ほえ~。
----------------------------
240年続いたネパール王制、きょう廃止
ネパール制憲議会は28日招集され、冒頭、新たな政体を連邦共和制と宣言して、正式に240年続いた王制に終止符を打つ。
王室に近い筋によると、ギャネンドラ国王(60)は宣言採択後、国民向けの声明を発表して所感を明らかにする。国王は宣言採択で一市民となり、ネパール国内に住むことを認められるものの、国有資産である王宮からの立ち退きを求められる。これまで王制廃止決定の場合の身の振り方について自身の考えを明らかにしておらず、ただちに王宮明け渡しに応じるか、憶測を呼んでいる。
一方、首都カトマンズでは、制憲議会会場となる国際会議場などで26日起きた爆弾騒ぎに続いて、27日も共和制を祝うコンサートの会場で爆弾が破裂する事件があり、少なくとも1人が負傷した。王制廃止に反対する勢力の関与が疑われており、市内では警官1万人以上が動員されて厳戒態勢を敷いている。
(2008年5月28日01時46分 読売新聞)
----------------------------
ネパールの王宮で暗殺事件が起きたことは記憶にあるけれど、その後の推移はサパーリ。
Wikiで歴史のおさらい。付け焼刃もよいところですが。。
***
1846年 - 1951年 ラナ一族出身の宰相による支配。
1951年 立憲君主制を宣言。
1990年 国民主権をうたった新憲法制定。
※故ビレンヒドラ元国王の主導により、立憲君主制から民主議会制への緩やかな移行を目指す
1996年頃~ ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制を打破すべく、人民戦争を活発化。
2001年6月1日 - ネパール王族殺害事件。ギャネンドラが王位につく。政変により議会停止。
※月に一度の王族による晩餐会で、ディペンドラ王太子(事件直後に「後頭部」を撃って自殺)によって王族9人が銃で殺害された。後の国王ギャンドラは「偶然」地方視察で欠席。
事件内容に不自然な点が多いため、ギャネンドラ黒幕説有力。以降、国民からの王族への支持がガタ落ち。
※この事件の裏には、ギャネンドラ氏を支援する中共政府の秘密工作があるとかないとか。。
国王派・議会派・マオイストによる混乱状態が続く。
※国王派-議会派を結ぼうとアメリカ、インドが介入するも、マオイスト勢の勢いはとまらず。
なお、中国政府はマオイストに対して「毛沢東の名を汚す利敵行為」と非難し、対立する国王派を援助していたが、後に国王が実権を失うとマオイスト派に歩み寄り武器を売ったとか売らないとか。。
2005年2月 - 再度の議会・内閣停止。絶対君主制を導入、非常事態宣言(実質上の戒厳令)。4月末日で解除。
2006年4月24日 - 高まり続く民主化闘争に、国王が「直接統治断念。国民への権力移譲。議会を復活」と発表し、政党側に首相推薦を要請。27日、コイララ新政権が発足。
2006年11月21日 - 政府とマオイスト、無期限停戦と和平を誓う「包括和平協定」に調印。
2007年1月15日 - 下院、暫定憲法発布。その後、下院は解散。
2007年1月23日 - 国連安保理、国連ネパール支援団(UNMIN)を設立する安保理決議第1740号を全会一致で採択。
2007年12月27日、暫定議会、連邦共和制を宣言。
2008年4月10日 - 制憲議会選挙の投票が実施され、マオイストが第1党となった。
※ただし、農村部において武力でマオイスト派への投票を強制していたことが発覚
2008年5月28日以降 憲法改正(予定)
***
立憲君主制の存続問題とか、民主化の是非とか、背後で蠢く近隣国家の思惑(中国vsインド)とか、そういうのはひとまずさておき。
共産党毛沢東主義とはいったい。。と、「Communist Party of Nepal (Maoist)」(ネパール共産党毛沢東主義派)のオフィシャル・サイトを覗いてみたら、これ一面まっかっかな背景に、毛沢東、レーニン、マルクスのイラストと、各人が遺した格言が並んでおりますが。。
うう、う~む。。。なんというか。。
まさにコミンテルン、これぞインターナショナルか。。と。。
某掲示板(巨大じゃないよ)から気になるカキコをコピペ。
↓
---
連帯!!! 投稿者:通りすがり 投稿日:2008年 4月13日(日)13時50分13秒 返信・引用
たった10数年前、ネパール共産党マルクス・レーニン主義派から分派した10人程の若者が1丁の拳銃とナイフを持って山岳地帯ロルパにその拠点を築き革命戦争を開始しました。これがネパール共産党毛沢東主義派の始まりです。
文字を理解出来ない人々に学校建設から始め、教育の徹底、共同作業の実施。そして、インフラ整備と、政府から取り残されたこのエリアを将に、人心共に何処にも負けない豊かなエリアにしたのは、紛れもなく彼らであり彼らの功績です。
宗教の払拭(ヒンディー教・仏教)、栄養源の蓄積のため牛肉を食する事を奨励し、他民族間の結婚の自由、男女同権の獲得と文化革命にも着手し実行しました。
2006年には、1万5千人の人民革命軍を擁し、国土の60%を掌握するに至りました。
そして、2006年春、50万人の圧倒的支持者と共に、首都カトマンドゥに無血入城し現在に至りました。
思えば、中国共産党からは「アナキスト!」「テロ組織!」といわれなき罵声・中傷を受け、孤立無援の中、闘いを継続しました。
結果、今回の制憲議会選挙において、人民の圧倒的支持を獲得し、国王支持派を完膚なきまで打ち砕きました。CPN-Mに対し圧倒的連帯を表明します。
今後、国王派のクーデターに細心の警戒を持続し、日本財団笹川一派とアメ帝、そしてインドからの攻撃に断固、防衛戦線構築をして貰いたいと、強く願います。
ネパール革命戦争勝利!!!
----
うう~む、うう~む。。
仮にほんとに現地からの声だとしても(疑う理由は全くないけど)、客観的に判断する材料としては。。
難しいですね。。
それにしても。
なんでコミュニストの人たち(とか、某新興宗教団体の人たちとか、左翼系の人たち)って、「革命」とか「闘争」とかって言葉が好きなんだろ。。
本質的には争うことが好きなのかな。。と思うのですよ。
「ダイエットしなくちゃ」という人ほど、実は食べることを意識しているというみたいな感じで。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
Powered by "Samurai Factory"