Norlys(ノールリース)-日々のあれこれ
Posted by norlys - 2008.10.27,Mon
週末は那須で今年の沢納め。
沢始めはついこの間だったように思うけど、1年なんてホントあっという間だな。。
土曜日の昼に出発し、入渓点近くで前夜泊。日曜日に井戸沢を遡行して中ノ沢を下降しました。
出だしすぐにあるF2(15m)ではロープを出したものの、後はすべて登れる滝。行程は短くあっという間に源頭となり、ツメも短く、登山道もよく整備されていました。下降に使った中ノ沢も、ロープを一度も出すことなく下れるなだらかな地形。
沢登りの要素がコンパクトながらもぎゅっと凝縮された癒しの沢で、日帰り遡行や沢入門に適した沢という印象でした。
今回は総勢7名、車2台に分乗してGo。食糧と焚き火セットを積んだ自分たちは先発隊だったのだけど、集合してしばらく車で走り出した後、
自分「あ。。沢靴忘れた」
あほです。いや、もはや馬鹿といっても過言ではない。。
ということで、急遽Y氏の自宅に戻り、沢靴をお借りすることになりました。ありがとうございます。申し訳ありませんでした。
そんなこんなんで予定より約1時間遅れて午後4時に那須塩原市にある深山ダムに到着。
暗くなる前にテント泊予定地である三斗小屋宿跡に行こう~と歩き出したのはよいものの、どうも地図と実際の地形が違う。
徐々に周囲も暗くなってきたので、いったん車を停めた地点まで引き返すことに。どうやら三斗小屋宿跡に続くものとは別の林道に入り込んでしまったらしい。
とうとうヘッ電歩きとなった頃、前方からLEDの灯りが3つ。こうして後発のTさんたちと無事に合流できました。
ま、結果オーライということで。
翌朝は5時に起床。まだ薄暗い中、テントを撤収し朝食。車に乗って、今度は「正しい」林道を進む。空は一面の雲で覆われているものの、低い雲ではなく雨が降ってくる気配はなし。
湿度が高いせいかちっとも暖かくはないけれどさほど寒くもない。
6時半過ぎに林道奥に車を停め、沢装備を装着。
いざ歩き出してみたものの、またしても実際の風景が地形図と違う。。
どうやら現在地の認識が間違っているらしい。。ということで分岐に戻り、再び仕切り直し。
なんやかんやで三斗小屋宿跡地に到着したのは7時過ぎ。
ネットで事前に検索した情報のとおり、未舗装の道端に苔生した石灯篭や石仏が散在。事前に収集した情報では「ミャンマーやアユタヤみたい」という形容が多かったけれど、個人的にはそうは思わなかったな。。(やっぱりジパング?)
むしろ意外だったのは、宿場の入口には多数の墓石が立ち並んでいるのに、もはや殆どどこにも人間が生活した形跡が残っていないということ。
住居などが戦火で消失したとはいえ(1868年の戊辰戦争で、だそうな)、自然災害で埋没したわけでもないのに、三斗小屋宿の歴史は極めて短く小規模だったとはいえ、まるで最初から誰もいなかったみたいな雰囲気に包まれていることが不思議でした。
(三斗小屋宿場については、こちらをご参照)
三斗小屋宿跡地から苦土川に続く林道を下り、7時半に入渓点へ。
事前の情報どおり「え、これが?」とびっくりするくらい貧相な沢相。
ガレ場を踏んで歩いていくと、目前に建造中の堰堤が1基。今回は工事用の足場を伝って堰堤を越えましたが、堰堤が完成した暁にはどうやら堰堤上からのアプローチ必須になりそう。
堰堤を越えて小さなF1(4m)の右側を登りると沢筋が右に大きく曲がり、すらりと見目麗しいF2(15m)が登場。念のためロープを出し、Y氏リードで左岸のカンテを登る。実際に登ると下から見上げるよりも傾斜が緩くガバもたくさんあるけれど、染み出しで岩がぬるっとしているのがちょっと怖い。
そのまま高巻きの踏み跡を辿り、滝の落ち口に。かなり人が入っているようで、踏み跡は階段状になっていて至極明瞭。
このF2を過ぎると、それまでガレガレだった沢の様子が一変し、開放的な明るい花崗岩の沢に。
堰堤みたいな垂壁なものや、ナメ滝、階段状と形状はさまざまだけど、いずれの滝も直登できるものばかり。できるだけ水を避けて登ったけれど、暑い夏の日にバシャバシャと水を浴びながら登るのも楽しそう。
ふと振り返ると、背後に西ボッチの稜線と沼原ダムが見える。紅葉は終わりかけのようで、笹の緑とダケカンバの幹の白さと残滓のように末端に残った薄紫色の枯葉の色彩がきれい。自分は、季節の終わりを実感させる、こんな晩秋の風景がたまらなく好きだ。
標高が1500mを過ぎたあたりから、もともとそれほど広くない沢幅がより小さくなり、気付けばすっかり源頭の雰囲気。正直なところ、「あれ、もうおしまい?」というくらい呆気ない。
目前におそらくツメとなる笹の稜線が見える。この辺りから水流が一気に細くなり急登が続く。白煙を幾筋も上げている茶臼岳や三斗小屋温泉郷を遠望。那須湯元方面から茶臼岳のアクセスはロープウェイもあってはお手軽だけど、その反対側を訪れたのは初めてだったのでなんだか感慨深い。
井戸沢は広く開けていて明るいという点では谷川周辺の沢に似ていると思うけど、谷川よりも北に位置するためか同じくらいの標高でも笹の背が低い。おまけに踏み跡がとてもしっかりついていて、たいした藪漕ぎの労もなく10時45分に登山道に合流。
1822m地点に移動して休憩。寒風吹きさらしでさすがに寒い。今年の冬に軽い凍傷をやらかした右手の中指、薬指がじんじん痛い。慌てて濡れた沢手袋を外して懐にしまい、フリースの手袋をはめる。
なだらかな笹に覆われた斜面の稜線によく整備された登山道が続き、向かって左手の山裾の盆地に会津の集落が見える。ここは関東と東北という大きな括りでの行政区域の境目。
流石山の山頂を踏み、一気に斜面を下って大峠へ。この時点で11時25分。
後続の人たちを待ちながら大峠で休憩しているとぽつりぽつりと登山客が現れる。以前、茶臼岳の山頂や牛首から西の方角を眺めては、あっちはなんて山深いのだろう。。と思ったことがあるだけに、これだけの人が歩いてることに少し驚く。
大峠から三斗小屋温泉方面に続く登山道を歩き、峠沢を越えて中ノ沢に到着したのは12時。
慎ましいケルンが2つ。自分も新たにひとつ追加。
(ちなみに、峠沢沿いに三斗小屋宿に続いていた登山道はすでに廃道となっていて笹がびょんびょん生えていました。踏み跡は、多少は残っていると思うけど大変そう)
中ノ沢は地形図のとおりなだらかな沢。ところどころ黒苔がヌメって、大コケすること幾たびか。
今回は濡れるのを厭い、なるべく沢の端を歩いたけれど、そんな面倒なことをせずにバシャバシャ水流のど真ん中を歩いた方が楽しいかも。
いずれにせよ、沢というものは登るよりも下るほうが難しいのに、一度もロープを出して懸垂下降をすることもなく、ただただひたすら歩いて下ることのできる沢というのは面白いです。沢登りはツメと下山路で苦労させられることが多いのですが、沢を下降できるとなると行きと帰りで楽しさ2倍という感じ。
14時少し前に入渓点に戻り、今一度三斗小屋宿の跡地をしばし散策し、車に戻って沢装備を解除。
標高が下がるほどに周囲の木立の紅葉が目に沁みて美しく、秋の名残に間に合った気分でした。
←去年(2007年9月)に復元された白湯山大鳥居。
長いこと崩壊したままになっていたものを北那須ライオンズクラブの事業により復元されたそうです。
なんでも、白湯山信仰(白湯山・月山(茶臼岳)・旭岳の三山を、途中にある36ヶ所の拝所を参拝しながら上る)は出羽三山信仰(湯殿山・月山・羽黒山)を勧請したものだとか。
現在の行政上はあくまでも福島県の一部である「会津」を中心に据えると、一見関連の薄そうな山形と栃木が繋がるのは面白い気がする。(自分が歴史を知らないだけなのだが。。)
深山ダムを出て「大正村幸乃湯温泉」(日帰り入浴500円)で立ち寄り湯をし、一路帰京。
さて、そろそろ岩と雪の季節だな、と。
沢始めはついこの間だったように思うけど、1年なんてホントあっという間だな。。
土曜日の昼に出発し、入渓点近くで前夜泊。日曜日に井戸沢を遡行して中ノ沢を下降しました。
出だしすぐにあるF2(15m)ではロープを出したものの、後はすべて登れる滝。行程は短くあっという間に源頭となり、ツメも短く、登山道もよく整備されていました。下降に使った中ノ沢も、ロープを一度も出すことなく下れるなだらかな地形。
沢登りの要素がコンパクトながらもぎゅっと凝縮された癒しの沢で、日帰り遡行や沢入門に適した沢という印象でした。
今回は総勢7名、車2台に分乗してGo。食糧と焚き火セットを積んだ自分たちは先発隊だったのだけど、集合してしばらく車で走り出した後、
自分「あ。。沢靴忘れた」
あほです。いや、もはや馬鹿といっても過言ではない。。
ということで、急遽Y氏の自宅に戻り、沢靴をお借りすることになりました。ありがとうございます。申し訳ありませんでした。
そんなこんなんで予定より約1時間遅れて午後4時に那須塩原市にある深山ダムに到着。
暗くなる前にテント泊予定地である三斗小屋宿跡に行こう~と歩き出したのはよいものの、どうも地図と実際の地形が違う。
徐々に周囲も暗くなってきたので、いったん車を停めた地点まで引き返すことに。どうやら三斗小屋宿跡に続くものとは別の林道に入り込んでしまったらしい。
とうとうヘッ電歩きとなった頃、前方からLEDの灯りが3つ。こうして後発のTさんたちと無事に合流できました。
ま、結果オーライということで。
翌朝は5時に起床。まだ薄暗い中、テントを撤収し朝食。車に乗って、今度は「正しい」林道を進む。空は一面の雲で覆われているものの、低い雲ではなく雨が降ってくる気配はなし。
湿度が高いせいかちっとも暖かくはないけれどさほど寒くもない。
6時半過ぎに林道奥に車を停め、沢装備を装着。
いざ歩き出してみたものの、またしても実際の風景が地形図と違う。。
どうやら現在地の認識が間違っているらしい。。ということで分岐に戻り、再び仕切り直し。
なんやかんやで三斗小屋宿跡地に到着したのは7時過ぎ。
ネットで事前に検索した情報のとおり、未舗装の道端に苔生した石灯篭や石仏が散在。事前に収集した情報では「ミャンマーやアユタヤみたい」という形容が多かったけれど、個人的にはそうは思わなかったな。。(やっぱりジパング?)
むしろ意外だったのは、宿場の入口には多数の墓石が立ち並んでいるのに、もはや殆どどこにも人間が生活した形跡が残っていないということ。
住居などが戦火で消失したとはいえ(1868年の戊辰戦争で、だそうな)、自然災害で埋没したわけでもないのに、三斗小屋宿の歴史は極めて短く小規模だったとはいえ、まるで最初から誰もいなかったみたいな雰囲気に包まれていることが不思議でした。
(三斗小屋宿場については、こちらをご参照)
三斗小屋宿跡地から苦土川に続く林道を下り、7時半に入渓点へ。
事前の情報どおり「え、これが?」とびっくりするくらい貧相な沢相。
ガレ場を踏んで歩いていくと、目前に建造中の堰堤が1基。今回は工事用の足場を伝って堰堤を越えましたが、堰堤が完成した暁にはどうやら堰堤上からのアプローチ必須になりそう。
堰堤を越えて小さなF1(4m)の右側を登りると沢筋が右に大きく曲がり、すらりと見目麗しいF2(15m)が登場。念のためロープを出し、Y氏リードで左岸のカンテを登る。実際に登ると下から見上げるよりも傾斜が緩くガバもたくさんあるけれど、染み出しで岩がぬるっとしているのがちょっと怖い。
そのまま高巻きの踏み跡を辿り、滝の落ち口に。かなり人が入っているようで、踏み跡は階段状になっていて至極明瞭。
このF2を過ぎると、それまでガレガレだった沢の様子が一変し、開放的な明るい花崗岩の沢に。
堰堤みたいな垂壁なものや、ナメ滝、階段状と形状はさまざまだけど、いずれの滝も直登できるものばかり。できるだけ水を避けて登ったけれど、暑い夏の日にバシャバシャと水を浴びながら登るのも楽しそう。
ふと振り返ると、背後に西ボッチの稜線と沼原ダムが見える。紅葉は終わりかけのようで、笹の緑とダケカンバの幹の白さと残滓のように末端に残った薄紫色の枯葉の色彩がきれい。自分は、季節の終わりを実感させる、こんな晩秋の風景がたまらなく好きだ。
標高が1500mを過ぎたあたりから、もともとそれほど広くない沢幅がより小さくなり、気付けばすっかり源頭の雰囲気。正直なところ、「あれ、もうおしまい?」というくらい呆気ない。
目前におそらくツメとなる笹の稜線が見える。この辺りから水流が一気に細くなり急登が続く。白煙を幾筋も上げている茶臼岳や三斗小屋温泉郷を遠望。那須湯元方面から茶臼岳のアクセスはロープウェイもあってはお手軽だけど、その反対側を訪れたのは初めてだったのでなんだか感慨深い。
井戸沢は広く開けていて明るいという点では谷川周辺の沢に似ていると思うけど、谷川よりも北に位置するためか同じくらいの標高でも笹の背が低い。おまけに踏み跡がとてもしっかりついていて、たいした藪漕ぎの労もなく10時45分に登山道に合流。
1822m地点に移動して休憩。寒風吹きさらしでさすがに寒い。今年の冬に軽い凍傷をやらかした右手の中指、薬指がじんじん痛い。慌てて濡れた沢手袋を外して懐にしまい、フリースの手袋をはめる。
なだらかな笹に覆われた斜面の稜線によく整備された登山道が続き、向かって左手の山裾の盆地に会津の集落が見える。ここは関東と東北という大きな括りでの行政区域の境目。
流石山の山頂を踏み、一気に斜面を下って大峠へ。この時点で11時25分。
後続の人たちを待ちながら大峠で休憩しているとぽつりぽつりと登山客が現れる。以前、茶臼岳の山頂や牛首から西の方角を眺めては、あっちはなんて山深いのだろう。。と思ったことがあるだけに、これだけの人が歩いてることに少し驚く。
大峠から三斗小屋温泉方面に続く登山道を歩き、峠沢を越えて中ノ沢に到着したのは12時。
慎ましいケルンが2つ。自分も新たにひとつ追加。
(ちなみに、峠沢沿いに三斗小屋宿に続いていた登山道はすでに廃道となっていて笹がびょんびょん生えていました。踏み跡は、多少は残っていると思うけど大変そう)
中ノ沢は地形図のとおりなだらかな沢。ところどころ黒苔がヌメって、大コケすること幾たびか。
今回は濡れるのを厭い、なるべく沢の端を歩いたけれど、そんな面倒なことをせずにバシャバシャ水流のど真ん中を歩いた方が楽しいかも。
いずれにせよ、沢というものは登るよりも下るほうが難しいのに、一度もロープを出して懸垂下降をすることもなく、ただただひたすら歩いて下ることのできる沢というのは面白いです。沢登りはツメと下山路で苦労させられることが多いのですが、沢を下降できるとなると行きと帰りで楽しさ2倍という感じ。
14時少し前に入渓点に戻り、今一度三斗小屋宿の跡地をしばし散策し、車に戻って沢装備を解除。
標高が下がるほどに周囲の木立の紅葉が目に沁みて美しく、秋の名残に間に合った気分でした。
←去年(2007年9月)に復元された白湯山大鳥居。
長いこと崩壊したままになっていたものを北那須ライオンズクラブの事業により復元されたそうです。
なんでも、白湯山信仰(白湯山・月山(茶臼岳)・旭岳の三山を、途中にある36ヶ所の拝所を参拝しながら上る)は出羽三山信仰(湯殿山・月山・羽黒山)を勧請したものだとか。
現在の行政上はあくまでも福島県の一部である「会津」を中心に据えると、一見関連の薄そうな山形と栃木が繋がるのは面白い気がする。(自分が歴史を知らないだけなのだが。。)
深山ダムを出て「大正村幸乃湯温泉」(日帰り入浴500円)で立ち寄り湯をし、一路帰京。
さて、そろそろ岩と雪の季節だな、と。
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Norlys(ノールリース)。極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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