前日までの雨による染み出しなどの影響もなくフリクションも良く、そこそこ混んでいる割には他のパーティさんたちとルートがかぶることがなかったのは幸いでした。みんなもっと難しいルートを狙っているからね。はは。
ちっとも上達しないのでたいしたグレードではないけれど、ある程度余裕をもって楽しめるルートをマスターで3本登ったのがうれしい。
*** 今回登ったルート ***
・なべちゃん(5.8) - 再登。アップでヌンチャク掛け。なんでもありなので楽しい。
・イエローマウンテン(5.9) - 再登。アップでヌンチャク掛け、その2。春先は苔まみれだったけれどお掃除されていました。長くて楽しい。
・ワイルドトットちゃん(5.10b/c) - マスターOS。お隣の「WORK ON」へのヌンチャク便。「ガバがいっぱい」と聞いていたのに案外カチカチしていてビビッた。でも落ちなかったので登ったら登れた。
・HIVE(5.10a) - 再登。長くて楽しいルートの代表例。何度登っても楽しい。
・アイソメトリックス(5.10c) - RP2。1便目は核心ムーブを解決できず、2便目でRP。なんというかカチカチ。
・わささび(5.10b) - マスターOS? 登る前に抜け口のムーブを聞いてしまったのでOSではないか。でもまぁいいや。足がしっかりしていて楽しかった。
・森の唄(5.10a) - 2テン。クールダウンのつもりが嵌ってしまった…。上部直登は怖かったので左に逃げてしまった。
文庫化されるまでのんびり待つつもりだったのだけど、実家に手付かずのままのBook1が本棚に鎮座していたので(「話題になっているから」と父が盛夏の頃に購入したもの)借り、翌日Book2を購入。
とても面白かったです。
引き込まれるように一気に読んでしまいました。
村上春樹氏の中・長編小説を読み終えると、ひどい嵐が通り過ぎてぽっかりと晴れた翌朝を迎えたような気分になります。今回も同じく。
願わくば…といっても絶対に無理なのだけど、自分が十代後半ぎりぎり二十歳手前くらいのときに出会い、そのあとも歳を重ねていく折々に読み返してみたい物語だと思いました。絶え間なく揺らぎなく不可逆的に進行していく時間というものを少々残念に思います。
出発時点でお昼前だったのでちょっと近場にでも…と地図を開き行き先を検討。
「足尾銅山とか」という自分の迂闊な一言に端を発し、下道でとことこと北上。
埼玉県から群馬県に入ってまもなく、群馬県明和町の街中を走っていると道端に「川俣事件衝突の地」という案内板がありました。
「川俣事件は、1900年2月13日、群馬県邑楽郡佐貫村川俣(現明和町)で、足尾鉱毒事件に関して、政府に請願するために出かける途中の農民と警官が衝突した事件。」とのこと。
これから自分たちが向かう足尾銅山は、カーナビによるとまだ約75Kmも先。鉱毒被害に遭った農民たちは歩いて東京に向かうところだったとか。ここから東京だってちっとも近くない。
広々とした遊水地を両岸に備えた渡良瀬川を越えて、大間々の街の商店街を抜けると、国道はかっきり左折し唐突に山道に。右手には両岸がすとんと切り立つ深い渓谷。
渓谷に沿って国道122号とわたらせ渓谷鐵道の軌道が併走し、狭い段丘部分に切り開かれた集落が点々と。秋の花々や黄金色の稲穂がきれい。
渡良瀬渓谷沿いに国道を進み、途中のお蕎麦屋さんで昼食。お汁が一見「富山ブラック?」というか、考えてみれば昔ながらの関東のお醤油色した真っ黒タイプで、そういえば近年都内のお蕎麦・うどん屋さんのおつゆはずいぶんと薄い色になったような気がする。
駅舎内に温泉施設のある水沼駅には小奇麗な駅舎に「ゆ」の暖簾。時間があればひと風呂浴びたいところだけど今回は見送り。残念。
神戸(ごうど)の集落を過ぎて、草木ダムの展望台にて休憩。
予備知識もなくふらりと立ち寄っただけなのに、堰堤に埋められた「ダム湖百選」のプレートを見て俄かに気分が盛り上がる自分(笑)。
草木ダムは利根川水系8ダムのうちのひとつで、(財)ダム水源地環境整備センターの選定するダム湖百選のひとつだそうな。
ちなみに「ダム湖百選」というけれど、現時点で選出されているダム湖は65箇所だそうで。。百選じゃないじゃん。。ま、いいけど。
草木ダムの形式は越流型重力式コンクリートダム。堰高は140mと結構高め。もとともここはちょっとした断崖だったのかもしれない。その代わりにダムの堰堤が巨大な楔として打ち込まれたような印象。
ここにもかつて集落がありダム建設の反対運動が激しかったそうな。結局移住を余儀なくされた人たちがいる。けれど、渓谷の自然美を守るとか先祖伝来の土地や生活様式を守るといった尊い価値観とは別に、技術的に俯瞰した結果「ダムを造るために存在する土地」と判断した人たちがいることも納得できる気がする。どっちの立場に足を突っ込むべきなのかについては、自分にはまだ答えがわかりません。。
草木ダムだけではなく、午前中に通り過ぎた渡良瀬遊水池の下流には渡良瀬貯水池(谷中湖)があり、そこにはかつて谷中村という村落があったそうです。
洪水のたびに上流の足尾銅山から流出する鉱毒の被害に遭い、銅山反対運動の活動拠点ともなり、それ故もあって専制的な行政と政治の決定により1907年に強制廃村に。1911年には残った村民たちの北海道常呂郡サロマベツ原野への移住開始(後に帰郷請願が出る)-という歴史があったとか。知りませんでした。
治水を含め産業発展の歴史には光があり影があるのだと、改めて深々と実感。光を手放しで賞賛するのは危険だけど、影を引きずるだけでは前に進めないような。。難しい。。
この時点ですでに2時近く。「あんまり遅くならないように、もうこの辺でUターンして帰ろうか」と父に伝えると「まぁ、足尾まであとちょっとだから」との返事。うんまぁ確かに。
というわけで、途中でとわたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車を眺め(なにしろ便数が少ないのでラッキー)、鉄道のターミナル駅である間藤駅周辺を左手眼下に見つつ、松木渓谷入口にある銅(あかがね)親水公園へGo。
足尾銅山には遠い昔、小学校の林間学校で日光に向かう途中に訪れたはずなのだけど、やたらと肌寒くて薄暗い雨の日で、バスの中から降りるのが面倒だなと思ったことしか記憶にない。夏の日中は連日のように光化学スモッグ警報が発令されていた時代。ずいぶんと遠い昔のことです。
細い集落の道を進むと、V字の谷間の対岸の高台に錆び付いた鉄骨の枠組みと、同じく赤錆色に煤けた巨大な煙突が印象的な旧製錬所の建物が遺されていました。まるで映画のセットを見ているような非現実的な光景。。
すでに解体されてしまった構造物もあるそうですが、2005年より日光市がこの製錬所跡を世界遺産として保存する活動を展開しているそうです。
社寺仏閣などの祈りの場や美しく雄大な自然ではなく、産業発展による「負の遺産」だからこそ遺したいという、全力疾走しかも後ろ向きになところに個人的に共感を覚えます。
松木渓谷は製錬所から流出した亜硫酸ガスなどの煙害により一帯が禿山となり、露岩だらけの荒涼とした風景を称し「日本のグランドキャニオン」と呼ばれているとのことでした。けれど、事前にこの近くにある岩場の写真や情報を基に予期していたよりも、手厚く地道に行われている植林作業により緑を取り戻しつつある場所という印象を受けました。多分ちょっと期待しすぎていたのかも。
銅親水公園の堰堤上には渡良瀬川の澄んだ水流が細く静かに流れていました。
銅親水公園から先の林道は現在、一般車両通行止めのゲートがあり「24時間監視モニター作動中」とのこと。いったいどうしてこんなに厳重監視が必要なんだろ。そうまでしないとダメなくらい無断侵入する車両が多かったのだろか。。皇海山を目指す百名山ハンターなら松木沢よりも銀山平からだよなぁ。。謎。
この先にウメコバ沢というアルパインのゲレンデがあることは以前ネットや書籍で情報を掻き集めたので知っていましたが、そそり立つ岩肌に挟まれて見はるかすことはできませんでした。折りしも岩場から戻ってきたクライマーさんたちとすれ違いました。
目的地に到達したので、あとは一路帰るのみ。来たときの下道は夕方の混雑が予想されたので、ぐるりと日光方面に廻り高速道路で南下。幸い渋滞に巻き込まれることなく家に到着。
色々と考えさせられることも多かったですが、楽しかったです。
あまり足を運ぶ機会のなかった場所ですが、いずれ再訪してみたいと思います。まぁ、いつか。
政権与党の交代により、「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と上毛カルタでも謳われる群馬県上野原町川原湯に建設予定の八ッ場ダム工事の中止決定を巡り、あれこれと議論再燃。
吾妻渓谷はちょうど2年前に家族旅行の折にちょこっとだけ立ち寄った場所。(ダムに沈む村 2007/08/27 *村ではなくて町なんですが…すみません。。)
その時点ですでに架け替え道路などの工事が進行中で、歴史ある川原湯の温泉街も上流地区への移転の方向だという話だったので、個人的には「まさか今頃になって…」というのが率直な気持ち。自分は積極的な建設推進賛成派でも建設中止賛成派でもありませんが。。難しいので。
ちょうど、Amazon経由でオーダーしておいた「八ッ場ダムの闘い」が届いたので、早速読了。
著者の故荻原好夫氏は、八ッ場ダム建設予定地であり水没宣言を下された群馬県上野原町川原湯に生まれ育ち、地元の温泉旅館の主人であった方。
表題に「闘い」とあるけれど、ダム建設絶対反対派ではなくて、「中立派」または「条件付賛成派」とみなされていた方。
もっとも、冒頭から成田空港三里塚闘争に関わった方(お名前失念)の序文があったりして若干げんなり。一方で著者の荻原氏は個人的にダム建設推進派の福田元首相と深い交流があったりして、人の繋がりとはえてしてなにかと複雑。
建設省(現国土交通省)や群馬県の関係者や有識者、地元の政治家等とダム補填について折衝を重ねる内に官僚主導のダム建設のあり方や日本の都市・農村問題への疑念を深め、各方面の研究者との交流を深め協力を得ながら地元の人たちとともに新しいまちづくりを模索し続けた、長い年月に及ぶダム建設を巡る闘いの記録。
この本の初版刊行は1996年。40年以上もの長い間「真綿で首を絞めるような」「蛇の生殺し」のような膠着状態が続く中、著者自身が高齢となり、事の顛末を詳らかに後世に伝えたかったのだろうという思いがひりひりと伝わってきました。
一方の視点から書かれていることもあり、丸ごと共感するのは難しい点もありますが、深い苦悩と多数の苦労が偲ばれます。著者が関わった人物の名が率直に実名で書かれており、さらに嫌な相手は呼び捨てである点がある意味人間的。
地元住民を代表して折衝にあたった当事者ならではの「官僚主義の弊害」と一言では片付けられない複雑を垣間見ることができます。
端的に人間として悪意のある役人もいる。一方で、胸襟を開いて話し合うことができる役人もいるけれど短期間で担当者が変わってしまいそれまでの努力が水泡に帰してしまう制度悪という点もある。そして地元住民はその都度振り回されてしまう。徒労に募る虚無感。
直接顔を合わす役所の担当者の上にある見えざる大きな権力の手。見えない未来。息苦しい閉塞感に覆われ、都市化やモータリゼーションの進歩に取り残された町。徐々に人が離れ過疎化が進行する。反対派が息の根を引き取るときを待っていたかのようにダム建設が息を吹き返すだろう。まだ間に合ううちになにかしなくちゃいけない。そんなじりじりとした焦燥感。
もし自分が著者の立場だったら…と想像するだけで、胃に重たいものがつかえる気が。。
もっとも他人事として済まされる話ではありませんが。。
また、地元の方だからこそ充分に配慮された控えめな表現ですが、地元住民の間の温度差についても考えさせられました。温泉街の中心地でお土産物屋を営む反対派の急先鋒であるTさん、土建業を営むダム建設賛成派の「よその国から来た」Yさん(最初、外国人かと思いましたが借地人さんということでした)、など。
「一村まるごと移転」を希望し新たに前向きに生活を考えていこうと考えてきた著者にとって、地元住民間の激しくまたは静かな軋みは、ダム建設が持ち上がらなければ直面せずに済んだはずの厳しい現実だったのではないかと思います。
それから、本文中では政治家の関与はさらりとしか触れられていませんが、個人的には気になりました。
福田赳夫氏はダム建設賛成派である一方で、同時期に福田氏と熾烈なライバル関係にあった中曽根康弘氏は裏から手を回してダム建設反対の横槍を入れていたこととか、両者の間に挟まれた故小渕恵三氏が「困った」と著者に漏らしたこととか。同じ群馬県から選出された国会議員同士の反目が、実は八ッ場ダム建設の推移に関して一番影響力が大きかったのではないかと勘繰ってしまいますが、はて、どうなんでしょう。
しかしまぁ、いくら自民党の強い地盤だからといって、地元の意見を聞かずして八ッ場ダム建設中止をマニフェストに盛り込んだ民主党もなんだかな。
あたかも自分たちの政治力を誇示するための道具として取り上げたような印象が拭えないな。。
自分はダムが好きなので、どうしても考えが偏りがちです。とはいえむやみに大規模ダムを造ってGoとは考えませんが。
治水・利水は国家の要だと思うし、発電方式に関していえば原子力発電よりも水力発電の方が好ましいとも思うし。そんな訳でかねてから小規模で発電効率の良い小型水力発電装置を取り扱おうかと検討すること幾度か。なかなか実現まで至らないけど。
それよりも。著者が本書の後半で述べられたように、東京を中心とする首都圏の肥大化と過疎化が進行する山間の農村部という構造に抜本的な変化が生じない限り、たとえ一時的にダム開発の見直しや凍結を行ったところで、またぞろ近い将来にダム有用論が噴出し、いつまでも同じような問題が繰り返されるような気がしてなりません。どうなんでしょう。
それにしても。自分が購入した時点ですでに古本しかなく、それでも定価より若干安く購入できたのに、現時点の最安値が12,000円に跳ね上がっていてびっくり。さすがにホットな話題なんだなぁ。
前夜:都内出発-鹿角八幡平IC下車 東北支部長と合流し、森吉山鳥獣センター駐車場へ
1日目:散策コース-ノロ川・赤水沢-九階の滝展望台-赤水沢の途中で幕営
2日目:幕営地-ノロ川・トウド沢(桃洞沢)遡行-赤水沢下降-散策コース-森吉山鳥獣センター-森吉山荘(入浴)-阿仁前田(夕食、買出し)-コメツガ山荘泊
3日目:コメツガ山荘-登山道-1000m付近から下降-連瀬沢遡行-登山道-森吉山-一の腰-様田コース経由-コメツガ山荘-森吉山荘(入浴)-親子ふれあいキャンプ場 幕営
4日目:親子ふれあいキャンプ場-森吉山鳥獣センター-散策コース-赤水沢-九階の滝下-赤水沢-散策コース-森吉山鳥獣センター-玉川温泉(入浴、散策)-盛岡へ移動
5日目:東北道をひたすら南下、帰京
大きなブナや秋田杉が聳える森の中をゆるやかに流れるナメの沢をヒタヒタと歩き、「マタギステップ」と名付けた滝や釜の脇の岩場に彫られた足がかりを頼りに越えたりと、明るく開けた楽しい沢でした。まさに「天国の散歩道」。
ここの地形特有の甌穴(ポットホール)の中を泳ぎまわる岩魚も多数目にしました。ちょうど産卵期だそうで、たいてい雌雄のペアで泳いでいる姿に和んだり。すでに色づき始めた山頂付近の森の色に歓声を上げたり。東北支部長のお陰でサモダシ(ナラタケ)も収穫でき、山の恵みのおこぼれにも預かりました。
まるんとしたスラブの滝や渓谷の周囲の壁の形状や苔の様子から、てっきり花崗岩だと思っていましたが、なんでも玉川溶結凝灰岩とのことでした。石英班晶が多量に含有されているため、風化した岩が沢の屈曲した箇所に南の国の砂浜のようなさらさらと白い砂地をなしていて美しかったです。
トウド沢にある「桃洞滝」は女滝という別称がある独特の形状をした滝。個人的には、笠ヶ岳にある穴毛沢と双璧をなす「エロ自然地名」だと思いましたが、トウド沢というカナ表記を眺めていると、おそらくは「トウド=トウドウ=止々」、すなわち「魚止め」の滝という意味の音に、後から桃洞という文字を当てたのではないかと推測してみたり。さて、どうなんでしょう。
連瀬沢は赤水・トウド沢とは趣が異なり、斜面を降りてのアプローチ、長いゴーロ地帯を抜けた後に続くナメと連滝帯(直登、高巻き)そしてまたナメという、沢登りの要素をギュッとまとめたコンパクトながらも濃密な内容でした。ほとんど藪を漕ぐこともなく沢の上流部を横断する登山道に出て森吉山の山頂まで一投足。山頂からは東北の山並みを一望。
今回の沢旅で、個人的に特に印象的だったのは、粒様沢上流の様ノ沢にある「九階の滝」の下まで無事に辿りつくことができたこと。かつて森吉山一帯を猟場にしていた阿仁マタギたちも「山神様の領域」と畏れ、ここでは猟を行わなかったと言われる場所。台地からすり鉢状のスラブに収束する、9段からなる落差135mの滝。
「様ノ沢」の由来は、「神様の沢」であるとも言われていますが、本来は「サマ=狭間=断崖、滝」という方言に由来するようです。「様ノ沢=滝の沢」と変換すると、なるほどな、と。
それでも、苦労の末に滝の落ちる下まで足を運ぶと、そこが山神様の領域であることを実感しきりでした。
そういえば。
駐車場で沢道具を片付けている時に鳥獣保護センターの方がいらっしゃり、赤水・桃洞沢、連瀬沢と九階の滝を歩いたとお話をしたところ、「九階の滝さ行ったべ、3人ぐらいかね、まだ帰ってこね人がおる」とのことでした。「3人くらい」という数字と「まだ帰ってこない」という表現が妙にリアルでしたが、それよりも山荘で寝ているとき夜中に金縛りに遭い、現在封印されている「奥の部屋にいるよ」と耳元で囁かれた方がちょっぴり怖かったです。まぁ、単に疲れていただけだと思いますが。。
こうしてざざっと書き出しているうちに、あれもこれもと記憶が粒粒と湧き立ち始め、収拾がつかなくなりそうな。。
どの風景ひとつを切り出しても鮮やかで印象的な沢旅でした。
同行してくれた皆さまにただただ感謝。
==============================
HTV技術実証機、ISSに結合完了!
9月11日2:01にH-IIBロケット試験機によって打ち上げられた宇宙ステーション補給機(HTV)技術実証機は、約1週間かけて国際宇宙ステーション(ISS)に接近し、日本時間18日4:27にISS下方10mの位置(バーシングポイント)に到着しました。
4:51には、ISSクルーが操作するISSのロボットアーム(SSRMS)で把持され、7:26にISSの「ハーモニー」(第2結合部)の下側(地球側)の共通結合機構(CBM)に取り付けられました。その後、10:49に電力・通信ラインの接続が完了したことで、HTV技術実証機のISSの結合が完了しました。
(JAXA HTV/H-IIB特設サイト ホットトピックス 2009年9月18日 更新)
==============================
ドッキングまでの経過の動画をつべで拝見。なんだかCGみたい。
HTVがゆっくりとISSに接近していく間、背景に映っている地球が高速で回転しているのが印象的。
ほうほう、これは…と、検索してみると、(財)日本ダム協会のダム便覧のページがヒット。
----------------------------
ダムの書誌あれこれ(6)~小説を読む〔下〕~
《②-2ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品(その2)》
曽野綾子の『無名碑』(講談社・昭和44年)は、土木技師三雲竜起が田子倉ダムをはじめ、名神高速道路、タイのアジア・ハイウェイ-の建設に挑んだ物語である。娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然条件と闘い、ライフ・ラインの建設に立ち向かう土木技師の誠実な、孤独で生きる男の姿を描いた大作である。本書のオビに「土木技師三雲竜起の造る巨大な碑にその名が刻まれることはない」とある。このことから『無名碑』の題名となったのだろう。施工業者の前田建設工業(株)の協力によって、著者は、只見川の田子倉ダム、名神高速道路、タイのランパ-チェンマイ・ハイウェイ-第2工区の現場まで足を運び、取材された。
----------------------------
Amazonで書名を検索するとどうやら文庫本はすでに絶版のようで、仕方ないので中古の上下巻をポチリ(上巻は定価より送料より安かったけど、下巻は定価の倍以上。いったいどういう市場原理??)。
そうしたら下巻だけとっとと先に届き、未だ上巻は届かず。まぁいいんだけども。
で、上巻を待たずに下巻をちら読みし始めたら、これが面白くて一気に全頁読了…。
1960年代半ば、ミャンマーとの国境に近いタイ北部の小さな村、サラメタに高速道路を建設するために派遣された日本の中堅ゼネコン企業に勤める土木技師である主人公・三雲竜起。異国の地での高速道路建設における様々なトラブルと、主人公の周囲の人間関係が丹念に克明に描かれていて、ずっしりと濃密な内容でした。
ちなみに、田子倉ダム建設の話(と名阪高速道路建設の話)はどうやら上巻で完結してしまっており、下巻はタイでのアジア・ハイウェイ建設のお話でした。う~…田子倉ダム、出てこないじゃん…。
田子倉ダムや奥只見ダム周辺は険しい山と谷が続き、1年の半分は雪に覆われる土地。田畑を耕しながら狩猟や採取に従事していた当時の人たちがどこまで山を分け入っていたのか、ほんの少しでもいいから手がかりがあればいいな…と思ったのだけど。
まぁタイ編を記した下巻は、いわゆる続き物としての下巻ではなく、どちらかというと独立した1冊の本として扱ってもいいんじゃないかと思うほど完結していたので、それはそれでいいいのですが。
暑くて熱くて泥と砂埃にまみれていて、甘くて酸っぱくてねっとりと腐敗した匂いに満ちていて、どこからともなく人が集まり喧騒が途絶えない土地。無邪気な笑顔を見せながら金品を要求しあるいはくすねる現地の人たちとのままならない交流。日本人社員同士の反目やわだかまり。建設コンサルタントとの軋轢。遅々として進まない現場。
「建設中の道路はアジア・ハイウェイのビジネスルートに組み込まれ、将来的にロンドンまで繋がる」という日本から来た省庁の技師が伝えた一言が、清涼な一陣の風となって現地日本人職員たちに希望を与えたわずか数ページの部分を除いては、ひたすら「暑さ・喧騒・怠惰・賄賂・腐臭」。これがもうゲップがでそうなほどエンドレス。
赴任当初に掲げていた熱意や、各個人が矜持としてきた職業上の理念や倫理や社会的道徳や、瞬間的に湧き立つ行き場のない苛立ちさえも、異国の熱帯の熱にぐずぐずと解けて甘く腐り落ちていく-そんな日本からやってきたゼネコン社員さんたちの心情の描写が壮絶。
「それでも道はいつか完成するだろう。でもいったいいつまでこんな日々が続くのだろう。」
主人公をはじめとする現地邦人駐在員の方たちの胸中の声が聞こえてくるような。
各種のトラブルに右往左往されながらも淡々と職務に忠実に勤める主人公の姿は、アクの強い上司や同僚や在タイ邦人や現地の人々と較べると、ある意味、彼らを映し出すためだけのスクリーンのよう。価値観の異なる異国においても、理想に走って誤ることなく、理想を捨てて腐ることもなく、冷静な視線で他者を観察し、努めて共感し可能な限り受容する。
ある意味典型的で模範的な日本人土木技師である主人公を突然襲う悲劇。救いのない結末(ネタバレなしで)。
「それでも道はいつか完成するだろう。道は街と街を結び、その上を人々が行き来するだろう」
そんな情景を瞼の裏に描き理想を形にするために職務に励んでいた主人公の姿を思い返さずにはいられません。
社会的基盤構造物もまた、長い長い地球の歴史の中においては賽の河原の石、かもしれない。
それでも、様々な犠牲を礎として築かれ、形として残り、受け継がれていくことへの願い。携わったものの名を刻むことなく聳え立つ、無名碑。
と、最後まで読み終えて本を机に置いた瞬間、ふっと、精神が破綻した妻との生活の中で、彼も次第に蝕まれてしまったんじゃないか? もとより、主人公もまた静かに狂っていたんじゃないか? と思い、ちょっとぞっとしました。
あらゆる事象を真っ直ぐに見透かすと信じていた透明なフィルターが、実は歪んでいたのだと初めて気づく、そんなちょっとした衝撃。
なにが正しくてなにが間違っているんだろう、誰が正気で誰が狂っているんだろう…鉄筋やコンクリートやアスファルトでできた巨大構造物の物静かさと比べて、人間はなんて卑小で猥雑で湿っぽいんだろう。
ううむ、なんという重厚なヒューマンドラマ。深い、深いですぞ(ムック調)。
ダムや高速道路の建設現場だけではなくて、人間を描いた小説だったんですね。というか、最初からそうなのか。うん、そうだ。
ダム、高速道路=税金の無駄遣い、ゼネコン=悪徳企業と脊髄反射しがちな方にこそぜひご一読いただきたいものです。まぁ公共事業のすべてが公正で必要であるとは決して思いませんが。。
で。このアジア・ハイウェイ建設プロジェクトの話は2004年10月にNHKのプロジェクトXで「アジアハイウェイ ジャングルの死闘」として放送されたそうな。
自分はこのプログラムを観ていないので、ネットであれこれ検索してみたら、大東亜戦争でインパール作戦に参加した日本人未帰還兵で現地に長く住んでいた故藤田松吉氏が現場監督として加わり、現地の言葉や習慣に詳しい藤田氏が現地作業者を掌握し指揮することで建設作業が一気に進捗したのだとか。
藤田氏は一時は日本への帰国を願い資金を貯めたものの、結局は貯めた資金を元手として戦地で斃れた日本人兵の遺骨収集と慰霊塔の建立に投じ、2009年1月にタイで天寿を全うされたそうです。
(藤田氏の経歴については、往年の藤田氏に直接お会いされた映画監督の松林要樹氏のblogのエントリを参考にさせていただきました。)
無名戦没者を弔う碑。これもまた別の形の無名碑でしょうか。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
Powered by "Samurai Factory"

