今回は、普段あまり行くことのない北関東なので楽しみ。
というわけで、沢登りの計画で奥鬼怒周辺の地図を眺めていたら地図の端に「西澤金山跡」という表示。
なぬ、金山? と思い検索してみたら、明治中期から昭和初期まで操業されていた金鉱山があったのだそうな。
こちらに詳しい過去の資料。
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・西沢金山
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かの地に金が埋蔵されているということは、江戸時代後期の弘化年間(1844~1848)に鴻野傳右衛門という人物が高野山から派遣されて各地を探索し、金鉱を探し当てたらしい。ただ当時は日光の社領だったため私人による金銀採掘は許可されず鉛と偽って銀を掘り出していたのが明るみとなり廃業に至った。もっとも、弘化2年に会所で鉱山繁栄を願う護摩札が見つかったので、もっと古い時代に操業していたことが確認された。
(上記サイトの「發見ノ時代」(『西澤金山大観』より)の項から)
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その後、村の古老の言い伝えを頼りに、村人たち有志が金の鉱脈を探索を始め、日光で質屋を営む旧家出身の高橋源三郎氏が中心となり鉱山会社を設立。
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西澤金山は明治28年頃、現在の川俣村奥の西澤で発見された鉱脈で、同39年頃より高橋源三郎ら有志によって設立された「西澤金山探鉱株式会社」によって本格的な採掘が始まると、その後一時の隆盛を極める。掘り出した鉱石をケーブルや人馬などで運び出す際の中継の要所として奥日光も深く関わった。現在西澤金山跡は荒地となり、当時の姿を止める物はほとんどない。
(栃木県立日光自然博物館 2007年 「西澤金山 企画展」の案内文より)
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いったいどうしてまた高野山が熱心に鉱物採取のために人を派遣…?? と思ったら、そもそも開祖の弘法大師空海からして鉱山事業に縁が深いという仮説があるのですね。知りませんでした。
空海が密教の修行の場として選んだ高野山にはもともと丹生都比売が奉られていて、丹生は辰砂(水銀)を意味するとか。その丹生都比売を空海に合わせたのは狩場明神で、狩場とは鉱物採取の場所を意味するのではないか、とか。
信仰の是非を問うつもりはないけど、空海さんってやり手だな…とかとかチラリと思ってみたり。
そういえば、あちこちの山や温泉に弘法大師の伝説が伝わっているけど、それはつまり鉱山探しの一端なのかな。
しかし、日光から北に位置する足尾には鉱毒問題で有名な銅山があったことは学校の教科書で読んだので知っているけど、足尾から中禅寺湖を挟んで割と近い場所に金山があったとは知りませんでした。
奥日光には温泉がたくさんあって、その名もズバリ「温泉ヶ岳」という山もあるくらいだから、なるほどあの山域には多様な鉱物が地表近くに眠っているのかも。
奥鬼怒周辺の沢登りの記録をあれこれ読むと「沢の水は変な味がしてやばそう」みたいなことが書いてあるものも多いし。
足尾銅山といえば、銅の精錬過程で大気中に飛散した亜硫酸ガス(とそれらの成分を含んだ酸性雨)の影響を受けて近隣の森林が枯死してしまい、グランドキャニオンのように岩肌がむき出しとなった荒涼とした風景が今でも残っているとか。(いつかクライミングに行ってみたい)
そうしてみると、奈良時代の大仏建立の際に金メッキを製造するために大量の辰砂から水銀を抽出して金と混ぜて金アマルガムとし青銅製の仏像本体に塗りつけたので、これらの精錬作業に過程で生じた煙害が疫病の原因ではないかという指摘が化学方面から指摘されているけれど、さもありなんと思う。
なんか宗教と権力者ってやっぱり…(以下自粛)
白馬岳 雨と風の1日目
白馬岳 停滞、人生ゲームの2日目
の続き。海の日の連休、最終日。
朝3時半にセットした目覚ましの音が鳴ったけど、まだ外は真っ暗で時々風の気配。
ぐずぐずと布団に包まる。意を決して起き上がってみると、向かい側にいた学生さんたちのパーティはすっかり出発した後。うお、若者は早いな。
廊下に出るとすでに身支度を整えている人たちが多数往来。階段を駆け下りて入口から外に出ると、濃紺の空に白馬岳の山頂が漆黒のシルエットを映し、山頂直下に佇む白馬小屋の微かな灯りの右肩に針のような月。まばらに星。
「晴れましたね」「やっとお天気になりましたね」と、傍にいた方と会話を交わし、急いで部屋に戻る。布団をたたんで必要な荷物を階下に運ぶと、すでに外は白み始め、朝ごはんを食べている間に空はすっかり明るくなる。
4時半過ぎに小屋から出発。標高1700m辺りから下に雲海が広がっている。朝陽は白馬岳の稜線の向こう側から昇るらしく、山陰にあって見えない。オレンジ色の光が雲海の上に広がり、高層の雲に反射している。
雪田の残る稜線脇のカールには高山植物が咲き乱れ、まさに天上のお花畑。
夕暮れのような朝焼けタイム。景色が刻々と表情を変える、山を歩くのに一番楽しい時間帯。
太陽を背に北アルプスの稜線を眺めると、立ち昇る水蒸気の層に山と自分たちの影が映っていました。
杓子岳に向かう途中の小ピークを通過中に、朝陽が山の端からこんにちは。
稜線を吹き抜ける風はやや冷たいものの、太陽の陽射しが暖かい。うれしい。
楽しくて楽しくて、どこまでも歩いて行きたくなるってもんです。
ガレた道をぽくぽく登り、5時半に平らな杓子岳山頂に到着。
高妻山と妙高、戸隠の峰が雲海にぽかり。
雲海とは言いえて妙。
八ヶ岳に南アルプス、富士山のシルエットも見えました。
白馬鑓は指呼の間。もっと先に行きたいけれど、今回はタイムオーバーになるのでここでお終い。残念。まぁ仕方ないか。
名残惜しいけど、来た道を戻り小屋へ。
珪長岩のザレた杓子岳を降りて最低コルへ。ここから白馬岳に向かうにつれて泥岩、蛇紋岩、石英斑岩が現れる。西からの風に乗って朱殿坊から硫黄の匂いが届く。
初めての北ア歩きのUさんは、さぞ雄大な風景を満喫しているのでは…と、振り返ったら、足元ばかりを眺めて化石探し中^o^;
白馬岳のすぐ北に位置する雪倉岳周辺には、銀や銅、モリブデンなどの鉱脈があったそうだし。日本は資源がないと言われていて、それはたしかにそうなんだけど、少量多品種という意味では割と資源が豊富な気がする。
再び小屋に戻り、デポした荷物を収め、8時前に下山開始。
登山道から見た杓子岳。個人的に「体育館」みたいだと思う。
ガレガレでザレザレで植生も少なくて、山頂を踏まずに巻き道を通る人も多いみたいだけど、自分としては好きな山のひとつ。
葱平まではのんびり写真を撮りながらお花畑を満喫しつつ。
大雪渓に降りてグリセードでずんずん下る。爽快。
10時半に白馬尻に到着。猿倉からタクシーに乗ってみみずくの湯でさっぱりした後、駅前でお昼ご飯を食べ、あずさで帰京。
最終日だけでも晴天に恵まれて良かったな、と。
不帰のキレットは宿題になってしまったけれど、目標があるのはいいことかも。うん。
7月19日(土)。海の日の3連休、2日目。
白馬岳頂上宿舎のテントサイトで一夜を明かし、特に起床時間を決めておかなかったので7時半過ぎ頃からみんなもぞもぞしだし、とうとう起き出す。その間にも間断なく突風がテントを突く。
「今ブチって聞こえた」とYリーダー。「フライシートの紐が切れたかも」でも外に出て確認する気分にはなれない。テントの端はすっかり浸水していて、ザックやら靴やらが水浸し。
自分は大きなビニール袋でザック内防水をしていたのでまぁ多少はマシだったけど、濡れた手で物を触るうちに色々なものがシケシケになる。
あーこんな天気のときにこんな濡れた装備で突風におびえながら稜線を歩きたくないなぁと思い、「今日は小屋で停滞にしようよ」と切り出すと、一同異存なし。そのとき、フライの端が風でめくり上がり出す。やばい。
そそくさとシュラフを仕舞い、いそいそと撤収準備開始。相変わらず雨風の叩きつける中、外に出てテントをたたもうと見れば、フライシートの端が破損してしまっていた。あぁ。。
テントサイトには周囲のテントはすでになし。山の時間としてはかなり朝遅いもんなぁ、みんなもう出発したのかなぁ…と思ったけれど、どうやら他のテントのみなさんは夜半に小屋に避難したそうだ。
宿泊者用の建物に入り受付を済ませると「今ならちょうど乾燥室も開いていますよ。昨日はすごい混雑だったんですけど」とのこと。みんなこの天気の中で出発したのか、すごいな~と思う。ただ後から考えると、出発した人もいれば、乾いた衣類を引き上げたものの停滞続行の人もいた模様。
ずぶ濡れの衣類や装備を乾燥室内に広げ、ストーブの効いた談話室で人心地つく。
停滞と決まったので、腹を括って朝から自棄ビールw
三々五々雑誌や漫画を読んだりご飯を食べたり、同じく停滞中の登山者の方たちとお話したりとまったり過ごす。「この天気で無理してもねぇ…」と、話題に上がるのは先日の大雪山系の遭難のこと。知己はないけれど亡くなられた方たちのご冥福をただただ祈るばかり。
ときどき乾燥室から乾いたものをピックアップし割り当てられた部屋に移動させる。ひとりあたり丸々布団ひとつ。ラッキー。
外は相変わらず雨風が強いらしく、時折小屋がみしっときしむ。小屋の外は一面のガス。
本棚の上にボードゲームがいくつかあったので、人生ゲームに興じることに。
付属の盤面を載せると「白馬編」になるということなので、ここはやっぱり白馬編を選択。
白馬編の人生ゲームにはいわゆる結婚、出産というイベントがなくてなんだか奇妙だった。代わりにイベントマスに止まると、石仏だの白馬のお姫様だの雷鳥だのが乗り込んでくる。なんだよ石仏って…という感じ。「一緒に乗っていても会話がなさそうですね~」とUさんに突っ込まれる。これっていわゆるフェミニズムの影響? よくわからない。
しかも、職業選択ゾーンで自分は白馬村職員になり、リアルはバクチウチーなのでせめてゲームの中ぐらい堅実に行こうと思ったら、速攻フリーターになってしまった。。まぁいいけどもさ。
結局Uさんがブッチギリでトップ。自分はしょぼしょぼ。所持金スレスレでのあがり。
しかしボードゲームを楽しんだのって何年ぶりだろう。。
お昼前後になるとぽつぽつとずぶ濡れの登山客が小屋に到着。乾燥室もみるみるいっぱいに。
外はひたすらボウボウと風が吹いているし、窓の外はずっと一面真っ白だし、特に今すべきこともないしで、時間の感覚が失われそうになる。
小屋の方に天気について尋ねると、午後7時に食堂のテレビで天気予報を見ることができるとのこと。
昼寝でもしようかと部屋に戻ると、同室の向かい側にいる学生さんパーティのリーダーさんがラジオの気象通報を聞きながら天気図を書き込んでいるのをチラ見しつつ待ち、ある程度書き込んだ時点で見せていただきました(すみません。ありがとうございます)。
山とか災害用にダイナモ付の携帯ラジオを持っているけど、かさばるので持参したことないなぁ。。とほほ。
午後4時半頃にぼちぼちと夕食の準備。今日の食担はYさん。宿舎の入口奥の土間でしか火気は使用できないので結構な混雑。火を使う料理を下階で調理し、部屋に運び込んでみんなでもりもり食べる。
もぐもぐと食事を進めながら、明日の行程を話し合う。「3時半起床で4時半出発。杓子岳をピストンして大雪渓から下山」ということに決まる。
杓子岳の往復は約2時間。早い時間に麓に下りるには支障なし。朝イチで大雪渓を下りるだけじゃつまらないし、なにより初めて北アルプスに来たUさんにどこまでも歩いて行きたくなるほど続いていく稜線を見てほしいし。
6時半過ぎに食堂に移動してテレビの前で待機。明日の予報は「霧や曇り、一時晴れ」とのこと。喜びと一抹の落胆の声が上がる。う~ん、雲が残るのか…それでも雨が上がるのだからまだマシだよねぇと言いながら部屋に引き上げて就寝。
夜更けに度々目を覚ま布団の中で外の気配を伺うと、雨は上がったらしいけれど時折風の吹き付ける音がする。いつ止むともしれない風の音は、子供の頃に過ごした雪国の冬を思い出す。夏なのに。
Live! Eclipse2009のサイトで確認すると午前10時前後から部分日食が始まるらしいのだけど、生憎の曇天で残念。。
ウェザーニュースでは、プラグインをインストールするとリアルタイムで各地の映像が見られるサービスを提供中だそうで、回線が激込みらしく天気予報がチェックできません。。
メンバーはYリーダーとKさん、初アルプスのUさんと自分の4名。
栂池から白馬、不帰のキレットを越えて唐松、五竜へと歩く予定でした。が、悪天候により白馬にて停滞し、お隣の杓子岳をピストンして大雪渓から下山となりました。
天気が悪いことは重々承知の上での出発だったので、皆無事に下山できただけでもなにより。高山植物もたくさん見れたし。
17日の夜、新宿駅から白馬行きのムーンライト信州91号に乗車。使用車両は特急あずさ。大糸線はホームが短い駅があるので3号車が一番先頭で1、2号車が欠番。なんで後ろじゃなくて前を端折るのかは謎。
登山客が9割、帰省か仕事絡みと思しき人が1割程度。都区内を走行中はほぼ満席だったのですが、夜半に見回したら8割程度になっていました。
大町の辺りでは曇りがちで雨は一時的に止んでいるようでしたが、北上するにつれ車窓の外の雨脚がどんどん強くなる様子。。携帯で天気図をチェックすると、どうにもこうにも好転しなさそうな感じ。まぁ今日の行程には危険な場所はないし、無理せず行きましょうや、ということに。
18日の朝5時39分に白馬駅に定刻どおりに到着。白馬駅前は大粒の雨。
タクシーに乗ってゴンドラリフトの乗車口、栂池高原駅へ。ゴンドラリフトが動くまで、朝ごはんを食べたり雨具を着たりと準備。
午前6時半過ぎにゴンドラリフト「イブ」に乗車。ゴンドラの中は登山客の人でいっぱい。ゴンドラ内のアナウンスによると、今年はオオシラビソの実生が10年に1度と言われるほどたくさんついているとのこと。木の上にわさわさと紫色の松ぼっくりが見えました。オオシラビソの実がたくさん付く年は災害が多いらしいのですが、くわばらくわばら…。
ゴンドラを降りて身支度の最終チェック。いざロープウェイ乗り場へ。眼下に見える沢筋はちょっとした濁流。ロープウェイを降りると一挙に標高1829m地点。文明の利器に感謝。
登山道はところどころ水が流れ出していて、少し沢登り的なところもあり。8時25分に小さな雪渓の手前で小休止。10分ほど休んで再び歩き出すとほどなく木道が現れ8時35分に天狗平に到着。目の前に樹林帯とその上に雪田があり、カラフルな雨具の列が見えました。
←晴れているとより一層すばらしい風景なのだろうなぁ。。
高層湿原を愛でる間もなく樹林帯に突入。岩がちな道を歩くと雪田が登場。大人数のツアーパーティのお陰で大渋滞。どうやら例のツアー会社の模様。軽アイゼンを装着するために渋滞を引き起こしている様子。
高低差10m程度だし傾斜も緩いのでキックステップで行列とは関係ない場所を登る。岩道を進んで次の雪田を越えると、9時半に乗鞍岳に到着。なだらかな登山道を歩いていくと眼下に白馬大池と大池山荘が見えました。
晴れていたらきっと気持ちの良い道なんだろうな~と思いながら、10時に大池山荘に到着。小屋の中はすでに登山客でいっぱい。こんな天気の日によくもまぁ…。もっとも自分たちも人のことは言えないけど。。
暖かい小屋の中でがっつり休憩。自分はすでに靴の中までぐしょ濡れで沢靴状態。K女史が夜食のお礼ということで、ホットレモネードを振舞ってくれました。ありがとう~。
「これから稜線に出るし、標高も上がるからフリースを着込んだ方がいいね。風が強くなってきたから手袋も」ということで、各自防寒用具を装着。
小屋前から伸びる雷鳥坂を登る途中で雷鳥に遭遇。人の姿を見ても逃げ出す気配なし。雨の日は雷鳥の天下なのかも。
←第1次雷鳥との遭遇in雷鳥坂。この後も何度か見かけました。
標高2600m辺りになると富山側から吹き付ける風が強くなりました。北西の風なので冷たく、真横から吹きあげるので飛ばされないように注意しつつ。
←コマクサともしばしば遭遇。「他の植物が繁殖できない厳しい環境である高山帯の砂礫地に育成する」とのことですが、他の植物とほどほどに共存してました。
いくつかのアップダウンを越えて、12時10分に小蓮華山山頂を通過。山頂の標識には「三国境まで1.75Km、60分」とあり、この先も稜線伝いでロクに休憩できそうな場所はないものの、ますます高度は上がるし当面雨が止むとも思えないので、どこか適地があったら休みましょうとYリーダーと相談。
自分もまた全身ずぶ濡れで寒くてたまらず、ポケットに飴とおせんべいを仕込んであるものの口にする元気がなくなってきた感じがしてちょっとやばい。それにUさんがちょっと寒そうで、このままだとペースが落ちてきそうな気配。様子を見ておかないとな~と思い、自分は最後尾に移動。
2719m地点を少し下ったところで、突然Yリーダーが登山道脇にジャンプ。潅木がなく砂地の窪地になっていて、どうやらビバークサイト。Yさんいわく「なんだか良さそうな場所があったから」とのこと。すばらしい。
ここでテントのフライシートを広げて全員中に。温かいものを飲もうよとストーブに火を点けたら、一瞬にして「うぉ、あったか~い」と生き返りました。
K女史が提供してくれたココアをみんなで回し飲みしながら、行動食を食べてしばらく休憩。Uさんの顔色も大分良くなってきました。「やっぱりツェルトは必需品だよね。今回はフライシートだけど」とみんなで見解一致。「図らずしもビバーク訓練になったね」とか「実地で体験すると実感するね…」と、口々に感想がついて出る。
白馬山頂を過ぎれば小屋まではすぐだから、もう一息がんばりましょう~、といざフライシートの外に出たものの、風はいよいよ強くなり寒い。それでも充分温まった効果は抜群。
休憩場所から10分ほどして三国境に到着。この時点で13時15分。進路がいよいよ北寄りになるので冷たいながらも追い風に。ときおり雨の中に霰が混じり、顔に当たると痛い。。
左は断崖、右はお花畑…といってもガスガスでよく見えない登山道を、晴れていたならば最高の景色なんだろうなぁ…と脳内で想像しながら歩き、14時に白馬岳山頂に到着。
山頂でささっと写真撮影をして、下り坂をぐんぐん下る。
白馬山荘を過ぎて、14時半に村営の白馬頂上宿舎に到着。
ストーブの効いた小屋の中はうれしいほどに暖かく、快適。小屋の軽食を食べたり、行動食を食べつつのんびり。
もう今日は歩かなくていいから、がっつりあったまろう、としばらくストーブの前で乾燥タイム。
こんな天候でも出発する人あり、後から到着する人あり。いやほんと、自分たちのことを棚にあげるわけにはいきませんが、みんなすごいな。。なんというか。。
小屋の方に明日の天気予報について尋ねると「今日と同じかもっと荒れるらしい」とのこと。また、大雨のために沢の出水が激しく大雪渓経由の登山道は午前9時半頃に早々に閉鎖されてしまったとこのと。さらに、白馬鑓方面の登山道も閉鎖されたとのこと。ううむ。。
もし天候が多少でも回復するならば、いっそ白馬鑓から温泉でも入って下山しようか~と考えたものの、稜線上の登山道の危険性だけではなく下山路が閉鎖という可能性もあるのか…としばし再考。
いずれにしても、明日の天気次第だから明日また考えよう~、と。
しばらく温まった後にテントサイトの受付。「場所によっては水没していますよ」と予め注意を受ける。
いざテントを張りにサイトに移動すると、すでにテントが2張りほどありました。また、自分たちの後から1パーティ到着した模様。
風に飛ばされないように周囲を石でブロックしたものの、ぐわんぐわんと風に叩かれ続け、突風と同時に空気圧で内部に水滴が飛び散る始末。
まぁそれでもテントに篭ってしまえば人心地つくもので、夕飯を食べてぼちぼち就寝。小屋で衣類を乾かしたもののまだ完全ではなく、突風と同時に寒気が吹き込むため、なんとなく底冷えがして自分はほぼきっかり1時間ごとに目を覚ましつつ夜を明かしました。
北海道の大雪山系で大量遭難。。
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大雪山系の遭難3件…死者は10人に
救助された遭難者(北海道新得町で)=伊藤紘二撮影 北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で16日、悪天候のため18人が下山できなくなった遭難事故で、道警は17日未明から救助活動を開始した。
同日午前11時現在、10人が自力で下山したり、自衛隊などのヘリコプターで救出されたりするなど無事が確認されたが、8人が死亡した。また、1人で入山していた別の男性登山客が、山頂付近で死亡しているのが見つかった。
また、同山の南西約15キロの美瑛(びえい)岳(2052メートル)に登山し、救助要請していた別の6人のパーティーは、道警の救助隊が17日未明、現場に到着したが、兵庫県姫路市、尾上敦子さん(64)が死亡、残る5人は無事が確認された。
大雪山系での死者は10人になった。
トムラウシ山の18人のパーティーは、東京都内の旅行会社のツアー。愛知、広島、静岡、宮城などの50~60歳代の男女15人が今月13~17日の日程で山系を縦走する計画で、ガイド3人が同行。美瑛岳のツアーは茨城県つくば市の旅行会社が企画し、兵庫、埼玉の女性3人にガイド3人が同行していた。
トムラウシ山の新得町側ふもとにある国民宿舎「東大雪荘」によると、16日は標高1500メートル付近で風雨が非常に強く、登頂を断念して引き返す登山客もいたという。帯広測候所の観測では、山系周辺は当時、推定で風速20メートル以上の西風が吹いていた。気温は10度前後まで冷え込んでいたため、道警は、登山客の死因は、いずれも低体温症とみられるとしている。
大雪山系は中高年に人気の縦走コース。トムラウシ山は「日本百名山」の一つで、特に人気が高い。標高は2000メートル級だが、気候の変化が激しく、夏でも初冬並みの気候になることもあり、軽装備で入山して遭難するケースもある。同山では2002年7月にも、風雨に見舞われたパーティーが遭難し、50歳代の女性2人が低体温症などで死亡している。
(2009年7月17日12時05分 読売新聞)
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なによりも、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
天候が悪かった、ガイドの判断に誤りがあった、装備が不十分だった(トムラウシ山のパーティは、テント装備などを別行動のガイドさんが歩荷との話)、予備日のない長い行程、個人の体力の差、高齢者の多いパーティ、パーティがばらばらになってしまった、夏山とはいえ北海道の山岳地域に対する認識が甘かったのでは、地元のガイドが少なく(またはゼロ)で現地を知っている者がいなかったのでは…などなど、報道記事ではすでに様々な分析や指摘がなされています。
多角的な観点から遭難の原因を考えるということは、同じような悲劇を繰り返さないためにも重要なことだと思います。。当事者の方々にとっては辛く厳しいことだとも思いますが。。
山岳遭難における抜本的な対策はもはや「入山禁止」という極論しかないということになってしまったら…身勝手ながら、それは。。ちと困る。。
外野にいる自分があれこれ多くを語るのはやめておきます。
楽しむための山登りで、もうあまり悲しい事故が起きませんように。。
といいながら。。
トラウムシのパーティについては、山岳遭難記事に詳しい豊後ピートさんのブログを拝読し、う~むう~むう~む。。
・大雪山系で25人が悪天候により動けず (2009/07/17)
・あぶないツアー会社はやめておけ (2008/08/31)
美瑛のパーティの主催会社の代表も、トラウムシのツアー企画会社の出身だそうで。。う~む、う~む、う~む。。
スレの元記事のひとつ。
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「殺人未遂:トラブル相手刺し、重傷負わせ逃走 容疑の男逮捕--大阪・箕面」
(前略)
逮捕容疑は、13日午後7時5分ごろ、箕面市箕面8の路上で、車の通行を巡って近くの大学4年の男子学生(23)とトラブルになり、持っていた折りたたみナイフ(刃渡り約10センチ)で男子学生の腹部や背中を数回刺して重傷を負わせ、逃走したとしている。
(毎日新聞 2009/07/14)
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被害者の大学生の方は重症を負われたのこと。一日でも早い快復をお祈りします。
で。容疑者の男性(36)は、「自称ミュージシャン兼会社役員」とのこと。
ですが、本職は「プロ市民」で、(自称)詩人でミュージシャンで会社役員が正しいらしい。
というのも、本人の項目がWikipediaにあるそうな。(自分で記入したのではないか疑惑あり)
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「関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。 2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
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ひとりの犯罪が9条の会周辺のすべてを代表するとは考えませんが…なんというか、まぁ。。
9条を守ろう、無防備都市宣言をしよう…と呼びかける人物が、常に折りたたみナイフを携帯して通りすがりの口論の末に相手を滅多刺しって…。
ぜんぜん無防備じゃねーwww
77 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 10:42:24 ID:SgzxBtsK0
無防備を相手に強要するくせに自分はナイフ装備・・・
100 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 10:43:50 ID:4Jh6Ehk+O
何故ナイフを常備している
109 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 10:44:31 ID:oqX6mbIs0
平和と人権を愛する男はやっぱ違うなぁwwwww
120 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 10:45:13 ID:z82QKg8GO
ちゃんと、市民運動家(笑)って記事に書けよ
487 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 11:07:14 ID:rVtNpMlY0
要するに、戦争での人殺しは駄目だけど、普通の街中なら人殺してもおk。
って主張したかったんじゃね?
506 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 11:08:17 ID:HReURxOS0
ここまで見事なダブルスタンダードな奴は初めてだw
549 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/07/15(水) 11:11:02 ID:KQaquJYQ0
敵を排除して排除して排除していけば平和になるよね!!
899 :名無しさん@十周年 :2009/07/15(水) 11:28:03 ID:qWhmNR/T0
さすが9条のためなら戦争も辞さない連中だな
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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