先日、光市母子殺人事件に対する広島高裁の差し戻し裁判の判決が下りました。
色々と思うところはありながらも、難しい問題なので触れずにおこうとも思ったのですが。。
以下、戯言の垂れ流しです。
主義主張を述べるほど考えがまとまってはいないので、重箱の隅突きでとりあえず新聞2紙の社説とコラムを並べてみたり。。
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母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら
勤め先から帰宅した本村洋さんは、押し入れの中で変わり果てた姿の妻を見つけた。生後11カ月の娘は天袋から遺体で見つかった。
9年前、山口県光市で起きた母子殺害事件で、逮捕されたのは同じ団地に住む18歳になったばかりの少年だった。母親を殺害後に強姦(ごうかん)し、泣く幼子の首をひもで絞めていた。
少年は広島高裁でのやり直し裁判で死刑を言い渡された。無期懲役の一、二審判決に対し、最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と審理を差し戻していたので、死刑は予想できたものだった。
被告・弁護側はただちに上告した。しかし、最高裁が差し戻した経過を考えれば、今回の死刑判決をくつがえすのはむずかしいだろう。
少年は父親の激しい暴力にさらされ、母親は自殺した。判決は「被告の人格や精神の未熟が犯行の背景にある」としながらも、「動機や犯行態様を考えると、死刑の選択を回避する事情があるとはいえない」と述べた。
この犯行のおぞましさや残虐さを見れば、死刑はやむをえないと思う人も少なくないだろう。
一方で、もとの一、二審は少年に更生の可能性があるとして、死刑を避けた。多くの事件を扱っているプロの裁判官の間で判断が分かれたのだ。それだけ難しい裁判だったといえる。
判断が難しい大きな理由は、少年が死刑を適用できる18歳になったばかりだったことに加え、被害者が過去の死刑事件よりも少ない2人だったことだろう。最高裁が83年に死刑を選択する基準を示してから、少年の死刑判決が確定したのは19歳ばかりであり、被害者は4人だった。
その意味では、少年犯罪にも厳罰化の流れが及んだと言えるだろう。
今回の事件が注目されたのは、本村さんが積極的にメディアに出て、遺族の立場を主張したことである。少年に死刑を求める、と繰り返した。
被害者や遺族が法廷で検察官の隣に座り、被告に質問したりできる「被害者参加制度」が今年から始まる。被害者や遺族の感情が判決に影響を与えることが多くなるかもしれない。
見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。
1年後に裁判員制度が始まる。市民がこうした死刑か無期懲役か難しい判断も迫られる。事件は千差万別で、最高裁の判断基準を当てはめれば、機械的に結論が出るわけではない。
自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。
(2008/04/23 朝日新聞 社説)
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某所で祭られておりましたが、ホントにまぁ。。
朝日新聞の主張をまとめてみると、たぶんこんな感じ。
↓
今後少年犯罪に対して「永田判例」よりも厳罰化が進むことになる。その原因は今回の判決だ。
(「18歳になったばかりだった/ 被害者が過去の死刑事件よりも少ない2人だった」と世論をミスリードするような過剰な装飾語はやめましょうや)
今回の判決には、被害者遺族とメディアが感情的に主張し、弁護団を非難した影響が大きい。
(「最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。」と書いた直後にコレでは、ロジックがおかしいと思わないのかな。)
自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。
(朝日さんのご意見は? というか、どうも判決内容に不服であると読み取れますが。。)
まぁ、朝日新聞を責めることがこの事件や判決結果の本質ではないし、色々なものの見方や考え方や主義主張があっても良いとは思います。日本は民主主義だし。
とはいえ、社会的道徳や正義に基づいて倫理を説くことがジャーナリズム精神の根幹にあると思っていたのですが。。
どうもこの社説の主張する内容は、自分の認識との乖離が大きすぎて、もしかして「自分がおかしいのではないか」と不安になってしまいます。
自分が常に正しいなどと大それたことは考えていませんが、朝日新聞の主張に歩み寄ることは、自分にとっては「人として」とても難しい課題です。悩ましいです。
ざっと見た限りですが、毎日新聞、中日新聞、北海道新聞、信濃毎日新聞の各社の社説も、自分にとってはなかなか電波でした。
朝日新聞社の名誉のためにもここに補足しておきます。
(さらに蛇足を加えると、各紙とも裁判結果を報じた記事の内容は極めて真っ当なのに、なぜか社説になると電波です。不思議です)
さて、お次。
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4月24日 産経抄
数日前にインターネットの恐ろしさを書いたばかりだが、やはり便利なものだ。MSN産経ニュースで、本村洋さん(32)の一言一言をかみしめた。「死刑の存廃が騒がれるようになるかもしれませんが、刑罰がどうすれば社会が安全で平和な環境を作れるか考える契機になることを願います」。
「遺族としては満たされたのですが、社会にとってみれば事件をめぐり私の妻と娘、そして被告の3人の命が奪われることになるわけで、これは明らかに社会にとって不利益なことです」。山口県光市の母子殺害事件で、元少年(27)に死刑判決が出たことを受けて行われた記者会見を、ほぼ完全収録している。スペースや放送時間の制約がある新聞、テレビでは、なかなか難しい。
本村さんの発言が、メディアを通じて社会の報復感情をあおり立て、裁判に影響を与えたといわんばかりの社説を、一部の新聞で見かけた。的はずれも甚だしい。作家の佐木隆三さんの指摘の通り、判決は弁護団の「自爆」の結果といえる。
遺体に性的暴行を加えたのは生き返ってほしいから。ドラえもんが何とかしてくれると思った。被告は1、2審では殺意を認めていたのに、差し戻し審では、おぞましい弁明を繰り返し、弁護団はこれこそ真実と主張した。
主任弁護人を務めた弁護士は、きのう別の事件で自らが有罪を言い渡されている。弁護士といっても人さまざま。裁判員制度を目前にし、常識を働かせることの大切さをあらためて教えてくれた。
本村さんは、できるだけ早く弥生さんと夕夏ちゃんの墓前で判決を報告したいという。9年間の苦労をねぎらい、これを区切りに新しい人生を切り開いてほしい。2人はそう言ってくれるような気がする。
(2008/04/24 産経新聞 産経抄)
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先の朝日新聞の社説へのアンサー記事でしょうか、これは。。
メディアがメディア同士で対立するのはかまわないのですが、紙面なぞ使わず、別のトコロでやっておくんなまし。
「刑罰がどうすれば社会が安全で平和な環境を作れるか考える契機になることを願います」
という、遺族側の本村さんの言葉をきちんと伝えた記事を記したかったので、産経新聞ではなくとも東京新聞も琉球新聞(!)でも他の新聞でもよかったのですが、まぁこうして比べてみるもの興味深いもので。
さて。
今回の判決が「少年犯罪の厳罰化」というキーワードで括られてしまうことが、ちょっぴり歯がゆくてたまりません。
判決上
三権分立の法に従えば司法と行政は別物なので、今回の判決内容については司法の分野として個別に評価すべきなのは重々承知しています。
それでも自分としては、悪質な少年犯罪を未然に防ぐ社会のありかたを今一度真剣に問う声をもこそ、マスメディアは上げるべきではないかと思うのですが。。
期待しすぎですね。残念ですが。。
難しいですね。。ほんとうに。。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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