先日、沢の遡行集を読んでいたら、そういえば去年の夏の葛根田の遡行記録を提出していなかったことを思い出した。決して忘れていたわけではないけれど、まぁ延び延びになってしまった。
まだ辛うじて覚えているうちに(と思ったけど、案外忘れていた。うう)記録をまとめてしまえ! と、一気に書いた。疲れた。
会報に提出する内容と同一なので、会の皆様は後日のお楽しみ(?)にどうぞ。
細かい間違いはぜひ寛大な心で見逃してやってほしいのです。。
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■山域: 葛根田川 北ノ又沢遡行、明通沢下降
■山行年月日: 2008年9月13日~9月15日(前夜発)
■メンバー: Nさん(C.L.、食担)、Y氏、Y君、自分(記)
■コースタイム:
□9月12日 夜都内集合 雫石町に入り仮眠
□9月13日 8:15 滝ノ上温泉駐車場(広い。トイレ、水場有) 沢装備を装着 - 9:00 歩き出し。間もなく葛根田地熱発電所のゲート有- 9:35 舗道が切れ林道となる地点から入渓- 10:08 明通沢(大ベコ沢)出合 - 10:26 ドクロ滝 - 10:42 お函(おかん)のゴルジュ帯通過 - 11:23 大石沢出合、休憩- 11:52 沼ノ沢出合- 12:00 中ノ又沢出合(テン場チェック) - 12:20 葛根田大滝(2段25m)下、左岸を高巻- 12:28 葛根田大滝上 - 13:00 滝ノ又沢出合 - 13:20 二俣、左俣へ 幕営適地を探す 13:55 幕営地着。幕営準備
□9月14日 6:00起床 - 7:45 歩き出し - 8:10 二俣、右又へ - 8:20 20m 滝右岸高巻 - 8:30 8m滝直登 - 9:00 登山道 - 9:18 関東森、休憩 - 10:17 1283m道標、休憩、明通沢への下降点を探して藪漕ぎ - 11:40明通沢支流入渓 - 12:05 4m滝下降 - 12:20 4m滝下降 - 12:35 9m滝下降(右岸懸垂下降) - 12:55 15m滝上(左岸懸垂下降) - 13:30 明通沢本流 - 14:55 コンクリート橋、林道(廃道)歩き - 15:50 林道終点 - 16:25 滝ノ上温泉駐車場
□9月15日 帰京
・記録
「秋の三連休はNさんがきっと東北の沢に遠征するよ」とY氏が言うので心待ちにする。「葛根田に行こうと思う」というNさんの計画に飛びつく。昭文社のエアリアマップを購入し、地形図を準備し、過去の遡行記録をネットで探し、気まぐれな週間天気予報を睨む。
9月12日金曜日の夜に都内を出発。遠方なので日数はかかるが、実質の遡行は1泊2日なので荷物はさほど多くない。外環から東北道に乗り順調に北上。最初はY氏が運転し、福島に入って少ししてからNさんが運転を替わる。飛ぶように車は北に向かうけれど、盛岡までの道のりは遠い。結局、盛岡市内に到着した頃には午前4時近くになっていた。雨が上がったばかりで空気は湿っている。
9月13日(金) 曇りのち晴れのち曇り、午後一時小雨
眠い。とにかく眠い。7時過ぎに起床。周囲は薄い霧に包まれている。今日の予報は曇りのち晴れだけれど、本当に大丈夫だろうか。途中のコンビニで朝食。都内の朝はまだ夏の熱気が残っているけれど、盛岡の朝は空気が凛としている。葛根田発電所を目指して走り出すうちに、霞が晴れて空に青空が覗く。まだ山はもりもりと緑に包まれて夏の気配に満ちている。8時過ぎに滝ノ上温泉登山口の駐車場に到着。川の向こうの斜面に三条ばかり白煙が立ち昇っている。少し異様な光景。ここの駐車場は広く、小綺麗な休憩所がある。木材のタイルが敷き詰められた床は天然のオンドルで室内は暖かい。
沢装備を整え9時に歩き出し。道の右手には滔々と流れる葛根田川。間もなく葛根田地熱発電所の車止めゲートに至り、その先にプラントが続く。大きなパイプが道に沿って走り、プラントからも蒸気が噴出している。アスファルトの地面に触れるとほのかに温かい。葛根田地熱発電所は2008年4月21日に発生した大規模な土砂崩れにより、一部の施設が被害を受けた。道路を塞いだ土砂は撤去されていたが、まだ至る箇所に被災の跡が残っていた。側溝には乳白色の温水が流れ、土中から熱水がごぼごぼと噴出しているところもあった。
やがて右手に最後のプラントを見送ると舗装道路が終わり、砂利がひかれた細い道は背の高い雑草に覆われてしまっていた。左手に流れる葛根田川に下りる踏み跡があったので、ここから入渓する。すぐに小さな堰堤が現れ乗り越す。川幅はのっぺりと広い。葛根田「川」であって「沢」ではないことは重々承知していても、これではいかにも広い。水流は踝下辺り。川幅だけではなく空も広い。なんだか川遊びに来たみたいだ。ぱしゃぱしゃと川の端を進む。時折砂地に先行パーティらしき人の踏み跡を見る。
歩き出しから1時間ほどすると川床が小石からやや薄緑がかった乳白色した凝灰岩の岩盤に変わる。周囲には赤みを帯びた岩壁がそそり立つ。峡谷というほど狭くも高くもない。川だ。川床の岩盤の一部は深く抉れて緑色の淵になっている。ゼリエースのメロン味みたいな色。浅瀬を選んでひたひたと歩くけれど、深い淵があまりに魅惑的でどぼんと飛び込む。まだ気温がさほど上がらず水も冷たい。
右手から赤茶けた明通沢(大ベコ沢)が合流し、しばらくすると特徴的なドクロ滝がやはり右手に現れる。ドクロ滝という呼び名はちと不気味だけれど、実際よく似ている。まるんとした黒灰色の大岩からスダレ状に水が落ちてくる。修行僧ごっこといいながら、みな順番にシャワーを浴びる。ちょうど陽射しが差してきたので、零れる水飛沫がキラキラときれい。
浅瀬をひたひたと歩いたりへつったりしながら先を進む。前後には他のパーティは見当たらない。やがて川幅が狭まりゴルジュの渓相となり、「お函」の通過となる。左岸は切り立っているので、右岸をへつり玄武岩質の岩に乗り上げて越える。淵は暗く深い。水量が多くて水勢が強いときは少し難しいかもしれないが、この日はいたって穏やかな流れだった。お函を過ぎると川床の岩は黄褐色になり、丸みを帯びた小丘となりその合間を白流が流れ落ちていく。再び流れが緩やな河原となったところの左岸に幕営地と思しき焚き火跡があった。大石沢出合だ。ここで大休止。
大石沢出合から先しばらくは割合平凡な沢相となる。礫や小岩の河原と淵のある岩盤が交互に続く。淵の中を覗くと魚影がぴうっと逃げていく。「Y君、今晩のおかずはよろしく」と期待するものの、結局幕営地は岩魚の生息圏を越えて上の場所になった。
川の流れはどこまでもなだらかで穏やかで、時折手元の時計でチェックしてもちっとも標高が上がらない。周囲を見回しても目標となるような大きな頂は見当たらない。高層湿原が点在する丘陵地帯の中を柔らかく蛇行する沢をひっそりひたひたと進む。
お昼過ぎ近くになり、左から沼ノ沢が出合うところを過ぎ、間もなく中ノ又沢出合に至る。ここの出合の左岸下流に幕営跡があったけれど、イマイチ鬱蒼としているのでパス。中ノ又沢と分かれると、いよいよ北ノ又沢となる。
前方に高いところから水を落とす崖のような滝を見て、左曲する川に沿って小滝を越えると葛根田大滝が現れる。それまで滝らしい滝に出会わなかっただけに新鮮。どどどどどと白い水流が落ちる大きな滝壷を持つ2段25mの大滝。左岸の踏み跡はとても明瞭で、小尾根を伝うようにするりと滝上に到着する。滝上は水流に磨かれた花崗岩で、用心しながら下を恐る恐る覗き込む。吸込まれそうだ。この時点で12時半。まぁまぁいいペース…なのかな。ぼちぼちと幕営適地を探しつつ進むことにする。
大滝から30分ほどで滝ノ又沢出合に至る。左手の木々の隙間から滝ノ又沢にかかる顕著な滝が見える。この辺りではぐっと水量が減り、周囲に赤茶けた岩肌が覗く。空はいよいよ広い。ただし、次第に雲がかかってきたようだ。河原の左岸に幕営適地とされる高台があったけれど、残念ながら先行パーティの方たちがすでに幕営準備を進めていた。
830m地点の二俣で左俣に入る。入口は狭く階段状の小滝が少しばかり続き、久しぶりの登攀だなと思った。やがて平坦な台地に上がると水量は一段と減り、川幅もぐんと小さくなりベージュ色の砂礫の上をひっそりと水が滑る穏やかな場所になる。ブナなどの木々の緑が美しい。上がってすぐのところにも幕営跡があったけれど、もっと開放的な場所がいいということでNさんとY氏が連れ立って偵察に出る。Y君と自分はしばらく留守番。たおやかな森の中にいると、全身ずぶ濡れだし完全に沢装備なのに、なんだか沢登りという気がしない。周囲の印象はとても女性的で(まぁ女性にも色々いますけど)、まるでバスケットにサンドイッチとクッキーと、ポットには紅茶を詰めて森の中を散歩してきた感じ。
偵察に出たNさんとY氏が戻ってきたので、共に上流に向かう。川の流れのすぐ側の、古い焚き火跡が残る小さな台地。この時点で午後2時前。早速整地してテントを張り、川の端を塞き止めてビールを冷やし、薪拾いに出る。鈍い雲が降りてきて、時折小雨がぱらつく。それほど寒くはないけれど、焚き火で暖をとるのが待ち遠しい。流れが穏やかということもあってか、付近にはあまり手頃な倒木や流木が見当たらないので、そこそこ遠出をしてせっせと薪を集める。
幕営地の台地の反対側には地層が露頭している。この辺りは新第三記中新世の砂岩とシルト岩と凝灰岩の地層だそうな。なるほど触ってみるとモロモロとしている。
午後4時前から焚き火を始め、まずは定番のウィンナーで乾杯。イカ飯、枝豆、とうもろこしをつまみにお酒が進む。ほどなく炭を集めて、焼き物開始。ししゃもにサバにサンマの味醂干し。それから焼きビーフン。Nさんは申し訳なさそうに「肉を忘れちゃってね~」と言っていたけれど、十分お腹いっぱいになりました。
食べ始めた頃はまだ明るかったけれど、次第に周囲が暗くなり、焚き火の焔だけが赤々と紅い。川面の方からひやっとした空気が流れてくる。それでも焚き火の側は暖かい。葛根田の流れの美しさは癒されるよねぇとしみじみしながらお酒が進み、午後9時前にテントに潜り込んで就寝。前々夜から割と長い行程だったので、みな昏々と眠る。
9月14日(土) 曇りのち晴れ
翌朝は午前6時に起床。朝早い時分はまだ空気が冷たく、いまいち水に入る気持ちになれない。真っ白い灰に覆われた焚き火にふうっと息を吹きかけるとすぐに熾火がぽっと燃え出した。Nさんが朝食の準備を始める。インスタントうどんに乾燥野菜とキムチとお餅を入れたもの。昨日の晩もしこたま食べたけれど、今日は今日でそこそこ長い一日なので朝からもりっと食べる。ぼちぼちとテントを撤収し、幕営地を片付け、沢の支度をしつらえて7時45分に歩き出し。
すでにして水流はすっかり少なく、源流の雰囲気に満ちている。間もなく二俣となり右俣を進む。右に左にと進む道順を覚えておくようにとNさんから言われたけれど、正直よく覚えていない(ごめんなさい)。どうみても登れそうにないのっぺりとした岩肌から水が落ちてくる滝があるばかりで分岐に迷うことはない。やがてどん詰まりという感じで、目前に行く手を塞ぐ20m滝が現れる。泥壁にはまったく手がかりがない。右岸に残る踏み跡を辿り、細い潅木を頼りに落ち口にトラバース。
最後の8m滝は右壁が直登できそうだったのでロープを出さずにそのまま登る。岩の部分は問題ないけれど、泥付きの部分がちょっといやらしい。その先は小さい分岐を左、左、右(たぶん)と歩くとすっかり水が枯れたので、泥壁を登って小尾根に取り付き、たいした藪漕ぎもなく9時ちょうどに登山道に出た。途中で赤布などはまったく見なかった。
明通沢を下降する予定なので、沢装備のまま登山道を歩き出す。登山道もまた沢の流れと同じく平坦でなだらか。途中に何箇所か倒木があり、乗り越したり赤布に従って迂回路を進む。放置された倒木はたいてい巨木なので動かすのが大変なんだろうけど、ここでは倒木を移動させるのではなく登山道を変えるんだな。。と思った。「関東森」と書かれた道標の下で休憩。ダケカンバの白い幹が青空を背景に美しい。登山道脇にはリンドウが可憐な蕾をのぞかせている。
再び歩き出し、緩やかな登り道を歩くと、徐々に周囲を埋める木々の丈が小さくなり、自分の背よりちょっと上になる。遠くにゆるやかな弧を描く丘のような山容が見える。お椀を伏せたようなアスピーテ火山の造型は、真冬の嵐の日に踏み込んだら方向を見失いそうだけれど、緑の豊かな晩夏の季節はどこまでもなだらかで穏やかな風情。
やがて緩い登りを詰めていくと、10時15分過ぎにパッと視界が開け1283m道標の地点に到着。枯れ草が風に揺れる高層湿原。青空を横切る白い雲とか丸い山の連なりとか一面の緑とか枯れ草の色とか、目に見えるものがどれもこれも穏やかで心の底から癒される。たとえその後に結構な藪漕ぎが待っていても、だ。
1283m道標の先を少し歩くものの明通沢への下降点らしき入口は見当たらない。道が左に逸れるあたりで引き返し、いったん道標まで戻って仕切り直し。行ってみよう、というNさんを先頭に、みなコンパスと地図を手に藪の中に身を没する。根曲がり竹の藪は、足元がトラップだらけで苦労する。しばらくするとぱっと目の前が開け、目前に大白森の湿原の台地が見える。もう少し北東方面に向かわなくてはならないのでは…と、磁石を頼りに先を進むけれど、植物は太陽の当たる南に向かって伸びるので、北東方面だとトラップにまともに引っかかる形になりなかなか進めない。それでもNさんが先頭を切って道を拓いていき、みなぴったりと後を付いていく。しばらくして、Nさんが「ちょっと待って」と言って先を急ぎ、すぐに「おーい、降りてきていいよ」という声がして、その方向に進むと小さな水の流れに降りた。明通沢だ。結局、約200mほど進むのに1時間弱かかった。
行く手を阻む藪を漕ぐ必要もなく、沢筋を下っていくのはなんて楽ちんなんだろう~と、うれしくなってどんどん下る。赤いガレた沢は次第に少しずつ枝沢が合わさり水流を増していく。4m滝の左岸を枝を頼りに慎重に下る。落ち口も滝のフェイス全体がまるんとしている。滝を降りると一気に沢幅が広くなる。続けての4m滝も左岸の手がかりを掴みながらクライムダウン。
しばらくゴーロの転がる沢筋を下ると、幕のような9m滝が現れる。立ち木にロープをセットして左岸の岩壁を懸垂下降。北ノ又沢とは沢相が異なり全体的にまるんまるんとしたナメ。明通沢は下降だけではなく、遡行しても面白そう。やがて目の前がすっぱり切れて15m滝上に到着。ロープの長さがぎりぎりなので左岸を少し踏み降りて、立ち木にロープを掛けて懸垂下降。瑞牆の岩場のようなスラブ滝。その先の4m滝もついでに懸垂下降で下りる。
13時半に明通沢本流に合流。左手からどうどうと流れ込む水流は豊富で、一気に沢幅が広くなる。ロープを出すような顕著な滝はもはやなく、水を湛える淵に釜にどぼどぼと飛び込みながらどんどん下る。午後3時少し前に、目の前にコンクリートの橋が現れる。沢の下降はここでお終い。橋の基部伝いに地面に上がり、廃道となった林道を歩く。
橋こそは立派だったけれど、すぐに元林道は鬱蒼と草に覆われる。よく見れば足元に確かに踏み跡はあるけれど、いちいち伸びている藪がうるさい。気付けば沢筋をとっくに離れてうねうねと山中に道は続く。「遺跡がある」とNさんが指差す先を見ると、カーブミラーが植物に埋もれている。なるほど現代の遺跡。ここの林道は環境自然保護のために建設が中止となったらしい。それでもひとたび人の手を離れたら、自然とはこんなにも逞しく復活するものなんだなぁと思う。何度かカーブを曲がると、眼下に葛根田地熱発電所のプラントが見えてくる。あと少し。午後4時前にアスファルト舗装された道に出る。昨日入渓した地点だ。ぐるりと戻ってきた。
4時半に滝ノ上温泉の駐車場に到着。沢装備を解除し、すぐ近くの旅館でお風呂に入る。ここの温泉は白濁した硫黄泉で芯から温まる。温泉の窓から眺める川向こうに立ち昇る白煙が、心なしか昨日よりももくもくと線が太いように見える。あぁそうか、昨日見たばかりなんだ。なんだかもっとずっと長い時間を過ごしたような気がするけど。
この日は盛岡市街に出かけて宴会とし、翌朝早くに出発して帰京。楽しかった。そして癒された。
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葛根田川 #0 (2008/09/16)
なにしろ言語オタ(万年入口)なんで。
青森の方言の「へばな」を縮めた表現で、「じゃあね/ またね」みたいな軽いお別れの言葉なんだそうな。
イタリア語の"Ciao!"とかノル語の"Ha det bra!"と同じように、「へば!」も最後の音にアクセントがつくのでリズミカルで響きがかわいいと思う。
という話を集会の後の飲み会でしていたら、北海道の学校を出た先輩・後輩のお二人さんが、「北海道なら『したっけ』だよな」「そうそう、『したっけ』」と言う。
え? 「したっけ」って、接続詞だと思っていたけど、その意味だけじゃないんだ。。
「『したっけ』って聞いたら、つい後に続く言葉を待ってしまいそうだけど。。」と自分が言うと、「そうそう、それで通じないんですよね。え、なに? って言われちゃう」とKさん。うんうん、「したっけ」と言った相手がくるりと立ち去ったら自分も一瞬ぽかーんとしそう。
もっとも「さようなら」も「左様ならば」(では、そういうことで)が転化したものらしいので、「したっけ」も似たようなものなのかも。
したっけ、新島から帰って伊豆諸島に関するコネタをネットであれこれ拾っている中で、青ヶ島小学校のWebサイトで島の方言の一覧を見た。
驚きを表す「まあ!」という意味で「ハゲ!」というのはおもろいな~とか、「いらっしゃる」は八丈島と同じく「おじゃる」なんだな~とか(八丈島の方言では、「いらっしゃい」(=Welcome)は、「おじゃりやれ」)、つらつらっと眺めている中で、
「オモウワヨウ」 - さようなら(船出のとき)
というのがあって、なんか目が釘付けになった。
「おもうわよう」というのは、ずばり「(遠く離れてもずっとあなたのことを)思うわよう」というのが語源だそうで、あまりの意味の深さや重たさに、ぐっときてしまった。
青ヶ島は八丈島の南70Kmにある断崖絶壁に囲まれた小さな離島。人口約200人。
青ヶ島関係の情報を探してみると、島を離れる船やヘリコプターを見送る人たちが紺地に白抜きで「おもうわよう」と染め抜かれた横断幕を手にしている写真がいっぱい見つかる。
"See you again"とか"Arrivederci"とか"再見" みたいに、再び会うことを約束するのではないお別れの言葉。
なんか、無性に沁みる。。
年末には大阪でノーカット版、年明けには土木学会の主催で短縮版、と。
え~。。。知らなかった。残念。
「黒部の太陽」(1968年公開)は、関西電力主導の下、建設会社などの協力を得て建設された黒部ダム(通称「黒四ダム」)の工事の様子を描いた映画。主演俳優は三船敏男と石原裕次郎。原作は木本正次。
元祖プロジェクトXみたいな内容らしい(自分は未見につき想像。去年の残雪期に剣岳を登りに黒部アルペンルートを乗り継いだとき、トロリーバスの改札脇の液晶画面で映画の一端が放映されていたのをチラ観したことしかない)。
黒部ダム建設工事は、戦後高度経済成長期初期の1956年に着工した世紀の巨大プロジェクト。現場はいかんせん遠隔の僻地。しかも工事を進めると破砕帯と呼ばれる弱層にぶつかり大量の地下水が噴出。工事期間中の殉職者は171人にのぼるという。この時代でも労働基準法に基づく労働環境のチェックはあったようだけど、それでも今同じような職場があったら世間は大騒ぎになるんじゃなかろか。
「この映画は大画面で見てほしい」という主演俳優のひとりである故石原裕次郎氏の遺志を受けて、DVD化などは行われていないのだという。(それとは別に版権の問題が絡むという説もあるとかないとか)
たまにはそういうスタンスの映画があってもいいと思う。でも、あんまり大事にし過ぎてお蔵に入れっぱなしするのはもったいないよな~。。とも思う。
トロリーバスに乗って立山の雄山山頂を過ぎると、「間もなく破砕帯です」というアナウンスが流れ、トンネルの脇にここが「破砕帯」ということを示す電光標識が輝いている。
どうやら難工事の最難関だったということは分かるけど、その様子を再現した迫力溢れる映像を観たら、きっともっと印象に残るだろうに。(というわけで、トロリーバスの改札脇の小さな液晶パネルでは、この映画の出水場面が繰り返し放映されているのだと思う)
実際に、現在50代から60代にある土木関係者の中には、学校の映画鑑賞会などで映画「黒部の太陽」を観て感動し土木の道を選択した人が多いのだとか。映像の力というやつでしょうか。
しかしまた、いったいなぜ、なにがそれほどまでに圧倒的なんでしょか。
この映画を観て感動したという人は、いったいどの役に自分の将来を投影したのでしょか。遠く人里離れた不便な場所で、思いもかけない事故が起きて人が死ぬかもしれない、そんな過酷な現場のどこに惹かれたのでしょか。
規模がどでかくて困難なプロジェクトを遂行し、成果が目に見える形となって残る。そんな巨大プロジェクトに自らを没してみたいという純粋な気持ちなんでしょか。
今のご時勢にこういう大規模プロジェクトを発動するのは難しいだろうし、環境アセスメントとか労働環境とか管理維持を考えたらもっとスマートで別のアプローチを考えることもできるような気がするけれど、確かにそういう時代があったのだということを、若い世代の人たちが共有できないのはもったいような気もする。
剣岳から戻ってきた後に、黒四ダムよりも前の時代に建設された黒部渓谷第3ダムの建設現場を舞台とした「高熱隧道」を読んだ。戦時中で国力増強のためには電力確保が必要ということで遂行された難工事。
冬の黒部の「泡雪崩」という現象により宿舎が一晩にして約600m先の対岸に吹き飛ばされたとか、165度もに達する高温の岩盤を貫通するための困難などが描かれていた。掘り進めば掘り進むほど岩盤の温度は上がり、肌が爛れそうな熱気の中、ダイナマイトの自然発火を恐れながら作業を進めていくという、苛烈な工事現場。技術指導に当たる技師の視点から書かれていて、次々と人間に挑むような大自然の力と共に、現場で働く人夫たちという集団が醸し出す脅威の描写が圧巻。
でもこの本を読んで、よ~しおいらもトンネル技師やダム技師になるぞ~とは思わないような。。(いや、思う人もいるのだろ)
工場群とか倉庫街も嫌いではないけど、自分はやっぱりダムとかトンネルとか橋脚とか、自然のなかの巨大人工建造物の方が好き。そこが厳しい環境の中であればあるほどぐっときます。谷川の万太郎山の中腹ににょっきりと聳える関越トンネルの空気孔とか、ボートで漕ぎ出すとどこまでも果てが見えずに不安を誘う奥只見湖とか。まぁ色々。(人造湖とはいえ、奥只見湖は建造物ではないかな。どうも基準が曖昧。。)
あぁ、わたしたちはここまで来た。厳しくて思いがけない困難や試練を次々に与える大自然と対峙して、遂にここまで来た。その証、または墓標。
今となっては案外地球はちっちゃくて、これ以上インパクトを与えると自分たちの生存にも支障をきたすかもしれないから地球にやさしくしようぜ、と言われるようになったけど、まだ地球はどこまでも巨大で常に人間の前に立ちはだかる試練であり切り拓き克服すべき存在だった頃の碑。
と、たぶんずっと先の未来の人たちには映るんじゃないかな~なんて気がしなくもない。はて。
麓の街は割合穏やかな天気だったそうだけど、山はすっかり雲の中。
ラッセル跡のない新雪の雪道を横殴りの雪風に煽られながら、経験豊富なFさんの的確な指示と、強力なラッセル隊のお陰で無事に登頂できました。
金曜日の夜に都内を出発し、谷川ロープウェー駐車場に到着したのは深夜12時過ぎ。メンバーは総勢7名。駐車場内には幸い他の車が停まっていなかったので、片隅にテントを張って宴会。翌朝の出発はロープウェーの始発待ちなので、普段よりは出発が遅めとはいえ、3リットルの箱ワインやら日本酒やらと続々とお酒が注がれつつ話が盛り上がり、そろそろ寝たほうがいいんじゃないかと気付いたら午前3時。うひゃ。
暖房が効いていて暖かいロープウェー乗り場のロビーに移動すると、そこには登山予定と思しき人たちが死屍累々と眠りについていました。
朝6時に起床。といっても、なんだかみんな眠たげな様子。自分もまた、まだ酔いが抜けきらないというか、洗面所の鏡を見るとまだ顔が紅いのですが。。
7時に始発予定のロープウェーが山頂駅の天候不良のためかすぐには動き出さず、なんだかんだで山頂駅に到着したのは8時ちょうど。
山頂駅は降りしきる雪の中。この辺りはまだ風はそれほどではなく、視界も100m以上あるものの、見渡す限り一面の白、白、白。登山道を示す赤旗をトラロープが繋いでいるけれど、どうやら本日はトレースなし。
登山道脇で弱層チェックのためのハンドテストをしてみる。雪は降ったばかりとはいえ上越ならではのベタ雪で、先週末からどかっと降った割にはしっかりと付いている感じ。「これなら大丈夫でしょう」と雪国出身のKさんが言う。
腰までの雪の中、先行パーティがラッセルして道を拓く後ろを付いていく。
歩き出して間もなく、先頭のKさんがストップ。わかんを付けましょう、ということで、自分を含めてわかんを持参している人たちはごそごそとわかんを装着。わかんはなかなか使う機会がなかったのですが、あると便利なんだということを実感しました。
尾根に上がったところで先行パーティは雪訓のためか休止。その先の道は微かな踏み跡があるのみ。踏み跡はすぐに雪風に吹き消されてしまう。古いトレースを踏み外すとどぼんと埋まるけど、うまく乗ると膝下くらいで止まる。
細かいアップダウンが続き、下りはいいけど、登りになると途端にラッセルがしんどくなる。歩き出しから40分ほどすると細い尾根が続く。途中で単独行の方を抜く。いよいよ踏み跡がなくなる。
標高が低く樹林帯の中にいる内は比較的風が穏やかだけど、それでもざっと雪煙が舞うと列の最後尾の人の姿が薄ぼんやりとなる。
「いやぁ、今日はコンディションが良いほうだよ! 昔なら胸までのラッセルだったからね。視界も100mくらい見えているし、これなら良いほうだよ、うん」とFさんがみんなを励ます。そうなんだー。
Fさんは、学生時代以来約20年ぶりの冬の谷川だそう。自分は夏にはこの道を歩いたことがあるけれど、冬の状況を知らないのでありがたい。
天神沢の頭を過ぎ、熊穴沢の頭付近になると勾配が急になる。出発前に会の元代表から「雪崩が起きやすい場所なので注意するように」と言われたのはこの辺かなぁ。。と思いながら用心して進む。
自然の中に人工物があると興醒めすることは多いけれど、この瞬間、おそらくはあまり役に立ちそうにない金属パイプが雪中からにょっきりと顔を出しているだけで、なんだか頼もしいと思った。これで今、自分がどこにいるのかはっきりと分かる。(GPSは持っておりませんでして。。ほしいけど、高いけど、命には代えられないけど。。あぁ。。)
避難小屋を過ぎると樹林帯が切れ、あとはひたすら登り坂。地元の山岳会の方たちが設置してくださった赤旗や雪に突き出た岩などの目印ごとに来た道と進む先をコンパスで確認するように、とFさんからアドバイスを受ける。
いよいよ風雪が厳しくなり、時折ホワイトアウト。強靭なラッセル隊は、古いトレースを探し当てながらどんどんと進む。急登に息が切れて少し立ち止まっている間にも少しずつ踏み跡がかき消されていく。
この状況だと、遅れる人がいたらその時点で引き返すことになるかなと思ったけど、幸いみんなついてくる。すごいな。
登りの尾根道が続いている間は道が分かりやすかったけれど、約1700m地点の小コルは一面の雪野原となっていて、自分のような初心者は一瞬ビビル。手元のコンパスをまじまじと眺めなければ、進行方向の感覚が麻痺してしまいそう。
11時15分に天狗の休み場と呼ばれる岩場で小休止。「山頂まで行けるかな…ま、いずれにしても、12時をタイムリミットとして引き返そう」ということに。
風雪が止む気配はないけれど、ときどき視界が開けると道の東側に笹の葉がちんまり顔を出しているのが見える。昔、夏に西黒尾根から登って肩の小屋で休憩していたときに見た一面の熊笹の風景を思い出す。あのとき、夕陽に向かって万太郎山方面に歩く単独行の人の背中がやけにカッコ良かった。西部劇のラストシーンみたいだった。なんとなく。
11時35分、吹雪がうっすらとなった瞬間に、左斜め前方に肩の小屋の姿が見えた。
「小屋だ」と、みんなで小屋に向かう。道標にはびっしりと海老の尻尾が張り付いている。
「これならトマの耳まで行けるかもしれない。さくっと写真だけ撮って下山しよう」とFさんが提案し、そのまま歩き出す。風の影響を受けやすい場所なので、足元がクラスト状態。すぐに小屋に引き返し、アイゼンを装着。
12時ジャストにトマの耳に到着。
あぁ、こんなに近いんだ。昔、夏に西黒尾根から登ったときには、肩の小屋に到着した時点ですでに遅い時刻だったので、登頂せずにそのまま天神平に降りてしまった。トマの耳なら、拍子抜けするほど、こんなにも近いんだなぁ…と思った。
「あんまり東に寄ると危ないよ~」とFさん。天候がよければマチガ沢のざっくり切れ落ちた絶壁を見れたかもしれないけど、周囲は吹雪の中でなにも見えません。。うん、まぁ、無事に登頂できただけ良かった。ほんとうに良かった。(オキの耳の方が標高は高いのですが、冬山の記録を見るとトマの耳までの場合が多いようなので、これでよしということで。)
←肩の小屋の前の標識。海老の尻尾が発達中。
「Y君、東に××m進んで。あと10歩くらい。それから南に向かって」とFさんが先頭を歩くY氏に向かって指示を出す。まさに前方に赤旗が現れる。
雪田を過ぎたところでアイゼンをはずし、あとはツボ足で下山。来たときのトレースがあるはずなんだけど、かなり消えている。途中で登ってくる数パーティとすれ違う。偶然すれ違った方が、FさんともKさんとも知り合いだった。FさんとKさんは今回初めての顔合わせだけど、やっぱり山の世界は狭いな。
登るときはあんなにたいへんだったのに降りるのは早いねぇ~…といいつつも、柔らかい新雪はふにゃふにゃで、下山は下山で結構たいへん。
13時に熊穴沢の避難小屋に到着し大休止。ひとまずここまで来ればひと安心。帰りは下るだけ~と思っていたけど最後に細かいアップダウンが続き、少し裏切られた感じ(登りのときの様子をすっかり忘れている自分…)。
14時5分過ぎにロープウェー山頂駅に到着。みんな無事に登って無事に戻ることができてなによりでした。
冬山の場合は天候や積雪状況でコンディションがまるで違ってくるので、どこまで行けるかと同時にどこで引き返すかという判断が難しいということをつくづく実感。自分なぞへタレもいいところなので、多分今回のような強力なメンバーに恵まれずに単独だったらゲレンデの脇をちょろりと歩いて良しとしたんじゃないかと思う。自分が登ったのではなくて、登らせてもらったんだという気持ち。状況やメンバーに。それでも、自分がFさんのような経験を積んでその立場にいたら、どんな判断をするだろう、そんなこともつらつら考えてみる。
ラッセル隊のお陰で(自分もほんのちょっとは踏んだけど、ほんとにほんのちょっぴり。それでも全身汗だくになった)前に進むことができた癖にそんなことを言うのは申し訳ないけど、トレースのない真っ白い雪山はほんとうにきれいで楽しかった。たとえ展望がなくても、そこにいるということだけで楽しかった。寒くてたいへんだけど。
また、登頂できなくてもいいや~と思っていたけれど、登頂できたのはそれはそれでやっぱりうれしい。
みなさまのお陰です。ありがとうございます。
さて翌日は、近場のスキー場でゲレンデスキー。お陰様で、本日は首から背中、腰にかけてバリバリでございま。おまけに、冬山はガッツでGoといわんばかりに食べ過ぎ(+呑み過ぎ)たので、クライミングモードに戻れそうになくて不安。。
年末の新島旅行、4日目、最終日、大晦日。
タクシーの運転手さんとか浜辺や道端でほんの少しだけど会話を交わした島の人たちが一様に「いつまでいるの? え、31日まで? 元日にはみんな浜辺に集まって、甘酒とかが振舞われるのに~」と仰っていた。知らなかったよ。。残念。
荷物をざっとまとめて宿の食堂に行き、朝食を食べながらさて船が出る11時過ぎまでどうしようかな。。また間々下海岸の先までひとりで散歩してこようかな。。と考えていると、食堂の方が「今日も海が荒れるから朝の船に乗った方がいいって放送で言っていたよ」と教えてくれる。
「朝の船?」「そう、8時15分に出る船」「風、強いんですか?」「風はそうでもないけど、うねりがね。朝の便も羽伏浦港に着くんだって」げげ。宿から歩いて10分ほどの黒根港じゃないんだ。。
「朝は港に入るけど、昼の便がどうなるかは分からないみたいだよ。まぁ、フロントに行って聞いてごらん」「はぁ、そうします」
て、もう8時なんですけど。。あと15分。
慌ててフロントの方に「朝の船に乗った方が良いということなんですが」と尋ねると、「荷物、まとまってますか?」との返事。「あ、大丈夫です。すぐ出発できます」と、バタバタと8時5分に宿を出て、宿の送迎車に乗る。出発。あと10分。
「車なら早いですよね。ぎりぎり間に合いそうですね」と車のハンドルを握る宿の方に話しかけると「そうですね。でも羽伏浦港は若郷の手前だから…」と言いながら、スピードを上げてかっ飛ばしてくれる。宿の人がぽつりと「あぁ、向こうからタクシーが来たということは、もう港に船が着いていますね」と言う。「あ、ほんとだ。続々来ますね…でもまだ15分じゃないから船は出ませんよね」「そうですね。おそらくすぐには出ないと思いますが…」
8時15分ほぼジャストに港に到着。大急ぎでザックを引っつかみ走り出す。埠頭の角を曲がるとまだ船は港にいた。でも、既にタラップは取り外され、今まさに出港しようとしているところ。
「すみません、乗せてください! 」 とその辺に立っていた係りと思しき人に詰め寄る。「昼の便がわからないので、朝の便に乗ったほうがいいと聞いたので」
今まさに船が出るってときにまったくもう面倒臭いなぁ。。という表情が港の人たちにちらりと浮かぶ。どど、どうしよう。。
船のデッキにいる船客さんたちから「跳べ、跳べ」コール。跳んで飛び乗れ、と。「いや、すみません、ちょっと跳べません。乗せてください~」(汗)。
ま、仕方ねぇか…という雰囲気が流れ、せっかく脇に寄せたタラップを再度船に掛けてもらい(すみません)、なんとか無事に乗船できました。ありがとうございました。なぜかデッキのお客様たちから拍手までいただきました。ありがとうございます。
ふーやれやれ。と深呼吸をしていると、「え~、本船は新島を出ました後、式根島を経由して神津島に向かいます」とのアナウンス。
え? 自分は東京に帰るんですが? 式根島? 神津島?
実はこのときまでまったく理解していなかったのだけど、どうやら朝の便というのは往路で、新島を出た後式根島、神津島に向かい、復路の船が本来自分たちが乗船する昼の便と呼ばれるものだと理解。
ということは、東京湾到着が早まるということもなく、このまま19時まで都合11時間、約半日船中の人。。まぁ船旅は好きだけど。。
港を離れると、船は羽伏浦沿いに南下。目の前に白ママ断層崖。海から眺めることができてちょっとラッキーだったかも。
ざっくりと切り立った白い断崖の上、神様がいるという森の緑に包まれた緩やかな台地に、無人灯台とミサイル試射場がある。
なんでも年間10発くらい、海に浮かべた無人標的(ブイ)を目標として発射訓練をしているらしい。
いつの日かどこからかやってくるかもしれない脅威を想定しながら、海に向かってぽんとミサイルを撃つ。リアルでシルトの岸辺みたいだ。
(村との公約に、実験は年間20日以上は実施しないという条項があるという。また、施設の設立当初は、宇宙開発推進本部(後の宇宙開発事業団、現JAXA)がここでロケット打ち上げ試験を行っていたそうな)
20年前のガイドブックには「試射場は見学可。ただし要事前予約」とあるけれど、今はどうなんだろ。
宿に置いてあった島の歴史の本は、以前新島の小学校に勤務されていた校長先生が編纂されたものだった。
この本は神話の時代から始まる。伊豆諸島は事代主命によって造られた。事代主命はなんでもはるばる天竺から日本にやってきてどこかよい土地はないかと探していた。この国にはすでにさまざまな神様がいるけれど、ちょうど良さそうな場所があるのでどうだろう、ということで伊豆半島沖に伊豆の島々をお造りになられた。んで、妃や子供たちを各島の護りとして置いたとか、そんな感じ。記憶がちょっとおぼろげだけど。
大国主の国造りの神話のコンパクト版として考え出されたのではないか、という考察が示されていたような気がする。
そんな神話の時代から始まる歴史の本の後半に、ちらりと記された一節。
なんでも明治時代かその後か、若郷村の村長さんが手狭な若郷の渡浮根港を拡張すべく、港周辺の岩山をダイナマイトで発破して港に沈めるという一大工事を行ったらしい。でも、この工事の結果は裏目に出て、巨大な岩がごろごろ港に溜まってしまい波が高いときには浜辺に打ち上げられたりと、ぶっちゃけ失敗に終わったそうな。
で、少しばかり時が流れ、昭和となり、この若郷の港に沈んだ岩石を撤去し港湾を整備することと引き換えに、新島にミサイル試射場が建設されることになった。
まぁ、そんな感じの簡潔な内容だった。直前まで村の風物や風習に関する内容が続いていたので、ちょっと唐突な気がして印象的だった。
家に帰ってからこのミサイル試射場のことを検索したら、ぞろぞろと情報が出てきてびっくり。
1958年、防衛庁が新島南端の土地を買収。ミサイル試射場設置のことを朝日新聞の記事で初めて知ったという島民は驚き、防衛庁(現防衛省)に説明会開催を求めるも役所側の反応は薄く、その間に総評、社会党、共産党などが組織する反対派がオルグ団を結成し島に上陸。反対派の団体に属する軍事評論家が「実験場が出来たらソ連が新島を原爆攻撃する」という演説を行ったとか。今となっては笑い話みたいな感じがするけど、当時の人たちはかなり本気だったんだろう。
そんな1963年の「新島ミサイル闘争」は新聞紙面を賑わし、賛成派と反対派とで島を2分する騒動となったとして、昭和史に刻まれているのだそうな。
なんとまぁ、そんなことがあったのですね。知りませんでした。
昔の人って、つくづく血気盛んだよなぁ。。と、学生運動を知らない自分は、ぼんやりと思う。
まぁ、港湾整備や飛行場建設と引き換えにミサイル試射場設置をというお上の決定も狡猾だよなと思うけど、いっそ、反対派の人たちもオルグ団を結成して思想工作とか闘争を決起するのではなく、自衛隊に先駆けて港に埋まった岩石をみんなで除去する作業をすればよかったんでねーの?
また、ミサイル闘争に携わった内田宜人氏が実に感傷に満ちた電波度の高いエッセイの中で、第二次世界大戦中新島の人たちが山形に強制疎開したことに触れている。「軍の方針による強制疎開であり、縁故とてあろうはずのない山形県に送り込まれたものであった。」という文章を読んでふ~ん、と思った。
江戸時代の寛文8年(1668年)に新島初の流人として配流されたのは出羽国羽黒山中興の祖とされる別当天宥法印という高僧で、島の子供たちには読み書きを大人には農作物の生産技術などを教え、7年後に入寂するまで島の人に慕われたという。島の人たちは天宥法印のお墓を守ってきた。ずっと長いこと。出羽三山神社の天宥法印の弟子たちは、天宥法印の墓を探し続け、かれこれ270年後に新島にお墓があることを突き止めたという(弟子たちは天宥法印が伊豆大島に遠島になったという判決文に従ってずっと伊豆大島を探していたので、なかなかお墓を見つけられなかったそう。270年というのは曖昧な記憶。違うかも)。そんな繋がりがあって、山形県羽黒町と新島村は現在友好町村関係にあり、交流が深いらしい。
内地に縁故の少ない村の人たちの強制疎開先が山形のテンユウ様の出身の近くというのは、誰が取り計らったのかは知らないけど、偶然としてもよくできた話だなと自分は思う。
戦争や争いごとなんてないほうがいい、断然いい。それに伴う悲劇もないほうがいい。絶対にいい。けどね。でもね。
島と国と世界と、個人の感情と利害と信条と…嘘と毒と憎しみと。
色々考え出すと頭がぐるぐる回リ出す。あんまり考えないほうがいいのかも。
早島の先を越えると島影を出たために海のうねりが強くなり、船がぐらりと揺れだす。
間もなく式根島の野伏港に入港。式根島は過去3回訪れたことがある。小さな島なので、週末にぷらりと訪れるのにお手頃。露天風呂もあるし。浜松町の会社に勤めていたときには、残業して遅くなった金曜日には「今なら船に乗れる!」と思ったことがしばしば。実行はしなかったけど、実際に過去に会社から島旅に直行した人がいるとか。
式根島を離れて、船は往路の最終寄港地となる神津島に向けて出港。
海が荒れているからか、表玄関である神津島港ではなく多幸湾に入港。天上山の真っ白い山肌が目前に迫る。2000年に起きた地震で南西面の山腹が崩壊したそうでいよいよ白い。
天上山の山頂には不入ガ沢(ハイラナイガサワ)という噴火口跡があり、ここは伊豆諸島の神様たちが集まって水配りの相談を行った神聖な場所なので立入り禁止だそうな。
伊豆大島の三原山を御神火と呼ぶように、新島の向山が神ヶ森と呼ばれるように、火山には神様がお住まいです。
神津島の砂糠崎周辺には浪で侵食されてドーム状になった穴があちこちに。う~む、あれはちょっと自分には登れないなぁ。。なんてつらつら考えながら眺める。
船は再び式根島に。
それから新島へ。今度は黒根港に入港。なんだ、宿のすぐ近くじゃないか(笑)。海は朝よりも穏やかになっている。ま、他の島を巡ることができてラッキーだったと思うことにしよう。
新島を離れた時点でも、まだ利島は条件付出航とのこと。現地と連絡を取り合いながら接岸するかどうかを決めます、というアナウンス。
お昼になったので船内の食堂へ。鵜渡根島の脇を過ぎる。赤い岩とこびりつくように生えた植物の緑とのコントラストがきれい。草食系の恐竜みたい。
鵜渡根島の先に特徴的な利島のシルエットが近づいてくる。南からみると周囲は断崖絶壁。もしかしてこれは…と、慌ててお蕎麦を啜ってデッキに出ると、どうやら利島に無事入港する様子。
港にはコンテナを運ぶ車両のほかに、警備のパトカーと郵便局の車が1台ずつ。郵便局の人はデッキから袋を受け取ると早々に車を出して港から去っていった。あぁそうか、明日は元旦だ。年賀状か。朝の便は欠航したけど、昼の便は寄航できて良かったねぇとなんだかしみじみする。
それから船は大島に寄り、一路東京湾へ。富士山の白い頂がいよいよはっきり見える。その南に延びる白い山脈は南アルプス深南部だろか(違うかも)。富士山や伊豆半島の陸地は島からでもはっきりと見えた。その昔、島に流さた流人の人たちは、前浜に降りて富士山を見ては自分の故郷はあっちかと眺めやったんじゃないかなぁと想像してみる。
やがて夕陽が山の端に消えて、しばらくすると海岸沿いに街の灯が点る。浦賀水道に入ると船は12ノットに減速し、同じように減速航行中で漂うようなタンカーや貨物船と行き交う。もう特に見る風景もないので、部屋に篭り到着のときを待つ。
まるはのネオンサインや晴海旅客ターミナルのガラス屋根が見え、あぁ東京に戻ってきたんだなと実感する。まぁ旅先も東京都なんだけどね。
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事務所の回線が昨日から超不調。どうなってんだってくらい絶不調。Bフレッツの故障情報で検索したらなんでも「地域IP網設備故障」だとか。
会社の電話は光電話なので、おかげさまで通話中に突然落ちる。お客様との通話中に前触れもなく突然落ちる。
ネットも突然固まって動かなくなる。「画面が表示できません」で落ちる。こんな状態ではWebアプリ系は恐ろしくて使えない。まるで一種のサイバーテロ by 通信業者。
勘弁してくれぃ。。
新島の旅、3日目。
2日目の夜も満点の星空。ただ夜半過ぎから西風が強まってきた。朝から風がぼうぼうと吹いている。
もし風がなければ、連絡船にしきに乗って式根島に足を伸ばしてみようかと考えていたけれど、どうやら欠航の様子。残念。
それでは、と、宿でママチャリをレンタルして、コーガ石の採石場を散策に。
新島に旅行をすることを決めた直後に、たまたまとある設計事務所さんからコーガ石にうちの会社の製品を使えないかというお問い合わせがあった。あら偶然。それで、とてもニワカだけどコーガ石のことを調べて興味が湧いた次第。なにしろSiO2おたくなので(あるのか、そんなジャンル)。シリカ、かわいいよ、シリカ。
そういえば。新島のガラスアートセンターというガラス工芸専門の美術館では、このコーガ石を原料にしてガラス作品を制作しているそう。コーガ石に含まれる微量の鉄分によって独特の美しいオリーブ色になるという(工業用ガラスの原料としては不要な不純物を逆手にとったそうな)。体験講座があるとのことで問い合わせたけど、残念ながら年末年始はお休みでした。
向山に続くなだらかな道をえっちらおっちら歩く。ママチャリだと坂道がしんどいのと、なにしろ風が強いので、自転車は押して歩く。道端に椿の花が咲いている。宿の人が言うには、今年の開花は早いらしい。
「ほらあれ、地球温暖化だから」「はぁ、そうですね。。」
九十九折の坂道を登っていくと、集落や海が一望。見下ろす海はシケシケ。初日よりも風が強いかも。それでも出発時にはこの日だけ雨の予報だったから、晴れているだけありがたいと思うことにしよう。
しばらく道路を登っていくと「さくら園」という桜の木の植林地点に到着。その先の少し下り坂を進んだところにかろうじて車が入れる幅の脇道があったので、とりあえず入ってみる。未舗装のコーガ石の砂の道。ときどき車輪が砂に嵌る。砂が白いので、なんだか雪道みたい。
細かいアップダウンとくねくねと曲がる砂道。ちょっと不安になりつつ、地図を見る限りどん詰まりの小道はないはずだからきっとどこかに通じているはずと先を進む。と、20分ほどしてぱっと視界が開け、石切り場に出た。
幾層かに掘り下げた跡が段々と窪地を成して、端には捨てられたザレの山。あちこちに転がっている白いコーガ石が松の木の緑や空の青さに映えてとてもきれい。なんだか日本庭園みたいにも思える。
メジャーな観光スポットである向山展望台がある方の採掘場ではなくて、たぶんもっと古い時代の採石場なのかな。採掘跡が割合こじんまりとしているので、手掘り時代の場所かも。よくわからないけど。
敷地の脇に小さな加工所の建物があった。現在でも稼動しているのかどうかは不明。いずれにしても晦日だから人がいないのは当然か。ところどころに規格外なのか、打ち捨てられた板石が積んである。
同居人が言うには「加工所の奥に人がいた」そうだけど、自分は気付かなかった。周囲にはほかに車や乗り物が見当たらなかったし、たぶん気のせいだろう。
ここの広場はどん詰まりのようなので、来た道を引き返す。帰りは下りなので楽チン。途中で、別の採掘場に入ってみる。赤い結晶を含んだ石が多い。サーモンピンクみたいな結晶粒や、赤レンガみたいな色の結晶粒が半透明なガラス状の部分とあいまってこれはこれでキレイ。
ただ、海からの風が強くて砂埃がひどいので、ちょっと入ったところで速やかに撤退。
新島におけるコーガ石の埋蔵量は推定約10億トンだといわれている。10億トンってどのくらい? 東京ドーム何杯分? 向山丸々ひとつ分? 本州みたいに広い陸地なら山ひとつなくなってもまぁさほど支障はなさそうだけど、島というスケールで考えると、なんだかタコが自分の足を食っているような気がする。ま、10億トンもあるならそんなに深く考える必要はなさそうな気もする。
一気に坂道を下り、本村の中を散策。パン屋さんでパンを買う。お店の人は式根島からの電話を受けていて、パンを予約したいのだけど次の連絡船が出るかどうかわからないみたいな話をしていた。
羽伏浦や間々下や向山にはほとんど(全く)人家はないのに、本村の集落にはぎゅぎゅっと家が立ち並んでいて、路地裏みたいな小路で結ばれている。全体的に白っぽい家並みで、観光地なのに看板とかセンスの悪い屋外広告とかネオンとかがなくて、なんだかイタリアの小さな漁村みたいにも思える。もっとどぎつい感じのザ観光地かと勝手に予想していただけにちょっと意外。夏の様子はもう少し違うのかもしれないけど。
宿に戻るには前浜前の道を通るのが近いのだけど、いかんせん猛烈な風。飛沫と砂がビシビシ飛んできてとてもじゃないけど無理。なので、少々遠回りをして帰る。
風に吹かれたせいか、ぼーっとだるくてお昼ごはんを食べたら速攻昼寝。
昼寝から目が覚めてもまだ陽が高かったので、ひとりで間々下浦海岸をお散歩。今日はサーファーさんたちの姿がない。海岸沿いにはまたしても自分ひとり。砂浜の先にある岩場を歩く。レンガ色をした割合大きめの石がいくつかゴロゴロ転がっている。SiO2の含有率が高いらしくガラス質。つるりと滑らかで硬そう。上を見ると白い堆積岩層の上にレンガ色の大きな岩が露頭している。あそこから落ちてきたんだろうな。どうか今ここで落ちてきませんように。。
足元の悪い岩場だから、岩の下部からではなく、脇とか裏とかからなんちゃってボルダリングごっご。岩の上に這い上がるまではいいけど、クライムダウンする方がよほど怖い。今は満ち潮なのか引き潮なのかわからないけど、帰り道がなくなったら困るので、ぼちぼちと宿に戻る。
いったん宿に戻り、またしても露天風呂へGo。今日は風が強いので一番ぬるい浴槽はとてもぬるい。地元の方もぷらっと立ち寄ってはお風呂に入りに来る。タダだもんな。うらやましい。とっぷり陽が暮れて、月や金星や星が光りだす。きれいだなー。それにしてもナトリウム分が染み込んで、自分自身が大分しょっぱくなった気がする。
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色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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