1票の重みというけれど、これはちょっとすごい。。
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65歳女性、投票のためはるばる600キロを踏破 ブータン
ブータンで24日に行われた、絶対君主制から立憲君主制への移行の総仕上げとなる初の国民議会(下院)選挙で、世界で最も熱心な有権者といえる人物が現れた。65歳の女性、Tshewang Demaさんが投票のために何と600キロメートルの道のりを徒歩でやってきたという。現地紙ブータンタイムズ(Bhutan Times)が報じた。
ブータンでは、有権者は出生地でのみ投票が許されており、今回の選挙では、数千人が出生地の村などを目指す姿が見られた。
投票日前夜に取材を受けたDemaさんによると、4年前の自動車旅行中に乗り物酔いに苦しめられて以来、どこへ行くのも徒歩で移動しているという。Demaさんは「自動車で移動できないという理由だけで、投票の機会を失いたくないからね」と語った。
首都ティンプー(Thimphu)から、故郷のTrashiyangsteまで14日間をかけてやってきたDemaさんだが、念願の投票だけにとどまらず、長年会っていなかった親族との再会も果たすことができた。
(AFP 2008年03月25日 03:52)
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投票所まで600Km、14日間歩き続けたとは。。。
単純計算で1日あたり42.86Km。フルマラソン+α。
即日開票ができるような選挙管理体制があるのに、そもそも出生地でしか投票できないというシステムをどうにかした方がいいと思うのですが。。。まぁ、国家体制そのものが王政から議会制民主主義に移行中とのことなので、仕方ないのでしょか。
ブータンという国があることは知っていても、内情については殆ど知りませんでした。
国民からの信望の厚い国王自らが民主化を主導し、その階段の途中にいるそうです。
一方で既得権益を手放すことを是としない地方や中央の権力者たちが反逆したり、少数派のネパール系住民が国外に逃れて難民となり問題が生じたり。
なかなか興味深いっす。。
そういえば、国民総生産に代わり、国民総幸福量(GNH)を提唱したのが、ブータンのワンチュク前国王だそうで。
GNHというのは、「人の幸せを追求する」概念で、
1)バランスのとれた経済成長と開発
2)文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興
3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用
4)よき統治
という4点を柱とするそうです。
詳細は外務省主催のシンポジウム(2005)のレポートを、どぞ。
ブータンという国自体は地理的に微妙(インドと中国という大国に挟まれた辺境地帯)で、また民族構成的にも微妙(チベット族80%、ネパール系20%)で、現在ではそれなりに平穏な情勢であっても、それを維持することはそうたやすいことではないかも。(ま、それはどこの国でも同じことなんですが)。
それでも、人間的に正しい願いを掲げて理想を求めるという姿勢には、学ぶところが多いような気がします。
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと萬象といっしょに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから碎けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この變態を戀愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその戀愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ
宮沢賢治の小岩井農場の一節でございま。
確かに、どれほどGNPやGDPの数字が高くても、今の日本はちょっと「正しい願いに燃えて、自分と人と万物と一緒に至上福祉に至ろうとする」「その願いから砕けまたは疲れ」ているかもしれないなーと思います。
まぁ自分だけかもしれませんが。はは。
またぞろ、ネガティブなことばかり考えて~と怒られそうなので、このあたりでやめておきましょ^^;
さて、ブータンの下院選挙の結果はこちら。
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ブータン:調和党が圧勝 定数47中44議席獲得
ヒマラヤの王国ブータン下院選は24日即日開票され、選管によると、ブータン調和党(DPT)が定数47中44議席を獲得し、国民民主党(PDP)に圧勝した。DPTのジグミ・ティンレー総裁が3度目の首相に就任する見通し。新首相は内閣を組閣し、ブータンは立憲君主制へ移行する。ワンチュク王家が支配権を確立した1907年以降、101年間続いた絶対王制に終止符が打たれる。
ただ、国王は政府に対して影響力を行使することが認められており、国の重要課題への対応に変化はないものとみられる。選管は有権者約31万8000人で、投票率は79.4%だったと発表した。
(毎日新聞 2008年3月25日 10時02分)
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Demaさんの一票はどちらの政党に投じられたのでしょ。さてはて。
先週書きかけてしばし放置していたので、すでに古い情報ですが。
どさくさ紛れにロシアが発表した見解。
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コソボがチベットに影響 露外相、米欧を非難
ロシアのラブロフ外相は18日付のロシア新聞に対し、中国チベット自治区の大規模暴動にはコソボ独立宣言が影響したとの見解を示し、独立を承認した米国や欧州などの国を非難した。
外相は、チベット暴動のほか、コソボと隣接するマケドニアでも、コソボの多数派と同じアルバニア系住民が独立につながりかねない自治の要求を強めていると指摘、世界中で「暴発しかねない極度に危険な過程が始まった」と述べた。(共同)
(MSN産経ニュース 2008.3.18 19:54)
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チェチェン問題を抱えるロシアが、国際的に民族自決の火が再燃することを懸念していたとおりだと申しております。いやはや、コソボ独立に反対していた立場から一貫してブレがありません。
さすがはロシアです。
だが、お前が言うな。
あぁでも、そうです。イラクでもイスラエルでもダルフールでもコソボでもチェチェンでもキプロスでもトルコでもスリランカでも東ティモールでも民族や宗教をめぐっての対立や争いの火種は消えません。
お前が言うなと、互いに後ろ指を指しあって、そして声の大きい者が勝つのです。たぶん。
なんてこった。21世紀はもっと幸いに満ちた時代になるものだと思っていました。
それでは、すでに消えてしまった民族についてはどう考えるのか、人権保障問題は政治的に解決するのか、なぜ自分はチベットや独立を願う中国の少数民族を支持し中国を非難するのか、他の紛争地域についてはどう考えるのか、ぐるぐるぐるぐると考える今日この頃。
そんな折、たまたま見つけたアメリカのNPO独立系新聞サイトで、チベット亡命キャンプ訪問記の記事を読み、最後の一文で不覚にも目から汗。。
宗教的共同体を基盤とし、常に微笑みを絶やさず、欲することの少ないチベット亡命者たちと、母国においては立派なキャリアを有していても現地の力作業ではたいして役に立たない(と自ら書いているw)アメリカ人ボランティアたちの束の間の交流記。
記者の方は、米ミネソタの新聞社に勤めいていた元記者で、現在では主にトラベルエッセイを執筆。
地元のボランティア有志と共に、亡命チベット人キャンプにおいて共同キッチンの修繕を行う活動に参加。
亡命キャンプは、カドマンズの西に位置するポカラに近いチャムパリンという場所にあり、約半世紀前、ダライ・ラマ氏がインドに亡命した時期に、ネパールに亡命したチベット人が700人近く在住。ネパール政府の厚意により保護されており、衣食住が足り、平和に穏やかに自らの宗教と文化に忠実でいても迫害を受けることはないようです。
とはいえ、亡命者はもとより亡命キャンプで生まれた子供たちもネパール国籍はなく、あくまでも亡命者。彼らにとって故郷と呼べる安寧の地は、残念ながら現時点では地球上のどこにも存在しません。
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"My journey to a Tibetan refugee camp -By Catherine Watson"
(2008/3/21 Minn.Post.com)
(省略)
Not for the work we'd done. Not for the money we'd brought. But simply for showing up. We had come, in person, all the way from the United States. That was what mattered most.
"Thank you,'' people said as they told us goodbye, taking our hands, touching their foreheads to ours. "Thank you for not forgetting us.''
As if we could.
我々が行ったボランティアの作業ではなく、我々が寄付したささやかな(という記述が前にある)お金に対してでもなく、ただ我々がアメリカから遠路はるばる亡命キャンプを訪れたということ、それが彼らにとってはなによりも意義のあることだった。
「ありがとう」と、別れの挨拶とともに人々は口にした。我々の手を握り、額を寄せながら。「私たちのことを忘れずにいてくれて、ありがとう」と。
忘れずにいられたら、いいのだけど。
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(英語は苦手でしてと言い訳しつつ。正直、"As if we could."のニュアンスが。。難しす。。)
盗んだバイクで走り出すようなお年頃でもないのですべての権力に向かってNoと言うつもりもないし、弱い立場にある人間の言い分がすべて正しいとは限らないとも思います。
また、主観的な記事である以上、どこかにそっと作り話やプロパガンダが織り込まれているかもしれません。
それでも、(この記事の内容を信じるとして)筆者と登場するすべての人々が穏やかで慎ましく心優しい人々であることに共感を覚えるのは自分だけではないことを願います。
忘れないこと。身近な人の、遠く離れた場所にいる人の、息災を願うこと。
たとえ誰もが満ち足りて穏やかに暮らすことは決して簡単なことではないとしても、まだこの地球のあちこちに心優しい人々が存在するのだと知ることで、なにかがほんの少しだけ救われるような気がするのでした。
まぁ、まずは自らの心がけから。。なんですが。。
チベットでの緊張状態が続いています。
個人的にはFree Tibet! 支援派なので、早期に平和的解決をみることができれば、願わくばチベットが独立を果たせればよいのに…と思います。
「高度な自治権」では決して問題の根っこは絶てないので、いっそ独立を。
なぜ中国がそれほどまでにチベットの領土に固執するのか、自分にはあまりよく理解できません。
言語も宗教も民族も異なるのに。歴史的にも異なる国家だったのに。
(「1950年に中国人民解放軍が侵略するまで異なる国家であった」とBBCのサイトには基礎知識の中に明記されています。これはGJだと思います。)
単純に広大な領土と膨大な人口で世界を圧倒したいという以上の思惑はいったいどこに。。
いわく、隣国インドとの干渉地帯だから(いつかインドと戦争おっぱじめる気満々?)。いわく地下資源や水資源が豊富だから(でもそれはチベットのためじゃないじゃん)。いわく、軍事施設(核関連施設や廃棄場)があるから(論外だろ、おい)。
などと言われていますが、治安部隊を稼動させ国際的非難を浴びてもなりふり構わず執着する理由はなんなのでしょうか。もし手放すとしたら、いったいどういう条件なら呑めるのでしょうか。
自分には、今の中国政府の主張は、DVストーカー旦那が家庭内暴力をふるい続けた挙句「ウチの問題に口を挟まないでくれ」とのたまっているようにしか聞こえません。
まったくもう…これが仮にも国連常任理事国ですよ。。orz
いや、ロシアもチェチェンに対して現在進行形で同じようなことをしていますけどね。。
それにしても。日本の報道にある「チベット暴動」や「ラサ暴動」の「暴動」という表現はどうかな。。と。
圧倒的な武力をもって市民を制圧しているのは中国治安部隊側なのだから。
と思っていたら、今日付けの報道の見出しを並べたら、日経、産経、朝日、CNN Japanの4社が一様に「チベット騒乱」という表現になっていました。
あれれ。。。
なんだか不思議な偶然の一致ですね。。
なるほど、「暴動」よりも「騒乱」の方が血生臭さが少ないような気がします。
事態の矮小化を目論むどこからかの指示が出たのかもしれませんね。
(ちなみに、連日トップニュースでチベット問題を報道しているBBCでは、「Tibet Tensions(チベットにおける緊張状態)」というカテゴリーになっています)
あぁどうか、世界に平和を。
と言うと、驚かれることが多いです。
確かにテレビネタを振られてもちっとも反応できないのは、コミュニケーション上支障があるような気もしますが、まぁたまにはそんな人もいるよね~とお目こぼしを頂戴しております。ありがたいことです。
家にテレビがない主な理由は、全然たいしたことじゃなくて、独り暮らしを始めたときに単に部屋が狭くて置き場所がなかったのからというだけなんですが。
でも、置き場所があってもたぶん今後もテレビを買うことはないかなぁと思います。
煩いのキライだし。
ニュースはPCで十分間に合うし。
NRK(ノルウェー国営放送)とかRAI(イタリア国営放送)とかの海外の放送局はCSに加入したところで観れないしね。
自分の好みがあまりにニッチ過ぎる点は否めませんが、テレビを見て時間を費やすよりは、好きな音楽を聴きながら好きなことをして過ごす方が好きですな。
先日、日本のテレビ番組のあり方を「情報スクリーンセーバー」と評したコラムがありました。
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放送局は現状のビジネスモデルをキープしたままで、その上乗せで二次利用をしてさらに利益を得たいと考えているが、それは無理だ。今やテレビは「情報スクリーンセーバー」程度の意味合いであって、テレビ番組を始めほとんどの情報はスルーされているという事実を、どの段階で放送局が受け入れるのだろうか。
「小寺信良:正直、テレビはもうダメかもしれん」 (IT Media +D LifeStyle 2008年03月03日 12時00分)
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このコラム自体は結論がイマイチ不明瞭ですが、「情報スクリーンセーバー」という呼び方は面白いな、と思います。ブラウン管(古いね)が焼きつくのを防ぎたいなら、電源を落とせばいいのに。
スッキリしますよ。自分の興味あることために費やす時間が増えますよ。いや、ほんと。
また、民間放送の行方に関してこんな記事がありました。
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2010年のデジタル大激変でテレビ局の利権構造は崩壊する
(思いっきり省略)
放送局は、既存の利権を守ろうとしても、2010年前後に集中するデジタル化の台風には抗えず、
周囲の通信事業者が先に進化するため、おのずと“外堀”を埋められる格好になる。
これまでの電波法では、通信と放送を用途別に切り分けて周波数を割り当ててきたが、
総務省は、区分に関係なく電波を自由に使わせる免許制度の見直しまで視野に入れている。
放送局は、通信と放送が相互に乗り入れられる規制緩和のなかで、
自ら動く決断に踏み切れなければ明るい未来は失われるだろう。
(DIAMOND Online 2008年03月04日 週刊ダイヤモンド編集部)
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まぁ、民放は今でも多すぎるくらいだから、多少は淘汰されてもいいんじゃないですかね。
そりゃ広告や情報番組で得る情報量は膨大です。
でも、恣意的に加工されたニュースや嘘を嘘と見抜く力が試されるような番組が良心的なプログラムの中にそっと仕込まれているようでは、事態はネットよりも悪質では。。
ところで。
日本のテレビ番組とは別の意味で、ノルウェーのテレビはとってもつまらないです。
と語れるほどには観ていませんし、地上波だと国営放送が2チャンネル(巨大掲示板じゃなくてNRK1とNRK2の2局)、民放は1局(TV2)しかありません。
それに主要な産業は半官半民みたいなもので同業他社が林立してしのぎを削って広告出稿を競うような環境でもないので、日本の首都圏のテレビ事情と比較してもあまり仕方がないかもしれませんが。。
大体、日曜日など8時半まで放送が始まりません。清々しいくらいやる気ナッシング。だって日曜日だもの。みんな休みたいもの。スーパーも商店街も閉まってるしね。
まぁ、わざわざニュース番組の開始を待たずに、字幕放送で興味のある分野のコンテンツをチェックすればいいだけなので、さほど不便はありませんが。
さすがに平日は朝早くから放送が始まり、まずはニュース。ニュースの後は情報番組。ワイドショーというよりは、NHKの朝の情報番組みたいな感じ。
その後はしばらく延々と子供向け番組のオンパレード。アニメも日本のアニメではなくて、海外製作のアニメであまり毒にも薬にもならなそうな感じのものばかり。
夕方もニュースの後は毒にも薬にもならないエンタメとか、ドキュメンタリーとか。それから後はハリウッド映画で時間稼ぎ(?)。吹き替えではなく字幕ばかり。たぶん、字幕の方が低コストで済むからだと思われ。
そもそも自前のコンテンツが少ないので、BBCとかお隣のスウェーデン、デンマークからプログラムを購入して字幕をつけたものが多いです。
ワイドショーとか、芸能人が居並んで内輪ウケネタを暴露するバラエティー番組とか、お笑い番組はありません。日本のテレビ番組に比べたら、テレビを見続けることは苦行か? と思うほどw
そんなノルウェーのテレビで必ずお目にかかるのが、子供たちが3人1組で協力し合うアドベンチャーゲームのプログラム。個人的に好きです、こういうの。
まぁそんなわけで、ノルウェーを訪れるたびに刺激の少ない退屈なテレビ番組をぼんやりと眺めながら、
テレビは何のためにあるのか?
テレビは誰のためにあるのか?
とぼんやり考えることがしばしば。
だってねぇ。。テレビ番組が面白いことは、果たして社会にとって有益なんでしょか。
コンテンツ産業の育成? うんまぁ、それはそれでいいんだけど。
国民には娯楽を与えておけばいいとばかりに、テレビ局を3つに映画会社にサッカーチームを手中に収め、まんまとイタリア国家首相の座を射止めたのは(失脚したけど)イタリアのベルルスコーニ元首相。
まぁ財政界に派手にお金をばら撒いたのが成功要因であって、国民総意が積極的に支持したというわけではありませんが。
それでも、受動的な娯楽情報に対して享楽的であることのツケは、いつかボディーブローのようにじわじわと効いてくるような気がします。
Björk、かっけぇ。( ̄∇ ̄ノノ"
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ビョーク、上海コンサートで「チベット独立」叫ぶ
アイスランド出身の女性シンガー、ビョークさんは2日夜、上海国際体操中心でコンサートを開催したが、最後の曲「ディクレア・インディペンデンス」(独立を宣言しよう)の終盤に「チベット、チベット」と叫んだ。政府がチベット独立に強硬に反対している中国では、この予想外のパフォーマンスの波紋が広がっている。
ビョークさんの発言は、中国の国営メディアで報じられていない。しかし有名サイト新浪網には、「もし事実ならへどが出る」といった感情的な書き込みが見られる。
コンサート会場にいた一部の人々は、コンサートのフィナーレが突然政治色を帯びたことで、現場が気まずい空気に包まれたと当時の様子を振り返る。英国人の英語教師は、客席からブーイングは出なかったものの、観客が足早に会場を後にした、と語った。コンサートのプロモーターは何もコメントしていない。
「ディクレア~」は世界各地の分離独立運動を念頭に書かれた楽曲。日本で行われたコンサートでは、先日独立を宣言したコソボに向けて歌われた。ミュージックビデオではビョークさんが、デンマーク領のグリーンランドとフェロー諸島の旗をあしらった服で登場する。
(2008/03/04 17:24 CNN/AP)
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これが件の"Declare Independence" のPV。
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現在最新のアルバム「Volta」に収録。2008年1月1日にシングルカットがリリース。
ぴっちぴちの最新曲ですよ。そら~折角のコンサートだもの。サービス、サービス♪
それにしても、「反吐が出る」という中国の方の気持ちもわからんではないですが、もうちょっと気の利いた反論はないのかしら。
ほらほら、YouTubeのコメント欄にただの罵詈雑言を書き込んでいるそこの中国人、やめなさい。
もっと議論を、建設的な意見を。
中国4千年もの歴史があって、そんなに直情的なコメントしかできない文化なんて長いだけムダだわ。
まぁ詭弁まみれよりは率直な物言いの方が人間的だと思うけど、なぜチベットが中国領でなければならないかという論理には一片も寄与しないわけで。
Björkは1997年にアメリカで開催された"Free Tibet"という音楽フェスに参加したこともあるのだけど、そういう経歴を知りつつも招聘したのではないのかな? ふーむ。
演目を事前にチェックしたから大丈夫だと思った? ふーむ。
なんでも主張すればいいってものでもないかもしれないけど、なにも物議を醸しそうなアーティストを招かなければいいだけなんでは。
2004年に発表されたアルバム「Medúlla」に収録されている「MOUTH'S CRADLE」という曲で、
I need a shelter to, to build an altar
away from all the Osama's and Bushes
と、名指しで米ブッシュ大統領とオサマ・ビンラディンを揶揄しているけれど、この曲に対してアメリカ人が過剰に反応したという話は聞いたことがありませんぜ。(あったのかな。自分が知らないだけで。はて)
PVではグリーンランドにフェロー諸島(腕の徽章はソレだったんですね。知らんかった)、日本でのコンサートではコソボに向けてメッセージを送ったということなので、彼女は常に抑圧される弱者(と見なされる)の側に立っているわけで。
(YouTubeのコメント欄は、Björk支持派、コソボ独立に関してセルビア人と思われる人の反対意見、中国人と思しき人の罵詈雑言が入り乱れ中。でも、グリーンランドやフェロー諸島の独立について語る人はいなくて、それはそれで興味深いっす。人口の違いもあるんだろうけど、こういうのが国民性というヤツですかね)
おぉこれぞRock魂。漢だわ、Björk。
オフィシャルサイトに「Statement(3月4日付)」というタイトルのメッセージがありました。
勝手に転載。オレンジ色は自分が勝手につけたもの。
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Statement
i have been asked by many for a statement after dedicating my song "declare independence" to both kosovo and tibet ( amongst others ) on different occasions.
i would like to put importance on that i am not a politician, i am first and last a musician and as such i feel my duty to try to express the whole range of human emotions. the urge for declaring independence is just one of them but an important one that we all feel at some times in our lives. this song was written more with the personal in mind but the fact that it has translated to its broadest meaning, the struggle of a suppressed nation, gives me much pleasure .
i would like to wish all individuals and nations good luck in their battle for independence.
justice !
warmth , björk.
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なにから独立し、なにを正義とするのかは、人それぞれの価値観があってもいいと思うんですけどね。
人様に迷惑をかけない範囲で。議論して、妥協して、協調して。または決別したとしても。
Show the flag! -言いたいことも言えないそんな世の中じゃあ、ねぇ。
ロイターのサイトを開いたら、ニュースランキングに2位に鯨+ノルネタがinしていました。
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クジラの肉は牛肉より環境に優しい=ノルウェー活動家
ノルウェーの捕鯨推進活動家は3日、捕鯨が畜産よりも環境に優しいことが調査を通じて分かったとし、クジラを食べることが地球を救うことにつながるとの見解を示した。
捕鯨船の燃料消費に焦点を当てた同調査では、鯨肉1キロ当たりの温室効果ガス排出量は1.9キロであり、牛肉の同15.8キロ、豚肉の6.4キロ、鳥肉の4.6キロに比べて少ないと指摘。「牛肉の食事1回分による温室効果ガスの排出量は、鯨肉の食事8回分に相当する」としている。
北極圏沿岸地域を代表する捕鯨推進団体ハイ・ノース・アライアンスの関係者は「他の種類の肉との比較では、地球のためにできる最善策がクジラの肉を食べることであることが分かった」と述べた。
一方、環境保護団体グリーンピースは、肉に比べればほぼすべての食べ物が環境に優しいとし、この主張を否定している。
(ロイター 2008年 03月 4日 10:26 JST)
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ノル捕鯨推進団体 「鯨のほうが他の肉よりも断然エコだよ」
緑豆 「肉そのものがエコじゃないんだよ」
裸の王様あつかいされた緑豆の言い訳が涙目ww
はて、いつからグリーンピースはヴェジタリアン団体になったので?
海洋生物保護活動とか遺伝子操作農産物への反対活動は知っているけど、陸上の畜産動物の保護活動について積極的に緑豆が関与していたという記憶はありませんが。。
それにしてもノル捕鯨推進団体が展開する、感情論でも文化論でもなく、科学的根拠を盾にした環境保護論がおもろいな。まぁぶっちゃけただの詭弁合戦ともいえなくもないのですが。
ただ、今年の1月20日に「2030年までに温室効果ガス排出をゼロに」と、当初の計画を20年前倒しで目標設定したノルウェーなので、温室効果ガス削減という争点においては緑豆も反撃しづらかろう。さ~て?
「地球環境保護」という大義名分の前に、絶対の正義はどこにあって、一体なにが正しいことなのか?
そんな色々な価値観や主義主張を今一度混沌の中に還して、新たな調和を目指しても悪くないんじゃないんですかね。選択肢が残されているうちに。
有言実行&ものは言いようだな、ということも改めて実感。
先日の八ヶ岳で、右手の中指と薬指の末節(先端の方)に軽い凍傷を受傷したのですが、懲りずにクライミングジムに行ってきました。
表皮が強張っていて接触時に少々ピリピリするものの、クライミングにはさほど影響せず、ほ。
まぁ、ポケット課題は勘弁。。ですが。
さて。。。
1995年から10年かけて取り組んでも少子化問題を改善できなかったエンゼルプランは失敗に終わりました。
そこで今後、さらに戦略的なプロジェクトが始動するそうです。
ただ~ん♪
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子どもを預けて働ける社会を…厚労相・少子化相が作戦発表
舛添厚生労働相、上川少子化相は27日、厚労省で記者会見し、10年後をめどに希望する全員が子どもを預けて働ける社会の実現を目標に掲げる「新待機児童ゼロ作戦」を発表した。
厚労相は「就労と子どもの健全育成との両立を、出産前から就学後まで切れ目なく支援する」と述べた。
福田首相はこれに先立ち、両閣僚を首相官邸に呼び、「3年くらいは集中的に取り組んでほしい」と指示した。これを受け、新作戦では「今後3年間を集中重点期間とし、取り組みを進める」と定めた。政府は、作戦に盛り込んだ施策を2008年度から順次、実行に移し、2017年の目標達成を目指す。
厚労省の調査などで「子どもを預けられるなら働きたい」という親が多かったことを踏まえ、新作戦はこうした「潜在的な待機児童」にも目を向けた数値目標を設定した。
(2008年2月27日22時05分 読売新聞)
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保育サービス利用、100万人増=「新待機児童ゼロ作戦」を展開-厚労、少子化相
舛添要一厚生労働相と上川陽子少子化担当相は27日、保育所への入所を希望しながら待たされている子どもの解消を目指す「新待機児童ゼロ作戦」を発表した。保育所の整備などを進め、2008年度からの10年間で、保育サービスを利用する5歳以下の子どもを100万人増やすことを掲げた。親が昼間家庭にいない小学生を預かる学童保育の登録数も145万人増やす。
(時事通信 2008/02/27-17:47)
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最近の政府方針は「10年後をメド」がブームのようで。
ま、将来の目標があることはよろしかろ。うむ。
でもね、10年後って。
第二次ベビーブーマー、いわゆる団塊Jr. (1972-1981年生まれ)世代にはほとんど恩恵ないんじゃ。
(人口統計の母集団のうち、人口増への即時効果が期待できて、かつそのまま高齢者層に推移した場合に現在の団塊世代に続いて影響が大きい標本ですよ~)
遅いよ~ (´Д`|||)
まぁ対策が後手後手なのは、現内閣が悪いわけじゃありませんけどね。
バブル経済崩壊後の「失われた10年」の重みをずっしりと感じまするな。。
そんなこといまさら言っても仕方ないけどさ。
さて。女性労働力を積極的に市場に導くために、「両親がいなくても子供は育つ」社会を整備するという方向性を打ち出そうというのは把握しました。
安全で思いやりと希望に満ちた社会なら、それもアリかもしれませんね。コミュニティの中にボーダーの緩やかな核家族が集合している、みたいな感じで。
子供のためには両親がちゃんと揃うべき&母親は常時子供の面倒をみるべき、という理想も理解できます。ただ、この理想はかなり減点法なので、実際問題理想的な状態をキープするのは難しいのではないかな、とも思います。
なので自分としては、色々な人や色々なスタイルが混在できて、親(保護者)とかご近所さんとか子供の周囲にいる大人たちが社会に帰属し貢献している姿を示して、そういう輪の中で子供が成長するという社会も悪くないのではないかと思うわけです。
(あと、いくらなんでも親(保護者)が24/7不在ではなく、夕飯や週末には家族団欒の時間をしっかりともてる労働環境が整備されているということが前提でヨロ。)
てね、自分には子供がいないので、あくまで空虚な理想論なんですけどね。
それにしてもね。。
児童福祉も重要だけど、産婦人科や小児科などの医療制度、教育、就業支援、労働環境、高齢者福祉のすべての車輪がうまく噛み合わないと、なんにもならんだろーヽ(;´Д`)ノ
この「新待機児童ゼロ作戦」というやつが、労働者数や消費者層-ひいては納税者層のボトムアップのために、子供を犠牲にするような結果だけにはならないことを、強く願うばかりです。
以前勤めていた会社で、北欧のオフィスの女性担当者が産後あっちゅーまに職場復帰した例を目の当たりにして、さすが北欧、恐るべしと思いました。
「1ヶ月ほどお休みするわ~」と言うからてっきりバカンスかと思ったら、「子供が産まれたの」って。およよ。
日本だってね、同じことができないことはないと思うのですが。。( ´_ノ` )
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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