カタログ作成に煮詰まり中。。
単純作業は嫌いなくせに、クリエイティブ(笑)な作業は長続きしないダメ人間。
ということで、脳味噌をカラッポにしようと気分転換。
2chでリーマンブラザーズの想定された破綻ネタ(世界は金融工学者wどもが予想したよりも狭かった)をだらだら眺めていたら、「excite翻訳で『韓国の威信』を中→日翻訳してみろ」という書き込み。
なんのこっちゃ。
で、やってみた。
韓国の威信 → 〓弊害とギャグ〓
おいおい、なんだ、これ。。。
「excite翻訳」と「韓国の威信」で検索してみたら、このネタはかなり以前から有名だったらしい。
韓国半島 → 〓弊害の馬屋か?
韓国の威力 → 〓弊害とギャグのイモ
韓国の一年後 → 〓弊害と〓ぼろぼろになる〓〓
韓国の十年後 → 〓弊害と〓ぼろぼろになる〓〓
韓国映画 → 〓弊害の切り株は掛けで売り買いします
韓国料理 → 〓弊害の侮辱は煮込みます
韓国大好き → 〓弊害は沈んで5疑います
韓国の良心 → 〓弊害と謎〓
慰安婦強制連行 → 〓うそか??〓〓〓
そもそも「韓国」の中(簡体字)日翻訳の結果が「〓弊害」だ。。
なのに、試しに「良心」と入力して中日翻訳をしたら、まんま「良心」となった。
いやはや。。
でもテケトーに入力してみたら、なにも韓国ネタだけじゃなかった。
中国共産党 → 〓弊害の召使いの宴会の絨
中国共産党総書記 → 〓弊害の召使いの宴会の絨の副馬〓か?
喜び組 → 〓はあまりに目が不自由です
金総書記 → 副馬〓を蹴りますか?
プーチン → 食器しようがなく人民の件
ウラジーミル・プーチン → それはしようがなく群れに立つことを責めることをまねますか?食器しようがなく人民の件
ドミトリー・メドベージェフ → 姿が美しくてでたらめな伉しようがなくか?玉の矛をなくしてしようがなく尼の白を責めます
アメリカ合衆国 → 失って伉市の磁気〓弊害をなくします
ジョージ・ブッシュ → 同じくしようがなく責めることを責めますか?皮は永遠に飛びかかって連なります
リーマン・ブラザーズ → 伉しようがなく穴の件か?皮はまねてしようがなく術にすがりつきます
EU諸国 → EU〓弊害
フランス大統領 → むだに朝沈むke〓をまねます
共産主義 → 召使いの宴会〓肝っ玉
資本主義 → 〓は〓肝っ玉に掛かります
なんだなんだこれ。。カオスすぐる。。wwwwwwww
機械翻訳のデータベースがぶっ壊れているのか、そもそもぶっ壊れた人がDBにエントリを入力したのか。
まぁ、たまたま日本語の文字セットと簡体字の文字セットがこんな風にマッチしたとは考えにくいから、誰かが悪意を持ってこっそり仕込んだのではないかと思うのだけど。。
メドベージェフ露首相が就任したのは今年の5月なんだぜ。up to dateすぎると思うんだが。。メンテナンスのたびに次々に仕込んでいるということなのかな。。
それにしても、この悪意の意図の持ち主がいると仮定して、いったい政治的にどっち側なんだ??
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■蛇足
カタカナでの入力の場合には規則性があるんじゃないかと思い立ち、単語をブツ切りにして入力してみた。
プー → 食器しようがなく
ーチ → しようがなく人民
ーチン → しようがなく人民の件
で、「プーチン → 食器しようがなく人民の件」
なるほどな。「プーチン」で仕込んであるわけではなさそうな。
さらに、
チンパンジー → 人民の件は件のからしようがなく責めます
パンジー → 件のからしようがなく責めます
なので、どうもカタカナだと単純におもしろい結果になるだけらしく、特に長音(ー)を含む単語の場合は壊滅的な結果になるらしい。(「プッチンプリン → プッチンプリン」だったw)
どうも文字コードの問題だろか。
それでも、
ワールドトレードセンター → しようがなくしようがなく群れの玉玄のイラクしようがなく玉を切ります元来件
と「イラク」のテキストが出た瞬間は、やっぱりびっくりした。
単語を分解してみると
ワールド → しようがなくひとつの群れの玉を切ります
トレード → でたらめなイラクはしようがなく玉です
センター → 件しようがなく
なので、たまたま偶然なのかもしれないけれど、偶然の一致にしてもできすぎだ。
また、「EU諸国」で「EU〓弊害」と出たことから、「○国」(○内は任意の1文字)と入力してみたら、別に韓国じゃなくても多くの場合で「弊害」となった。韓国ネタが強烈なのは、ものすごい偶然(+多少の悪意?)なのかもしれない。
隣国 → カリガネソウの弊害
諸国 →〓弊害
「中国 → 中国」となったのは、辞書に登録されている単語は辞書が適用されるからで、未登録の単語は文字を分解してマッチングさせるんだろか。
どんなアルゴリズムなのかはさっぱりわからんが、「慰安婦強制連行 → 〓うそか??〓〓〓」なんてのは、やっぱり悪意を持って仕込んであるような気がしてならない。
週末は岩手の葛根田川で沢登り。幸いお天気にも恵まれ、東北の穏やかなナメの沢を満喫しました。
本日のところは仕事が山積みで(涙)山の記録をまとめる時間がないので、写真を3つばかりup。
宮沢賢治の詩と無理矢理コラボ(w
さうしてどうだ
風が吹くと 風が吹くと
傾斜になったいちめんの釣鐘草(ブリューベル)の花に
かゞやかに かがやかに
またうつくしく露がきらめき
わたくしもどこかへ行ってしまひさうになる……
下山途中に振り返ったところ。アスピーテ火山の台地はどこまでもなだらか。ブナやオオシラビソ、チシマザサの原生林。山の上に草原と湿原が広がる。
かつてここを人の手で壊そうとし、人の手で守ってきた経緯があるそうな。
もろもろと崩れやすい溶結凝灰岩の土地を切り拓いたところで、砂の城を維持するのはたいへんだろう。
蒼く湛えるイーハトーボのこどもたち
みんなでいっしょにこの天上の
飾られた食卓に着かうでないか
たのしく燃えてこの聖餐をとらうでないか
ぼくはじっさい悪魔のやうに
きれいなものなら岩でもなんでもたべるのだ
夜は盛大な焚き火で宴会。
おゝ青く展(ひろ)がるイーハトーボのこどもたち
グリムやアンデルセンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み
経木の白い帽子を買って
この底なしの蒼い空気の淵に立つ
巨きな菓子の塔を攀ぢやう
葛根田川の緑色の水の淵。水底が透けて見えるので深いのか浅いのか見当がつかない。
水は冷たいけれど飛び込みたい誘惑にかられまくり。
じっと眺めていると、岩魚がぴうっと逃げていきました。
(宮沢賢治 心象スケッチ「春と修羅」第二集 「山の晨明に関する童話風の構想」より一部抜粋)
週末は岩手まで遠征(の予定)。
今後のお天気の変化が気になるけど。。あまり降られないことを祈ろう。。
岩手といえば、イーハトーヴォ。
宮沢賢治オタの自分にとっては心の聖地。
喜び勇んで勇み足かもしれないけど、大好きな「小岩井農場」の一節をペタ。
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すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽悍(ひやうかん)な四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外(そと)で
つめたい雨がそそいでゐる
(天の微光にさだめなく
うかべる石をわがふめば
おゝユリア しづくはいとど降りまさり
カシオペーアはめぐり行く)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外(そ)れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
(幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ)
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
(あんまりひどい幻想だ)
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
(ひばりが居るやうな居ないやうな
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降つてゐる)
さうです、農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punktと
呼びたいやうな気がします
宮沢賢治、心象スケッチ 「春と修羅」
小岩井農場 パート九 から抜粋
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「der heilige Punkt」はドイツ語で、日本語では「聖なる地」。The holy place。
山を逍遥しているときに、ふわっと素晴らしい風景が目前に広がると、なんとなくこの文章が浮かんできます。
もっとも、この詩の場合は、なんてことのない雨のしのつく農地だけど。
すとんと胸に沁みるような風景を目の前にして、ふっと厳然たる過酷な現実から解放される、そんな瞬間とか場所が確かにあるような気がします。
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
人生とは長い旅、生きることは修羅の道。
それでも「闘う」のではなく、「逃げる」というのが詩人らしくてツボ。
LHC 陽子ビーム周回成功オメ。
Cernのサイトでライブカメラを見ようと何度もトライしたもののアクセス多数により接続できず。ショボーン。。
今後の実験成果に期待death。
ただいまうっかり操作を誤りIllustratorがフリーズ。午前中の作業がすべてパー。
一縷の望みを託して奇跡を願ったものの、だめでした。ボーゼン。。あはは。なんかついてないな。。
ボーゼンとしながら、先日来気になっていたネタをまとめることにする。
全速力で現実逃避。あはは。うわぁ~ん(涙
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チェチェン共和国初代大統領、ジョハル・ドゥダエフ(Dzhokhar Musayevich Dudaev)氏に関する覚書。
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ジョハル・ドゥダエフ
ジョハル・ドゥダエフ(Dzhokhar Musayevich Dudaev, Джохар Мусаевич Дудаев, 1944年2月15日 - 1996年4月21日)は、チェチェン共和国初代大統領。
ドゥダエフは1944年チェチェン・イングーシ自治共和国のペルヴォマイスコエ村で生まれた。一家は第二次大戦中の強制移住でカザフスタンに追放される。彼はガガーリン空軍大学を卒業し、空軍少将まで昇進した。1991年10月30日にチェチェン・イングーシ自治共和国で行われた大統領選挙において得票率85%で当選し、11月に独立を宣言した。
1994年12月にロシア大統領ボリス・エリツィンは連邦軍をチェチェン共和国に投入、第一次チェチェン紛争が勃発した。ドゥダエフは紛争中の1996年4月にロシア軍のロケット弾攻撃で死亡した。
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日本語版Wikipediaの内容は簡潔にして簡素。日本だと知っている人は知っているが、一般的な知名度はそれほど高くないということなんだろか。
ま、単に自分が知らなかっただけ、なんだけど。
一方で、英語版の情報量はもちっと多い。
↓
Dzhokhar Dudayev (Wikipedia in English ver.)
英語版の内容で特に目を引いたのは、「Places named in honor of Dudayev」(ドゥダエフ氏にあやかって名づけられた地名)という項目。
トルコ、ラトビア、ウクライナ、リトアニア、ポーランド、エストニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チェチェンと、バルカン半島周辺を中心に、これだけ多くの国が氏の功績を称えるために地名(だけじゃないけど)に氏の名前を遺すことにしたという点は、とてもとても興味深い。
そういえば、チェチェン紛争の根幹の部分や、チェチェン独立派についてよく知らないよな。。ということで、今更ながらにちょっと調べてみたくなった。
Wikipediaの英語版(と、部分的に日本語版)の内容をモトに、ドゥダエフ氏の軌跡を年表にしてみた。
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■ジョハル・ドゥダエフ氏の年表 #1
18世紀にロシア帝国がカフカースへの南下を進めると、チェチェン人はロシアの支配に対して激しく抵抗を繰り広げたが、1859年にロシア帝国によって周辺地域とともに併合された。
1944年2月15日 チェチェン・イングーシ自治共和国のYalkhoroi村(日本語版だと「ペルヴォマイスコエ村」)に生誕。ドゥダエフは生後間もなく、家族と共に強制移住政策によりカザフスタンに追放される。
(注:第二次世界大戦中に、チェチェン人とイングーシ人約50万人はヨシフ・スターリンによって対独協力の疑いをかけられ、カザフスタンやシベリアへ強制移住させられた)
1957年 チェチェンおよびイングーシの住民の帰還が許可される。ドゥダエフは家族と共にチェチェン・イングーシに戻り、夜間学校にて学び電気技師の資格を得る。その後2年Vladikavkazにて電気技術を学ぶ。
1962年 Tambov Higher Military Aviation School(Tambov上級空軍学校?)にてパイロットとしての技術を学ぶ。なお、在学中に、チェチェン民族への差別を回避するために、オセット人であると虚偽の申請をしたという疑惑がある。
1966年 Tambov Higher Military Aviation Schoolを卒業。
1968年 ソビエト連邦共産党に入党。
1971-1974年 有名なガガーリン空軍大学にて学ぶ。この時期、ロシア人の詩人であるAllaと結婚。Allaにはすでに3人の子供がいた。
ガガーリン空軍大学卒業後、ソビエト空軍に入隊し、シベリアとウクライナにおいて重爆撃機部隊に従事。
1979年 ドゥダエフは、ソ連によるアフガニスタン侵攻に従軍した。
1987年 空軍少将の地位にあったドゥダーエフはエストニアのタルトゥにあったSoviet Strategic Air Force(ソビエト戦略空軍)基地にて司令として勤務。当時エストニアで盛んだったナショナリズム運動にも寛容な姿勢を示し、ソビエトからの勅命(テレビ局や議会の閉鎖)を無視するなどの対応を見せた。
1990年5月 ドゥダエフ率いる部隊がエストニアから撤退。同時にドゥダエフはソビエト軍を退職(公式には共産党員であり続けた)。同年、ドゥダエフはチェチェンの首都グロズヌイに戻り、政治家に転身。非公式野党である「All-National Congress of the Chechen People (NCChP) 」の党首に選出された。
1991年8月 ソ連「8月事件(8月クーデター)」勃発。チェチェン・イングーシASSRの共産党リーダーであるDoku Zavgayevは公式に8月事件への支持とゴルバチョフ大統領への反旗を表明。(ただし、ロシアからの独立はうまくいかなかったようで)ドゥダエフと彼の支持者たちは、Zavgayev氏の政治方針に反対した。
1991年9月 NCCHP軍は地元のソ連最高議会に侵入。グロズヌイの放送局や議会の主要建物を破壊した。
1991年10月 ドゥダエフは、チェチェン・イチケリア共和国の大統領に就任し、ロシアからの独立を宣言。
1991年11月 ロシアの大統領ボリス・エリツィンはチェチェン独立を阻止するため、グロズヌイに4万の軍隊を派遣。ロシアはチェチェンの独立を断固拒絶したが、事実上チェチェンは独立を果たしたとされる。
1994年12月1日 第一次チェチェン紛争勃発
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まだまだこの先の話は長いので、ひとまずはここまで。ふー。
Wikipedia英語版のほかにも、ドゥダエフ氏のバイオグラフィーを紹介するサイトがいくつかあるので、後日検証用にリンクをペタ。
↓
■ドゥダエフ氏のプロフィールが書かれたサイト
・PROFILE: Dzhokhar Dudayev: Lone wolf of Grozny (英語)
(Independent, The (London), Jan 22, 1996 by ANDREW HIGGINS)
・Dzhokhar Dudaev (英語)
(NationMaster.com)
ドゥダエフ氏に関する日本語の文献は少ない。
英語の文献にあたるのが精々だけど、内容はどれも似通っていて、生前の氏の肉声を伝えるものが少ない。
ネット上でちょこっと調べただけなので、どこかにはあるのかもしれない。
チェチェン語、グルジア語、またはトルコ語とか他のカフカス諸国の言語ならもっと文献がありそうだけど、残念ながらとても解読できない。
ロシア語は。。。さすがに表立っては書けないかな。もっともロシア語じゃ全然わからんのだけど。
そういえば。
ふと思いつきで、YouTubeでチェチェン共和国初代大統領であるドゥダエフ氏の名前を検索したら、こんな動画があった。
↓
Jokhar Dudayev (Dzhokhar Dudaev)
-
ドゥダエフ氏へのオマージュ動画。
痩身長躯、質素ながら常にパリッとした服装。よく手入れされた「ムスターシュ」が印象的。
このYouTubeの動画へのコメントは、現時点で全30件。
9割以上がドゥダエフ氏への追悼。チェチェンだけではなく、カフカスやバルト諸国、トルコのユーザが「カフカス独立の真の英雄」と讃えている。
いったいこれは、ロシア統治の不満や大カフカスとしての連帯感の現れなんだろか。
この地域の歴史は余りにも複雑すぎて、よくわからない。。よくわからないので迂闊にヘタなことは言えないけれど、ドゥダエフ氏はある人々にとっては確かに未来を託すべき指導者であり、英雄だった。
でも自分には、まだ氏の輪郭が見えてこない。
時間のあるときに、もうちょっと調べてみようと思う。
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ようつべの※。難癖つけと英語以外の言語は除外。
i couldnt stop my tears when i watched this... he was a great man... may alh rest his soul in peac. dal gach doila cuna our chechen hero . thanks for posting this
im proud to say that we had such a president! shahid ma vu i inshAllah!
Heroes and honorable men don´t die. They are all in the gardens of God inshaAllah.
One of the most honorable man in Caucasus. Great patriot of his country and one of the best representetive of his nation. Symbol of courage and determination.
chechens and georgian for eva!!!!
May ALLAH bless his soul. A great man , a great patriot , a great Hero, a great fighter,a great leader.
The MAN - with capital letters. Tue Vainakh, true Nokhchi, true Caucasian, who knew what freedom, frienship and dignity is about. I am proud that my President Zviad Gamsakhurdia had such a brother. May their blessed souls be granted etrnal life and light!
The Man! Thank you, President Dudaev, for being the great symbol of a true Caucasian. You and your Georgian brother, Zviad, united the spirits and destinies of our nations forever and showed us what dignity, honor, courage and brotherhood is about! Your life will be a proud legend for generations. Rest in peace, my hero. Young wolfs will grow up in our old Caucasus to follow the star you gave your heart to and life for - the star of freedom, brotherhood and unity!
Viva NORTH Kavkaz Konföderation Union
Chechen,Abkhaz,Adiga,Karachay,ingush,Ossetia,Dages tan
at the funeral of Zviad Gamsakhurdia people were creeming "Best friend of Zviad Joxar Dudaev's - GAUMARJOS!" 2 patriots forever remembered together - Johar and Zviad
Glory to Georgia and Chechnya!
Real, true Caucasiens!
two nation Georgiand and Chechnia who always fights for freedom others go to Russians traitorsssssss
Allah blesses you, big general. Muslims and Turks will never forget you. Neither you, nor your fight. Allahu Ekber
All honor to Dzhokhar Dudaev. We Latvians shall always stand by your fight for freedom.
It's sad that your story didn't get the "Happy End".
Rest in peace and eternity great leader!
You are hero not only Chechens, but whole Caucasus!
We will never forget you or your fight! Turk Chechen!!!!
allah blesses you and will never forget your duties down. THIS SHOULD ENCOURAGE ALL OF US to do what is right. FREEDOM.
Dudayev you are the the legend of all kavkaz . god bless you president dudayev
allah u akbar
YOU ARE WHO PUT russia ON HER KNEELS
YOU ARE OUR LEADER UNTIL OUT DEATH
Ichkeria!! You will be free!!!!!!!!!!
we will never forget you.You are great leader. viva chechenya. Forever long live chechenya.free chechenya (from turkish brothers)
Kurlandlegionar
Gloryu to HERO!
Greetings from Latvia.
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いよいよ本日、9月10日 9:00am CEST (GMT+2、日本時間16:00) にLHCのFirst Beam発射。
CernのサイトのLive Webcastで公開予定。
今回のFirst Beam発射は、LHCが正常に稼動するかどうかのステップで、本格的な試験はまだ先のお話とのことですが。あぁもう、
+ +
∧_∧ +
(0゜・∀・) ワクワクテカテカ
(0゜∪ ∪ +
と__)__) +
ところで。LHC稼動直前になって、イギリスの著名な天体物理学者ホーキング博士が、
「ヒッグス粒子は見つからないだろう。100ドル(約1万円)賭けてもいい」
と発言したとのこと。
ええ~。。。あれれ。。
て、100万ドルじゃなくて100ドルぽっち?
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ホーキング博士、「LHC実験で神の粒子は見つからない」に100ドルの賭け
【9月10日 AFP】英国の天体物理学者スティーヴン・ ホーキング(Stephen Hawking)博士(66)は9日、まもなく行われる巨大粒子加速器「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」の実験について、「ヒッグス粒子が見つからないだろう。100ドル(約1万円)賭けてもいい」と語った。
■LHC実験で「神の素粒子」発見を目指す
スイスにある欧州合同素粒子原子核研究機構(European Organisation for Nuclear Research、CERN)は、ヒッグス粒子を発見することを目標に、10日にLHCを稼働させる。実験では、水素の原子核である陽子をほぼ光速まで加速させて衝突させる。
素粒子が質量を獲得するメカニズムは長年謎とされてきたが、1964年に英物理学者のピーター・ヒッグス(Peter Higgs)がその謎を解く理論として「ヒッグス場」を提唱した。ヒッグス場とは理論上、素粒子に質量を与える場だ。仮説では、素粒子はヒッグス粒子に当たって抵抗が生じることにより質量が生じる。ヒッグス粒子はどこにでも存在するものの目には見えないため、「神の素粒子」と呼ばれることもある。
■予想外の粒子が発見される可能性も
今回の実験について、1988年の著書『ホーキング、宇宙を語る-ビッグバンからブラックホールまで』(原題 A Brief History Of Time)で知られるホーキング博士はBBCラジオに対し、「実験では量子反応を観測できるよう高いエネルギーが生成されるため、ヒッグス粒子を発見するには充分だと考えられている。しかしわたしは、ヒッグス粒子を発見できなかったときの方がはるかにエキサイティングだと思う。つまり、何かが間違っていたということであり、考え直す必要があるということだ。ヒッグス粒子が見つからない方に100ドル賭けてもいい」と語った。
だが、一部の科学者は博士よりも楽観的だ。フランスの天体物理学者、Hubert Reeves氏は、スイスのル・マタン(Le Matin)紙に対し、「LHCは素粒子物理学の世界を永遠に変えることになる『予想外の結果』をもたらすだろう」と期待を寄せている。
一方、ホーキング博士は、実験で既知の素粒子の「超対称パートナー」となる超対称粒子が発見される可能性も指摘している。超対称粒子は銀河同士を保持する謎の暗黒物質(ダークマター)を生成している可能性があり、この発見はひも理論を裏付けるものでもある。「LHCで何が発見されても、あるいは発見されなかった場合でも、宇宙の構造について多くの手掛かりを与えてくれるだろう」と博士は締めくくった。(c)AFP
(AFP 2008.09.10 10:49)
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つまり、もしも「ヒッグス粒子が見つからず標準理論が成立しなかったとしてもLHCの研究意義は大きい」ということには違いないわけですね。
つか、1万円ってしょぼwwwww
さすが世界的天才天文物理学者、ウィットに富んでます。ステキです。
宇宙を満たしているというダークマター(暗黒物質)の発見については、日本も独自に取り組んでいるそうで。
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カミオカに新空洞完成 暗黒物質の発見目指す
宇宙を満たす謎の「暗黒物質」の発見をめざした観測装置を設置するため、東京大宇宙線研究所が岐阜県飛騨市の神岡鉱山地下に掘削した新しい空洞が完成し、27日報道陣に公開された。
空洞はニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」などに隣接。世界的な成果を次々と挙げる「世界のカミオカ」に、強力な仲間が加わることになりそうだ。
暗黒物質は宇宙に存在する物質の8割以上を占めるとされるが、望遠鏡などでは直接姿が見えず正体は不明。ニュートリノのように、あらゆる物質を通過してしまう未知の素粒子との見方が有力だ。
空洞は地下1000メートルにあり縦約20メートル、横約15メートル、高さ約15メートル。今後、直径10メートル、高さ10メートルの円筒形の水タンクを設置し、その中に零下約100度の液体キセノン1トンを使う直径約1メートルの検出器を据え付ける。
計画では、暗黒物質がごくまれに液体キセノンとぶつかって放つ光を、検出器の約650本の光電子増倍管で観測。
(2008.08.27 18:54 共同通信)
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今年の夏に北アルプスを縦走し、新穂高温泉方面に下山する途中の林道で、道路端の標識に「神岡町」という地名を見つけ、「神岡ってもしかして『カミオカンデ』の!?」と、思わずときめいてしまったのは懐かしい思い出です。
■Related Entries:
フライング~ "CERN announces start-up date for LHC" (2008.08.08)
LHCと新宇宙創世記 (2008.08.07)
5次元世界 (2007.08.27)
グルジア情勢をめぐってあっちゃこっちゃのニュースを見ていたら、いったい自分の目に見える世界の姿は真なのか虚像なのか訳がわからなくなりつつ。。
ロシアの経済紙Kommersant(コンメルサント)の英語版サイトに、こんなニュース。
↓
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Turkey Plays to Russia in Caucasus
Russia and Turkey have set to fulfilling the program of creating the Caucasus Cooperation and Stability Platform. Past weekend, Turkish President Abdullah Gul endeavored to persuade his Armenian counterpart Serge Sarkisian of the need to set up a new alliance. The same issue was discussed when Azerbaijan’s Foreign Minister Elmar Mamediyarov visited Moscow. The alliance will strengthen the Caucasus standing of Moscow and Ankara and weaken the position of Washington there.
(以下略)
トルコはカフカス地域においてロシアに協力
ロシアとトルコはカフカスにおける協力関係と地域安定政策を推進するプログラムの履行に着手した。先週、トルコのギュル大統領はアルメニアのサルキシャン大統領と会談し、両国間で新たな同盟を樹立するが必要であると説得した。同様の議題はアゼルバイジャンのメメディヤロフ外務大臣がモスクワを訪問した際に議論された。この同盟はカフカス地域におけるモスクワ(ロシア)とアンカラ(トルコ)の影響を強め、ワシントン(アメリカ)の地位を弱めるものとなる。
※訳はテキトー
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黒海の通り道であるボスボラス海峡の制海権を握るトルコがやけにおとなしいなぁ。。と思っていたら、いつの間にこんなことに。。
万が一その気になったらNATO軍の艦隊もロシア軍の艦隊も一網打尽にできるたのに、ただまんじりと見守っているだけでしたから。
かねてからEU加盟を熱望し、それでも北キプロス問題、クルド人問題、アルメニアとの歴史的・外交問題、国内の人権保護問題、経済事情などを課題にのらりくらりとかわされ続けてきたトルコ。
親米、親イスラエルで西側諸国の一員になることを夢に見続けてきたトルコ。
欧米側に立つのかロシア側に組するのか、その動静が気になっていましたが、まさか蝙蝠になるとはな。
「トルコ」でGoogle Newsを検索してヒットしたものをざざっと見たけど、日本の報道ではどこにも今回のトルコとアルメニアの大統領の会談の陰に「ロシアの後押し」があったことに触れる内容はありませんでした。
単に知らなかったのか、知らせたくないのかはわかりません。
どうなんだろ。
トルコ大統領のアルメニア訪問に関する日本の報道。
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「ギュル・トルコ大統領:アルメニア初訪問 「グルジア」余波、歴史的関係改善へ」
ロイター通信によると、トルコのギュル大統領は6日、国交のない隣国アルメニアを訪問してサルキシャン大統領と会談し、関係改善を目指すことで合意した。両国間は第一次大戦末期のオスマン・トルコによるアルメニア人迫害などを巡って断絶状態にあり、トルコ大統領の訪問は初めて。歴史的転換の背景には、グルジア紛争に伴う地域情勢の流動化がある。(中略)
トルコは最近、カフカス地方との関係強化に積極的だ。エネルギー資源を獲得したい思惑がある。アルメニアにとってもトルコとの関係改善の利益は大きい。カスピ海と地中海を結ぶ欧米主導の石油パイプラインは、アルメニアを迂回(うかい)しグルジア経由でトルコに向かっているが、アルメニアがグルジアに代わるルートになりうる、との見方も出ている。
(毎日新聞 2008/09/08)
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※パイプラインに関する論評を出したのは毎日だけだった。。HENTAIのくせに。。
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トルコ大統領、アルメニアを初訪問 サッカー観戦で“雪解け”演出?
(思いっきり省略)
トルコの与党のイスラム系政党、公正発展党(AKP)のエルドアン首相は、シリアとイスラエルの和平仲介に乗り出し、欧州連合(EU)加盟交渉の障害となっているキプロス問題でも解決への交渉に入っており、アルメニアとの確執を和らげることができれば内外に向けて大きな得点となる。
(産経新聞 2008/09/06 23:59)
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過去の確執を超えて新たな関係を~というと聞こえはよいのですが、要は、ロシア-トルコ-アルメニア-アゼルバイジャンが手を組めば、グルジアを外した天然ガスパイプラインルートがさくっと一丁あがり。
おまけにシリアとイスラエルの和平仲介に、キプロス問題への解決交渉か~。。
これはトルコのEU加盟に一歩前進なのかな。
それとも、もはやEUに加盟せずともロシアと手を組んで自前でやっていくつもりなのかな。。(正直、トルコにとってはその方が良いのではないかと思うのだが。EUはどのみち烏合の衆だし)
ちなみに、CNN Japanはこんな感じですた。
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トルコ大統領の「サッカー外交」に抗議運動 アルメニア
エレバン(AP) トルコのギュル大統領は6日、サッカー・ワールドカップ(W杯)予選の同国─アルメニア戦を観戦するため、アルメニアの首都エレバンを訪問した。しかし約1世紀前のオスマントルコによるアルメニア人殺害を問題視する人々が、ギュル大統領訪問に抗議した。(中略)
両国の間は、アゼルバイジャン領内のナゴルノカラバフ自治州がアルメニア人で占められ、アゼルバイジャンと密接なつながりを持つトルコが反発している問題もある。
(CNN Japan 2008/09/07 Web posted at: 18:45 JST )
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トルコ-アルメニア-アゼルバイジャンのラインが団結することを阻止したいダメリカ様の意向がスケスケ。
いやしかし、この世のいったいなにを信じたらよいのやら。
あちらこちらで語られる世界の姿が異なりすぎて、よくわかりません><
ま、KommersantやCNNの国際関係記事なんて、所詮プロパガンダ垂れ流しなので話半分がよろしいようで。
それにしても、ロシアが資源(と武力)をカードに着々と新世界秩序への布陣を進めているようなんですが、なんて壮大なオセロゲームなんでしょ。。
「なぜアメリカはよその国の問題に首を突っ込んでくるの?」とイタリア人教師に問われ、「アメリカは世界の警察だから」とあっけらかんと答えた生真面目なアメリカ人大学生の姿がずっと脳裏に焼きついています。
「NO!!!!!!」「誰も頼んでねーよ!!!!」と教室内がそら騒然としたもんでした。
(両米大統領候補の受諾演説を聞いて呆れたのはわたしだけだろか。アメリカは肥大化したジャイアンだということがよく分かっただけで、とても残念だ)
世界の警察が強引に介入した挙句世界がガタガタと綻び始めたら、資源と武力を正論(ある意味ね)を振りかざしたロシアによって民族紛争や宗教問題を超越して各地域と手を結び始めるオセロゲーム。
でも、どちらの側が覇権を握ったとしても、結局一般市民はあまり幸せにならなそうな点が難なんだよな。。
前日の金曜日に天気予報を見ると、土曜の方がかろうじて天気がもちそうだったので、奥多摩の日帰りの沢に行きましょう、場所は当日決めましょうと、いうことに。
朝4時に起床。外はまだ薄暗い。いつの間にかすっかり日の出が遅くなったことに気付く。
朝5時前に家を出て電車に揺られていると、空には眠そうな雲が垂れ込めている。山の方が天気が良さそうな予報だったけど、これでホントに大丈夫なのかな。。と、ちょっと不安になる。
6時ちょうどに集合場所へ。メンバーはY君とUさんと自分の3人。
出発前にみんなで「関東周辺の沢」をぱらぱらめくりながら、行き先を相談。
めぼしい星3つの沢はすでにUさんか自分が遡行済みだったため、まだ誰も行ったことのない沢ということで「巳ノ戸谷」に決定。
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巳ノ戸谷は日原川を代表する険谷とのことですが、美しい滝や釜が多く水量も豊富でお腹いっぱい満喫できました。渡渉、高巻き、シャワークライミングでの直登、ちょっとしたゴルジュ泳ぎ、ツメと沢登りのあらゆる要素が凝縮されています。
下調べもせずに当日遡行を決めたので、下山路も核心であることを思い知りました。結果としては時間はかかったものの無事に下山することができ、沢登りならではのルーファイの面白さも満喫しました(行き当たりばったりはやめましょう、はい)。
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遡行記録、続きます。
途中、日原川の流れを見ると、それなりに水量は多いものの先週のように白濁はしておらず、なんとなくホっとする。
日原の集落を過ぎ、日原街道から日原川沿いに左折して日原林道を進み八丁橋手前のスペースに駐車。すでに3、4台の車が停車中。ここで沢装備を準備。その間にも2、3台ほど車がやってくる。みな釣り師さんのようで、沢屋さんは自分たちのみ。
準備をしている最中に沢靴下を忘れたことに気付く。げげげ。
まぁ、昔の沢屋さんたちはわらじで沢に突入していたことを思えば、なんとかなるだろー。
8時45分に歩き出し。しばらくは日原林道を歩く。八丁橋まではダート道だったのに、八丁橋から先は立派なコンクリート舗装になっていてちょっと不思議。管轄が違うんだろか。
林道の左手に流れる日原川はかなり深い峡谷。この高さから入渓点まで下りるのもそれなりに苦労かも。。と思う。8時57分に林道から沢への下降点に到着。
沢へ下りる道は踏み跡明瞭ながら、土壁がたっぷり水を含んでいてグズグズのガレガレ。落ちたら結構まずそう。
トポには「水量が多く水勢が強い場合は渡渉は困難を極める。入渓を中止する勇気も必要」とある。
この日の水量は膝上程度なので、まぁ大丈夫だろうと判断する。
巳ノ戸谷の出合は狭く、両岸が切り立った場所。スレートの岩は黒く、深遠の淵という言葉が似合う。数万スケールの年月で水が大地を穿つその悠久の営みに驚く。そして、こんなところが東京にもあるという事実にまた驚く。
巳ノ戸谷の出合に釣り師さんがいらっしゃる。「あっち?」と日原川上流を指差されたので、「いえ、そっち」と巳ノ戸谷を示すと、心なしかがっかりした表情をされる。そりゃそうだよな。ごめんなさい。とはいえ、今更ルートを変更するのも難しい。なるべく釣り師さんの邪魔にならないように、目の届く範囲ではおとなしく右岸の岩を伝って歩く。
沢床や釜や滝は黒いスレートなのに、脇の土壁はぽろぽろと剥がれる緑泥岩に泥が詰まった感じで脆い。これは遡行した範囲の巳ノ戸谷全体に言えることで、水流がそれだけ深く地層を抉ってこの渓谷ができたのかな。。と思う。
大滝を越えると沢は河原が広く穏やかな流れに変わる。左岸に古いわさび田の跡が続く。立派な石積みだけが残り、野性化したワサビがちょろりと生えている程度。
「沢登りルート図集100選」という本に1977年の巳ノ戸谷遡行記録があり、この中ではこのワサビ田はまだ現役として書かれているが、「関東周辺の沢」の1994年の遡行記録ではすでに「ワサビ田跡」になっている。
それにしても、至近の集落である日原集落でさえ片道1時間強の道のりで、いったい誰がこんな辺鄙な場所にワサビ田をしつらえたのだろう。。なんてどうでもいいことを考えてしまう。
ワサビ田を過ぎると右手に「押し出し」が現れる。かなり古そうな地すべりの現場。この谷の両岸はとにかく脆い。長雨の直後や雨の日にはたしかに入渓しない方が良さそうな気がする。
間もなく「忌山の悪場」が現れるので、ここで1回目の休憩。いつの間にか雲の切れ間からわずかに青空覗いている。ほっ。
なんというか、「忌山の悪場」というネーミングがすごい。すばらしい。近寄ってはいけない雰囲気がビシバシ伝わってくる。でも踏み込んじゃうけど。
(右岸に忌山の悪場をまるっとパスする高巻きルートがあるそうなんだけど、入口は見当たらなかったし、たぶんここの岩質からいって、あまり安全な道ではなさそうな気がする。。どうなんでしょう)
狭い回廊に5m、4m、4mの滝が段々と続く連瀑帯。それぞれの滝は下に小さいけれど割合深い釜があり、滝の落ち口からはぼうぼうと水が走っている。
高さはそれほどでもなく、傾斜も緩いので、水流の右左に手がかりを見つけてクリア。
8mの滝が現れる。滝のど真ん中に大きな流木が引っかかっている。ここは直登が厳しそうなので、右岸を高巻き。傾斜は緩いけど、岩が案外脆そう。滝の落ち口辺りでトラバースして滝上にちょこんと出る。釜を横切って次の3m滝の右を登る。
その次の3m滝の釜はやや大きく、取り付きまでずぶ濡れになること必至。気温はそこそこ高いのだけれど、水温が低いので泳ぐ勇気がでてこない。でも泳ぐのが大好きな自分は、敢えて荷物を脇にデポして泳いでみる。水深が深くて楽しい。あぁでも、やっぱりつべたい。
取り付きの泥壁はホールドが豊富ながら全体的に脆い。途中の木がしっかりしているのだけが幸い。滝つぼにかかる巨木の末端を足場に落ち口を目指す。落ち口手前には古いハーケンが二つほど。ただしあまり信用ならない。
なんというか全体的に微妙なバランスが必要で、自分としてはこの6m滝がこの沢の核心でした。
悪場を過ぎると沢はまたなだらかになる。11時10分頃、明瞭な二俣が現れる。左手は鞘口窪。
くっきりと右折する本流に従う。しばらく釜と小滝が連続。鋼鉄のワイヤーが落ちていて、それが長く続いているのが気になる。
トポには右岸に「小屋跡」があると記されているけれど、物の影も見当たらない。1977年当時の遡行図でもすでに「小屋跡」なので、すっかり自然に還ってしまったのかもしれない。
徐々に倒木が煩くなる。ぬるっとしていて、案外いやらしい。
11時25分、左岸に「山抜け」を見る。ここもまた地すべりの跡。
(歩きながらばしばしカメラで写真を撮っているので、今回かなりのんびりモードです)
下部は「押し出し」でここでは「山抜け」と呼ぶのは、名づけた時代が異なるからなんでしょうか。ちなみに、「山抜け」の方が少し新しい印象でした。
相変わらず釜と小滝が連続。ところどころ大量の流木が詰まっている。いったいどこから落ちてきたんだろ。
切り出した木の名残なんだろうか。流木を攀じ登ったりくぐったりと、結構せわしない。
6mの滝は釜を泳いで左岸から取り付く。さほど困難はないし6mもないと思う。
3m階段状の滝を過ぎると、左手に孫七窪の出合に到着。
この辺りから水流がやや細くなると同時に、格段に岩が緑苔でぬめり始める。
木々の隙間から日光が差し込んでいるけれど、水流を浴び続けたせいかかなり体が冷えている。
おまけに沢靴下がないせいで(冷たいけれど、まぁ思ったよりは大丈夫)かかとが擦れてちょっと痛い。
とはいえ、良さそうな休憩ポイントがないので、しばらくは小滝、釜、流木を越えながらぽくぽく歩く。
左岸に湧水している箇所があり、地面の隙間からじわじわと水が染み出している。試しに少し飲んでみたら、ミネラル臭くて苦かった。
五平窪を過ぎると沢相がやや河原っぽくなる。ここで2回目の休憩。
写真を撮りながらのんびり歩いたこともあるけれど、思いのほか時間がかかったな。
休憩後、再び歩き出す。ぼちぼち沢を上がるハズなのでみなキョロキョロと周囲を見渡しながら。
自分の時計の高度計はすでに標高1200mを越えている。Y君の高度計では1100mちょっと。たぶん自分の高度計が狂っているんだろう(というか、以前修正してしまった後からちゃんと合わせていない)。
1180mのところで沢を横切る仕事道を上がるはずだけど、どうもそれらしき道が見当たらない。
と、沢いっぱいに倒木が横たわるところで、Y君が左岸にかかる古びたテープを指差す。
どうやら沢から上がる踏み跡らしきものが見える。
13時20分に遡行終了。踏み跡を辿ってトラバース気味に斜面を上がると、苔生した石が石畳状に上に続いている。石畳を忠実に直登し、目の前に笹藪が現れたところで右にトラバースする踏み跡を辿る。獣道にしてはフンがないので人が歩いた道だと思われる。少し歩くと、ガレ場に至る。ここで踏み跡が途絶える。水のチョロチョロ流れるガレ場を登り、傾斜が厳しくなったところで右手に再び踏み跡を見つける。
枝尾根に出たところで沢装備を解除。
自分は踵が擦れて痛いので、ついでに沢靴を脱いでトレランシューズに履き替える。
空模様はあまりすぐれず、時折パラリと雨が降ってはすぐに止む。殆ど降られたうちに入らないが、急いだ方が良さそう。
どうやらちゃんと仕事道に合流できた模様。時すでに14時20分。まぁ標高差もあるし、行きつ迷いつという感じがだからそんなもんか。
あとは丹念にトラバースルートを辿り、ジグザグの下り道を下る。かなり整備された道で、普通の登山道と遜色ない。こんな山深い場所にこれほど手の込んだ地図にない道があることに驚くばかり。
Uさんが膝の調子が悪いので、のんびり下る。
途中で道が2箇所分岐するけれど、最初は右、次は左を選んで下る。分岐の先がどこに続くのかとても興味深い。トポに記されたとおり日原川にかかる「立派な吊り橋」を渡り、16時20分に日原林道に出る。
あらら。。
日原林道を八丁橋方面に歩き、車に戻ったのが16時40分。荷物を片付けて、この日は奥多摩駅前のもえぎの湯が満員御礼だったので、沢臭いのを我慢して東村山にあるかたくりの湯まで遠征(一応通り道)。
家にたどり着いて沢道具を片付けたら、あとはこんこんと眠り続け、翌日のお昼に目が覚めました。びっくり。
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過去の記録を見ると、自分たちが高巻いた大滝や8m滝、5m滝を登っている記録がありました。
すごいな~。自分たちは下調べ不十分ということもありましたが、下調べをしていても安全第一で高巻いたのではないかと思います。どうなんだろ。
ちなみに、この巳ノ戸谷は、「沢登りルート図集100選」では、スバリ「初心者向け」「初心者同行以外はザイル不要」「登山靴よりわらじが良い」とされ、「1級」の沢に格付けされています(「関東周辺の沢」では2級)。
う~ん。。昔の人は勇猛果敢だったのか、この30年間で谷がよりいっそう峻険になったのか、定かではありません。「登山靴よりわらじ」かぁ。。
また、おそらく沢からの下降点は、自分たちが沢を上がったところよりもう少し上流だったのではないかと思います。ただ、残置テープ類や踏み跡などが確かに存在していたので、前人未踏のルートではなさそうです。
家に帰った後、しみじみと2万5千分の1の地図を見ても、どこにも仕事道の跡はありません。
おそらくこのルートだろうな、と思われる斜面と稜線があるだけです。
また、今回はかなりのんびり下山しましたが、速度を上げればもっと短時間で下山できると思います。
あまりネタを明かすとこの沢の面白さが半減してしまいそうですが、地図にない道(でもとてもしっかりした道)を歩くことはかなり面白い経験でした。
いずれまた機会があったら、再訪してみたい沢ですが、忌山の悪場の6mを自力でクリアできる自信がないなぁ。。
あと、ところどころ「なにかがいる」気配が濃厚で、幻聴がひどかったのですが、おそらくは単に睡眠不足のせいでしょう。あまり悪い感じではありませんでしたし。うふふ^^;
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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