「え、まだ読んでなかったんですか?」と山仲間に驚かれた。うん、そうなんです。ようやく読みました。
出版されて間もなくの頃、自分のTLでは絶賛の嵐が巻き上がっており興味はあったものの、荷物を増やすのが面倒だったこともあって、読まずじまいで終わらせてしまうところでした。
内容はスティーブ・ハウス氏の私的な登攀記録。
登攀という根源的な欲求に突き動かされクライマーとして生きること、ただひたすらにそれを追究する生き様が圧倒的。
極限まで自分自身を鍛え、重量を-それは同時に安全性や快適性に繋がるものを-削ぎ落とし、賞賛を得るがためではなく、自らの理想を実現するために限界を追求する、まさに骨を命を削る登攀。
その過程における辛さ、怖さ、苦しさをありのままに吐露し(実際、高所でゲーゲー吐いてる場面多し)、その上で新たに引いたラインや辿り着いた山頂(あるいはたどり着けなかった頂も)、そこで得たパートナーシップなど、生々しくざらりと粗い手触りの感情と、純粋で透徹な研ぎ澄まされた情熱が本編に満ち満ちていました。
登攀という行為においては、しばしば人命が失われる悲劇があり、その負の局面に立ち会ってしまう痛みと苦悩、それでもなお登り続けるということを人生において選択せずにはいられない心情がしっかりと記されている点も印象深し。
今の時代における冒険や挑戦の社会的意義とか社会的価値とか、そんな世間の尺度から、人間の営みの喧噪と騒音から、とてもとても遠く離れた場所でひっそりと行われる冒険。
飾らない言葉で語られる物語は、魂の透明度を試されているような気もしなくもない。
だからといって社会的成功や社会的貢献を目的とした生き方は否定されるという訳では決してない。ただそれらは並行して存在するであろう別の宇宙の話というだけ、それだけ。
ヤマケイオンラインで注文していた「東京起点 沢登りルート120」(山と渓谷社刊)本日届きました。
発売予定は明日(6/16)だったので、まさかこんなに早くに手元に届くとは。びっくり。
ラインナップは過去に出版された沢の遡行図集の集大成という印象。有益な情報がコンパクトにまとめられていて重宝しそうです。基本データの項目に温泉情報があるのもありがたいです。沢登りの後はどうしても川魚臭くなるので(苦笑)。
バックナンバーで購入した昔のRock&Snowには沢登りの小特集とかクロニクルが掲載されていましたが、今では沢のネタは皆無。ヤマケイは縦走派だし、東京新聞社刊行の岳人が年に1度沢特集を組むくらい、かなぁ(ヤマケイもガクジンも定期購読はしていないので不案内)。でも今年の岳人6月号の「リバー・トレッキング」は。。沢特集だと気付かなかったわ(汗
もっとも「ゴルジュ突破やろうぜ」のサイトにあるようなマニアックでハードボイルドな世界は、ひっそりと閉ざされたままでいいのかもしれないな…とも思います。うむ。
今年度の漫画大賞を受賞されたということで、早速読んでみました。
ヤマザキマリ氏著「テルマエ・ロマエ」第1巻。
Amazonにある商品説明が過不足なく秀逸なので、まんまコピペ。
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■内容説明
マンガ大賞2010 大賞受賞!
世界で最も風呂を愛しているのは、日本人とローマ人だ!!風呂を媒介にして日本と古代ローマを行き来する男・ルシウス!!彼の活躍が熱い!!……風呂だけに。
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古代ローマの建築技師ルシウスが現代日本にタイムスリップ。そこは、高度な文明(特に風呂関係で)と、飽くなき快楽(主に風呂関係で)を追求する「平たい顔族」(つまり日本人w)の国。
自分もまた、お味噌の国の人ですが、お風呂の国の人でもあります。
もう、ものすごく好きです。お風呂、温泉。
短期間であっても海外でシャワーしかない環境にいると、「風呂に入りてぇ~」と心の底から思いました。
ムダにひろ~いバスルームにトイレとビデと、シャワーだけ…って、なんなのよ!! とか、部屋の片隅に公衆電話ボックスみたいなシャワーってどうなのよ!! と、叫びたくなりました。
長期間になるともうたまらくなって海でもプールでもいいから水に漬かりたい! と思ったり。
ルシウスのリアクションにゲラゲラ笑いながらも、お風呂の国の人でよかったとしみじみ。
表紙がちょっと…というか、レジにそっと差し出す際になかなか恥ずかしかったです。。(照
文庫化されるまでのんびり待つつもりだったのだけど、実家に手付かずのままのBook1が本棚に鎮座していたので(「話題になっているから」と父が盛夏の頃に購入したもの)借り、翌日Book2を購入。
とても面白かったです。
引き込まれるように一気に読んでしまいました。
村上春樹氏の中・長編小説を読み終えると、ひどい嵐が通り過ぎてぽっかりと晴れた翌朝を迎えたような気分になります。今回も同じく。
願わくば…といっても絶対に無理なのだけど、自分が十代後半ぎりぎり二十歳手前くらいのときに出会い、そのあとも歳を重ねていく折々に読み返してみたい物語だと思いました。絶え間なく揺らぎなく不可逆的に進行していく時間というものを少々残念に思います。
政権与党の交代により、「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と上毛カルタでも謳われる群馬県上野原町川原湯に建設予定の八ッ場ダム工事の中止決定を巡り、あれこれと議論再燃。
吾妻渓谷はちょうど2年前に家族旅行の折にちょこっとだけ立ち寄った場所。(ダムに沈む村 2007/08/27 *村ではなくて町なんですが…すみません。。)
その時点ですでに架け替え道路などの工事が進行中で、歴史ある川原湯の温泉街も上流地区への移転の方向だという話だったので、個人的には「まさか今頃になって…」というのが率直な気持ち。自分は積極的な建設推進賛成派でも建設中止賛成派でもありませんが。。難しいので。
ちょうど、Amazon経由でオーダーしておいた「八ッ場ダムの闘い」が届いたので、早速読了。
著者の故荻原好夫氏は、八ッ場ダム建設予定地であり水没宣言を下された群馬県上野原町川原湯に生まれ育ち、地元の温泉旅館の主人であった方。
表題に「闘い」とあるけれど、ダム建設絶対反対派ではなくて、「中立派」または「条件付賛成派」とみなされていた方。
もっとも、冒頭から成田空港三里塚闘争に関わった方(お名前失念)の序文があったりして若干げんなり。一方で著者の荻原氏は個人的にダム建設推進派の福田元首相と深い交流があったりして、人の繋がりとはえてしてなにかと複雑。
建設省(現国土交通省)や群馬県の関係者や有識者、地元の政治家等とダム補填について折衝を重ねる内に官僚主導のダム建設のあり方や日本の都市・農村問題への疑念を深め、各方面の研究者との交流を深め協力を得ながら地元の人たちとともに新しいまちづくりを模索し続けた、長い年月に及ぶダム建設を巡る闘いの記録。
この本の初版刊行は1996年。40年以上もの長い間「真綿で首を絞めるような」「蛇の生殺し」のような膠着状態が続く中、著者自身が高齢となり、事の顛末を詳らかに後世に伝えたかったのだろうという思いがひりひりと伝わってきました。
一方の視点から書かれていることもあり、丸ごと共感するのは難しい点もありますが、深い苦悩と多数の苦労が偲ばれます。著者が関わった人物の名が率直に実名で書かれており、さらに嫌な相手は呼び捨てである点がある意味人間的。
地元住民を代表して折衝にあたった当事者ならではの「官僚主義の弊害」と一言では片付けられない複雑を垣間見ることができます。
端的に人間として悪意のある役人もいる。一方で、胸襟を開いて話し合うことができる役人もいるけれど短期間で担当者が変わってしまいそれまでの努力が水泡に帰してしまう制度悪という点もある。そして地元住民はその都度振り回されてしまう。徒労に募る虚無感。
直接顔を合わす役所の担当者の上にある見えざる大きな権力の手。見えない未来。息苦しい閉塞感に覆われ、都市化やモータリゼーションの進歩に取り残された町。徐々に人が離れ過疎化が進行する。反対派が息の根を引き取るときを待っていたかのようにダム建設が息を吹き返すだろう。まだ間に合ううちになにかしなくちゃいけない。そんなじりじりとした焦燥感。
もし自分が著者の立場だったら…と想像するだけで、胃に重たいものがつかえる気が。。
もっとも他人事として済まされる話ではありませんが。。
また、地元の方だからこそ充分に配慮された控えめな表現ですが、地元住民の間の温度差についても考えさせられました。温泉街の中心地でお土産物屋を営む反対派の急先鋒であるTさん、土建業を営むダム建設賛成派の「よその国から来た」Yさん(最初、外国人かと思いましたが借地人さんということでした)、など。
「一村まるごと移転」を希望し新たに前向きに生活を考えていこうと考えてきた著者にとって、地元住民間の激しくまたは静かな軋みは、ダム建設が持ち上がらなければ直面せずに済んだはずの厳しい現実だったのではないかと思います。
それから、本文中では政治家の関与はさらりとしか触れられていませんが、個人的には気になりました。
福田赳夫氏はダム建設賛成派である一方で、同時期に福田氏と熾烈なライバル関係にあった中曽根康弘氏は裏から手を回してダム建設反対の横槍を入れていたこととか、両者の間に挟まれた故小渕恵三氏が「困った」と著者に漏らしたこととか。同じ群馬県から選出された国会議員同士の反目が、実は八ッ場ダム建設の推移に関して一番影響力が大きかったのではないかと勘繰ってしまいますが、はて、どうなんでしょう。
しかしまぁ、いくら自民党の強い地盤だからといって、地元の意見を聞かずして八ッ場ダム建設中止をマニフェストに盛り込んだ民主党もなんだかな。
あたかも自分たちの政治力を誇示するための道具として取り上げたような印象が拭えないな。。
自分はダムが好きなので、どうしても考えが偏りがちです。とはいえむやみに大規模ダムを造ってGoとは考えませんが。
治水・利水は国家の要だと思うし、発電方式に関していえば原子力発電よりも水力発電の方が好ましいとも思うし。そんな訳でかねてから小規模で発電効率の良い小型水力発電装置を取り扱おうかと検討すること幾度か。なかなか実現まで至らないけど。
それよりも。著者が本書の後半で述べられたように、東京を中心とする首都圏の肥大化と過疎化が進行する山間の農村部という構造に抜本的な変化が生じない限り、たとえ一時的にダム開発の見直しや凍結を行ったところで、またぞろ近い将来にダム有用論が噴出し、いつまでも同じような問題が繰り返されるような気がしてなりません。どうなんでしょう。
それにしても。自分が購入した時点ですでに古本しかなく、それでも定価より若干安く購入できたのに、現時点の最安値が12,000円に跳ね上がっていてびっくり。さすがにホットな話題なんだなぁ。
ほうほう、これは…と、検索してみると、(財)日本ダム協会のダム便覧のページがヒット。
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ダムの書誌あれこれ(6)~小説を読む〔下〕~
《②-2ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品(その2)》
曽野綾子の『無名碑』(講談社・昭和44年)は、土木技師三雲竜起が田子倉ダムをはじめ、名神高速道路、タイのアジア・ハイウェイ-の建設に挑んだ物語である。娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然条件と闘い、ライフ・ラインの建設に立ち向かう土木技師の誠実な、孤独で生きる男の姿を描いた大作である。本書のオビに「土木技師三雲竜起の造る巨大な碑にその名が刻まれることはない」とある。このことから『無名碑』の題名となったのだろう。施工業者の前田建設工業(株)の協力によって、著者は、只見川の田子倉ダム、名神高速道路、タイのランパ-チェンマイ・ハイウェイ-第2工区の現場まで足を運び、取材された。
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Amazonで書名を検索するとどうやら文庫本はすでに絶版のようで、仕方ないので中古の上下巻をポチリ(上巻は定価より送料より安かったけど、下巻は定価の倍以上。いったいどういう市場原理??)。
そうしたら下巻だけとっとと先に届き、未だ上巻は届かず。まぁいいんだけども。
で、上巻を待たずに下巻をちら読みし始めたら、これが面白くて一気に全頁読了…。
1960年代半ば、ミャンマーとの国境に近いタイ北部の小さな村、サラメタに高速道路を建設するために派遣された日本の中堅ゼネコン企業に勤める土木技師である主人公・三雲竜起。異国の地での高速道路建設における様々なトラブルと、主人公の周囲の人間関係が丹念に克明に描かれていて、ずっしりと濃密な内容でした。
ちなみに、田子倉ダム建設の話(と名阪高速道路建設の話)はどうやら上巻で完結してしまっており、下巻はタイでのアジア・ハイウェイ建設のお話でした。う~…田子倉ダム、出てこないじゃん…。
田子倉ダムや奥只見ダム周辺は険しい山と谷が続き、1年の半分は雪に覆われる土地。田畑を耕しながら狩猟や採取に従事していた当時の人たちがどこまで山を分け入っていたのか、ほんの少しでもいいから手がかりがあればいいな…と思ったのだけど。
まぁタイ編を記した下巻は、いわゆる続き物としての下巻ではなく、どちらかというと独立した1冊の本として扱ってもいいんじゃないかと思うほど完結していたので、それはそれでいいいのですが。
暑くて熱くて泥と砂埃にまみれていて、甘くて酸っぱくてねっとりと腐敗した匂いに満ちていて、どこからともなく人が集まり喧騒が途絶えない土地。無邪気な笑顔を見せながら金品を要求しあるいはくすねる現地の人たちとのままならない交流。日本人社員同士の反目やわだかまり。建設コンサルタントとの軋轢。遅々として進まない現場。
「建設中の道路はアジア・ハイウェイのビジネスルートに組み込まれ、将来的にロンドンまで繋がる」という日本から来た省庁の技師が伝えた一言が、清涼な一陣の風となって現地日本人職員たちに希望を与えたわずか数ページの部分を除いては、ひたすら「暑さ・喧騒・怠惰・賄賂・腐臭」。これがもうゲップがでそうなほどエンドレス。
赴任当初に掲げていた熱意や、各個人が矜持としてきた職業上の理念や倫理や社会的道徳や、瞬間的に湧き立つ行き場のない苛立ちさえも、異国の熱帯の熱にぐずぐずと解けて甘く腐り落ちていく-そんな日本からやってきたゼネコン社員さんたちの心情の描写が壮絶。
「それでも道はいつか完成するだろう。でもいったいいつまでこんな日々が続くのだろう。」
主人公をはじめとする現地邦人駐在員の方たちの胸中の声が聞こえてくるような。
各種のトラブルに右往左往されながらも淡々と職務に忠実に勤める主人公の姿は、アクの強い上司や同僚や在タイ邦人や現地の人々と較べると、ある意味、彼らを映し出すためだけのスクリーンのよう。価値観の異なる異国においても、理想に走って誤ることなく、理想を捨てて腐ることもなく、冷静な視線で他者を観察し、努めて共感し可能な限り受容する。
ある意味典型的で模範的な日本人土木技師である主人公を突然襲う悲劇。救いのない結末(ネタバレなしで)。
「それでも道はいつか完成するだろう。道は街と街を結び、その上を人々が行き来するだろう」
そんな情景を瞼の裏に描き理想を形にするために職務に励んでいた主人公の姿を思い返さずにはいられません。
社会的基盤構造物もまた、長い長い地球の歴史の中においては賽の河原の石、かもしれない。
それでも、様々な犠牲を礎として築かれ、形として残り、受け継がれていくことへの願い。携わったものの名を刻むことなく聳え立つ、無名碑。
と、最後まで読み終えて本を机に置いた瞬間、ふっと、精神が破綻した妻との生活の中で、彼も次第に蝕まれてしまったんじゃないか? もとより、主人公もまた静かに狂っていたんじゃないか? と思い、ちょっとぞっとしました。
あらゆる事象を真っ直ぐに見透かすと信じていた透明なフィルターが、実は歪んでいたのだと初めて気づく、そんなちょっとした衝撃。
なにが正しくてなにが間違っているんだろう、誰が正気で誰が狂っているんだろう…鉄筋やコンクリートやアスファルトでできた巨大構造物の物静かさと比べて、人間はなんて卑小で猥雑で湿っぽいんだろう。
ううむ、なんという重厚なヒューマンドラマ。深い、深いですぞ(ムック調)。
ダムや高速道路の建設現場だけではなくて、人間を描いた小説だったんですね。というか、最初からそうなのか。うん、そうだ。
ダム、高速道路=税金の無駄遣い、ゼネコン=悪徳企業と脊髄反射しがちな方にこそぜひご一読いただきたいものです。まぁ公共事業のすべてが公正で必要であるとは決して思いませんが。。
で。このアジア・ハイウェイ建設プロジェクトの話は2004年10月にNHKのプロジェクトXで「アジアハイウェイ ジャングルの死闘」として放送されたそうな。
自分はこのプログラムを観ていないので、ネットであれこれ検索してみたら、大東亜戦争でインパール作戦に参加した日本人未帰還兵で現地に長く住んでいた故藤田松吉氏が現場監督として加わり、現地の言葉や習慣に詳しい藤田氏が現地作業者を掌握し指揮することで建設作業が一気に進捗したのだとか。
藤田氏は一時は日本への帰国を願い資金を貯めたものの、結局は貯めた資金を元手として戦地で斃れた日本人兵の遺骨収集と慰霊塔の建立に投じ、2009年1月にタイで天寿を全うされたそうです。
(藤田氏の経歴については、往年の藤田氏に直接お会いされた映画監督の松林要樹氏のblogのエントリを参考にさせていただきました。)
無名戦没者を弔う碑。これもまた別の形の無名碑でしょうか。
色々と気になることをメモしたり、グダグダ書いてみたり。山の記録はなるべく参考になりそうなことを…と思いながらも思いついたままに垂れ流し。。
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