去年の12月に悪天候で敗退した赤岳主稜にリベンジ。今シーズン初の冬山。
出発前の金曜日のお昼に天気予報をチェックすると、土曜日の天気は大丈夫なもののアタック予定の日曜日に低気圧の前線が接近とのこと。
これは微妙だな。。ということで急遽、伊豆方面で岩に変更しようかな。。と思いきや、伊豆の天気はもっと微妙で、まだ八ヶ岳の方が晴れの確率が高いので、迷いが吹っ切れる。
出発当日の土曜日の朝4時にWNの最新の野辺山地方の天気予報をチェック。心配していたよりも前線の発達が遅れている様子。予報によれば、「日曜日の9時までは晴れ、以降曇りで夜9時から雨」とのことなので、お昼過ぎまでに安全なところに戻っていれば大丈夫だろうと、撤退覚悟で出発。
■1日目: 美濃戸口-美濃戸山荘-南沢-行者小屋
朝9時半に美濃戸口に到着。都内には雲がかかっていたけれど、こちらは無風快晴。駐車場はすでに6割方埋まっている。
駐車場管理のおじさんに「お天気どうでしょうね~?」と尋ねると「山の天気は分かんねぇや」とのこと。そらそーだ。おじさんが正しい(笑)。
装備を整えて9時45分に歩き出し。まだ林道にはほとんど雪がなく、ぽかぽかと暖かい陽射しのおかげで暑い。雲ひとつない見事な青空。あぁ、明日もこんな天気だったらいいのね。。ま、無理だろうけど~、と話ながら歩く。
行動食を少し食べて、早速南沢方面に出発。登山道はまだ土が剥き出しでぬかるんでいる。雪が積もればもう少し平坦になる道も、岩が剥き出しなので厭な感じ。
最近はフリークライミングばかりで重荷を担いで歩き続ける力が格段に衰えているので自分が先頭を歩かせてもらう。南沢はだらだらと長く樹林帯が続き、どこまで歩いても風景が変わらない気がする。
標高1800mを過ぎた辺りからようやく周囲がすっかり雪景色に変わり、冬山気分が盛り上がる。標高2000mを過ぎると気温がぐっと下がり、動いている限りは大丈夫だろうと高を括っていたら、段々と指先がじ~んとしてくる。美濃戸口(標高約1500m)と同じレイヤリングのままだとさすがに冷える。
行者小屋に到着した時分も無風快晴。
小屋は横岳、赤岳、権現岳、阿弥陀岳と、どーんと山に囲まれた場所なので、あちこちを見回してむは~と喜び写真を撮りまくる。
行者小屋は冬季休業中。ただし年末年始の営業に向けて準備中のためか入口が開いており、小屋名物「おでん」の入れ物が見えました。いいな~、おでん。
小屋前のスペースにはすでにテントが4張。あんまり人の出入りの多いところだとうるさいからと、少し離れたテントサイトにテントを設営。雪がぱふぱふ過ぎてスノーブロックが作れないところ、Y氏が一生懸命ショベルで小さな壁を築いていました。
テントに荷物を収納し、温かい飲み物を頂いて休憩。はー重かった。しんどかった。
しばらくすると赤岳鉱泉からテント代の徴収に係の人がやってきたのでお支払い。ひとり千円也。(高いなぁ
水を作るために雪を集めておいたのだけど、係の人が水場がありますよ、と教えてくれたので、プラティパスをつかんで水を汲みに行く。
あの辺りでトラバースなんじゃない? で、あれがチムニー、その上が中間の岩場で、あのでかい三角形の岩の右端が核心の6ピッチの開始地点では~、と、事前に本やネットで調べた情報と照らし合わせて、なんとなく「大丈夫」という気持ちになる。まぁ、なんとなく。
↑赤いラインが今回登ったルート。
その後、テントに戻って夕食の準備。お米を炊いて、粕汁風味の豚汁を作る。鼻詰まりの自分が食担なので、味がどうだかはわからん。生きているから大丈夫なんだろう。同時に、明日の装備の準備。
赤岳主稜は人気ルートでしばしば渋滞するというし、遅い時間になればなるほど天気が悪くなるのは間違いないので、なるべく早めに出発しよう、ということで朝4時起きの5時半出発を目標とする。
日没と同時に急激に気温が下がってきた様子。多分マイナス12度くらい。でもテントの中は温かい。3シーズン用だけどね。
寝る前にトイレに行こうと表に出ると、空には満点の星。風もない。あぁどうか、明日の昼まではお天気がもちますように。。
そんな感じで午後8時には就寝。
■2日目: 行者小屋-赤岳主稜-赤岳山頂-文三郎道-行者小屋-南沢-美濃戸山荘-美濃戸口
目覚ましが鳴った記憶はないけれど、朝4時だよと起こされる(汗。。気付かなかった)。
まだ外はどっぷり暗い。風はなくしんと静まり返っているけれど、時折どこか遠くで人の声がする。もう起きて準備をしているんだろう。3時にトイレに行ったときに、すでに灯りが点っているテントがあった。
ザックにつけてある温度計を見るとテントの中でもマイナス13度くらい? 寒いけど、今年の1月末の極寒の八ヶ岳よりはマシ。見ると、昨日の晩御飯の鍋の中身が凍っていた。温め直してご飯を投入し雑炊にする。ご飯を食べて、靴を履いてトイレを済ませ、装備をつける。
当初の腹積もりよりも少し遅れ、5時45分に出発。歩き出したらすぐに暑くなり、ダウンジャケットを脱いで再び歩き出す。前を歩くパーティがいたので、聞くと阿弥陀北陵を登るとのこと。文三郎道への分岐で分かれる。
標高2500mを過ぎたあたりから、赤岳主稜の稜線が間近に見える。いよいよだなーと、取り付き地点の場所を探しながら登る。
文三郎道は途中で右に大きくトラバースするので、それまでには必ず取り付き地点があるはず、と登っていくと道が少し右に曲がる小さなコルの先に、左手のルンゼに向かう微かな踏み跡を発見。
(ネットでは取り付き地点への分岐に「登山道の鎖に赤い布が付いている」という情報がありましたが、このときは見当たりませんでした)
この先、ビレイ中は身体が冷えるので、いったんザックを降ろしてダウンジャケットを着込む。いざ、という段になってふと「あぁ早いところ戻って温泉に入りたい」という考えが脳裏をよぎる。まだこれからなのに(笑)
どうやら自分たちが本日一番乗り。準備している間に訪れるパーティもなく、当分は貸切状態でほっとする。
「1ピッチ目は自分が登っていい?」とY氏に尋ねると、「別にいいよ」との返事。「核心の6ピッチ目はお願い」と伝えると、またしても「別にいいよ」という返事。なんでもいいらしい。すっかり周囲は明るくなっているので、ヘッデンをしまい、景気づけに(?)パワージェルを啜る。
7時40分過ぎに登攀開始。阿弥陀岳の上部に朝陽が当たっていてとてもきれい。未だ快晴。どうぞもう少しの間、天気がもちますように。
チョックストーンの隙間を抜けるらしいよー、とY氏のアドバイスを受けるものの、ザックが引っかかって突っ込めない。じゃあ左手から登ろうと岩にあがってみるものの、なんか悪そうですごすごと降りる。そんな訳で、ザックを外して向こう側に放り込み、自分の身体をねじ込む。でもこれ、大柄な人には厳しいかも。
チョックストーンの隙間を抜けて、岩の傾斜を登る。傾斜は緩く、落ちてもチョックストーンのところで止まると思うと安心。まだ雪が少なく岩が露出している。ただ乗っかっているだけの石が多いので、途中で2回落石を落としてしまった。。すみません。
ランニングビレイをとるのに適した岩角が見当たらず、かといってランナーをとらずに登るのもなんなので上りきったところの右手のピナクルにスリングを掛ける。(Y氏いわく、途中にハーケンがあったそうだ。見落とした。。)
そのまま右奥に回りこむと、ペツルの終了点が2箇所。しっかりしていてありがたい。
終了点にかかるロープにヌンチャクをふたつ掛け、ひとつはセルフビレイ用にメインロープをインクノットでセットし、もうひとつは折り返してボディビレイ用にロープを通す。ホイッスルを長吹きし、無事到着を告げる。
ふと下を見ると、1ピッチ目のスタート地点の隣(取り付き点より右)のチョックストーンの上部に古いスリングが掛かっているのが見える。「チョックストーン」違いかな。まぁ、あれもあれで登れなくはないだろうけど、ちょっと難しそう。
2ピッチ目はY氏がリード。直登する人もいるらしく、ビレイポイント左手の岩にハーケンが打ってあるけど、岩を左に回り込んでスタート。手元のロープがほぼなくなりそうになったところで、手元のロープが3回引っ張られる感触。ビレイを解除して、自分も登り始める。ごつごつした岩なので、ガバが多く登りやすい。出だしの岩に上がってしまえば、あとは割と傾斜の緩い岩稜が伸びる。岩が脆いので用心しながらホールドを選ぶ。
でもまだそんなに近くない。接近のスピードは速そうだけど、まだ大丈夫、急ごう、とY氏と相談し3ピッチ目はコンテで登ることにする。
3ピッチ目はみるからに傾斜の緩い草付き地帯。もう少し雪を被った方がピッケルのピックが効きそうな気がする。文三郎道を登るパーティがちらほらと続いているのが見える。眼下に、1パーティが主稜へのトラバースを歩いている様子が見える。ガイドパーティだろうか。
急激に冷え込みが厳しくなり、南西から細かい氷の結晶を含んだ突風が吹いてくる。フェイスマスクとゴーグルの僅かな隙間にピシピシ入り込んできて痛い。指先もじ~ん冷える。
このピッチもコンテでも行けそうだけど、ビレイしたほうが安心だよね、ということで、いったんペツルのボルトに戻り、ビレイをセット。4ピッチ目は自分がリードで登る。雪が多ければリッジになるのかもしれないけれど、雪が浅いので草付きの斜面。稜線を忠実に辿ると途中の岩にまたしてもペツルのボルトを発見。背後を振り返り、ここでピッチを切らないとロープが足りなくなるだろうな…と思い、ボルトにスリングをかける。
セルフビレイはとったので、とりあえずY氏に登ってきてもらい、その間も膝を治そうと屈伸していたけれど、どうもなかなかうまくいかない。まぁ、しばらく何度か屈伸したらようやく治りましたが。。焦った。。(いつもすみません。。
この時点で8時半過ぎ。周囲が一気にガスガスになり、おそらく自分たちはすっかり雲の中。ただ幸いにも視界は50m以上あり、次の5ピッチ目の終了点であり6ピッチ目のスタート地点となるV字の岩の切れ目がはっきり見える。間もなく核心。とにかく先を急ごう。
5ピッチ目はY氏がリード。稜線に沿って左手に三角形の岩の断崖を見ながら進み、ちょっとルンゼっぽいところを登って、三角形の岩の右端へ。三角形の大岩の真ん中を直上するようにハーケンが打ってあったけど、あそこを登る人がいるんだろな。。すごいな。
さても6ピッチ目。いざ、核心。ここは続けてY氏のリード。岩陰に身を潜めてビレイをするけれど、吹き付ける風の冷たいこと、冷たいこと。細い繊維みたいな氷が衣類やガチャに霜付いて育っていく。
Y氏が登り始めて間もなく後続のパーティの人たちが到着。うわ速い。なんでもほとんどコンテで登ってきたとか。
手元のロープが残りわずかになったものの、登っていいのかどうか手応えもコールもない。ただこのルートは50mロープでちょうどよい箇所にボルトが打ってあるみたいなので、多分もう終了点に着いているだろうな。。。と、少し岩の段差を登るとロープが引かれる手応えあり。よし、登ろう。
出だしの岩を乗り越え、ロープの流れに従って少し右にトラバース気味に進むとペツルのボルトがひとつ。これなら万が一の場合も安心。ペツルのボルトの少し右、岩の間の傾斜を登ると終了点。
ビレイポイントでビレイ中のY氏も、ビレイポイントにセットされたギアももれなく霜付き状態。寒そう。てか、寒い。
終了点から先は岩の傾斜。この先は、ロープを出さずにコンテで登ったという記録が多いので、コンテで抜けてしまおうということに。急登なので息が切れる。微かな踏み跡を探しつつ歩きやすい場所を辿ると、間もなく7ピッチ目の終了点に到着。
ロープが邪魔なので仕舞うことにし、引き続きY氏が先頭で岩の斜面を登る。7ピッチ目よりも、8ピッチ目以降は傾斜がより緩やかになるので難しいところはないけれど、横風に煽られないように注意して進む。
ほどなくして、「着いた」の声に目線を上げると、白い雲の中に木の道標がぽつり。赤岳頂上小屋の前にポンと出ました。わーい。
比較的風を受けなさそうな小屋の脇の吹き溜まりに退避し、テルモスのお湯を飲む。うう、あったか~い。自分にしては珍しく行動食を食べる気にならず、キャラメルを一粒口に放り込む。
ひとまず安心。この先の登山道にも危険な箇所はあるとのことだけど、登山道に出たという安堵感は大きい。
眺望もないので、そそくさと下山開始。
赤岳山頂を越えて、文三郎道へ。鎖のついた梯子道を降りる。頑丈な鎖があるので安心。
時折空が明るくなり、雲の切れ間にぱっと青空が覗く。あら。赤岳主稜への取り付き地点まで戻り、立ち止まって今登ってきた道をなぞる。どうやら2パーティが取り付いているのが見える。
冬山の美しさは格別で、写真を撮りまくりながらのんびりと下山。あんまりのんびりペースだったので、「Tさんだったら駆け下りているところだろうな」とY氏がプレッシャーをかけてくるので、樹林帯に入ったところで少しだけスピードアップ。
10時45分にテン場に帰還。ここで装備を解除。ときどき陽射しが差して、なにより風がないので暖かい。手袋なしでも大丈夫なくらい。
昨夜の残りのさらに朝食の残りのご飯をお湯に投入し、お茶漬けにして食べる。あんまりのんびりもできないので、荷物をしまいテントを撤収し、さぁ下山しようかと行者小屋に立ち寄ると、先ほどすれ違ったふたりとまたしてもばったり。調子が思わしくないので降りてきたとのこと。
自分たちはテント泊装備で荷物が重いので、一足先に下山開始。12時20分に行者小屋を出て、長いだらだら道を無言で歩き、13時25分に美濃戸山荘に到着。振り返ってもただ白いばかりで、阿弥陀岳は見えず。14時20分に美濃戸口に到着。車に荷物を積んで、さぁ温泉だと出発した時点でちょうど雨が降り始め、あぁ間に合ってよかったなと思う。
原村の樅の湯に立ち寄り、ほっこり温まる。すぐ後から来た師匠とY2君たちと合流。
そういえば、途中で指先が冷えてたまらず、また凍傷になるかも~とちょっと焦ったけど、その直後に指先がずきずき痛みを伴いながら回復するのがわかった。アイスクライミングでのクライミング中に腕先が冷えた後に腕を下げると、温かい血液が一気に流れ込んできて痛い、という話を聞くけど、こんな感じだろうか。それなら確かに痛そうだ。
今回無事に赤岳主稜にリベンジできホッ。さすがに人気のルートだけあってか要所ごとにボルトがしっかり整備されていて、バリエーションルートといっても割合お手頃なゲレンデのようでした。残置ハーケンもあちこちにあったし。敢えて岩を直登するなど、難易度の高いルートを選択することも可能みたいですが、自分たちはなるべくやさしいところを狙って登りました。
また、まだ雪がほとんどついていなかったので、ガバだらけの(脆いけど)岩の斜面を快適に登りました。2月の雪の深い時期に登るとかなり様子が違うだろうなと思います。
今年の2月に登った石尊稜よりも、今回の赤岳主稜の方が、総合的にも核心箇所でも易しかったかなという印象。
お天気にやきもきさせられたけど、なんだかんだでギリギリセーフ。残念ながら山頂からの展望はなかったけど、かなり風景も楽しめました。冬山の美しさはやっぱり格別。さまざまなリスクや重い荷物を負っても、この風景を見るとすべての苦労が吹っ飛んでしまいます。
それにしても、あぁ楽しかった。
沢始めはついこの間だったように思うけど、1年なんてホントあっという間だな。。
土曜日の昼に出発し、入渓点近くで前夜泊。日曜日に井戸沢を遡行して中ノ沢を下降しました。
出だしすぐにあるF2(15m)ではロープを出したものの、後はすべて登れる滝。行程は短くあっという間に源頭となり、ツメも短く、登山道もよく整備されていました。下降に使った中ノ沢も、ロープを一度も出すことなく下れるなだらかな地形。
沢登りの要素がコンパクトながらもぎゅっと凝縮された癒しの沢で、日帰り遡行や沢入門に適した沢という印象でした。
今回は総勢7名、車2台に分乗してGo。食糧と焚き火セットを積んだ自分たちは先発隊だったのだけど、集合してしばらく車で走り出した後、
自分「あ。。沢靴忘れた」
あほです。いや、もはや馬鹿といっても過言ではない。。
ということで、急遽Y氏の自宅に戻り、沢靴をお借りすることになりました。ありがとうございます。申し訳ありませんでした。
そんなこんなんで予定より約1時間遅れて午後4時に那須塩原市にある深山ダムに到着。
暗くなる前にテント泊予定地である三斗小屋宿跡に行こう~と歩き出したのはよいものの、どうも地図と実際の地形が違う。
徐々に周囲も暗くなってきたので、いったん車を停めた地点まで引き返すことに。どうやら三斗小屋宿跡に続くものとは別の林道に入り込んでしまったらしい。
とうとうヘッ電歩きとなった頃、前方からLEDの灯りが3つ。こうして後発のTさんたちと無事に合流できました。
ま、結果オーライということで。
翌朝は5時に起床。まだ薄暗い中、テントを撤収し朝食。車に乗って、今度は「正しい」林道を進む。空は一面の雲で覆われているものの、低い雲ではなく雨が降ってくる気配はなし。
湿度が高いせいかちっとも暖かくはないけれどさほど寒くもない。
6時半過ぎに林道奥に車を停め、沢装備を装着。
いざ歩き出してみたものの、またしても実際の風景が地形図と違う。。
どうやら現在地の認識が間違っているらしい。。ということで分岐に戻り、再び仕切り直し。
なんやかんやで三斗小屋宿跡地に到着したのは7時過ぎ。
ネットで事前に検索した情報のとおり、未舗装の道端に苔生した石灯篭や石仏が散在。事前に収集した情報では「ミャンマーやアユタヤみたい」という形容が多かったけれど、個人的にはそうは思わなかったな。。(やっぱりジパング?)
むしろ意外だったのは、宿場の入口には多数の墓石が立ち並んでいるのに、もはや殆どどこにも人間が生活した形跡が残っていないということ。
住居などが戦火で消失したとはいえ(1868年の戊辰戦争で、だそうな)、自然災害で埋没したわけでもないのに、三斗小屋宿の歴史は極めて短く小規模だったとはいえ、まるで最初から誰もいなかったみたいな雰囲気に包まれていることが不思議でした。
(三斗小屋宿場については、こちらをご参照)
三斗小屋宿跡地から苦土川に続く林道を下り、7時半に入渓点へ。
事前の情報どおり「え、これが?」とびっくりするくらい貧相な沢相。
ガレ場を踏んで歩いていくと、目前に建造中の堰堤が1基。今回は工事用の足場を伝って堰堤を越えましたが、堰堤が完成した暁にはどうやら堰堤上からのアプローチ必須になりそう。
そのまま高巻きの踏み跡を辿り、滝の落ち口に。かなり人が入っているようで、踏み跡は階段状になっていて至極明瞭。
このF2を過ぎると、それまでガレガレだった沢の様子が一変し、開放的な明るい花崗岩の沢に。
堰堤みたいな垂壁なものや、ナメ滝、階段状と形状はさまざまだけど、いずれの滝も直登できるものばかり。できるだけ水を避けて登ったけれど、暑い夏の日にバシャバシャと水を浴びながら登るのも楽しそう。
ふと振り返ると、背後に西ボッチの稜線と沼原ダムが見える。紅葉は終わりかけのようで、笹の緑とダケカンバの幹の白さと残滓のように末端に残った薄紫色の枯葉の色彩がきれい。自分は、季節の終わりを実感させる、こんな晩秋の風景がたまらなく好きだ。
目前におそらくツメとなる笹の稜線が見える。この辺りから水流が一気に細くなり急登が続く。白煙を幾筋も上げている茶臼岳や三斗小屋温泉郷を遠望。那須湯元方面から茶臼岳のアクセスはロープウェイもあってはお手軽だけど、その反対側を訪れたのは初めてだったのでなんだか感慨深い。
井戸沢は広く開けていて明るいという点では谷川周辺の沢に似ていると思うけど、谷川よりも北に位置するためか同じくらいの標高でも笹の背が低い。おまけに踏み跡がとてもしっかりついていて、たいした藪漕ぎの労もなく10時45分に登山道に合流。
なだらかな笹に覆われた斜面の稜線によく整備された登山道が続き、向かって左手の山裾の盆地に会津の集落が見える。ここは関東と東北という大きな括りでの行政区域の境目。
流石山の山頂を踏み、一気に斜面を下って大峠へ。この時点で11時25分。
後続の人たちを待ちながら大峠で休憩しているとぽつりぽつりと登山客が現れる。以前、茶臼岳の山頂や牛首から西の方角を眺めては、あっちはなんて山深いのだろう。。と思ったことがあるだけに、これだけの人が歩いてることに少し驚く。
大峠から三斗小屋温泉方面に続く登山道を歩き、峠沢を越えて中ノ沢に到着したのは12時。
慎ましいケルンが2つ。自分も新たにひとつ追加。
(ちなみに、峠沢沿いに三斗小屋宿に続いていた登山道はすでに廃道となっていて笹がびょんびょん生えていました。踏み跡は、多少は残っていると思うけど大変そう)
今回は濡れるのを厭い、なるべく沢の端を歩いたけれど、そんな面倒なことをせずにバシャバシャ水流のど真ん中を歩いた方が楽しいかも。
いずれにせよ、沢というものは登るよりも下るほうが難しいのに、一度もロープを出して懸垂下降をすることもなく、ただただひたすら歩いて下ることのできる沢というのは面白いです。沢登りはツメと下山路で苦労させられることが多いのですが、沢を下降できるとなると行きと帰りで楽しさ2倍という感じ。
標高が下がるほどに周囲の木立の紅葉が目に沁みて美しく、秋の名残に間に合った気分でした。
←去年(2007年9月)に復元された白湯山大鳥居。
長いこと崩壊したままになっていたものを北那須ライオンズクラブの事業により復元されたそうです。
なんでも、白湯山信仰(白湯山・月山(茶臼岳)・旭岳の三山を、途中にある36ヶ所の拝所を参拝しながら上る)は出羽三山信仰(湯殿山・月山・羽黒山)を勧請したものだとか。
現在の行政上はあくまでも福島県の一部である「会津」を中心に据えると、一見関連の薄そうな山形と栃木が繋がるのは面白い気がする。(自分が歴史を知らないだけなのだが。。)
深山ダムを出て「大正村幸乃湯温泉」(日帰り入浴500円)で立ち寄り湯をし、一路帰京。
さて、そろそろ岩と雪の季節だな、と。
コンビニの雑誌コーナーを眺めていたら、マガジンハウス社刊の「BRUTUS」(650号)に目が留まりました。
表紙は週刊文春と見間違うようなテイストの山のイラスト、極めてシンプルにテキスト2つ。「山特集」と「ワンダーフォーゲル主義」。
BRUTUSのWebサイトによると、
山頂を目指すことが目的ではなく、森の中を彷徨い歩くことを楽しむ「ワンダーフォーゲル」が今号のテーマ。
だそうです。
ちなみに、ワンゲルとは↓
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ワンダーフォーゲル(独:Wandervogel)は、戦前期ドイツにおいてカール・フィッシャーらがはじめた青少年による野外活動である。またそれを元にする野外活動を率先して行おうとする運動。1896年にベルリン校外のスティーグリッツのギムナジウムの学生だったカール・フィッシャーがはじめた。
* * *
19世紀後半のドイツにおいての急激な近代化に対する広い意味での自然主義の高揚を背景としている。
はじめ、フィッシャーらは男の子ばかり郊外の野原にでかけてギターを弾き、歌を歌った。そのうち、グループの緑の旗が出来たり、男の子は半ズボンに、ニッカーボッカーのようなスタイルになり、女の子も参加するようになる。 (from Wikipedia)
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もともとは、「登山」というよりキャンプなどの「アウトドア」を指していたのか。知らなんだ。
日本の場合は、たとえば山岳部とワンゲル部との活動内容に明確な差はないような気がしますが(むしろ活動主体ごとに異なるらしい)、ここでBRUTUSが提唱するワンダーフォーゲルとやらは、いわゆる「トレッキング」なのかしらん。。と、おひとつ購入してみました。
で、特集内容はこんな感じ。
↓
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<アメリカ編>
「松浦弥太郎、世界で最も美しい道、ジョン・ミューア・トレイルを歩く」
ヨセミテとヨセミテクライマー達 (平山ユージも登場)
サンフランシスコのアウトドアショップ紹介
「エポックメイキングとなったアウトドア道具の歴史と進化。」
<日本編>
「日本の登山史と名トレイル」
アウトドア関係者さんたちが選ぶ「ワンゲル」どころ
「ロープウェイでらくらく山登り」
建築家、吉阪隆正氏 (登山家としても活躍し、山小屋を設計された日本の近代建築家)
「一度は訪れてみたい。魅惑の山小屋セレクト8軒」
「本の山」 (山関連図書あれこれ)
「山の文芸誌『アルプ』が遺したもの」
その他、アウトドアメーカーの広告連動記事。
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ほ~お。
BRUTUSの特集で描き出される山はあくまでもイチ個人のライフスタイルとの関係性にあり、「Be-Pal」のようなファミリー層を対象とするアウトドア入門誌とはこの点(子供や家族という観念が存在しない)が決定的に違います。
また、「山と渓谷」や「岳人」などの山岳雑誌(最近はほとんど購入してないな。。)とも異なり、カルチャーやファッションと山との関係という切り口も面白いです。スポーツではなく、ライフスタイルなんだ、と。
山岳雑誌がしばしば取り上げる「安全知識・技術、環境保護問題」といった人間と自然の対立というテーマがすっぽり抜け落ちていて、かといってロハス(笑)を主張するわけでもなく、あぁこれがドイツで提唱されたワンダーフォーゲルの原型なのかな。。という感じ。
たぶん日本語一語で表すとしたら、ここで語られるワンダーフォーゲルとは、「逍遥」。
(まさにWebサイトの説明どおりですね。どうも、自分はワンゲル=ガッツ登山という先入観に囚われているようで。。)
いやさ、ぶっちゃけ正直なところ、最初は「BRUTUSが『山特集』だって。ぷぷぷ」と侮っておりました。
(底意地の悪い人間なので。。)
で、「なんでトレッキング至上主義でいきなりヨセミテとクライマーが出てくるんだよ~」とひとりで突っ込んでみたり、アメリカと日本のトレイル紹介ページの後にある「ロープウェイでらくらく山登り」というページに苦笑してみたり、「一度は訪れてみたい。魅惑の山小屋セレクト8軒」というコピーに突っ伏してみたり(山小屋の形容詞に「魅惑」とは! )。。と、いくつか面白ポイントはありましたが、これはこれでアリだよな。。と思い直しました。
ただ1点、ほんとうに惜しむらくなのは、今年の夏山のシーズンはすでに終わってしまっているということ。
紅葉を愛でにロープウェーでアクセスできる場所に日帰りハイキングをするなり、低山や里山を歩くにはとても気持のよい季節ですが。。あぁ、信越トレイルを歩きたい。。
おそらくこの特集の本当の対象は、内省的な、「遠くにありて想うもの」というマインド・トリップの象徴としての「山」なのかもな。。なんて、ぽつりと考えてみたり。
ちなみに第2特集は「山とスーツ」。
雄大な山岳風景の中にポツンとクラシックなスーツ姿のお兄さんが写っているモノクロームの写真が数点。
おそらくは(いいちこ焼酎のポスターみたいに)大自然とスーツファッションという対比の妙を狙ったのだろうと思うのですが、クラシカルなスーツ姿といいモノクロ写真といい、一昔前のノルウェーの人物&風景写真を見ているような錯覚。
むしろ狙いはそっちなのかな。Let's go back to the ブリティッシュトラッドと近代登山の黎明期。。みたいな。
なんか面白い。ぐるりと環が一巡して再び廻りだすような感じ。
内容の濃いみっちりした講習内容でした。が、いかんせん、講習内容が多岐に渡るので、2日間ですべてを網羅するのは殆ど不可能。
去年は読図中心だったので、今年はフィールドワーク(ビバーク法、読図、ロープワーク、岩場の通過)に焦点を当てたそうです。今回はタイムアップにつきあまり時間の割けなかった救急法は来年力を入れる予定とのこと。
限りある時間の中でできるだけ多くのことを学んでほしいという講師とスタッフの皆さんのアツい熱意と、参加者の方のアツイやる気の相乗効果で、とても濃密な講習会となりました。大感謝。
講習内容はざっとこんな感じ。
1日目
レクチャー。
2万5千分の1の地図に時北線を書き込む。
ある分岐から次の目標点までの角度を計測する。
簡単な道具でビバークの準備をする。
100m歩いて止まる。自分の歩幅を確認する。50m歩いて止まる。
火を熾す。
地図と実際の地形を照合しながら歩く。
道迷いポイントを確認する。
ヘッドランプで下山(自分たちの班が下山したときはまだ薄明るかったので、ヘッデン不要でしたが)。
雨具を使った急病人の搬出方法。
キネシオテープの貼り方。
救急蘇生の練習(救急蘇生ガイドライン2005準拠)。
2日目
ストレッチ。
地図と実際の地形を照合しながら歩く。
難所の通過用のロープワーク(簡易ハーネス、引き上げシステム、フィックスロープとプルージック)のレクチャー。
実際の岩場でのロープワークの復習(よくぞこんな場所を見つけました! という地図にないちょっとした鎖場連続の山道)。
山での遭難救助のシュミレーション(ざざっと「やってみろ」方式で)。
普段はガイド登山で山を登っており、国内の有名どころだけではなく海外の著明な山も登っていらっしゃるという参加者の方が「ガイド登山だと登らせてもらうから、どこでも登れちゃうんですよね」「登らせてもらう立場でも、知っておいた方がいいことはたくさんあるんですね」と述べていた感想が印象的でした。
登頂を目的とする登山ツアーを否定はしませんが、今一度基本に立ち返って「より安全に山を登るため」の講習内容を充実させた山岳ツアーがあるといいのではないかと個人的に思います。どうなんだろ。
前述の方のようなコメントもあることだし、やり方によってはちゃんと集客できると思うんだけどな。
自分は山岳会に所属していることもあり、諸先輩方から登山に関わる技術を学ぶ機会があり、また自分でも意識的に登山に関する技術を学ぶようにしているつもりですが、「ほんとうに理解しているか?」と問われたら「実はお恥ずかしながら…」程度の粗末なシロモノに過ぎないということをヒシヒシ痛感。
スタッフの方が最後に強調されていたとおり、「中途半端な知識が一番危ない」わけでして。
体系的に技術を学ぶ・見直す機会は大切だなと身にしみました。
というわけで、家に帰るとたちまち収納してしまう補助ロープをこそこそ引っ張り出して、あれこれ捻ってロープワークの練習をしてみる今日この頃です。
■Userful info:
・地図閲覧サービス(ウォッちず)
国土地理院提供による2万5千分の1地図公開サービス。実際に山で使用する分には、この地図をプリントアウトしたもので十分。
。。なんだけど、たま~に山道が地図と現地で異なる場所も場所もあったりして。
・地図とコンパスの使用法
・地図とコンパスの使い方
読図とコンパスの使い方を取り上げたサイトはたくさんありますが、ググってトップにきたもの(おいおい)を2つ。
「飾りじゃないのよコンパスは」ということで。
・日本語版救急蘇生ガイドライン策定小委員会 by財団法人日本救急医療財団
最新情報や動向を知ることは大切。この分野はもちっとマメに取り組まないとだめかもな。。(自省)
・新しい創傷治療
すでにメインストリームになりつつある湿潤療法。
擦り傷程度なら水でキレイに洗浄してワセリンや絆創膏でオッケイです。未だに消毒液や抗生物質神話が生きているのは驚く。下山後に医師にかかって適切な治療を受けましょう。
■Useful books:
・登山の運動生理学百科 山本 正嘉著
すでにちょっと古いけど、基本のキ。歩けばいいってもんじゃないんだぜ、ということがよく分かる。
・セルフレスキュー (ヤマケイ・テクニカルブック登山技術全書 11) 渡邊 輝男
今回の講習会の講師である渡邊氏の著書。アルパインや雪山はやらないから~という人も知っておいた方がいい知識がたくさん。でも読んだだけで「知ったつもり」になるのは自分のように危険です^^;
・入門講座 2万5000分の1地図の読み方 平塚 晶人著
読んでないけど、挙げてみた(おいおい)。
その他多数。自分の場合には、日常生活の中で職業として用いない分野が多いので、できるだけ意識的に取り組むことが重要だな、と。
さすがに人気の沢だけありかなりたくさんのパーティが入渓していましたが、開放的なスラブの沢ということもあってか特に渋滞もなく快適。
スケールの大きいスラブは写真で見る以上に圧巻。夏の終わり、秋の始めの沢をのんびりと満喫しました。
コースタイムはこちら。
↓
(2008/09/28 谷川 魚野川仙ノ倉谷 西ゼン、天気:曇り、メンバー 6名)
6:12 歩き出し
6:30 バッキガ平 吊り橋
7:20 毛渡沢渡渉点。入渓準備。遭難碑を越えた地点から入渓。狭い。
しばらくゴーロ歩きが続く。
8:22 10mナメ滝 左岸上部草付すれすれのライン
8:30 5mナメ滝 左岸巻き道(カマがでかい。暑い日はカマに入ってナメを直登するのもありかと)
8:35 東ゼン出合、休憩
8:50 25mナメ滝下部
9:00 25mナメ滝上部
9:06 6m黒いチムニー滝 右岸滝よりのフレーク沿い登る
9:20 第1スラブ下部 右寄りの草付を拾いながらほぼ直上(黒コケがやけにぬめる)
9:35 第1スラブ上部
9:40 第2スラブ下部、2段15m滝下、左岸を高巻き
9:52 ハーケンがあり、草付帯に向かってロープを出す
10:20 直上ルートに変更。バンド帯まで直上し潅木帯を水流沿いに斜上
10:45 第2スラブ、水流をトラバース。右岸に渡り岩場で休憩。乾いた岩場の登りは快適
11:10 6m滝 右岸コンタクトライン階段状
11:28 4mスダレ状滝 右岸コンタクトライン階段状
小滝がいくつか続く。一気に源流の様相となる
11:42 二俣。右俣に入る。笹に覆われる
11:55 休憩。ヤブ漕ぎ開始。踏み跡明瞭
12:30 ちょっとした広場あり
12:57 登山道に合流、大休止。沢装備解除。ガスが湧いてくる。
13:25 下山開始(平標新道)。途中見える西ゼンが圧巻。
15:30 毛渡沢渡渉点
16:10 吊り橋。沢靴、スパッツを洗って靴を履き替え。
16:45 駐車場
前夜に林道終点のゲート前駐車場にて車を停めて宴会。
今回の食担はY氏。まずはカプレーゼのアンティパストから。
ビーフンやナスとベーコンの炒め物や炭焼きやらのご馳走が並び、お酒がつるつる進んでしまう。
上空から寒気が入り込んでいるためぐんぐん気温が下がり、背中が寒い。
なんでも宴会の時点で7度まで冷え込んだとか。あぁ、夏は遠くになりにけり、ですな。
翌朝は5時に起床。夜中から早朝にかけて沢屋さんや釣り師の車が次々に駐車場に到着していました。
準備をしている間にも西ゼンに向かう2パーティを見送り、なんだかんだで6時10分過ぎに出発。
ぬかるんだ登山道を歩いていくと7時20分に毛渡沢の渡渉点に到着。ちょうど先行パーティが沢装備の準備を終えようとしているところでした。自分たちもここで沢装備を装着。数日前から体調がすぐれずにいたY氏はここで引き返すことに。残念。
毛渡沢を渡り、遭難碑の奥の沢から入渓(遭難碑手前と奥の水流はすぐ上で合流)。
入口部分は、この先にどでかいスラブが控えているとは思えないほどにちっぽけな印象。
しばらくはなんの変哲もないゴーロ歩き。水はとてもキレイだけど、もはやこの気温では水の中にドボンしたい気持ちにはならんな。
しばらくすると目の前が開け、最初のナメ滝が登場。ナメ滝下には大きな釜があり、暑い日なら釜を泳いでナメに取り付きたいところだけど無難に右岸を歩いて越えました。その先のナメ滝は黒コケがついていてヌメる上に逆層気味なのでこれまた無難に右岸の樹林帯を抜ける高巻きルートで越え、東ゼンとの分岐にて休憩。
ざっくりとむき出しになった一枚岩の岩盤。空が広く、とても開放的な空間。
沢靴のフリクションを頼りに傾斜の緩いナメをひたひたと登っていくと、6mチムニー滝に到着。黒いコケがびっしりで全体にヌメヌメ。先頭を歩くEさんに習い、滝の左の壁にあるフレーク伝いに登り草付き地帯に抜ける。
水流のない染み出し箇所はコケが生えていてヌメっぽいし、草はプチプチ切れる細さで頼りない。特に悪いところはないけれど、徐々に高度が上がるとなんとなく不安。
←第1スラブを上から眺めたところ。
第1スラブの傾斜がなくなると、すぐに目の前に高度のある滝が現れ、第2スラブが始まる。
2段15m滝の左岸の潅木帯を直上する高巻きルートを登る。ふと下をみると、後続パーティが滝の右岸を登っていく。う~ん、こわそうだな。。
とはいえ、高巻きルートも足元が悪いところがあるので、どっちもどっちかも。
傾斜は緩いので、しっかりと足場を確認しながら用心深く進めば問題ないけれど、万が一つるりと足を滑らせたら The End (of life...gkbr)。
←第2スラブの途中。人がちっさく写っております。
スケールでか。
ふと上を見ると割合すんなりと横断できそうなバンドがあったので、Eさんに戻ってきてもらい直上ルートの変更。(おそらくこのハーケンもトラバースではなく直上ルート用だと思われ。傾斜は緩いとはいえ、なにしろ落ちたら何十メートルもの奈落の底へ。。到底助かるとは思えない)
草付き帯を斜上しつつ水際に近づき、滝をトラバースして右岸に。
乾いた岩場はとても歩きやすい。
下から見上げると威圧感あるけれど、その場に立つと案外傾斜が緩くどんどんと登れてしまう。
←第2スラブ中間点(右岸)から上を見上げたところ。
見上げる限り、岩、岩、岩。すごいです。
滝の左側のコンタクトラインを登り、ついにスラブ帯終了。
いくつかの小滝を越えて、二俣を過ぎるとぐんと水が少なくなり、源流の雰囲気が濃厚に。
行く手が笹に覆われ、水が伏流になったところからヤブ漕ぎ開始。
踏み跡は明瞭だけど、ヤブ笹が濃いのでてこずる。
途中から傾斜が厳しくなり、掴んだ笹を頼りにぐいっと登り続ける。
笹の根が滑るので手を離すわけにはいかず、爪先立ちで立ち込むので、腕とふくらはぎが疲れる。。
笹藪が切れて地糖が現れると、その先に平標新道の登山道。
登山道脇で大休止をし、平標新道を下山。
平標新道はよく整備されておりとても快適だけど、刈られた笹の葉が滑るわ、ぬかるんだ道が滑るわ。。と、こけつまろびつしつつぼちぼちとのんびりと毛渡沢出合に戻り、今朝も歩いた登山道を逆にたどって駐車場に戻りました。
なんでも小屋に宿泊された方から後日苦情メールが届いたそうで。
お客様からの苦情文と、小屋からのお詫びと説明の返信、それに対するお客様から返信というやりとりがまるっと掲載されていました。
↓
「宿泊した方からの苦情」(2008/08/06)
ビックリしたのは、お客様の苦情の内容があまりにヒドいから。
クレーマーというか、モンスター登山者というか、なんというか。。
上記リンクに全文があるけれど、お客様からの苦情の内容がまぁ、なんというかとてもすごいので、コピることにする。
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先日、念願の火打山、妙高山に登り、高谷池、天狗の庭もすばらしい所で感激をいたしました。
ところが、高谷池ヒユッテの宿泊者に対する対応の悪さにおどろきました、これまでに北アルプス等のたくさんの小屋を利用していますが、ヒユッテほどひどい所はありません、
○トイレを夜、女性が一人で利用するには、照明がなく、怖くて行くことができません。
○トイレの仕様した紙の持ち帰りになっていますが、小、は良しとしても、大は、非常にこまります。小屋に宿泊している以上小屋で処理をしてほしいです。
○食事について、山小屋でご馳走など期待しませんが、あまりにもおそまつです、特に朝の中華丼、お湯のような味噌汁にはあきれました。
○照明が朝食の時間になっても、部屋の照明が付かず、身支度もできません。非常時に対応できないとおもいます
○缶の持ち帰りは、ないとおもいます。
以上のこと意外にもありますが、利用者に対して気持ちが入っていません、市の施設だからでしょうか?
あまりにもがっかりしてしまいました、紅葉の時期にと考えましたが中止します。山仲間にも高谷ヒユッテの内容について話たいと思います。
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この苦情の内容はいったい。。
このお客様はいったい。。
ぽかーん。。( ̄▽ ̄;)
なぜこのお客様は、登山者の基本装備たるヘッドランプを持っていないのだ(持っていたとして灯りが乏しいなら、もっと高性能なヤツに買い換えろ)。なぜゴミの持ち帰りを厭うのだ。
なぜ山の中にも関わらず屋根の下で布団で眠れることができトイレがあり、自ら担ぎ上げる苦労をせずとも食事やビール(なんだろう、たぶん)が供されることを幸いとしないのか。
「お金を払っているのだから」サービスを享受できて当たり前ということなんだろうか。
高谷池ヒュッテは素泊まり4,000円、1泊2食で6,500円也。北アルプスの山小屋と比べたら、割安な方だと思う。
市の施設なので補助金が出ているとは思うけど、それでもウハウハ丸儲けというわけではないのでは。。
また、高池谷ヒュッテからの返信を読む限り、ヒュッテ側では環境保護と登山者へのサービスのバランスをできる限り両立させるべく努力を重ねているように思えます。
確かに食事や設備、サービスの良し悪しが山小屋の評価を左右している点は否めません。
自分だって同じお金を払って泊まるなら、できるだけ清潔でスペースもゆったりで食事もおいしくてスタッフがテキパキと対応してくれるような山小屋だといいな~とは思うけど。でも、すべての希望が満たされるのが当たり前だとは思わないけどな。
山小屋はリゾートホテルではないしな。
環境保護の観点から言えば、登山者なんてただの破壊者だもんな。
そらまー、ルールを知らずに訪れて、小屋で初めて使用済みトイレットペーパーも自分でお持ち帰りヨロシクという規則を知ったとしたら自分もまたびっくりするような気がするけれど、それを不満として苦情を入れるのはなにかが根本的に間違っているような。。
(トイレットペーパーと持ち帰り袋はトイレに備え付けられているそうです。ここまで小屋がしてくれるなら、ここから先は自分で努力してもいいんじゃないのかな)
「念願の火打山、妙高山に登り、高谷池、天狗の庭もすばらしい所で感激をいたしました」と仰るのなら、そのすばらしい場所を守るためになにをしたらよいのか、なにをしてはいけないのか、真剣に考えようぜ。なぁ。
高池谷ヒュッテの方が、この「お客様」からの苦情メールのやりとりを掲載することを決めたのは、このお客様が決してたったひとりの例外エラー的な存在だからではなく、似たようなモンスター登山者が潜在的に蔓延しているためかもしれません。
それはただの推測に過ぎませんが、もしそうだとしたらたいへん恐ろしく、また残念なことです。
受け止め方は人それぞれだと思いますが、自分としては高池谷ヒュッテの意見を支持します。
そして、「山を愛する」と称する多くの人たちが、今一度自然に対してできる限りローインパクトであることに努めるよう願うばかりです。(自分もがんばろ。。)
週末は岩手の葛根田川で沢登り。幸いお天気にも恵まれ、東北の穏やかなナメの沢を満喫しました。
本日のところは仕事が山積みで(涙)山の記録をまとめる時間がないので、写真を3つばかりup。
宮沢賢治の詩と無理矢理コラボ(w
さうしてどうだ
風が吹くと 風が吹くと
傾斜になったいちめんの釣鐘草(ブリューベル)の花に
かゞやかに かがやかに
またうつくしく露がきらめき
わたくしもどこかへ行ってしまひさうになる……
下山途中に振り返ったところ。アスピーテ火山の台地はどこまでもなだらか。ブナやオオシラビソ、チシマザサの原生林。山の上に草原と湿原が広がる。
かつてここを人の手で壊そうとし、人の手で守ってきた経緯があるそうな。
もろもろと崩れやすい溶結凝灰岩の土地を切り拓いたところで、砂の城を維持するのはたいへんだろう。
蒼く湛えるイーハトーボのこどもたち
みんなでいっしょにこの天上の
飾られた食卓に着かうでないか
たのしく燃えてこの聖餐をとらうでないか
ぼくはじっさい悪魔のやうに
きれいなものなら岩でもなんでもたべるのだ
夜は盛大な焚き火で宴会。
おゝ青く展(ひろ)がるイーハトーボのこどもたち
グリムやアンデルセンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み
経木の白い帽子を買って
この底なしの蒼い空気の淵に立つ
巨きな菓子の塔を攀ぢやう
葛根田川の緑色の水の淵。水底が透けて見えるので深いのか浅いのか見当がつかない。
水は冷たいけれど飛び込みたい誘惑にかられまくり。
じっと眺めていると、岩魚がぴうっと逃げていきました。
(宮沢賢治 心象スケッチ「春と修羅」第二集 「山の晨明に関する童話風の構想」より一部抜粋)
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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