尾瀬周辺、帝釈山脈周辺は山深く湿原も豊富で最近気になるエリア。
天候はいまいちぱっとしないものの、Gさんの週末の泊まりの沢計画に便乗。Gさん、Yさん、自分の3名。
金曜日の夜、都内を出発。東北道を北上し、西那須野塩原から国道400号を経由し、国道121号沿いにある道の駅たじまで仮眠。出発と到着が遅かったので6時半に起き、7時に出発。曇りがちなものの幸い雨は降っておらず、緑豊かな渓流沿いの道を一路桧枝岐へ。往来する車も少なく、8時過ぎには会津駒の登山口駐車場に到着。
道標から山道に入りしばらく沢沿いを歩くと沢を渡る小さな木橋が現れる。山と渓谷社から出ている「関東周辺沢登り ベスト50コース」によると「竜ノ門の滝は2段の滝で上段はどうせ巻くのだから上からアプローチしたほうが良い」というようなことが書かれていたので急登の階段を登り滝見台まで上がる。滝見台の先にも踏み跡があったのでしばらく登り2段の滝上部付近の高さまで至ったものの侵食された崖の空間が大きくて到底廻りこめそうにない。滝見台下からも近づけそうになく、いったん先の木橋まで戻る。
この本の記述は「当てにならない」というのが山仲間の評だけど、またしてもやられた…という感じ。(聞くと、他にも滝見台まで行ってしまったという人がいた。。)
万が一沢を下降してきたときの目印かな。
しばらくは川歩き。やがて3mCS滝が登場。第1ゴルジュ帯に突入。といっても、あんまりゴルジュっぽくない。この辺の滝はどれも登りやすい。岩も蛇紋岩? にしては硬いので安心。ところどころ白や灰色の石灰岩が転がっている。熱変性を受けたのか大理石みたい。秩父古成層由来だそうな。
こんな山深い場所に海の時代の記録が残っているのはなんだか奇妙な感じ。
それにしても結構登る。南会津の癒しの沢を…と考えていたのに、まるで癒し系じゃない。これは自分の勘違いだった。トホホ。それに自分を除く二人のペースが速くて、ついていくのがやっと。
2万5千分の1の地図にある「大瀑」に該当しそうな10m滝は左壁を直登。岩がよほど硬いのか、流れがクランクカーブ状。その先の6mCS滝は立っていて直登できなさそうなので、右岸を小さく巻く。ようやく流れが穏やかになり一息つく。
二俣を左俣の源六郎沢へ。やや水流が細くなる。上空にガスが降りてきている。しばらくは川原。左手に雪渓の名残。
小さな滝をいくつか越え、開けた川原の両岸が切り立ってくる。いよいよ第2ゴルジュ。この時点で11時50分。
水量は減ったものの水勢はなかなか。8mくの字の滝の上部がハング気味。Yさんが残置ハーケンにスリングをかけ、Gさんの肩に乗りショルダーで突破。自分もショルダーで上がる。
ホールドは多いけど苔で滑っているのが厭な感じ。。
再び流れは穏やかになり、ようやく第2ゴルジュ終了~。
なんとなく源頭っぽい雰囲気になる。振り返るとV字の谷間の向こうに山並みが見える。時折ガスが晴れ、陽射しが射して明るい沢になる。
←全体的にず~っとこんな感じ。
周囲を見回しているとYさんが右壁に残置スリングを見つける。この残置の長スリングを頼りに上に登り、ハーケンを打ち足して笹藪に乗り込む。ロープを出してもらい、自分も登ろうとしたら掴んだ岩が剥がれて振り出しに戻ってしまう(汗)。ロープを出しておいてもらってよかった。。
←8m滝。側壁の岩が脆くて今回一番の核心だった。。
背負っていたザックを降ろし、硬い岩を選んで小ハングを越え、潅木を力技で掴んで上に乗りあがる。下にデポした全員分のザックを回収し、Gさんが登って来た後落ち口に移動して小休止。ここが一番シビアでした。
8m滝の先は小さな釜を持つ滝の連瀑帯。大きな釜を持つ直瀑7m滝はとりつくしまがなさそうなので左岸手前のガレたルンゼを登り、藪をトラバース。沢床に降りるとその先にも滝、滝、滝。。
第3ゴルジュ最後の7m滝は釜を持つ直瀑。右岸から巻き、落ち口上から潅木にロープをセットして懸垂で降りる。
14時半に標高1770mの奥の二俣に到着。奥の二俣を左俣へ。最後の12m滝は左のコンタクトラインを慎重に登る。
トイ状の滝の左壁を登ると、水の流れはぐっと穏やかになり、ますます源頭っぽくなり両岸に草原が広がる。
その次の二俣も左俣へ。右俣の直立した岩盤にスダレ状の滝。きれい。振り返ると笹の草原の稜線にダケカンバとオオシラビソの森。前方にはなだらかな草原が続く。
15時くらいから幕営適地はないものかと周辺を見渡しながら水の細くなったガレを登る。そろそろ水が枯れそうなのでいったん荷物を置いてあちこち物色。あれこれと探し回った末に、左岸の草地に決定。この時点で15時半。早速タープを張り、脇の水流でお酒を冷やして、薪を探す前にちょっと休憩~と休んでいたらザーッと雨。あらら。
まぁ周囲には手頃な薪も少ないので焚き火はなしでもいいかと、宴会開始。雨は止んだり降ったり。ちょぼちょぼの水流が少し増えてお酒が転がる一幕も。源頭まで詰めておいてよかった。
朝5時前に朝日と共にもぞもぞ起床。快晴。
朝ごはんを食べて撤収し、6時40分に歩き出し。水枯れて背の低い笹薮を分けて歩くとすぐになだらかな草原が広がり、目の前に登山者の姿。6時50分に登山道に合流。
駒ノ小屋の前に荷物をデポし、カメラだけを持って会津駒ケ岳山頂をピストン。
昨日遡行してきた沢の風景とは一変して、駒ケ岳山頂付近は高山植物が豊かな湿原が広がっていて、まるで別世界。歩き去ってしまうのが惜しいほどとても気持ちのよい場所。
まるでハウルがソフィーを招待した秘密の花園みたいだ~。。と思ったのは内緒(といいつつここで書いたら意味ナシ)。
←山頂より。こんなステキな場所があるのだと思うと、登ってきた甲斐があるというもの。ロマンチックが止まらないby C-C-B。
あとはひたすら下山あるのみ。8時に小屋前から出発。
「コースタイムで2時間半なら1時間もあれば降りられるかな」というGさんに「いや1時間半ではないかと」とごにょごにょもにょる自分。岩手の侍浜で捻った左足が未だ腫れたままなんです。うう。
さすがは百名山でひきもきらずに登って来る登山者の人たちとすれ違いながら一目散に下山。途中は展望がまったく利かないので、ひたすら下山。あとちょっと…というところで雨が降り出したので雨具を着込み、9時10分に登山口駐車場に帰還。
駒の湯につかって朝風呂を堪能。帰りの道中で地場の野菜を買い込み(トマトうま~)、一路帰京。
どまでも山並みが連なる実に山深い場所で、谷を分けていくつもの滝を越えて越えて、山上の草原にたどり着くというのはちょっとというかかなり劇的。
天気予報はすぐれなかったものの、雨に降られたのはタープを張り終えた後だったり登山口到着直前だったりと、うまい具合に雨をすり抜けることができて幸いでした。楽しかった。お疲れさまでした。
先日遡行した赤岩沢のある奥鬼怒からの道は尾瀬に通じている。尾瀬は多才にして異才の民俗学者(食生態学、および登山家、探検家にして作家)西丸震哉氏がこよなく愛する土地。
そんなことを唐突に思い出して本棚をごそごそ探す。引越しのどさくさでどこかに行ってしまったかなぁ…と思ったけど、ありました、「西丸震哉の日本百山」(残念ながら絶版)。
この本で取り上げられている山はなかなか偏っているし、西丸氏が若い頃に地図を眺めて面白そうな地形があったら猛烈な藪を漕いででも突撃した思い出や、地図を眺めながらの机上登山(つまり脳内山行)が交錯していて面白い。気がついたら一気に読み返してしまった。
藪を漕ぐのはちょっと…だけど、登山者の姿の少ない秘境の高原や湿地帯でのんびりキャムプ(by西丸氏)はちょっと憧れる。同時に、多くの人が踏み入ったらたちまち破壊されてしまうであろう自然環境と、それでも秘境を求めてしまう人間の業について思い巡らせるくだりに共感しきり。
そういえば。先日の赤岩沢・魚沢の帰り、川俣温泉に近づく頃、Y2さんが車の中で言ったを思い出す。
「昔、ここの林道(川俣桧枝岐線)を自転車で走ったことがあるんだけど、栃木県側は整備されていたのに、福島県側に入った途端に未舗装になって参ったなぁ」と。ロード用の自転車で荒れた道を走るのは難しいので、仕方なく自転車を押して歩いていたら運よく通りかかった地元の方の軽トラックに拾ってもらったとか。
なんでもこの地元の方が言うには、林道の両側の村はあまり交流が深くないらしい。もっとも個人の意見の又聞きなので全体の総意ではないかも。
併せて、先日購入した日本登山大系2 「越後、南会津」編をぱらぱらと読んでいたら、「かつて引馬峠を越える山道があり、これは栃木側の栗山村(現日光市)と福島県桧枝岐村とを結ぶ交易路だったが、現在ではすっかり廃道と化している」というような記述がありました。峠には無人交易所があって、互いに物々交換をしていたとか。なんだ、やっぱり交流はあったのね。
なお、この峠に明治時代に設置され、その後亡失されたことになっていた二等水準点が2007年8月に30年ぶりに「発見された」とか。すごいな。
詳しくは、発見者のひとりである山部さんのサイトに:「徳二四号」二等水準點 檜枝岐 引馬峠
引馬峠越えは、現在の林道川俣桧枝岐線の経路とは異なっていて、どうやら <栃木県側の川俣から無砂谷川-平五郎山ー尾根伝い-県境1915mと1951mピークの間-県境尾根北上-越ノ沢-黒沢-舟岐川-福島県側の桧枝岐> という経路らしいのだけど、このルートを2万5千分の1の地図でまじまじと眺めると、昔の人はすごいなぁ…と思う。しかも「引馬」峠ということは、馬連れて歩いたんかい?? と思う眩暈がしそうな。。
(越ノ沢は東面の赤岩沢や魚沢よりも等高線間隔が広いので、もしかしてナメまみれ? とちょっと気になる)
また、先の登山大系には「古くから大津枝峠を通る道が桧枝岐と大津枝を結んでおり、山に生活を求めた里人の姿を思い浮かべることもできたが、現在ではこの道も大津枝側では廃道と化している。」という記述もありました。
確かに現在の国土地理院の地図で見ると、桧枝岐村のキリンテ沢から大津枝峠までえらく急登そうな山道が確認できます。そのまま尾根伝いに進めば、ちょうど大津枝ダムの位置に到達(廃道になった箇所は、山菜取りやキノコ狩りなど山の幸を求めて分け入る人が稀にいるっぽい)。
大津枝川沿いに進めば、その先には銀山湖、いわゆる奥只見湖。今なお酷道として知られる国道352号線を行けば新潟県小出に至る、と。
なるほど。
新潟県魚沼市が盛んに「新潟県から尾瀬」というアクセスをPRしているけれど、案外こっちが本来の尾瀬や桧枝岐村への到達方法なのかも。
それにしても、登山大系をつらつら読んでいると、交易路のほかにもすでに廃道となった「鉱山道」の存在があちらこちらに散見。銅に銀、金やモリブデンなど。鉱山ではないけど水晶も。埋蔵量は少ないとしてもほんと日本は鉱物資源が豊かな土地だ(った)なぁと思う。
日曜日の朝、夜明けとともに目が覚める。午前4時半。4時50分前には頭の先の木々の隙間に曙光が現れる。
昨日の午後には太陽を追いかけて西の方角に進んで来たはずで、今は水の流れに対して直角に位置するのにあっちが東なのか…と、寝ぼけた頭でぼやぼや考える。
空はすっきりとした青空。暖かくぐっすりと眠れた。夜中にトイレに行きたいなぁ~と思い目が覚めたときにパチパチとタープを叩く雨音を聞いたような気がして再び寝入ってしまったけれど、どうやら水流の音だったらしい。
ごそごそとシュラフ類を片付ける。みんなでコーヒーを飲む。温かくておいしい。Sさんが朝ご飯の支度を進めてくれる。乾いた靴を持参しなかったのでお手伝いできずに申し訳なかった。もっとも邪魔なだけかも。。
おいしい朝ごはんをいただき、周囲を片付け、ぼちぼちと沢の装備を整えて6時50分頃に出発。
もうずいぶんと少なくなった水流に沿って進むと、徐々に笹が覆いかぶさるように道を塞ぎ出す。歩き出しから15分ほどで奥の二俣に至る。標高1800mを過ぎた辺りから上の沢沿いの植物は鹿の食害が目に付く。Sさんが夜中に鹿の鳴き声を聞いたとか。
奥の二俣を左に入ると、4畳半くらいの湿原。湿原の周囲はぐるりと肩くらいまでの高さの笹藪に覆われている。手詰まりかと思ったらNさんんが湿原の端に水流を見出して進んでいく。上流の笹薮は3m程度で、すぐに開けた雑木林の中に出る。ほ。オオシラビソの甘い香りに満ちている。
もはや水の流れは僅かな窪地を穿つだけとなり、しばらく追っていくと涸れてしまった。赤岩沢の源頭部。
さて、下降する予定の魚沢を探さねば…と、獣道を辿って斜面を歩く。鹿たちが赤岩沢の源頭部まで水を呑みに来るのかしっかりした獣道。
過去の遡行記録の多くには「赤岩沢から黒沼田代に出たら湿原を横断してすぐに魚沢に出会う」と書かれていたけれど、黒沼田代が見当たらない。しばらく歩くとぽんと登山道に出た。黒岩山山頂を往復する登山道で、ここを下るとすぐに奥鬼怒と尾瀬方面の分岐に到着。この時点で8時ちょうど。
「黒岩山の山頂に行ってみる?」とNさん。黒岩山は栃木県と群馬県と新潟県の県境をなす分水嶺。ちょっと気になったけど、この先もまだ長そうなので今回は見送り。
とにかく現在地がはっきりしたので、2万5千分の1の地図とコンパスをセットして魚沼を探すために樹林帯に突入。明るい広葉樹林帯で歩きやすい。
しばらく荒れた感じの沢を降りていくと、やがて空が開けてまるんとしたナメ床が続く。「うひょ~」とテンションが上がる。さっきまで多かったガレや流木はもはや見当たらず、緑の中に黄褐色の花崗岩のナメが舗装道路のよう。
フリクションは抜群で傾斜も緩く、岩盤が固いのか釜も小さく、さくさくと進む。駆け出したくなるけれど、通り過ぎてしまうのが勿体無いような気もする。悩ましい。
途中6mの滝は右岸から草を掴んで下降。側壁は泥岩で脆い。自分は途中で足が滑ってずるりと落ちて笑いを買った。とほほ。
再びナメと釜が連続し、しばらくいくと8m滝上に。右岸の木の枝に捨て縄が4つか5つ。2つは大分新しく、どうやら今年のもの。Nさんが捨て縄を追加し、ロープを掴んで順番に降りる。
またしてもナメ。ひたすらナメ。空が一段と広くなりどうやら10m懸垂滝上に到着。ここもやはり左岸の木の枝に捨て縄がある。奥の木まで少し移動してYさんの捨て縄を追加し、ここは懸垂下降。降りたところで15分ほど休憩。
この先もひたすらナメが続く。ナメ好きにはたまらない。ここのナメ床は赤みを帯びた岩に白い筋が入っていて面白い。Sさんが「キリンみたい」と形容した直後に、Y2さんが「肉みたい」と呟き、一同爆笑。なるほど霜降り。
また、この滝を境に、明るかった沢が一気に深い谷に変わった。両岸が切り立ち、そのためか苔でぬめっぽくなる。
小さなゴルジュを降りるとますます地の底に降りていくような感じ。流れは右に左に大きく蛇行し始める。
11時40分に廊下のようなゴルジュ上に到着。見れば流木に捨て縄が巻いてある。水面までの高さは3m程度。水勢は激しくないので落ちても泳いで逃げれるかな…と思いながら、先を行くNさんとYさんを真似てツッパリで少し降り、左岸に移り、ホールドを伝いながら淵を抜ける。抜け切る寸前で淵にドボンし、またしても爆笑を買う。うう。
ガレた谷間を降りていくと、赤いのナメが続く。延々と続く。30分ばかりの間、ひたすらナメ。やや滑っぽいけれど、ナメ最高。
赤い岩の瀞やナメをぽくぽく歩く。ずいぶんと水が、Sさんの指摘のとおり「金魚鉢っぽい」。魚沢という名所のとおり魚が多いのかな。でも魚影はひとつも見かけなかった。
いよいよ川歩きっぽくなってきた頃、沢床が節理をもつ黒い岩に変わる。小さな滝を降りると、左手から黒沢が合わさる明るい川原となる。ちょうど午後1時半。対岸に渡り、踏み跡を辿って黒沢林道に上がる。みんなでハイタッチ。よく見れば踏み跡はある。でも昨日通ったときには気がつかなかったなぁ。
黒沢林道は昨日と今日の好天ですっかり乾き、白い岩や砂礫が眩しい。絹姫橋に立ち寄り明るく眩しい川原を眺め、夫婦淵温泉の駐車場に2時ジャストに到着。
駐車場は7割の入りで、奥鬼怒散策や登山者の姿が点在している。沢の中では誰にも会わなかったので、久しぶりに下界に下りてきたような錯覚を覚える。うだるような暑さが気持ちいい。
駐車場で装備をしまい、旧栗山村(現日光市)の川俣地区にある「上人一休の湯」に立ち寄りさっぱりした後、温泉まんじゅうを食べ、大笹牧場でソフトクリームを食べて帰京。
念願の? というほどではないけれど、以前Webで遡行記録を見つけて「行ってみたいなぁ」と思っていた沢だったので、偶然Nさんが候補に挙げた沢と合致すると分かったときは「これはもう行かねば」と運命を感じました(冗談)。まさかこんなに楽しい沢だったとは。みなさまありがとうございました。
■蛇足。
日本登山大系2を眺めていたら、赤岩沢の奥の2段50m滝が「50mナメ滝」と紹介されていました。あれがナメ滝? いやまさか。
金曜日の夜に都内で集合し、東北道へ。今回はYさんY2さん、Nさん、Sさんと自分の5人。
途中から大粒の雨が降り出し、日光に入っても雨は止む気配なし。出発前に眺めていた天気図では、オホーツク海高気圧が張り出していて近づく低気圧と梅雨前線を日本海側でブロック。北関東内陸部の影響は不明。予報のとおり曇りか、やっぱり雨か…と思いつつも、なるべく荒れないことを祈るばかり。
霧降高原スカイラインに入るとなにしおう濃厚な霧。雨は降り止まず。午前3時頃に夫婦淵温泉に到着。あたり一面を包む硫黄の刺激臭がツンと鼻につく。幸い雨は小康状態。ここで仮眠。
朝7時半過ぎに起き出し、ぼちぼちと沢の準備を進める。ガスが上昇気流に乗って曇りがちだけど、部分的に青空も覗いている。
朝9時に夫婦淵駐車場を出発し、奥鬼怒遊歩道から黒沢林道へ。林道に入って奥鬼怒温泉郷に続く吊橋を左手に見るとすぐに道が草っぽく細くなる。この先にある堰堤工事のために道が拓かれてからメンテナンスされていないのかも。右手に露出した岩肌はところどころかなり脆そうで、小さな崩壊箇所が2、3箇所。
途中に残る2つのコンクリート橋やS字のカーブの端に埋もれたカーブミラーが遺跡のよう。地図を見ながら歩いていたけれど、魚沢へ続く林道の分岐点は分からなかった。同じく地図を眺めながら歩いていたYさんも「見つからないね」とのこと。最近の記録によると魚沢沿いの林道は廃道になって久しくすっかり自然に帰っているとのことだったけど、どうやら本当らしい。
じゃりじゃりと水を含んだ林道を歩いていると、いつの間にか太陽が背に照りつけ気温がぐんぐん上がる。左側の眼下に黒沢の流れ。水量はさほど多くない様子。「飛び込みたいなー」とNさん。「こういう広い川原みたいな沢が好きなんだよね」
黒沢林道は概ね平坦。標高は2箇所のS字カーブで稼ぐ。1つ目のS字カーブを上がった少し先で緑の中に白い巨大堰堤の姿を見る。おお、あれか。
赤岩沢の出合は人の頭よりやや大きめの白い花崗岩のガレがゴロゴロ転がる枯沢。ガレをぽくぽくと歩くとすぐに2つの堰堤が登場。右岸から2つまとめて高巻き。泥壁はやや脆いものの難なく越える。
手前の堰堤は小さく明らかに古い。2つ目の堰堤は大きく立派だけれど、すでにかなりの土砂や岩が堆積している。途中に「建設省貸与」という標識が埋められていたので最低でも8年以上、おそらくはもっと経っているのだろ。
赤岩沢自体の集水面積はそれほど広くないので、多少の雨でも大丈夫かな…と考えていたけれど、これらの河川の水を集める鬼怒川の下流はその昔氾濫が絶えなかったらしい。毛の国(群馬・栃木)を流れる川なので「毛野川」と呼ばれていたとか蚕産業が盛んだったから「絹川、衣川」と呼ばれていたものが明治時代に「鬼怒川」という名称になったのは、「測量に入った役人が「鬼が怒ったような」激しい流れに、この字を当てたとの話が残っています。(関東農政局のサイトより)」だとか。
堰堤上で休憩し、10時50分過ぎにいよいよ赤岩沢の遡行開始。水の流れは細く、ナメ床を花崗岩の岩や大きな流木が埋めつくしている。段々と沢が開けてくるにつれて、小滝と小さな緑色の釜が続いて現れるようになる。
30分ほど歩くと沢はすっきりと明るくなり、雪渓で磨かれたきれいなナメが断続的に続く。特に困難なところはなく、ナメはフリクションが効き、滑るように流れる緑色の水が美しい。
空はいよいよ明るくすっきりとした夏空。明るい原生林の中、舗装道路のようなナメ床をひたひたと歩く。楽しい。ところどころに巨大なヒノキの倒木が転がっている。予想外の晴天と暑いほどのとにかく楽しい。
黒苔がちょっと滑って嫌な感じだけど、2段50m滝の下部は階段状なのでロープを出さずに直登。Yさんと自分は左から、あとの3人は右から登り水流をトラバース。上部は水流脇の潅木帯を登る。ここで流れは左に曲がる。
滝の上部に頭がやや潰れたハーケンがひとつリスに打ち込まれていました。この沢で見かけた唯一の残置物。
滝上で休憩。Nさんが「しっかり休もう」と仰ってくれたので、ありがたくお湯を沸かしてラーメンを食べる。
20分少々休んだ後、再び歩き出し、ひたすらナメを歩く。途中にある小滝はペタペタと直登。すこぶる快適。
(2段50mの滝は目見当で下段(3段)20m程度、上段5m程度かなと思う。いずれにしても最初の2段50m滝より立っているので威圧感がある)
「水流脇の右壁を直登」した記録と「右岸のルンゼを登ってからトラバース」という記録があり、どうやって攻めようか皆でしばし観察。
滝の上段は左のコンタクトラインが階段状なのでそのまま直登。階段状だしガバもいっぱいあるのだけどいかんせん高度感満載のフリーソロなので慎重に登る。
無事に滝の落ち口に上がると光いっぱいのナメ床。徐々に沢床の幅が狭まり、両岸も低くなり樹木の向こうに青空が透けて見える。角ばった岩でできた階段状の小滝や倒木地帯を登る。「そろそろ今日の幕営地を探そう」ということで、周囲を見渡しながら進む。
途中で2、3箇所ほど焚き火の跡を見るもののあまり広くない。振り返ると沢の向こうに山並みが見える。なんの山だろう。
沢の流れはすっかり小さくなり、周囲に根曲がり竹が繁茂し出す。赤っぽい角ばった岩が切れて灰色の泥壁の地帯が現れる。ふと予感がしてここの沢水を舐めるとやけに酸っぱい。白鉄鉱? なんだろう? 幸い灰色の泥壁地帯はすぐに途切れ、再び赤い岩に変わる。水流が細いために苔でぬめっぽいけど水はおいしい。
2時40分頃、二俣に到着。右俣に入る。分岐のところに野生のブルーベリーが生えていた。
明日の朝が楽なようになるべく上流に行こうと更に先に進む。15時過ぎにNさんが「いいところがあった」と笹薮を指差す。「下が笹だと快適なんだよ」と。タープを張ってしばし休憩。どこからか虫がブンブン集まってくる。
今日一日の行程はそれほど長くないし、途中で休み休み進んだので思ったよりも楽だったけれど、前日の睡眠不足がたたって疲れた気がする。
しばしの休憩の後、薪集めに奔走。流木はそこそこ豊富なものの、完全に水没していてなかなか燃えない。もうもうと煙に巻かれながらしばらく格闘。髪の毛がすっかり燻製臭くなる。猛烈な煙のお陰か時間帯のせいか、虫は多少減ったような。ようやく諦めた頃に薪から炎が上がる。ちょうどSさんが作ってくれた晩御飯ができあがったので、乾杯と同時に夕飯。しみる。
空にはいつの間にか雲が広がっていたけれど、雨の気配はない。酔いが回ったこともあり、すっかり睡魔が押し寄せてきたので8時頃に就寝。
今回は、普段あまり行くことのない北関東なので楽しみ。
というわけで、沢登りの計画で奥鬼怒周辺の地図を眺めていたら地図の端に「西澤金山跡」という表示。
なぬ、金山? と思い検索してみたら、明治中期から昭和初期まで操業されていた金鉱山があったのだそうな。
こちらに詳しい過去の資料。
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・西沢金山
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かの地に金が埋蔵されているということは、江戸時代後期の弘化年間(1844~1848)に鴻野傳右衛門という人物が高野山から派遣されて各地を探索し、金鉱を探し当てたらしい。ただ当時は日光の社領だったため私人による金銀採掘は許可されず鉛と偽って銀を掘り出していたのが明るみとなり廃業に至った。もっとも、弘化2年に会所で鉱山繁栄を願う護摩札が見つかったので、もっと古い時代に操業していたことが確認された。
(上記サイトの「發見ノ時代」(『西澤金山大観』より)の項から)
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その後、村の古老の言い伝えを頼りに、村人たち有志が金の鉱脈を探索を始め、日光で質屋を営む旧家出身の高橋源三郎氏が中心となり鉱山会社を設立。
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西澤金山は明治28年頃、現在の川俣村奥の西澤で発見された鉱脈で、同39年頃より高橋源三郎ら有志によって設立された「西澤金山探鉱株式会社」によって本格的な採掘が始まると、その後一時の隆盛を極める。掘り出した鉱石をケーブルや人馬などで運び出す際の中継の要所として奥日光も深く関わった。現在西澤金山跡は荒地となり、当時の姿を止める物はほとんどない。
(栃木県立日光自然博物館 2007年 「西澤金山 企画展」の案内文より)
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いったいどうしてまた高野山が熱心に鉱物採取のために人を派遣…?? と思ったら、そもそも開祖の弘法大師空海からして鉱山事業に縁が深いという仮説があるのですね。知りませんでした。
空海が密教の修行の場として選んだ高野山にはもともと丹生都比売が奉られていて、丹生は辰砂(水銀)を意味するとか。その丹生都比売を空海に合わせたのは狩場明神で、狩場とは鉱物採取の場所を意味するのではないか、とか。
信仰の是非を問うつもりはないけど、空海さんってやり手だな…とかとかチラリと思ってみたり。
そういえば、あちこちの山や温泉に弘法大師の伝説が伝わっているけど、それはつまり鉱山探しの一端なのかな。
しかし、日光から北に位置する足尾には鉱毒問題で有名な銅山があったことは学校の教科書で読んだので知っているけど、足尾から中禅寺湖を挟んで割と近い場所に金山があったとは知りませんでした。
奥日光には温泉がたくさんあって、その名もズバリ「温泉ヶ岳」という山もあるくらいだから、なるほどあの山域には多様な鉱物が地表近くに眠っているのかも。
奥鬼怒周辺の沢登りの記録をあれこれ読むと「沢の水は変な味がしてやばそう」みたいなことが書いてあるものも多いし。
足尾銅山といえば、銅の精錬過程で大気中に飛散した亜硫酸ガス(とそれらの成分を含んだ酸性雨)の影響を受けて近隣の森林が枯死してしまい、グランドキャニオンのように岩肌がむき出しとなった荒涼とした風景が今でも残っているとか。(いつかクライミングに行ってみたい)
そうしてみると、奈良時代の大仏建立の際に金メッキを製造するために大量の辰砂から水銀を抽出して金と混ぜて金アマルガムとし青銅製の仏像本体に塗りつけたので、これらの精錬作業に過程で生じた煙害が疫病の原因ではないかという指摘が化学方面から指摘されているけれど、さもありなんと思う。
なんか宗教と権力者ってやっぱり…(以下自粛)
白馬岳 雨と風の1日目
白馬岳 停滞、人生ゲームの2日目
の続き。海の日の連休、最終日。
朝3時半にセットした目覚ましの音が鳴ったけど、まだ外は真っ暗で時々風の気配。
ぐずぐずと布団に包まる。意を決して起き上がってみると、向かい側にいた学生さんたちのパーティはすっかり出発した後。うお、若者は早いな。
廊下に出るとすでに身支度を整えている人たちが多数往来。階段を駆け下りて入口から外に出ると、濃紺の空に白馬岳の山頂が漆黒のシルエットを映し、山頂直下に佇む白馬小屋の微かな灯りの右肩に針のような月。まばらに星。
「晴れましたね」「やっとお天気になりましたね」と、傍にいた方と会話を交わし、急いで部屋に戻る。布団をたたんで必要な荷物を階下に運ぶと、すでに外は白み始め、朝ごはんを食べている間に空はすっかり明るくなる。
4時半過ぎに小屋から出発。標高1700m辺りから下に雲海が広がっている。朝陽は白馬岳の稜線の向こう側から昇るらしく、山陰にあって見えない。オレンジ色の光が雲海の上に広がり、高層の雲に反射している。
雪田の残る稜線脇のカールには高山植物が咲き乱れ、まさに天上のお花畑。
夕暮れのような朝焼けタイム。景色が刻々と表情を変える、山を歩くのに一番楽しい時間帯。
太陽を背に北アルプスの稜線を眺めると、立ち昇る水蒸気の層に山と自分たちの影が映っていました。
杓子岳に向かう途中の小ピークを通過中に、朝陽が山の端からこんにちは。
稜線を吹き抜ける風はやや冷たいものの、太陽の陽射しが暖かい。うれしい。
楽しくて楽しくて、どこまでも歩いて行きたくなるってもんです。
ガレた道をぽくぽく登り、5時半に平らな杓子岳山頂に到着。
高妻山と妙高、戸隠の峰が雲海にぽかり。
雲海とは言いえて妙。
八ヶ岳に南アルプス、富士山のシルエットも見えました。
白馬鑓は指呼の間。もっと先に行きたいけれど、今回はタイムオーバーになるのでここでお終い。残念。まぁ仕方ないか。
名残惜しいけど、来た道を戻り小屋へ。
珪長岩のザレた杓子岳を降りて最低コルへ。ここから白馬岳に向かうにつれて泥岩、蛇紋岩、石英斑岩が現れる。西からの風に乗って朱殿坊から硫黄の匂いが届く。
初めての北ア歩きのUさんは、さぞ雄大な風景を満喫しているのでは…と、振り返ったら、足元ばかりを眺めて化石探し中^o^;
白馬岳のすぐ北に位置する雪倉岳周辺には、銀や銅、モリブデンなどの鉱脈があったそうだし。日本は資源がないと言われていて、それはたしかにそうなんだけど、少量多品種という意味では割と資源が豊富な気がする。
再び小屋に戻り、デポした荷物を収め、8時前に下山開始。
登山道から見た杓子岳。個人的に「体育館」みたいだと思う。
ガレガレでザレザレで植生も少なくて、山頂を踏まずに巻き道を通る人も多いみたいだけど、自分としては好きな山のひとつ。
葱平まではのんびり写真を撮りながらお花畑を満喫しつつ。
大雪渓に降りてグリセードでずんずん下る。爽快。
10時半に白馬尻に到着。猿倉からタクシーに乗ってみみずくの湯でさっぱりした後、駅前でお昼ご飯を食べ、あずさで帰京。
最終日だけでも晴天に恵まれて良かったな、と。
不帰のキレットは宿題になってしまったけれど、目標があるのはいいことかも。うん。
7月19日(土)。海の日の3連休、2日目。
白馬岳頂上宿舎のテントサイトで一夜を明かし、特に起床時間を決めておかなかったので7時半過ぎ頃からみんなもぞもぞしだし、とうとう起き出す。その間にも間断なく突風がテントを突く。
「今ブチって聞こえた」とYリーダー。「フライシートの紐が切れたかも」でも外に出て確認する気分にはなれない。テントの端はすっかり浸水していて、ザックやら靴やらが水浸し。
自分は大きなビニール袋でザック内防水をしていたのでまぁ多少はマシだったけど、濡れた手で物を触るうちに色々なものがシケシケになる。
あーこんな天気のときにこんな濡れた装備で突風におびえながら稜線を歩きたくないなぁと思い、「今日は小屋で停滞にしようよ」と切り出すと、一同異存なし。そのとき、フライの端が風でめくり上がり出す。やばい。
そそくさとシュラフを仕舞い、いそいそと撤収準備開始。相変わらず雨風の叩きつける中、外に出てテントをたたもうと見れば、フライシートの端が破損してしまっていた。あぁ。。
テントサイトには周囲のテントはすでになし。山の時間としてはかなり朝遅いもんなぁ、みんなもう出発したのかなぁ…と思ったけれど、どうやら他のテントのみなさんは夜半に小屋に避難したそうだ。
宿泊者用の建物に入り受付を済ませると「今ならちょうど乾燥室も開いていますよ。昨日はすごい混雑だったんですけど」とのこと。みんなこの天気の中で出発したのか、すごいな~と思う。ただ後から考えると、出発した人もいれば、乾いた衣類を引き上げたものの停滞続行の人もいた模様。
ずぶ濡れの衣類や装備を乾燥室内に広げ、ストーブの効いた談話室で人心地つく。
停滞と決まったので、腹を括って朝から自棄ビールw
三々五々雑誌や漫画を読んだりご飯を食べたり、同じく停滞中の登山者の方たちとお話したりとまったり過ごす。「この天気で無理してもねぇ…」と、話題に上がるのは先日の大雪山系の遭難のこと。知己はないけれど亡くなられた方たちのご冥福をただただ祈るばかり。
ときどき乾燥室から乾いたものをピックアップし割り当てられた部屋に移動させる。ひとりあたり丸々布団ひとつ。ラッキー。
外は相変わらず雨風が強いらしく、時折小屋がみしっときしむ。小屋の外は一面のガス。
本棚の上にボードゲームがいくつかあったので、人生ゲームに興じることに。
付属の盤面を載せると「白馬編」になるということなので、ここはやっぱり白馬編を選択。
白馬編の人生ゲームにはいわゆる結婚、出産というイベントがなくてなんだか奇妙だった。代わりにイベントマスに止まると、石仏だの白馬のお姫様だの雷鳥だのが乗り込んでくる。なんだよ石仏って…という感じ。「一緒に乗っていても会話がなさそうですね~」とUさんに突っ込まれる。これっていわゆるフェミニズムの影響? よくわからない。
しかも、職業選択ゾーンで自分は白馬村職員になり、リアルはバクチウチーなのでせめてゲームの中ぐらい堅実に行こうと思ったら、速攻フリーターになってしまった。。まぁいいけどもさ。
結局Uさんがブッチギリでトップ。自分はしょぼしょぼ。所持金スレスレでのあがり。
しかしボードゲームを楽しんだのって何年ぶりだろう。。
お昼前後になるとぽつぽつとずぶ濡れの登山客が小屋に到着。乾燥室もみるみるいっぱいに。
外はひたすらボウボウと風が吹いているし、窓の外はずっと一面真っ白だし、特に今すべきこともないしで、時間の感覚が失われそうになる。
小屋の方に天気について尋ねると、午後7時に食堂のテレビで天気予報を見ることができるとのこと。
昼寝でもしようかと部屋に戻ると、同室の向かい側にいる学生さんパーティのリーダーさんがラジオの気象通報を聞きながら天気図を書き込んでいるのをチラ見しつつ待ち、ある程度書き込んだ時点で見せていただきました(すみません。ありがとうございます)。
山とか災害用にダイナモ付の携帯ラジオを持っているけど、かさばるので持参したことないなぁ。。とほほ。
午後4時半頃にぼちぼちと夕食の準備。今日の食担はYさん。宿舎の入口奥の土間でしか火気は使用できないので結構な混雑。火を使う料理を下階で調理し、部屋に運び込んでみんなでもりもり食べる。
もぐもぐと食事を進めながら、明日の行程を話し合う。「3時半起床で4時半出発。杓子岳をピストンして大雪渓から下山」ということに決まる。
杓子岳の往復は約2時間。早い時間に麓に下りるには支障なし。朝イチで大雪渓を下りるだけじゃつまらないし、なにより初めて北アルプスに来たUさんにどこまでも歩いて行きたくなるほど続いていく稜線を見てほしいし。
6時半過ぎに食堂に移動してテレビの前で待機。明日の予報は「霧や曇り、一時晴れ」とのこと。喜びと一抹の落胆の声が上がる。う~ん、雲が残るのか…それでも雨が上がるのだからまだマシだよねぇと言いながら部屋に引き上げて就寝。
夜更けに度々目を覚ま布団の中で外の気配を伺うと、雨は上がったらしいけれど時折風の吹き付ける音がする。いつ止むともしれない風の音は、子供の頃に過ごした雪国の冬を思い出す。夏なのに。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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