコラムの一文です。(´;ω;`)ブワッ
 
Posted by norlys - 2007.11.16,Fri

今日は仕事の帰りに池袋まで出て、都岳連主催の山野井泰史氏講演会 「グリーンランドのクライミング報告」に行ってきました。

山野井氏は、現在日本を代表するソロクライマー。
氏の略歴はWikipediaにて、最新情報はエバーニューのWebサイトに掲載されている「山野井通信」で。

今日は仕事でイラレと格闘したうえに、スライドに見とれてしまい若干眼が疲れ気味なので、感想は後日。

(これくらいは見逃してやってくださいまし。。。)

Posted by norlys - 2007.11.07,Wed

先週の日曜日に信越トレイルを歩いてきました。
といっても、万坂峠と袴岳(2.8Km?)の往復という、ほんのわずかな一部分に過ぎませんが。

自分は今回初めて信越トレイルなるものの存在を知りました^^;

信越トレイルクラブのWebサイトはこちら
ルールやマップが掲載されています。

信越トレイルは長野と新潟の県境に位置する関田山脈にあるトレッキングルート。
標高1000m程度の里山や16の峠をつなぎ、13市町村にまたがる全長80Kmにおよぶロングトレイル。
信越トレイルクラブというNPO法人や地元の方たちが協力してルート整備を行っているそうです。

万坂峠から袴岳の区間は、ブナとダケカンバの林の中を九十九折に縫って歩くとても気持ちのよいコース。
途中で小さな湿原もあり、袴岳からは斑尾方面の展望が開けていました。

DSCF5491_s.JPG
袴岳への登山道には、かつて直登ルートがあった名残が見受けられました。
信越トレイルの整備の際に九十九折のコースに変更したのでしょか。

直登でもさほど急な坂道ではありませんが、九十九折の道の方が風情があって断然Goodです。
てくてくハイキングにも、トレイルランにもぴったり。


いつか機会があったら、全工程とはいかなくても、信越トレイルを走ってみたいです。

そしていつか、年齢的にハードな山登りは難しいなという日が来たら、こんな風にのんびりと里山を逍遥してみたいな。。。とも。
こういうトレッキングルートがもっとたくさん整備されるといいなぁ。。

山を去るのが本当に名残惜しくて、なんかいつかふっと気の迷いで街に下りない選択をしてしまうのではないかと思うとヒヤリ。。
 "山も岩もほどほどがいいですよ" というEさんの言葉を戒めとして何度も噛み締めてみたり。

Posted by norlys - 2007.11.05,Mon
週末は戸隠に遠征して、高妻山(ピストン)+戸隠山を登ってきました。
秋晴れの気持ちの良い日で、高妻山からは北アルプスが一望~。
戸隠山では、念願の蟻の戸渡りを馬乗りで乗り越えて通過。

翌日はのんびり起きて、ふらりと信越トレイルのほんの一部(万坂峠→袴岳 往復)を歩き、燕温泉の黄金の湯につかってから帰京。渋滞の信越道が一番の核心だったかも。。

と。簡単に言うと以上。

なが~い山行記録は以下続く。

金曜日の夜に都内で集合し、関越道でGo。直前でバタバタとキャンセルが相次ぎ、遠征組は8人の大所帯から5人に減。車2台の予定も1台に変更。

高速道路をすっ飛ばして、午前0時過ぎに長野ICで下車。下道は延々と続く細々とした山道。きっと昔、馬や徒で人が通ったのだろうなと思われる峠道。深夜だったので景色が見えずに残念。日中に走ったら、とても気持ちの良いコースなのでしょう。
ただ、アップダウンが厳しいので、車に酔いやすい人は信濃町ICからアクセスがおすすめのようです(よくわからないけど)。

戸隠キャンプ場に到着したのは午前0時半過ぎ。空気がしんしんと冷たく、空には一面の星。
駐車場にテントを張り、軽く乾杯の後ほどなく就寝。

DSCF5274_s.JPG翌朝は5時半に起床。外はピリっと冷えた空気。手袋をはめていないと指先の感覚が奪われそうなほど。
でも気持ちいい。冬は早朝、けだし名言(まだ秋だけど)。

みんなは「寒い寒い」と寒さと眠さであまりテンションが上がらない様子。その中でひとり浮かれてはしゃぐ自分。
空は澄んだ青空。東の空に鱗のような羊雲の一群。最高。

こちらで山の勉強をされているSさんとも無事合流。お久しぶりです。



ぼちぼちと出発の準備をして、戸隠牧場前の駐車場に移動。すでに山登りの人の姿がちらほら。
さすがに紅葉の時期が終わったせいか、有名ドコロにもかかわらず予想よりも人出は少ないようでラッキー。

DSCF5278_s.jpg屏風のようにそびえる戸隠の山を見上げつつ、6時40分過ぎに戸隠牧場から歩き出し。
牧場の草の緑、白樺やダケカンバの樹木の白、落ちそびれた紅葉の葉のコントラストがただただ目に美しいです。

しばらくは沢沿いの樹林帯歩き。1日で高妻山と戸隠をいっぺんに登ってしまおう~ということで、日帰りの軽装なのでサクサクと高度を稼ぎます。




沢沿いの道筋が、沢の脇を登るようになったところで、細い鎖が登場。
「鎖場」と聞いただけでご飯3杯はイケるくらいのクサリバスキーなので、一気にテンションが急上昇。
岩が濡れているので下りの場合は安全のために鎖を使うのもアリかもですが、登りの場合は不要かも。

右手にナメの不動滝を見ながら鎖のあるトラバースを越えて(ここはそれなりに高度感あり)少し行くと、氷清水に到着。ちょろちょろと水が出ています。
「呑んでも大丈夫だと思うけど、上に避難小屋があるから…」と、自分以外は誰も手をだしませんでした。自分もちょろっと嗜めた程度。やっぱり上に小屋がある水場はイマイチ不安。。

8時ちょうどに一不動避難小屋に到着。コースタイム2時間のところを1時間40分で登ってきたことに。なかなか良いペースかもとちょっとうれしくなったり。

なにしろこの日照時間の短い時期に、全工程約11時間半のロングコースを歩くので、早い段階で時間を詰められればそれに越したことはありません。

一不動避難小屋は環境保全のため緊急時のビバーク目的以外の利用を避けるように呼びかけがなされています。100名山である高妻山と、有名な戸隠山を一度に制覇しようとすると、この避難小屋を利用するのが便利かもしれませんが、利用者が多くなってきたことから環境に対してオーバーロードになってしまっているそうです。

バイオトイレ設置のために登山客から入山料を徴収するとか(痩せ尾根が多いから難しいかな)、入山時には簡易トイレの携帯を義務付けるとか、なにか良い方法はないものでしょか。

一不動避難小屋前で休憩した後、いざ高妻山へ。尾根伝いにアップダウンの続くルートで、左右の見晴らしがとても良い気持ちのいい山道。
平坦な箇所や下りでは思わず小走りしたくなるところを、足の大事を考えてぐっと我慢。ハセツネからまだ2週間しか経っていないので、無茶は禁物。

二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵と過ぎて、9時15分に五地蔵岳で大休止。
ずっと姿は見えているものの、高妻山はなかなか近づいてくれる気配なし。

六弥勒、七観音と小ピークを通過した後、少しずつ登りが厳しくなり、八薬師を過ぎると高妻山に向かってぐんぐんと標高を稼いでいきます。
九勢至から先は、胸突き八丁という感じで次の足場が目の前にあるようなやや岩ガレの道。
でも今までの道のりが割合と平坦だっただけに、ぐっと高度を稼げる道は、辛いけど楽しいです。

「あれはきっと偽ピークなんだよね」「がっかりしないで済むように偽ピークだと信じよう」と、ずっと見えていた山の高みは、話のとおり偽ピークでした。一息ついて岩場がちの道を歩き、十阿弥陀を通過。十阿弥陀は、それまでのどの仏様よりもご立派。

岩場を歩いて高妻山山頂に到着したのは10時40分過ぎ。

DSCF5332_s.jpg西の方角を見やると、北アルプスが一望。
標高1700mくらい? から下の部分はうすーく霞がかかっていて、その上は澄み切った空気。
Far above the clouds-雲の遥か高みに、北アルプスの峰峰が浮かび上がるように連なっていました。
チューブラーベルの、あの澄んだ音がなり響いてもおかしくないくらい、ちょいとドラマチックな風景。

あれは白馬、大雪渓が見えるよ、あれが杓子、白馬槍、唐松に五竜。。。槍も見える~。。。と、わいわいと同定しながら写真を撮りまくり。

11時間半のロングコースということをしばし忘れて(自分はすっかり失念していました。すいません^^;)、山頂でのんびり休憩。

高妻山山頂をすっかり満喫した後、いざ下山。

十三仏のうち11番目以降は、高妻山から先の乙妻山に続く道にあるので、ほんとうは乙妻山の山頂まで至らないと、修験道としての十三仏参りは完成しません。が、乙妻山まで往復するには時間がなく。。
残念ですが、100名山に名を連ねる高妻山山頂にて折り返し。

途中、もし一不動避難小屋に到着するのが14時前になるようなら、戸隠山へ行くのはあきらめないといけないかも。。。という話をしながら、避難小屋にたどり着いたのは13時8分(細かい)。

この時間なら大丈夫だと思うけれど、もしかすると奥社の手前でヘッデンのお世話になるかも。。ということで、めいめいヘッデンのしまい場所を確認。

体調のすぐれないUさんが避難小屋から戸隠牧場に下山するのを励ましながら見送り、再び出発。

細かいアップダウンの続く道ながら、高妻山よりはまだ気持ち楽かな。。と思いながら歩き始めました。
しばらくは戸隠山から下山する人たちとすれ違いの連続。「今から登るんですか?」と声をかけられたり(苦笑。。)。
九頭竜山の道標が見当たらず、もう通過したかまだなのか。。とはやる気持ちで山道を急ぎました。
ところどころスパッと片側が切れ落ちている箇所があります。
修験の山だ~とワクワクしながら、鎖場や岩場の登場を心待ちに歩みを進めると、14時35分過ぎに戸隠山山頂に到着。ここでまた休憩。

自分は用意した1.5リットルの水をすっかり飲み干してしまったので、Nさんに分けていただきました。
秋だからそんなに呑まないかなぁと思ったのですが、思ったよりたっぷりと水分を摂ってしまい。。
1日の行動時間が長い分余裕を持って考えるべきでした。反省。。

DSCF5377_s.jpg15時ちょうどに八方睨みに到着。いよいよ本日のメインイベント、蟻の戸渡りのご登場。
ココロの準備をする間もなく、目の前に両端の切れ落ちた岩の道が続いています。
途中からトラバースルートもあるのですが、せっかくなので蟻の戸渡りを歩きました。
立って歩く勇気はなく、ひたすら馬乗りになってじわじわと前に進みましたがw

いやはや。この道をわざわざ歩こうだなんて、いったい誰が考えたんでしょうかね。
手足のホールドはふんだんにあって、慎重に進めばそれほど危険ではありませんが、それでも高度感は抜群だし、万が一にも滑り落ちたらまっさかさま。。と思うとちょっとこわいです。

どうせ落ちるなら、右と左なら、(下って)左側の方が生還率が高そうだ…という話をしつつ越えて行きましたが、どちらにも落ちたくないです。。。

蟻の戸渡りを過ぎると、鎖のある岩場の下りが連続します。
鎖はあくまでも補助用に。。という感じで、それほど危険な箇所はありませんが、疲れてきて集中力が切れるとこわいので、慎重に。。

DSCF5430_s.jpg鎖場を過ぎて、五十間長屋、百間長屋。。と岩場の軒下を通り、枯葉の敷き詰められた尾根道を下っていきます。
だんだんと夕陽も傾きつつ、果たしてヘッデンのお世話になるかなならないかな。。と急ぎ気味で道を駆けてい
くと、奥社の屋根が見えてきました。良かった。

奥社からの登山道入り口に到着したのは16時19分。奥社は山の陰にあるので周囲はほんのりと暗くなってきましたが、まだまだ観光客で賑わっています。うーむ、観光地。下界に下りてきたという感じ。

奥社にお参りをし、杉の巨木が並ぶ参道を歩いて駐車場に。先に下山したUさんが奥社の方に車を回しておいてくださったので、ささやきの小経をスキップできてラッキー。ありがとうございます。

戸隠牧場側に移動し、駐車場そばのお蕎麦屋さんで新蕎麦をいただきました。
これぞ「そば!」というかぐわしい香りがして、ほんのり甘みのあるおいしいお蕎麦でした。
ひと心地ついた後で、温泉に行ってほっこりと温まり、Sさん宅を目指す途中のスーパーで買出しをし、宴会。

さすがに長い一日だっただけあって、ビールがうまい。料理もうまい~。
でも、お酒もそこそこにみんな早々に潰れてしまいました。
お酒のせいではなく、眠気のせいで後半は途切れ途切れにしか記憶がありません。。

念願の戸隠山を、おまけに(どちらが本命?)百名山の高妻山を一度に登ることができて、とても充実した山歩きでした。
ハセツネに比べたら11時間の道のりもまだまだ~…と、ついつい自分の中にハセツネ基準が構築されていることに苦笑したり。。まぁ、無茶は禁物ですが。

秋枯れの山々は、さすがに人気の山域であってもそれなりに静けさを満喫することができて、大好きです。
滑りやすいので要注意とはいえ、踏みしめる落ち葉の匂いに癒されます。春夏に比べれば見通しもぐっと良いし。
秋は岩の季節~と思いつつも、やっぱり山歩きは楽しいなぁ。。。と。

信越トレイルについては、またこんど。
Posted by norlys - 2007.10.22,Mon

ハセツネこと「第15回 山岳耐久レース 長谷川恒夫カップ」が終了しました。
24時間の制限時間内に、71.5Kmの山道を走る、というレースです。
コース全体の概念図はこちら

結果は、18時間43分24秒でなんとかゴールイン。
完走というよりも、わたしの場合は無事「完歩」というのが正しいのですが。

山の会からは自分を含めて4名が参加し、みんな無事にゴール。
みんな、ほんとうにすごい。パチパチ。

山を登るようになってからネットで情報を拾ううちに、ハセツネなるレースがこの世にあることを知り、かねがね「いつかは参加してみたい。。」と思っていました。

興味があった一番の理由は、夜に山を歩いてみたいけれど、ヒトリではちょっと怖い。。ハセツネのような大きな大会なら人がたくさんいるから怖くないかも~と。なんて、ビビリな動機^^;

あと、学生時代はマラソン大会や長距離走が大の苦手だった自分ですが歩くことは大好きなので、ハセツネなら時速3Kmペースをキープすればなんとかゴールできる、つまり歩いても完走(言葉が矛盾しているような)できるかな、と。

大会3ヶ月くらい前からジョギングやコースを試走して体をつくっておいたほうがいいと言われつつも、やはり走ることは苦手でほとんど練習らしき練習はしていませんでした。

まぁ参加することに意義があるということで…と半ば自嘲気味になりつつ、当日の朝大会会場に着くと、周囲にいる人がみなトップアスリートに見えて(まぁそうなんですが)、びびりまくり。

過去の大会に参加した実績のあるY君やH師匠、ハセツネは初参加だけどマラソン大会の出場経験のあるSさんのアドバイスやサポートを受けてぼちぼちと支度を進めるも(みなさま、本当にありがとうございました)、会場の雰囲気に呑み込まれそう。あまりに圧倒されてもう鼻血がでそう(でなかったけど)。

午後1時に、本部会場のある、あきるの市立五日市中学校校庭の校門からスタート。
前日の晩に雨が降ったものの、大会当日は見事な秋晴れ。暑くもなく寒くもなく、まさにトレラン日和。

自分はのっけから歩く気まんまんだったのですが、周りの人々が走り始めるのにつられて足を運んでいました( ̄ー ̄;)
出だしのロードから今熊神社の山道に入ると一気に団子状態。
楽器を奏でる人も歌う人もいないけれど、なんだか昔テレビで見た南米の巡礼登山みたいだな。。。と思うと、なんだか楽しくなったり。

途中でSさんが走る方が(ペースが)いいみたい、ということでさっと前に出て行くのを見送りながら、自分も行列の中で歩みを進めました。Sさん、さすが。早いなー。

H師匠いわく、醍醐丸あたりで団子状態が解消するとのことでしたが、今年は参加者数が多かったせいか、団子状態はなかなか解消せず。無理して追い越しをかけるとかえってヘバりそうだったので、団子の一員になって黙々と歩き続けました。
アップダウンがありながらも生藤山までは登りの方が多いので、割合のんびりしたペースで歩き続けたのは良かったのかも。

徐々に周囲が暗くなり始め、連行峰でヘッデンを装着。これが初めての休憩。「長く休憩をとらない方がいい」というY君のアドバイスが脳裏をよぎり、ヘッデンを取り出しただけで再び歩き始めました。

生藤山は1年ちょっと前に山の会のお試し山行で軍刀利(グンダリ)沢を遡行したときに踏んだ山頂で、懐かしいなぁ~と思いながら通過。

ここまできたら、第1チェックポイントの浅間峠(22.66Km地点)まで休憩ナシで午後6時半には到着できるかな。。。と、歩き続け、第1チェックポイントに到着したのはスタートから5時間34分53秒後(ICチップで計測しているのでリアルタイムで速報がでます。便利ですね)。
このペースを維持できれば24時間以内にゴールできるかも。。でもまだコース全体の3割かぁ遠いなぁ。。と逡巡しつつ、チェックポイント脇の休憩所で10分ほど休憩。

第1チェックポイントまではトレッキングポールの使用が禁止されていますが、いよいよコイツの出番だとポールを伸ばして再始動。

浅間峠から三頭山に至る笹尾根はとても気持ちの良いルートだそうで、いつかは歩いてみたいなぁと思っていたところ。
この機会に歩けてうれしいなぁ。。でもまわりが真っ暗でなにも見えないやー( ̄▽ ̄;) と、ココロの中でヒトリぼけ&突っ込み。

微妙にまったりペースなので、もう少し速度を上げたいなぁと思いつつも、集団の先頭の方がちっとも道を空けてくれません。後ろを見ればヘッデンの灯りの列がずらり。先頭のストッパーの人、マナーが悪いなぁ…と内心文句をたれるも、第1チェックポイントを過ぎたあたりから左膝が痛み始めていたので、一気に抜け駆けする気力はなく。

結局、笛吹峠で集団が一瞬バラけた隙を突いてようやくストッパーを追い越しました。
しばらくは行けども行けども前を歩く人がいません。ストッパー、恐るべしw
さらに、木々の隙間から星や月が見え隠れするのに、周囲はガスガス。50m置きに設置されているというルート案内を見るたびにホっとしながら夜道を走り…もとい、歩きました。

西原峠に到着したところでしばし休憩。だいぶ冷え込んできたので上着と手袋を装着。
それまでも足を痛めたのか小休止…という人が道端にちらほらいましたが、この辺りの道端ではどうやら本気寝している人が増えてきました。
ちゃんと起きれるんだろうか。。。と自分まで不安に。

しばらく行くと、今度は別のストッパーに捕まりました。この先三頭山まで急登が続くのでペースが落ちるのは仕方ないし、山道が狭いので道を譲るのが難しいのはわかりますが。。
ストッパーさんのペースで歩いていると時折ふら~っと眠気が襲ってきて、これはマズイなぁと登り斜面でひとりずつ抜いていくようにしました。山女の意地の見せ所!と、下りで一気抜きをしたかったのですが、左膝がどうにも調子悪く。。残念。

なんとか三頭山避難小屋に到着した時点で残りの水がわずかになってしまい、「指定水場以外で補給を受けたらアウト」という大会規則を噛み締めながらも、運営の方のテント脇に並んだポットやペットボトルを心底羨ましく眺めたり。

まぁ気温もだいぶ下がってきたし(手元の時計で6.6度でした。体温も計測されているので、実際の気温はもっと低いはず)、三頭山を過ぎれば下りメインだから第2チェックポイント(42.09Km)まで頑張ろう。。

スタートから約38Km地点、水の補給を受けられる第2チェックポイントまであと4Kmというところで、ついに水がなくなりました。
まぁあと4Km、あと1時間なら水ナシでも大丈夫、でも今一番なにがほしい? と聞かれたら、「水、とにかく水」と答えるだろうなぁ。。と自問自答。

スタートから11時間4分2秒、約24時過ぎにようやく第2チェックポイントに到着。やったー、水だ、水が呑める~と、喜び勇んで水の補給を受け、トイレに行き、しばらく休憩。食欲はあまりないけど、とにかくなにかお腹に入れておこう。。と思ったら、あれ、行動食袋がない。。

おかしいなぁ。。と水の補給所に戻って尋ねると、ありました。ほ。
喜び勇んでプラティパスを引っ張り出す際に転げ落ちたようです。危なかった。。

さて、もうちょっと休憩しよう。。。と、地べたに座り込んだとき「あれ?」という声が。おおーH師匠ではありませんか。なんて奇遇。

動くと暑いのに、停滞するとたちまち身体が冷えるので、ぼちぼちと再出発。
第2チェックポイントを過ぎると人もまばらになり、ようやくのびのびと歩けるようになりました。

山道の幅も広くなだらかな登りが続き、いつの間にかガスも晴れて暗闇の中に山のシルエットが浮かび、山頂に誘うようにヘッデンの灯りがちらちらと揺れて動き、見晴らしのよい場所からはオレンジ色の絨毯のように街の明かりが見えました。

さて。御前山の手前の急登を登っているときに、ふっとお腹の中で真っ黒い塊が暗い穴の中に落ちていくイメージが浮かびました。親指と人差し指を輪にしたくらいの大きさの暗い塊が、真っ暗の底なしの穴にすーっと落ちていくのを俯瞰している。。という感じ。

大会の1週間くらい前から、胃の上部、右肋骨の直下辺りが猛烈に痛くなり、しばらくぼりぼりと胃薬を飲み続けていました。食欲はあるし、その他に顕著な症状はないけれど、とにかく胃が痛い。
なので、このイメージが頭に浮かんだ瞬間、「あ、できものが落ちた」と妙な確信を得ました。

あまり神経質になっていた自覚はありませんが、どこかで気に病んでいたのかな。実際、大会が終わってからは胃の痛みは収束気味。
過去のさまざまな場面でもこれほど胃が痛んだことはないので、気持ちよりも身体の方がナイーブになっていたなんて…と思うと、我ながら不思議。

登りはともかく下りになると左膝の痛みがいよいよ増してきたので、御前山の山頂直下の休憩所の端っこでテーピング。ちょっとだけ楽になったようなならないような。膝頭のあたりを押すと、ちょっとぷよぷよしていて、うーん水が溜まったかもなぁとガッカリ。

歩けないわけじゃないし、毒食わば皿まで。
行けるところまでいってみようと歩き続けました。
それでもまぁ、大ダワまでの下りの連続の辛いこと、辛いこと。
よく踏まれている登山道だけにトゥルントゥルンです。雨が降らなくてほんとうに良かった。。

さすがに12時間近くも行動し続けているので、ところどころ睡魔の波に襲われて、道端やベンチの上で5分ほど睡眠をとりつつ、じわじわと前進。

鋸山から大岳山、大岳山からゴールまでの道のりはかつて歩いたことがあり、未知の山道も楽しいのですが、既知の山道を真夜中に歩くことが新鮮で楽しかったです。
また大岳山の山頂直下には簡単な岩場があり、良い気分転換になりました。

午前5時過ぎに大岳山山頂に到着。そうそうここは見晴らしの良いところ~と、束の間眼下に広がる夜景を堪能。

さぁ次は御岳~と歩き続けると、御岳に近づくあたりで空が白んできました。
地平線間際に一条の雲、それ以外は雲ひとつない快晴の空。

地平線上にタンジェリンレッド、オレンジ、レモンイエロー、エメラルドグリーン、スカイブルーの色彩が薄い帯状に重なり、そこから天上までは群青と濃紺のグラデーション。
うは、朝焼けでグリーンフラッシュ! と大感動。眠気もすっかり吹き飛びました。

hasetsune_mitake.jpg←もうちょっと明るくなってから携帯で撮ったピンボケ写真。
とにかくキレイでした。

夜間登山、本気でハマりそうです。
というか、ハマってますな。すでに。




周囲が徐々に明るくなって、ヘッデンのお世話にならずに歩けるようになり、とにかく気持ちの良い朝。
こうなったらご来光は、その名にし負う日の出山で…! と、頑張って歩き続けました。

hasetsune_hinode1.jpg日の出山の山頂手前で運営の方から「最後の登りだよ、ガンバレ」という声をかけていただき、よーしそれならパパがんばっちゃうぞ~、と再奮起。て、パパじゃないけどw

日の出山山頂の見晴らし台で、しばしぼーっと昇る太陽を眺めていました。
(走れよ、というツッコミはナシでよろしくです)



hasetsune_hinode.jpg10月21日の日の出は5:52でしたが、地平線すれすれに雲の層があり、雲の層から太陽が顔を出したのは6時ちょっと前。間に合った~。

さぁ、後はアップダウンも緩いし、一気に下るのみ。相変わらず左膝は痛みますが、ひたすらゴールを目指して頑張ってみました。
日の出山からゴールまでは、トレイルランニングらしく、下りと平地でちゃんと走りました。




金比羅尾根の登山道入り口を抜けると「あと1.5Km」という声。
普段なら1.5Kmでさえ走るのは厭だなぁ…と思うのに、すでに70Kmの道のりを辿ってきた自分なので感覚がかなり麻痺しているのか「うは、もうちょっと~」とのろいながらも本気で走りました。

そんなこんなで午前8時ちょっと前にゴール。
ゴール直前で自分が落とした手ぬぐいを拾ってくださった方、すいません。ありがとうございました。

その後はしばらく待機場所の体育館でゴロ寝。もうとにかく眠いのなんの。
先にゴールしていたY君やSさんはすでにひと眠りし終えてスガスガしい様子。すごいなぁ。

とにかく着替えだけでも済まさねば。。とヨロヨロとトイレに行き、顔を洗って、ふー。少しだけすっきり。
少しの間寝て、起きると全身筋肉痛。もうボロボロ。
再度眠りこけて起きたら、今度は少しだけ復活していました。が、歩き方は完全にロボット。

会場近くのメシどころで簡単な打ち上げをして、疲労と眠気に襲われつつなんとか家までたどり着き、念願のお風呂に入ってあとはコンコンと眠り続けました。

ハセツネの大会運営の手際の良さには定評がありますが、今回自分が参加してそのことを実感しました。
要所要所に運営の方が控えていて声援を贈ってくださったり、ルートミスをしないように全コースに渡ってチェックがなされていたり。。
事前の準備から大会当日までに割く時間を考えると、参加者以上にたいへんだったのではないでしょか。
とにかく走り(歩き)続けることができたのは、運営の方のご尽力が大きかったなぁ、と思います。
自分の力だけではなく、運営の方々、一緒に参加してくださった方々、応援メールをくださった方々、みなさんに「走らせていただいた」、という気持ちが大きいです。
ほんとうにありがとうございました。

また来年も参加しようとはあまり思いませんが(今のところ。。)、今回ハセツネに参加してほんとうに良かったなぁと思います。
無事に完走(いや完歩)することができたことで、なんというかすごい達成感。
大げさにいえば、Before ハセツネとAfter ハセツネで、なにかが自分の中で大きく変わったような。。
いや、実はあまり変わってないんだろうと思いますが、なんとなく。
最近マラソンに嵌る人が多いそうですが、この達成感が人気の理由なのかな。
(あ、あとお肌には良いかも。なんかそれはもう色々と出まくった気がします。デトックス?)

ただ、普段あまりハードな運動をしない自分にとっては身体の負担が大きいので、個人的にはもうちょっと短いルートで楽しくオーバーナイトトレッキング♪とかが良いかも。。

最後に。
今回のレースではたいへん不幸なできごとがありました。謹んで故人の方のご冥福をお祈り申し上げます。楽しいはずのレースでご不幸が起きたことはほんとうに残念です。

 

おまけ。左膝の痛みですが、サポートタイツを履いてストレッチしたらめきめき回復中。階段の上り下りの痛みがなくなりました。良かった。。

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自己紹介:
Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。

色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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