週末は例によって例のごとく山に篭ってしまう予定。
自分が向かう玄関口とはちょっと違うけれど、北アルプスの話題(?)。
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「黒部ダムカレー」いかが 大町などの8飲食店で販売
大町市などの飲食店が、観光客の多い立山黒部アルペンルートの「黒部ダム」(富山県)を模した「黒部ダムカレー」を売り出している。6日、同市内で発表会と試食会があり、8店舗がそれぞれのカレーを紹介した。
同市はアルペンルートの長野県側の玄関口。ただ「黒部ダムは知っていても、大町を知らない人が多い」(市産業観光部)。そこで、昭和40年代から扇沢駅の食堂で売られていたカレーに着目。市などが飲食店に呼び掛けた。
(以下略)
(信濃毎日新聞 2009/08/07)
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ダムカレーといえば、やはりダムマニアのサイトを運営されている方のお勤め先である三洲家さん(東京都墨田区)が元祖ではないかなぁと思う自称なんちゃってダム好きです。はい。
登山道の入口の多くは山間の小さな集落にあったりしますが、観光地としては寂しい印象を受け工場などの産業施設が目に付かなくても、地図を眺めて付近にダムがあれば法人税とかの収益が地元に落ちるはずなので、「あぁこの風景もまだしばらくは安泰だなぁ」となんとなく安堵してしまう。
ダムマニアさんのブログによると、群馬県みなかみ町も八木沢ダムにちなんでダムカレーを名物にする計画を進行中だとか。みなかみ町のほうは、地元の青年部の方たちがダムマニアさんにコンタクトをとり共同で取り組んできたものらしい。
一方で大町の方は、一部のコアなダムマニアの動向に便乗した印象を受けるけど…(以下自粛)。
そもそも「ダムカレー」の存在が有名になったとしても、それで町の名前を覚えてもらえるとは思えないんだけどな。。なんか捻ってネーミングの中に「大町」の名前をねじ込まない限り。。
まぁ、全国各地のダムを擁する市町村でダムカレーが展開されたら面白い…かな。
でもせっかくなのだから、カレーではなくてご当地ならではのおいしいその季節ならではの山の幸をいただきたいような気もするけど…。
ほんとうにおいしいその土地のものを、通りすがりの観光客が口にする機会にはなかなか恵まれません><
土地の方に知己を得ないと難しい。この間も地元のJAでしか購入できないお肉を親戚の方に送ってもらったけど、やっぱりうまかった。県外に販売するときには他の地区の牛肉と一緒くたになって○○牛として販売しなくちゃいけないらしい。ある程度標準化するために規格が必要なのは理解できるけど、なんか変な制度だとも思う。
観光地ならお金を出せばうまいものにありつけるのかもしれないけど、場所によってはそもそも外食産業がなかったりするしなぁ。う~む。。
日経BP土木・建築・不動産系ポータルのケンプラッツで軍艦島を訪れる連載第4回(最終回)が掲載されていました。
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▼軍艦島ルポ(最終回)日本の行く末を暗示する島
軍艦島は2009年1月に、世界遺産の暫定リストへ追加された。4月の上陸解禁も追い風となり、世間から注目を集めている。その一方で、ただの観光地となってしまうのをNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長は危惧する。
・過去記事
▼軍艦島ルポ(1)35年ぶりに上陸解禁、“つぎはぎ”護岸が建物群を守る
▼軍艦島ルポ(2)上陸して驚く、越波の爪跡を残すガレキ
▼軍艦島ルポ(3)見学ルートのヒミツ
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廃墟マニアの間で有名な軍艦島FLASHがあまりに秀逸で、当時の会社の仲間で話題でしたっけ。久しぶりに見たらバージョンアップしてました。
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・軍艦島 Ver 3.0
軍艦島は長崎港の南西約19Kmにある周囲1.2Kmの小さな島、端島の通称。海から眺めた様子が軍艦に見えるから軍艦島。
かつては石炭炭鉱があり最盛期には5千人近くの住民が住んでいた島も1974年の閉山と住民の一斉退去により無人島に。
島を入口として海底にある石炭を掘削する炭鉱をであると同時に、住宅や学校や病院など稠密なコミュニティーを実現した場所。日本初のRC造建築(30号棟、1916年竣工)をはじめ、大正から昭和にかけての近代の中高層建築が凝縮する独特の姿を持つ島。
放置された建物の崩壊が進んでいるため長らく上陸禁止に。公式には遊覧船で沖から眺めるツアーのみ。その間にも、コアな廃墟マニアさんたちは漁船をチャーターしたかなんかでひっそりと立ち寄っていたらしい。
廃墟好きの憧れの地としてじわじわと注目を集める中、2008年12月に文化庁の発表により「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、また世界遺産の候補としてリストアップ。地元長崎でもこの機運を受けて、産業遺産として、また観光資源として積極的な保存活動が始まることになったのだとか。
(文化庁にも廃墟マニアがいるんだろうか??)
2005年より一部歩道などが整備され始め、2009年4月には観光地として上陸が解禁になり、当初の予想を上回る観光客が訪れているのだそう。
この連載記事の最終回、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の会長である坂本氏へのインタビューの回答。この言葉にたどり着くために4回に分けての連載記事があったのだな…と、ちょっとしみじみ。
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――軍艦島が語るモノとはどのようなものでしょうか。
たくさんの人が住んでいた全盛期の軍艦島は、高層住宅が林立しており、「未来の日本」と言われていました。しかし、エネルギーの主役が石炭から石油に代わり、74年に軍艦島は見捨てられてしまった。一方で、今の時代は、経済成長のために資源をどんどん使って、既に底を突きつつある。いざ資源がなくなれば、軍艦島のように、日本を、そして地球を見捨てることができるのでしょうか。軍艦島は未来の日本の姿を暗示しているということを実感してほしいのです。そして、そうならないために少しでも自分たちでできることがあるはず。それに気付いてもらえるように我々はこの島を語り継いでいるのです。
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伊豆諸島のひとつ、断崖絶壁の小島である青ヶ島ではかつて「200人を超えたら油断するな」と言われていたとか。島内の耕作可能地は限られており、地理的な問題で外部との活発な交流が困難で自給自足が主だった時代、過剰な人口増は島自体の存続の危機であると考えられていたとか。
軍艦島は周囲1.2Km、わずか6.3ha。仮に正方形にすると約250m四方。ここに5000人以上の住民が生活していたというのだからすごい。智恵子さんが「空が無い」と嘆いた大正-昭和初期の東京と比べても遥かに過密な人口密度。
それだけの食糧や水や生活物資を外部から調達することができ、しかも住民の人たちは当時でもかなり先進的な生活を送っていたというのだからすごい。善し悪しは別として、当時の(まぁ今も)エネルギーに対する需要や価値はすごいもんだなと、石炭は本当に黒いダイヤだったんだなぁと思う。
おそらく後の歴史から振り返ると一種の火花のように極短期間に栄え、瞬く間に遺跡となってしまった廃墟の島。こういうものの積み重ねで歴史は築かれていくんだな~と、ごく当たり前のことを感慨深く思うのでした。
尾瀬周辺、帝釈山脈周辺は山深く湿原も豊富で最近気になるエリア。
天候はいまいちぱっとしないものの、Gさんの週末の泊まりの沢計画に便乗。Gさん、Yさん、自分の3名。
金曜日の夜、都内を出発。東北道を北上し、西那須野塩原から国道400号を経由し、国道121号沿いにある道の駅たじまで仮眠。出発と到着が遅かったので6時半に起き、7時に出発。曇りがちなものの幸い雨は降っておらず、緑豊かな渓流沿いの道を一路桧枝岐へ。往来する車も少なく、8時過ぎには会津駒の登山口駐車場に到着。
道標から山道に入りしばらく沢沿いを歩くと沢を渡る小さな木橋が現れる。山と渓谷社から出ている「関東周辺沢登り ベスト50コース」によると「竜ノ門の滝は2段の滝で上段はどうせ巻くのだから上からアプローチしたほうが良い」というようなことが書かれていたので急登の階段を登り滝見台まで上がる。滝見台の先にも踏み跡があったのでしばらく登り2段の滝上部付近の高さまで至ったものの侵食された崖の空間が大きくて到底廻りこめそうにない。滝見台下からも近づけそうになく、いったん先の木橋まで戻る。
この本の記述は「当てにならない」というのが山仲間の評だけど、またしてもやられた…という感じ。(聞くと、他にも滝見台まで行ってしまったという人がいた。。)
万が一沢を下降してきたときの目印かな。
しばらくは川歩き。やがて3mCS滝が登場。第1ゴルジュ帯に突入。といっても、あんまりゴルジュっぽくない。この辺の滝はどれも登りやすい。岩も蛇紋岩? にしては硬いので安心。ところどころ白や灰色の石灰岩が転がっている。熱変性を受けたのか大理石みたい。秩父古成層由来だそうな。
こんな山深い場所に海の時代の記録が残っているのはなんだか奇妙な感じ。
それにしても結構登る。南会津の癒しの沢を…と考えていたのに、まるで癒し系じゃない。これは自分の勘違いだった。トホホ。それに自分を除く二人のペースが速くて、ついていくのがやっと。
2万5千分の1の地図にある「大瀑」に該当しそうな10m滝は左壁を直登。岩がよほど硬いのか、流れがクランクカーブ状。その先の6mCS滝は立っていて直登できなさそうなので、右岸を小さく巻く。ようやく流れが穏やかになり一息つく。
二俣を左俣の源六郎沢へ。やや水流が細くなる。上空にガスが降りてきている。しばらくは川原。左手に雪渓の名残。
小さな滝をいくつか越え、開けた川原の両岸が切り立ってくる。いよいよ第2ゴルジュ。この時点で11時50分。
水量は減ったものの水勢はなかなか。8mくの字の滝の上部がハング気味。Yさんが残置ハーケンにスリングをかけ、Gさんの肩に乗りショルダーで突破。自分もショルダーで上がる。
ホールドは多いけど苔で滑っているのが厭な感じ。。
再び流れは穏やかになり、ようやく第2ゴルジュ終了~。
なんとなく源頭っぽい雰囲気になる。振り返るとV字の谷間の向こうに山並みが見える。時折ガスが晴れ、陽射しが射して明るい沢になる。
←全体的にず~っとこんな感じ。
周囲を見回しているとYさんが右壁に残置スリングを見つける。この残置の長スリングを頼りに上に登り、ハーケンを打ち足して笹藪に乗り込む。ロープを出してもらい、自分も登ろうとしたら掴んだ岩が剥がれて振り出しに戻ってしまう(汗)。ロープを出しておいてもらってよかった。。
←8m滝。側壁の岩が脆くて今回一番の核心だった。。
背負っていたザックを降ろし、硬い岩を選んで小ハングを越え、潅木を力技で掴んで上に乗りあがる。下にデポした全員分のザックを回収し、Gさんが登って来た後落ち口に移動して小休止。ここが一番シビアでした。
8m滝の先は小さな釜を持つ滝の連瀑帯。大きな釜を持つ直瀑7m滝はとりつくしまがなさそうなので左岸手前のガレたルンゼを登り、藪をトラバース。沢床に降りるとその先にも滝、滝、滝。。
第3ゴルジュ最後の7m滝は釜を持つ直瀑。右岸から巻き、落ち口上から潅木にロープをセットして懸垂で降りる。
14時半に標高1770mの奥の二俣に到着。奥の二俣を左俣へ。最後の12m滝は左のコンタクトラインを慎重に登る。
トイ状の滝の左壁を登ると、水の流れはぐっと穏やかになり、ますます源頭っぽくなり両岸に草原が広がる。
その次の二俣も左俣へ。右俣の直立した岩盤にスダレ状の滝。きれい。振り返ると笹の草原の稜線にダケカンバとオオシラビソの森。前方にはなだらかな草原が続く。
15時くらいから幕営適地はないものかと周辺を見渡しながら水の細くなったガレを登る。そろそろ水が枯れそうなのでいったん荷物を置いてあちこち物色。あれこれと探し回った末に、左岸の草地に決定。この時点で15時半。早速タープを張り、脇の水流でお酒を冷やして、薪を探す前にちょっと休憩~と休んでいたらザーッと雨。あらら。
まぁ周囲には手頃な薪も少ないので焚き火はなしでもいいかと、宴会開始。雨は止んだり降ったり。ちょぼちょぼの水流が少し増えてお酒が転がる一幕も。源頭まで詰めておいてよかった。
朝5時前に朝日と共にもぞもぞ起床。快晴。
朝ごはんを食べて撤収し、6時40分に歩き出し。水枯れて背の低い笹薮を分けて歩くとすぐになだらかな草原が広がり、目の前に登山者の姿。6時50分に登山道に合流。
駒ノ小屋の前に荷物をデポし、カメラだけを持って会津駒ケ岳山頂をピストン。
昨日遡行してきた沢の風景とは一変して、駒ケ岳山頂付近は高山植物が豊かな湿原が広がっていて、まるで別世界。歩き去ってしまうのが惜しいほどとても気持ちのよい場所。
まるでハウルがソフィーを招待した秘密の花園みたいだ~。。と思ったのは内緒(といいつつここで書いたら意味ナシ)。
←山頂より。こんなステキな場所があるのだと思うと、登ってきた甲斐があるというもの。ロマンチックが止まらないby C-C-B。
あとはひたすら下山あるのみ。8時に小屋前から出発。
「コースタイムで2時間半なら1時間もあれば降りられるかな」というGさんに「いや1時間半ではないかと」とごにょごにょもにょる自分。岩手の侍浜で捻った左足が未だ腫れたままなんです。うう。
さすがは百名山でひきもきらずに登って来る登山者の人たちとすれ違いながら一目散に下山。途中は展望がまったく利かないので、ひたすら下山。あとちょっと…というところで雨が降り出したので雨具を着込み、9時10分に登山口駐車場に帰還。
駒の湯につかって朝風呂を堪能。帰りの道中で地場の野菜を買い込み(トマトうま~)、一路帰京。
どまでも山並みが連なる実に山深い場所で、谷を分けていくつもの滝を越えて越えて、山上の草原にたどり着くというのはちょっとというかかなり劇的。
天気予報はすぐれなかったものの、雨に降られたのはタープを張り終えた後だったり登山口到着直前だったりと、うまい具合に雨をすり抜けることができて幸いでした。楽しかった。お疲れさまでした。
先日遡行した赤岩沢のある奥鬼怒からの道は尾瀬に通じている。尾瀬は多才にして異才の民俗学者(食生態学、および登山家、探検家にして作家)西丸震哉氏がこよなく愛する土地。
そんなことを唐突に思い出して本棚をごそごそ探す。引越しのどさくさでどこかに行ってしまったかなぁ…と思ったけど、ありました、「西丸震哉の日本百山」(残念ながら絶版)。
この本で取り上げられている山はなかなか偏っているし、西丸氏が若い頃に地図を眺めて面白そうな地形があったら猛烈な藪を漕いででも突撃した思い出や、地図を眺めながらの机上登山(つまり脳内山行)が交錯していて面白い。気がついたら一気に読み返してしまった。
藪を漕ぐのはちょっと…だけど、登山者の姿の少ない秘境の高原や湿地帯でのんびりキャムプ(by西丸氏)はちょっと憧れる。同時に、多くの人が踏み入ったらたちまち破壊されてしまうであろう自然環境と、それでも秘境を求めてしまう人間の業について思い巡らせるくだりに共感しきり。
そういえば。先日の赤岩沢・魚沢の帰り、川俣温泉に近づく頃、Y2さんが車の中で言ったを思い出す。
「昔、ここの林道(川俣桧枝岐線)を自転車で走ったことがあるんだけど、栃木県側は整備されていたのに、福島県側に入った途端に未舗装になって参ったなぁ」と。ロード用の自転車で荒れた道を走るのは難しいので、仕方なく自転車を押して歩いていたら運よく通りかかった地元の方の軽トラックに拾ってもらったとか。
なんでもこの地元の方が言うには、林道の両側の村はあまり交流が深くないらしい。もっとも個人の意見の又聞きなので全体の総意ではないかも。
併せて、先日購入した日本登山大系2 「越後、南会津」編をぱらぱらと読んでいたら、「かつて引馬峠を越える山道があり、これは栃木側の栗山村(現日光市)と福島県桧枝岐村とを結ぶ交易路だったが、現在ではすっかり廃道と化している」というような記述がありました。峠には無人交易所があって、互いに物々交換をしていたとか。なんだ、やっぱり交流はあったのね。
なお、この峠に明治時代に設置され、その後亡失されたことになっていた二等水準点が2007年8月に30年ぶりに「発見された」とか。すごいな。
詳しくは、発見者のひとりである山部さんのサイトに:「徳二四号」二等水準點 檜枝岐 引馬峠
引馬峠越えは、現在の林道川俣桧枝岐線の経路とは異なっていて、どうやら <栃木県側の川俣から無砂谷川-平五郎山ー尾根伝い-県境1915mと1951mピークの間-県境尾根北上-越ノ沢-黒沢-舟岐川-福島県側の桧枝岐> という経路らしいのだけど、このルートを2万5千分の1の地図でまじまじと眺めると、昔の人はすごいなぁ…と思う。しかも「引馬」峠ということは、馬連れて歩いたんかい?? と思う眩暈がしそうな。。
(越ノ沢は東面の赤岩沢や魚沢よりも等高線間隔が広いので、もしかしてナメまみれ? とちょっと気になる)
また、先の登山大系には「古くから大津枝峠を通る道が桧枝岐と大津枝を結んでおり、山に生活を求めた里人の姿を思い浮かべることもできたが、現在ではこの道も大津枝側では廃道と化している。」という記述もありました。
確かに現在の国土地理院の地図で見ると、桧枝岐村のキリンテ沢から大津枝峠までえらく急登そうな山道が確認できます。そのまま尾根伝いに進めば、ちょうど大津枝ダムの位置に到達(廃道になった箇所は、山菜取りやキノコ狩りなど山の幸を求めて分け入る人が稀にいるっぽい)。
大津枝川沿いに進めば、その先には銀山湖、いわゆる奥只見湖。今なお酷道として知られる国道352号線を行けば新潟県小出に至る、と。
なるほど。
新潟県魚沼市が盛んに「新潟県から尾瀬」というアクセスをPRしているけれど、案外こっちが本来の尾瀬や桧枝岐村への到達方法なのかも。
それにしても、登山大系をつらつら読んでいると、交易路のほかにもすでに廃道となった「鉱山道」の存在があちらこちらに散見。銅に銀、金やモリブデンなど。鉱山ではないけど水晶も。埋蔵量は少ないとしてもほんと日本は鉱物資源が豊かな土地だ(った)なぁと思う。
A couple of news clips.
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カーディル主席「暴動関与せず」 「中国の民族政策は失敗」
世界の亡命ウイグル人組織を束ねる「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル主席は29日、東京都内で記者会見し、5日の中国新疆ウイグル自治区での大規模暴動について「わたしは一切関与していない」と重ねて強調した上で「中国政府の民族政策は失敗している」と厳しく批判した。
カーディル氏は、世界ウイグル会議が求めているのは、新疆ウイグル自治区の中国からの独立ではなく「民族の自決権」だと強調、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が要求している「高度の自治」については、自分たちは追求しないとの立場を表明した。「ダライ(・ラマ)は(中国に)だまされ続けている」とも述べた。
さらに、中国当局に対し世界ウイグル会議との「対話を求める」と述べ、話し合いによって現状の打開を図ることに意欲を示した。
(共同通信 2009/07/29 16:37)
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調査団派遣求める=在外ウイグル人指導者
在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長は29日午前、自民党本部で衛藤晟一同党参院議員らと会い、中国新疆ウイグル自治区での5日の暴動について「デモを暴動に発展させたのは中国政府だ。わたしたちは死傷者のほとんどが漢族という発表を信用しない」と強調、調査団を現地に派遣するよう要請した。衛藤氏は「われわれも考えなければいけない」と応じた。
(時事通信 2009/07/29 12:45)
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中国が東トルキスタンことウイグル自治区で核実験を行った過去がある以上、自分はウイグル問題においては反中。
(ま、核実験の回数ではダントツにアメリカが多い(1992年までに1032回)し、ロシアもひどいもんだ(1949年までに715回)。フランスも1960年までに210回。中国は1964年までに45回で回数ではイギリスとイーブン)
そういえば、少数民族に対する弾圧や難民問題に取り組み欧米やロシアなどの大国を批判しながらも(日本の沖縄やアイヌの問題なども)、中国や北朝鮮の国内問題に対してはミリとも触れない慈善団体がしばしば見受けられるけど、こういう偏向した姿勢の団体さんは信じられん。
まぁ見分けやすいのでいいんだけどね。
日曜日の朝、夜明けとともに目が覚める。午前4時半。4時50分前には頭の先の木々の隙間に曙光が現れる。
昨日の午後には太陽を追いかけて西の方角に進んで来たはずで、今は水の流れに対して直角に位置するのにあっちが東なのか…と、寝ぼけた頭でぼやぼや考える。
空はすっきりとした青空。暖かくぐっすりと眠れた。夜中にトイレに行きたいなぁ~と思い目が覚めたときにパチパチとタープを叩く雨音を聞いたような気がして再び寝入ってしまったけれど、どうやら水流の音だったらしい。
ごそごそとシュラフ類を片付ける。みんなでコーヒーを飲む。温かくておいしい。Sさんが朝ご飯の支度を進めてくれる。乾いた靴を持参しなかったのでお手伝いできずに申し訳なかった。もっとも邪魔なだけかも。。
おいしい朝ごはんをいただき、周囲を片付け、ぼちぼちと沢の装備を整えて6時50分頃に出発。
もうずいぶんと少なくなった水流に沿って進むと、徐々に笹が覆いかぶさるように道を塞ぎ出す。歩き出しから15分ほどで奥の二俣に至る。標高1800mを過ぎた辺りから上の沢沿いの植物は鹿の食害が目に付く。Sさんが夜中に鹿の鳴き声を聞いたとか。
奥の二俣を左に入ると、4畳半くらいの湿原。湿原の周囲はぐるりと肩くらいまでの高さの笹藪に覆われている。手詰まりかと思ったらNさんんが湿原の端に水流を見出して進んでいく。上流の笹薮は3m程度で、すぐに開けた雑木林の中に出る。ほ。オオシラビソの甘い香りに満ちている。
もはや水の流れは僅かな窪地を穿つだけとなり、しばらく追っていくと涸れてしまった。赤岩沢の源頭部。
さて、下降する予定の魚沢を探さねば…と、獣道を辿って斜面を歩く。鹿たちが赤岩沢の源頭部まで水を呑みに来るのかしっかりした獣道。
過去の遡行記録の多くには「赤岩沢から黒沼田代に出たら湿原を横断してすぐに魚沢に出会う」と書かれていたけれど、黒沼田代が見当たらない。しばらく歩くとぽんと登山道に出た。黒岩山山頂を往復する登山道で、ここを下るとすぐに奥鬼怒と尾瀬方面の分岐に到着。この時点で8時ちょうど。
「黒岩山の山頂に行ってみる?」とNさん。黒岩山は栃木県と群馬県と新潟県の県境をなす分水嶺。ちょっと気になったけど、この先もまだ長そうなので今回は見送り。
とにかく現在地がはっきりしたので、2万5千分の1の地図とコンパスをセットして魚沼を探すために樹林帯に突入。明るい広葉樹林帯で歩きやすい。
しばらく荒れた感じの沢を降りていくと、やがて空が開けてまるんとしたナメ床が続く。「うひょ~」とテンションが上がる。さっきまで多かったガレや流木はもはや見当たらず、緑の中に黄褐色の花崗岩のナメが舗装道路のよう。
フリクションは抜群で傾斜も緩く、岩盤が固いのか釜も小さく、さくさくと進む。駆け出したくなるけれど、通り過ぎてしまうのが勿体無いような気もする。悩ましい。
途中6mの滝は右岸から草を掴んで下降。側壁は泥岩で脆い。自分は途中で足が滑ってずるりと落ちて笑いを買った。とほほ。
再びナメと釜が連続し、しばらくいくと8m滝上に。右岸の木の枝に捨て縄が4つか5つ。2つは大分新しく、どうやら今年のもの。Nさんが捨て縄を追加し、ロープを掴んで順番に降りる。
またしてもナメ。ひたすらナメ。空が一段と広くなりどうやら10m懸垂滝上に到着。ここもやはり左岸の木の枝に捨て縄がある。奥の木まで少し移動してYさんの捨て縄を追加し、ここは懸垂下降。降りたところで15分ほど休憩。
この先もひたすらナメが続く。ナメ好きにはたまらない。ここのナメ床は赤みを帯びた岩に白い筋が入っていて面白い。Sさんが「キリンみたい」と形容した直後に、Y2さんが「肉みたい」と呟き、一同爆笑。なるほど霜降り。
また、この滝を境に、明るかった沢が一気に深い谷に変わった。両岸が切り立ち、そのためか苔でぬめっぽくなる。
小さなゴルジュを降りるとますます地の底に降りていくような感じ。流れは右に左に大きく蛇行し始める。
11時40分に廊下のようなゴルジュ上に到着。見れば流木に捨て縄が巻いてある。水面までの高さは3m程度。水勢は激しくないので落ちても泳いで逃げれるかな…と思いながら、先を行くNさんとYさんを真似てツッパリで少し降り、左岸に移り、ホールドを伝いながら淵を抜ける。抜け切る寸前で淵にドボンし、またしても爆笑を買う。うう。
ガレた谷間を降りていくと、赤いのナメが続く。延々と続く。30分ばかりの間、ひたすらナメ。やや滑っぽいけれど、ナメ最高。
赤い岩の瀞やナメをぽくぽく歩く。ずいぶんと水が、Sさんの指摘のとおり「金魚鉢っぽい」。魚沢という名所のとおり魚が多いのかな。でも魚影はひとつも見かけなかった。
いよいよ川歩きっぽくなってきた頃、沢床が節理をもつ黒い岩に変わる。小さな滝を降りると、左手から黒沢が合わさる明るい川原となる。ちょうど午後1時半。対岸に渡り、踏み跡を辿って黒沢林道に上がる。みんなでハイタッチ。よく見れば踏み跡はある。でも昨日通ったときには気がつかなかったなぁ。
黒沢林道は昨日と今日の好天ですっかり乾き、白い岩や砂礫が眩しい。絹姫橋に立ち寄り明るく眩しい川原を眺め、夫婦淵温泉の駐車場に2時ジャストに到着。
駐車場は7割の入りで、奥鬼怒散策や登山者の姿が点在している。沢の中では誰にも会わなかったので、久しぶりに下界に下りてきたような錯覚を覚える。うだるような暑さが気持ちいい。
駐車場で装備をしまい、旧栗山村(現日光市)の川俣地区にある「上人一休の湯」に立ち寄りさっぱりした後、温泉まんじゅうを食べ、大笹牧場でソフトクリームを食べて帰京。
念願の? というほどではないけれど、以前Webで遡行記録を見つけて「行ってみたいなぁ」と思っていた沢だったので、偶然Nさんが候補に挙げた沢と合致すると分かったときは「これはもう行かねば」と運命を感じました(冗談)。まさかこんなに楽しい沢だったとは。みなさまありがとうございました。
■蛇足。
日本登山大系2を眺めていたら、赤岩沢の奥の2段50m滝が「50mナメ滝」と紹介されていました。あれがナメ滝? いやまさか。
金曜日の夜に都内で集合し、東北道へ。今回はYさんY2さん、Nさん、Sさんと自分の5人。
途中から大粒の雨が降り出し、日光に入っても雨は止む気配なし。出発前に眺めていた天気図では、オホーツク海高気圧が張り出していて近づく低気圧と梅雨前線を日本海側でブロック。北関東内陸部の影響は不明。予報のとおり曇りか、やっぱり雨か…と思いつつも、なるべく荒れないことを祈るばかり。
霧降高原スカイラインに入るとなにしおう濃厚な霧。雨は降り止まず。午前3時頃に夫婦淵温泉に到着。あたり一面を包む硫黄の刺激臭がツンと鼻につく。幸い雨は小康状態。ここで仮眠。
朝7時半過ぎに起き出し、ぼちぼちと沢の準備を進める。ガスが上昇気流に乗って曇りがちだけど、部分的に青空も覗いている。
朝9時に夫婦淵駐車場を出発し、奥鬼怒遊歩道から黒沢林道へ。林道に入って奥鬼怒温泉郷に続く吊橋を左手に見るとすぐに道が草っぽく細くなる。この先にある堰堤工事のために道が拓かれてからメンテナンスされていないのかも。右手に露出した岩肌はところどころかなり脆そうで、小さな崩壊箇所が2、3箇所。
途中に残る2つのコンクリート橋やS字のカーブの端に埋もれたカーブミラーが遺跡のよう。地図を見ながら歩いていたけれど、魚沢へ続く林道の分岐点は分からなかった。同じく地図を眺めながら歩いていたYさんも「見つからないね」とのこと。最近の記録によると魚沢沿いの林道は廃道になって久しくすっかり自然に帰っているとのことだったけど、どうやら本当らしい。
じゃりじゃりと水を含んだ林道を歩いていると、いつの間にか太陽が背に照りつけ気温がぐんぐん上がる。左側の眼下に黒沢の流れ。水量はさほど多くない様子。「飛び込みたいなー」とNさん。「こういう広い川原みたいな沢が好きなんだよね」
黒沢林道は概ね平坦。標高は2箇所のS字カーブで稼ぐ。1つ目のS字カーブを上がった少し先で緑の中に白い巨大堰堤の姿を見る。おお、あれか。
赤岩沢の出合は人の頭よりやや大きめの白い花崗岩のガレがゴロゴロ転がる枯沢。ガレをぽくぽくと歩くとすぐに2つの堰堤が登場。右岸から2つまとめて高巻き。泥壁はやや脆いものの難なく越える。
手前の堰堤は小さく明らかに古い。2つ目の堰堤は大きく立派だけれど、すでにかなりの土砂や岩が堆積している。途中に「建設省貸与」という標識が埋められていたので最低でも8年以上、おそらくはもっと経っているのだろ。
赤岩沢自体の集水面積はそれほど広くないので、多少の雨でも大丈夫かな…と考えていたけれど、これらの河川の水を集める鬼怒川の下流はその昔氾濫が絶えなかったらしい。毛の国(群馬・栃木)を流れる川なので「毛野川」と呼ばれていたとか蚕産業が盛んだったから「絹川、衣川」と呼ばれていたものが明治時代に「鬼怒川」という名称になったのは、「測量に入った役人が「鬼が怒ったような」激しい流れに、この字を当てたとの話が残っています。(関東農政局のサイトより)」だとか。
堰堤上で休憩し、10時50分過ぎにいよいよ赤岩沢の遡行開始。水の流れは細く、ナメ床を花崗岩の岩や大きな流木が埋めつくしている。段々と沢が開けてくるにつれて、小滝と小さな緑色の釜が続いて現れるようになる。
30分ほど歩くと沢はすっきりと明るくなり、雪渓で磨かれたきれいなナメが断続的に続く。特に困難なところはなく、ナメはフリクションが効き、滑るように流れる緑色の水が美しい。
空はいよいよ明るくすっきりとした夏空。明るい原生林の中、舗装道路のようなナメ床をひたひたと歩く。楽しい。ところどころに巨大なヒノキの倒木が転がっている。予想外の晴天と暑いほどのとにかく楽しい。
黒苔がちょっと滑って嫌な感じだけど、2段50m滝の下部は階段状なのでロープを出さずに直登。Yさんと自分は左から、あとの3人は右から登り水流をトラバース。上部は水流脇の潅木帯を登る。ここで流れは左に曲がる。
滝の上部に頭がやや潰れたハーケンがひとつリスに打ち込まれていました。この沢で見かけた唯一の残置物。
滝上で休憩。Nさんが「しっかり休もう」と仰ってくれたので、ありがたくお湯を沸かしてラーメンを食べる。
20分少々休んだ後、再び歩き出し、ひたすらナメを歩く。途中にある小滝はペタペタと直登。すこぶる快適。
(2段50mの滝は目見当で下段(3段)20m程度、上段5m程度かなと思う。いずれにしても最初の2段50m滝より立っているので威圧感がある)
「水流脇の右壁を直登」した記録と「右岸のルンゼを登ってからトラバース」という記録があり、どうやって攻めようか皆でしばし観察。
滝の上段は左のコンタクトラインが階段状なのでそのまま直登。階段状だしガバもいっぱいあるのだけどいかんせん高度感満載のフリーソロなので慎重に登る。
無事に滝の落ち口に上がると光いっぱいのナメ床。徐々に沢床の幅が狭まり、両岸も低くなり樹木の向こうに青空が透けて見える。角ばった岩でできた階段状の小滝や倒木地帯を登る。「そろそろ今日の幕営地を探そう」ということで、周囲を見渡しながら進む。
途中で2、3箇所ほど焚き火の跡を見るもののあまり広くない。振り返ると沢の向こうに山並みが見える。なんの山だろう。
沢の流れはすっかり小さくなり、周囲に根曲がり竹が繁茂し出す。赤っぽい角ばった岩が切れて灰色の泥壁の地帯が現れる。ふと予感がしてここの沢水を舐めるとやけに酸っぱい。白鉄鉱? なんだろう? 幸い灰色の泥壁地帯はすぐに途切れ、再び赤い岩に変わる。水流が細いために苔でぬめっぽいけど水はおいしい。
2時40分頃、二俣に到着。右俣に入る。分岐のところに野生のブルーベリーが生えていた。
明日の朝が楽なようになるべく上流に行こうと更に先に進む。15時過ぎにNさんが「いいところがあった」と笹薮を指差す。「下が笹だと快適なんだよ」と。タープを張ってしばし休憩。どこからか虫がブンブン集まってくる。
今日一日の行程はそれほど長くないし、途中で休み休み進んだので思ったよりも楽だったけれど、前日の睡眠不足がたたって疲れた気がする。
しばしの休憩の後、薪集めに奔走。流木はそこそこ豊富なものの、完全に水没していてなかなか燃えない。もうもうと煙に巻かれながらしばらく格闘。髪の毛がすっかり燻製臭くなる。猛烈な煙のお陰か時間帯のせいか、虫は多少減ったような。ようやく諦めた頃に薪から炎が上がる。ちょうどSさんが作ってくれた晩御飯ができあがったので、乾杯と同時に夕飯。しみる。
空にはいつの間にか雲が広がっていたけれど、雨の気配はない。酔いが回ったこともあり、すっかり睡魔が押し寄せてきたので8時頃に就寝。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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